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「親愛なるクソ上司へ」。時を経て、私が今伝えたいこと
スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、不仲だった元上司とのエピソードを振り返った記事をご紹介します。
直感と勢いが持ち味の宿木ゆきさんは、新卒時代に上司から「その行動の先にある100通りの失敗を思い描け」と何度も叱られていました。意欲を失って転職をしてしまいますが、何年も経ってから上司の本心を理解し、はっとします。そのエピソードをnoteに投稿しました。
※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「親愛なるクソ上司へ」から抜粋したものです。
過剰なマネジメントにやる気をなくした新卒時代
この春、新社会人になったり新しい職場ではたらきだしたりした人の中には、上司との関係に悩んでいる人もいるかもしれません。
宿木ゆきさんも、新卒で入社した会社の上司のことは「めちゃくちゃ嫌い」だったそうです。
直感と勢いで押し切ってゴールに向かって最短でたどり着きたいと思う私に対し、上司は石橋を一万回叩いてようやく一歩進むような人でした。私が地雷だらけの挑戦の平原に向かってスタートダッシュを切ろうとすると、上司は全力でそれを止めにかかる。
「親愛なるクソ上司へ」より
当時の宿木さんは「自分のセンスや思考力が人よりすぐれている」と自信を持っていて、前へ前へと突き進もうとする野心に満ちていたため、ストレスを感じていました。
そんな宿木さんに上司が繰り返し言ったのは
「その行動の先にある100通りの失敗を思い描け」
という言葉です。
宿木さんは「そんなことしたら何もできなくなるじゃんか」と不貞腐れていましたが、上司はミスを犯さず100点を取り続ける完璧なビジネスパーソンで、社内外からの評価が高い人物だったため、その言いつけを守っていました。
一方で、上司のマネジメントが完璧だったとは思っていないそうです。
上司は私がひとつミスをするたびに、平均2時間の説教をしました。理詰めで自分の弱みや失敗を言及し続けられるうちに強固だったプライドや自信はへし折れ、入社半年もすると、私は静かなロボットになりました。私が出した成果物をゼロから手直ししてほぼ同じ作業時間をかけている上司の背中を見て、「私を雇ってる意味なくね?バカじゃね?」と鼻で笑いながら悔しくて泣いた日々を今でも思い出します。
「親愛なるクソ上司へ」より
もともと向上心があるタイプだからこそ、自由に動かせてもらえず、成果物も全て手直しされることに大きな挫折感を抱いたのでしょう。
結果として「上司に叱られないこと」が仕事の目的になり、やりがいを失い、約2年でその会社を辞めることになります。
宿木さんは、退社が決まるまで上司に一言も相談しませんでした。
いざ会社を辞める時、上司の意外な反応を目の当たりにします。
上司はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてから、私と一度も視線を合わせることなく、こう言いました。
「もっと早いうちに相談してくれればよかったのに」
その表情を見たとき、その上司のことを、初めて自分とおなじ人間なんだと認識しました。人には得意・不得意があるんだから、この上司はもしかしたら人を育てることが死ぬほど苦手なタイプだったのかもしれない。そんなことを、辞める直前になって想像しました。
「親愛なるクソ上司へ」より
とはいえ、鬱憤が溜まっていた宿木さんは
「あばよ、クソ上司!!」
と晴れ晴れした気持ちで転職したそうです。
そう思ったのもつかの間、次の会社でも元上司の影響を受けることになります。
元上司の教えを守ったら、新しい会社でも評価された
次の会社では馬が合う上司に巡り合い、宿木さんは水を得た魚のようにのびのびとはたらけたそうです。
しかし、思うまま突き進めたわけではありませんでした。
地雷原にジャンプインするようなアクションを取ろうとすると、足が勝手にすくむのです。
「その行動の先にある100通りの失敗を思い描け」
思い出したくもないのに、大嫌いだった上司の言葉が呪いのように自分を縛り付けている。そんな気がしてイライラしつつも、私は何かしら新しいことにチャレンジするときは、100通りの失敗をノートに書きだして、それに対してリスクヘッジしてから最適な道を進むようになっていました。
「親愛なるクソ上司へ」より
元上司はもういないのに、指導されていた時のように期限を守り、必要な条件を満たし、相手の真意をつかむことに細心の注意を払ってはたらいていました。
