【取材】元乃木坂46・高山一実「バラエティ自信なかった」「卒業で変わった仕事観」

2024年11月8日

スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深堀りインタビューを行っています。

今回密着したのは、乃木坂46の1期生として活動し、在籍中に『トラペジウム』で小説家デビューを果たした高山一実さん。同作は2024年5月にアニメーション映画化されました。高山さんは、アイドルという肩書きで自分を制限することなく、乃木坂46を卒業後も小説家やタレント、MCとして活動の場を広げています。しかし、卒業後には、精神的に落ち込んだ時期も経験したそうです。等身大の言葉で語られる高山さんの歩みから、「自分らしい道」を見つけるヒントが見えてきます。

※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画一部を抜粋・編集してお届けします

憧れたテレビの世界。しかし鏡の前でつぶやいたのは「無理だな」

高山さんは、小学生のころからテレビの世界にあこがれを抱いていました。特にNHKの子ども向け教育番組『天才てれびくん』は大好きな番組。しかし、トイレで鏡を見るたびに、その夢は遠のいていったといいます。

「私は体型もおでぶちゃんで……。でもテレビに出ている子たちは目がクリクリで、『お人形さんみたいだな』と思っていました。自分とは全然違うなって」

そんな高山さんの学生時代は、剣道一色。髪を伸ばすことすら許されない厳しい環境でした。体格の大きい選手が有利なこともあり、痩せたくても痩せられない。アイドルのような可愛さは、遠い憧れのままでした。

それでも、アイドルになりたいという想いが消えることはありませんでした。高校時代、いくつものアイドルオーディションに挑戦しましたが、すべて落選。「もう受かるはずがない」と諦めかけていたころ、乃木坂46のオーディションの存在を知ります。

「オーディションの時点で、デビュー後の冠番組も決まっていた第1期メンバーの募集。しかも『ソニーが社運をかけて募集します』と大々的に発表されていたので、受かるわけがないと思って。だからすごく気楽に行きました」

ところが予想に反して1次審査に合格。さらに2次審査までも通過します。「途中で落ちてもハッピー」という気持ちで、気楽に臨んでいたオーディションは、なんと最終「合格」という結果に。

「人生ってこういうものかと思いましたね。やっぱり前のめりに『頑張るぞ頑張るぞ』って構えているより、『もう無理だから』と気楽に構えて、素の自分で挑むのが大事なんだって」

華やかなアイドルの世界に飛び込むことになった高山さん。この日から、自分なりの生き残り方を模索することになります。

バラエティしか生き残るすべがないと「思い込んで」いた乃木坂46時代

乃木坂46に加入した高山さんは、早い段階から自身の立ち位置を見据えていました。

「最終オーディションのころから、私はバラエティ以外に生き残るすべがないと思っていました」と高山さん。乃木坂46は「綺麗でおしとやか」というイメージが強く、そんな中で自分らしい居場所を模索した末に「変わったことをして目立つしかない」と決意します。

しかし、その決断が思いがけない葛藤を生むことに。楽屋では自然とメンバーを笑わせることができても、テレビ収録となると途端に自信を失ってしまうのです。

「バラエティー番組収録のスケジュールが決まると『う~……』となっていましたよ。グループのために、今のポジションを守るには頑張らなきゃダメなんだけど、胃は痛い、みたいなのがもう5、6年続いていましたね」

思うような結果を出せない焦りから、テレビ番組では「この場だけ目立てばいい」と、一時的なキャラクターづくりに走ることも。しかし、そんな不自然な姿の高山さんにファンも困惑。握手会の売り上げが落ちる時期もあり、自己嫌悪の日々が続きました。

高山さんが立ち直ったきっかけは、グループのプロデューサー・今野さんの言葉でした。バラエティに向いていないと悩む高山さんに、「そんなに頑張りすぎなくていいよ」という言葉をかけたのです。

「バラエティキャラとして頑張らないといけない」という思い込みから解放された高山さんは、少しずつ肩の力を抜いていきます。すると、意外にもバラエティ番組が楽しく感じられるようになり、「素の自分」で収録に向き合えるようになりました。

