地雷除去に魅せられて、海外を飛び回る。シングルマザーのジンバブエでのはたらき方

2024年1月30日

海外で仕事をする人にインタビューする連載「世界ではたらく日本人」。第13回は、ジンバブエ・ハラレの日本国大使館に勤務する山崎絢さんにお話を伺いました。

山崎さんは中学を卒業後、単身でオーストラリアへ留学し、26歳までオーストラリアで過ごします。日本で就職した後、地雷除去という仕事に出会い、海外を飛び回る生活に。コソボやザンビアなどさまざまな国での勤務経験を経て、2022年3月からは外務省の職員としてジンバブエではたらいています。地雷除去に惹かれた理由、はたらき方に悩む人へのメッセージなどをお聞きしました。

ジンバブエに行くまで

地雷除去にのめり込み、海外を転々

――学生時代からキャリアの概要を教えてください。

中学を卒業した後、オーストラリア・メルボルンに留学へ行きました。反抗期でとにかく家を出たかったので、海外留学ならちょうどいい理由付けになるかなと。当時は英語をまったく話せなかったので、中学2年に編入。そこからメルボルンで10年間暮らし、中学、高校、大学を卒業しました。

26歳で日本に帰国し、就職活動をしました。1年間営業職を経験した後、建設機械の開発・販売を行う会社に転職。そこで、地雷除去にのめり込んでしまったんです。

――地雷除去にのめり込んだ?詳しく教えてください。

私は、地雷除去機の担当でした。会社では地雷除去機の開発と製造をしていて、ODA(政府開発援助)の一環で、地雷が埋まっている国へ機械を提供していたんです。

自分の仕事は、政府の方に地雷が埋設された背景を聞いたり、地雷が埋設されたときの地図があるか調べたりすること。地雷除去機は現場に合うものをつくる必要があるため、日本政府の要請に応じて、カンボジアやモザンビーク、コロンビア、アンゴラなどの現場へ調査に行きました。

この地雷除去の仕事に心を惹かれ、のめり込んでしまったんです。地雷を一つとれば、誰かの命が確実に助かります。こんなに早く目に見える成果が出ることはないなと。「これだ!私は地雷除去で生きていくんだ」と思いました。

――そこからどうしたんですか?

会社を3年で辞めて、コスタリカの国連平和大学に入学しました。平和学の修士号をとろうと。

知識を得た後は、技術です。マネジメントよりも現場で地雷除去をしたいという思いがあったので、コソボにあるトレーニングセンターで訓練を積みました。毎日、勉強をしながら現場で経験を重ねていき、地雷除去のレベル3の資格をとることができました。レベル3は地雷除去ができて、インストラクターとしてもはたらける基準です。

コソボのトレーニングセンターで研修を受ける山崎さん(本人提供)

――レベル3の資格を持って、地雷除去の仕事に就いたのでしょうか?

いよいよ地雷の世界に飛び込もうと思って地雷除去を行うNGOや国連、赤十字国際委員会などいろいろ探してみたのですが、私にできる仕事はありませんでした。

地雷除去を行う人のほとんどは、海外の退役軍人たちなんです。彼らはずっと現場で地雷を取り除いてきているし、中には地雷を埋めた経験のある人たちもいます。退役軍人相手では、とても太刀打ちできず、仕事が全然回って来ませんでした。

そこからまずはODAのマネジメント側の経験を積もうと、ザンビアの日本大使館で経済協力調整員を2年間務めました。その後、日本に帰国し外資系メーカーに勤めたり、カリブ海にあるトリニダード・トバゴの日本大使館ではたらいたりして、2022年3月からジンバブエにやってきました。

海外の中でもジンバブエ移住を選んだ理由

ジンバブエは住みやすい国

――さまざまな国ではたらく経験をした中で、ジンバブエに来た経緯を教えてください。

ジンバブエに来る前、トリニダード・トバゴでの暮らしが厳しかったので、ジンバブエではたらくことを決めました。

ザンビアから日本に帰国している間に結婚して子どもが生まれていたのですが、その後離婚してシングルマザーになって。もう一度海外ではたらきたいと思っていたところ、外務省の専門調査員の仕事を見つけて、トリニダード・トバゴへ行きました。