もともと大胆な性格の宿木さんがこうした注意深いはたらき方をするようになったのは、やはり元上司の影響でしょう。
結果として、私は二社目でずいぶんと高く評価されました。つまり、クソ上司の呪いと私が受け止めていたものは、会社を辞めたあとの私をずいぶんと成長させてくれたのです。
「親愛なるクソ上司へ」より
おぼろげながら元上司の意図を理解し、感謝の念が生まれつつあった宿木さん。
しかし、素直に「ありがとうございます」と言える状態ではありませんでした。
2社目ではたらいている間に、元上司から1回だけ電話がかかってきたのですが、宿木さんは複雑な感情に苛まれて折り返すことができなかったそうです。
そのまま電話番号を変えてしまい、元上司の真意は分からないままです。
ただ、元上司の「その行動の先にある100通りの失敗を思い描け」という言葉は宿木さんに浸透していました。
2社目を辞めてフリーランスになり独立した時も、不安はなかったと言います。
というのも、私はそこまでの間に何度も何度も100通りの失敗を思い描いてきたから、自分が選ぶ道筋の落とし穴を避けるスキルに対して自信をつけていたのです。ここからどんな挑戦をするにしても、きっと大丈夫、死なない。そう思えました。
「親愛なるクソ上司へ」より
それから法人化して会社の代表になった宿木さんは、ついに元上司の考えが手に取るように理解できるようになります。
上司が尋常ならざる慎重さで守り抜いていたのは、会社の信頼だったんだ。無鉄砲に飛び出す私を上司が全力で止めていたのは、その後起こりうるであろうトラブルとダメージを回避するためだったんだ。
「親愛なるクソ上司へ」より
それと同時に、元上司の苦悩も想像できるようになります。
根拠のない自信をかざす若い人と仕事するようになり、宿木さん自身も「人材育成がクソ苦手」と自覚し、育成の難しさを痛感したのでした。
ついストレートに相手を指摘して傷つけてしまうという失敗をするたび、かつての上司を思い出し、こう思うそうです。
ああ、逆の立場ではこういう感じだったのか、と。2年間私の面倒を見てくれた上司は、さぞストレスを抱えながら頑張ってくれていたのだろう、と今更泣きそうになるのです。これは難しいね。ごめんなさい、と。
「親愛なるクソ上司へ」より
こうした経験を重ねた宿木さんは、「クソ上司」と「クソ上司に悩まされている人」に伝えたいことがあると言います。
美談にはならなくても、力にはなる
宿木さんの元上司のような人々は、忍耐が求められます。
向上心が強く一筋縄でいかない人材は、宿木さんのように数年で退社したり、早々に独立したりすることが多く、しんどい思いをして育てても独り立ちする姿を見られないことがよくあります。
また、指導した人間が「上司の教えがいかに正しかったか」を知るには時間がかかるとも語っており、それも上司からすると忍耐が求められるポイントでしょう。
でも、安心してください。誇ってください。不器用ながらあなた方が教えてくれたことは、必ずその人の人生をなんらかの形で良い方向に変えていきます。
「親愛なるクソ上司へ」より
そして、上司に悩まされている人に対しては「つらいことを我慢してなくていい」と語ります。
つらいものはつらい。たとえ言っていることが正しくても言い方がマズい上司は、やっぱり美談としてまとめるのには無理があります。上司との間に人間同士の相性の良し悪しもあるし、あなたの強みを活かしきれない環境からは早々に逃げちゃいましょう。
「親愛なるクソ上司へ」より
逃げるとなると、つらさに耐えた時間が無駄だったように思えるかもしれませんが、そんなことはありません。
宿木さんのように、忘れたころにうれしい変化をもたらしてくれたり、知らず知らずのうちに力になっていたりするので、落ち込まずに次に進むのが大事だと言います。
会社や仕事は選べても、上司は選べないものです。
せっかく希望した会社に入っても、希望した仕事に就いても、上司と馬が合わずに日々ストレスを感じている人もいるでしょう。
今の宿木さんのように「相性の良し悪しはあって当然」と考え、自分のせいにも上司のせいにもせず、新しい環境を選ぶのも1つの手です。
思い切って飛び込んだ新天地で、嫌な上司の教えが糧になるかもしれません。
<ご紹介した記事> 親愛なるクソ上司へ 【プロフィール】 宿木ゆき Netflixと漫画と音楽を酒で流し込めば、明日もお仕事頑張れる女です。ふだんは他者の声を文章にする仕事をしてますが、趣味で書く文章をここに出します。【noteの実績】KIRIN あの夏に乾杯▷特別賞受賞、freee 給付金をきっかけに▷Power to スモールビジネス賞受賞。 |
(文:秋カヲリ)
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