深夜の小説執筆が出会わせてくれた、私の新しい「個性」

乃木坂46として活動中、高山さんは自身の新たな才能を見出します。2016年、雑誌『ダ・ヴィンチ』で短編小説『キャリーオーバー』の執筆、そして長編小説『トラペジウム』の連載がスタートしたのです。

「お喋り好きだから、普段から伝えたいことが溜まっているんです。でもアイドルとしては、話さないほうがいいことと、話したほうがいいことがあって。その狭間にある気持ちを消化する場所を探していたら、それが小説でした」

連載はやがて書籍化され、高山さんは自分の居場所を見つけた気がしたと言います。

「本になるってことは認めてもらえたということなのかなって。やっと『これが私の個性だ』って思えました」

深夜にひとり言葉を紡ぐ時間は、高山さんにとって特別なものでした。友人との約束も断りながら、締め切りに追われる日々。でも、それは苦しいというより、むしろ充実感がありました。

「私、深夜に感傷的になるんです。普段と違う自分になれて。気づけば没頭している自分に『あ、小説書いてるじゃん、私』って。寝不足でも楽しかったですね」

乃木坂46卒業後に訪れた“病み期”。でもそれは、恥ずかしいことじゃない

10年の活動を経て、高山さんは「もう若い子と同じ衣装を着るのは年齢的にきついかな」と感じ、乃木坂46からの卒業を決意します。しかし、卒業後の生活は想像以上に困難なものでした。

「グループを辞めた後、気分的に落ち込んだ時期がありました。ステージに立ちたい、目立ちたいという気持ちはまったくなかったんですけど、メンバーと話していた日常がなくなることがすごくしんどくて」

初めての環境で新しい出会いもある中、高山さんは一時期、家から出られないほどの精神状態に。しかし、この経験は彼女の価値観を大きく変えることになります。

「私、今まで『病んだことがない』のを長所だと思って生きてきたんです。でも思い直しました。それってすごく恥ずかしいことだなって。つらい気持ちになれる人のほうが、同じ状況の人に寄り添えるじゃないですか」

さらに高山さんは、タレント、MC、絵本作家としても活動の幅を広げていく中で、はたらく価値観も変化したと言います。「仕事をしながら自分のスキルを上げないといけないと思うようになった」と、真剣な眼差しで語ります。

「今までは目の前の仕事を一生懸命こなすことが成長につながっていました。でも、このままだと、いつか『何も取り柄がなくなっちゃった』ってなりそうで。今は仕事をしながら、『別の軸で自分の個性を磨かないといけない』と考えています」

かつて自分の「個性」に悩んでいた高山さんは、今、複数の「個性」を持つ表現者として、新しい夢に向かって歩み始めています。

仕事で行き詰まりを感じている人へ

インタビューの最後に、高山さんから自分らしくはたらくためのアドバイスをいただきました。

まず重要なのは、思考を止めないこと。「仕事とプライベートの切り替えは大事だけど、ぼんやりするよりは考える時間に充てたほうが得だと思う」と高山さんは語ります。

「仕事の工夫の仕方をまず考えないといけない。誰かに聞くでもいいし、本を読むでもいい。考えた上での失敗なら『あれだけ考えたんだからしょうがない』って思えるから、考える時間を大切にしています」

また、仕事で落ち込んだときの対処法は、「何か別のことに頭を使うのがおすすめ」とのこと。

「私の場合は小説を書くことでした。落ち込んだときは、吐き出す場所がいくつかあるといい。別のことに没頭すると、少し冷静になれるんですよね。

全部自分で抱え込んで『私のせいだ』って思いすぎるのも、全部まわりのせいにするのもよくないと思っていて。ほどよく自分で反省して、ほどよくまわりのせいにする。そのバランスが大事だと思います」

そして最後に、自分らしく楽しくはたらくためには「『好き』を仕事にすること」が大切だと結んでくださいました。

「私はアイドルが大好きで、つらいことも『楽しい』に変わったから10年間も続けられました。アイドルという大きな夢は終わったけど、今は中くらいの夢を見つけて、そこにつながりそうなものをいっぱいやるのがいいのかなと思っています」

※今回お伝えし切れなかったフルバージョンの動画はYouTube『スタジオパーソル』にて公開中

(文:間宮まさかず)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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