ただ、ちょうどそのころはコロナの真っ最中。学校が閉まっていたので、息子は学校に行けなかったんです。私が仕事に行っているときに、息子がオンライン授業を自宅で受けるのを横で見てもらう人が必要だったのですが、トリニダード・トバゴにはメイドさんの文化がないこともあって、すごく高くついてしまって。

経済や政務の情報収集の仕事をしていたのですが、出費がかさんでしまって、自分の給料では生活が続けられないと思い、外務省の公募を見つけてジンバブエに来ることになりました。

――ジンバブエでの暮らしに不安はありませんでしたか?

以前、ジンバブエの隣のザンビアに暮らした経験があったので、そんなに変わらないだろうなという安心感がありました。ザンビアは住みやすい国だったので。

実際に暮らしてみて、改めて住みやすいと感じています。自然が多く、人は穏やか。ジンバブエは、日本のように時間に追われたり、必要以上に人の目を気にしたりすることなく、とても人間的でいられる国だと思います。

ジンバブエでの仕事内容

ジンバブエの経済はジェットコースター

――現在はどのような仕事をされているのですか?

ジンバブエの日本大使館で経済班長をしています。主な仕事は、ジンバブエの経済情報収集と日本企業支援です。たとえば2023年の5月は、金融政策が1週間に一度のペースでころころと変わっていました。その変化を追うこと、その前提として経済状況を把握する必要があるのですが、これがとても難しいんです。

――かなり高度な気がするのですが、山崎さんは経済についての知識も豊富なのでしょうか?

いえ、私は経済のバックグラウンドはないので、なかなか大変なんです。私の強みはネットワーキングで、これまでさまざまな国ではたらいてきた経験から、いろいろな組織に友人がいます。新しい金融政策が出ると、国際通貨基金やアフリカ開発銀行の友人に「今どういうことになってるの?」と聞きにいっています。

外交団の友人たちと休日を楽しむ山崎さん(本人提供)

――仕事の面白いところを教えてください。

ジンバブエの経済はジェットコースターです。自国で経済の解説者をしているようなスペシャリストでさえ「ジンバブエに来たら、今まで学んできた経済理論はすべて捨てなければダメだ」と言うほど。毎日何が起こるか分からないので、その動向を追うのはすごく楽しいですね。ほかの業務が入ってきてフッと集中力が切れると、ついていけなくなるので、常に気を張らないといけないのは大変ですが。

また、モザンビークとの国境に多くの地雷が埋められていることもあり、ジンバブエは地雷除去の支援を行っています。その支援に2022、2023年と関われているのがうれしいですね。ようやく少し地雷除去のお仕事に戻ってこられたかなと。

ジンバブエで感じる、はたらく上での日本との違い

ニセモノの大家に家を貸される

――さまざまな国ではたらいてきた中で、ジンバブエでは仕事をしやすいと感じますか?

日本と違って時間に追われることが少ないのは良いですね。基本的にみんなのんびりしていますし、自分の国を大事にしている人が多いと感じます。自国を愛している人たちがいる国は、外国人にとっても居心地が良い国なんです。経済が不安定で貧困層もたくさんいますが、多くのジンバブエ人はニコニコ笑いながら過ごしているんです。

私はジンバブエが好きで、ここでの仕事にも生活にも満足しています。人が穏やかで治安が良いので、安心して子どもと一緒に外に行くこともできますし。

――一方で、ジンバブエの暮らしで大変なことは?

家探しには苦労しましたね。ジンバブエに来てから4回も引っ越しをしたんです。大家さんがニセモノの大家さんで、人から借りた家を私に貸そうとしていたことがあって。もともとソーラーパネルを付けてもらう約束をしていたのですが、契約をすべて結んでから、ニセの大家さんだったことが発覚。本物の大家さんは、ソーラーパネルを付けられないと言うんです。当初結んだはずの契約と違うので、すぐに引っ越しました。

めちゃめちゃ金の亡者の大家さんにあたって、家賃を前の住人の2倍にされたことも。2022年の年末に見つけた今の家は最高で、ようやく落ち着くことができました。

もう一点、美味しいシーフードが食べられないのが残念ですね。ジンバブエでは日本と違ってある程度時間の余裕があるので、食を豊かにしたいと思うのですが、その素材がないという…。

ジンバブエのワーク・ライフ・バランス

ジュネーブ軍縮代表部ではたらきたい

――ジンバブエでのワーク・ライフ・バランスはいかがですか?

すごく良いですね。国全体が子どもに優しい国なので、ワーク・ライフ・バランスは整えやすいと思います。

毎日朝5時半に起きて、お弁当をつくって、朝食を食べて。息子を学校に送ってから、大使館に出勤して。職場の皆さんの理解があるおかげで、業務は夕方4時までにしていただいています。仕事から帰って夕食をつくることができ、ご飯を食べながら息子とコミュニケーションも取れています。家族らしい時間を過ごせているのがすごくうれしいです。

日本にいたころは常に時間に追われていた気がします。何かをやりながら何かをしていて、息子との会話はほとんどできていませんでした。

世界遺産ヴィクトリアの滝で、休暇を息子さんと楽しむ山崎さん(本人提供)

――今後の目標を教えてください。

コソボのトレーニングセンターで訓練を積んで以降、地雷除去の仕事がまだできていません。どうにかして、地雷除去の仕事をしたいと考えています。

現在は任期付の外務省の職員なのですが、外務省の本採用になり、ジュネーブ軍縮代表部ではたらきたいです。ジュネーブ軍縮代表部では、地雷支援に関する政策を練っているので、そこに携わりたいですね。

――最後に、はたらき方に悩んでいる人に向けて、メッセージをお願いします。

はっきりした目標がある人って強いと思うんです。私は地雷の専門家になりたいという思いがあったからコスタリカの平和大学にも通ったし、コソボのトレーニングセンターにもにも行きました。あらゆる人脈を使って、なりふり構わず自分のやりたいことに突き進んでいきました。今も地雷除去に関わりたいという夢を持ち続けています。

では特にやりたいことがない場合、どうすればいいか。必要なのは、一歩踏み出す勇気だと思うんです。

たとえば、自分のやりたいことが分からないけど、今後のキャリアに不安があるなら、一度会社を辞めて、好きなことをやってみてはどうでしょうか?たとえば、オーロラでも見に行くとか。アクションをしても、何もみえてこない人はいません。オーロラを見にいこうと思えるということは、綺麗な空が好きということです。空を見ることを仕事にしたいなら、子どもたちが簡単に使える望遠鏡を発明することができるかもしれません。

日本にいると、どうしてもお金がなくなってしまうなどの不安が先行してしまうと思います。しかし、「今ここ」を見るのではなく、もっと広い世界に目を向ければ、たくさんの可能性が出てきます。「今ここ」にとらわれて「自分にはできない」「周りにやっている人もいない」などと考えるのではなく、世界のいろんな生き方をしている人たちを見て、自分の理想は何かを考えることが大切です。

時代は変わってきていますし、はたらき方にも多様性が出てきました。シングルマザーが活躍する職場もあれば、奥さんがはたらいて、旦那さんが子育てをしている家庭もあります。女性には結婚や出産の選択をする時期があると思います。女性だからとか、何歳までに結婚しなければとか、プレッシャーを感じずに、自由に生きていける環境を楽しんでほしいですね。

(文・写真:岡村幸治)

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ライター岡村幸治
1994年生まれ。スポーツニッポン新聞社を経て、フリーライターへ。経営者インタビューや旅行エッセイなどを執筆する。旅が大好きで、世界遺産検定マイスターの資格を保有している。
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