広島カープ通訳から不動産業界へ…… 挑戦を続けるアメリカ人が“平和の町”で目指すものとは
現在、日本で職を持つ外国人は、約172万人にのぼるといわれています(参照)。広島県在住のアメリカ人、アンドリュー・ギブラーさんもその一人です。
アンドリューさんは、異色の経歴を持っています。2009年に「広島東洋カープ」の国際スタッフとして来日し、当初まったく話せなかった日本語を数年間でマスター。外国人選手の通訳を担当するようになりました。
その7年後、心機一転、不動産業界へ。住まいを探す外国人のサポートを始めます。勤めている会社の「良和(りょうわ)ハウス」では、アンドリューさんの熱心な仕事ぶりが功を奏し、英語圏の顧客が増加。会社の事業拡大に大きな影響を与えました。
「僕なんて、ぜんぜんたいしたことないですから……」と、広島弁訛りの日本語で恐縮するアンドリューさん。その表情からは、謙虚ながらもやさしい人柄が垣間見えました。
「来日したときは、1年でアメリカに帰ろうと思っていたんです。今もその思いが変わったわけではないですけど、日本でやりたいことがまだまだ残っています。不動産業界は忙しくて大変なこともあるけれど、新しく入ってくる人たちが長く続けられるような環境をつくりたいです」
日本のプロ野球球団から不動産業に転身した、アンドリューさんの軌跡を聞きました。
コメディアンになりたかった青年時代
アンドリューさんは1984年、アメリカの中西部に位置するミズーリ州で生まれました。州の中でもわりと郊外に住んでおり、日曜大工が得意な父が建てた、広々とした一軒家で暮らします。
子どものころの夢は、コメディアン。家族や友人を笑わせることが好きな少年だったといいます。
その後、小学校から大学までの学生時代を地元で過ごしたアンドリューさん。大学の友人たちと学内ステージで即興パフォーマンスをしたり、生徒会長として大学のイベントを企画したりと積極的に活動します。ただ、ブロードウェイのような大きな舞台で表現したいと思ったことはなかったようです。
「大人になっても、このまま地元で生きていくんだろうな」と思っていた矢先のこと。女友達のある一言が、運命を変えます。
大学2年生のある日、アンドリューさんは、当時好意を寄せていた女性と学生アメリカンフットボールの試合を観に行きました。その女性が応援団のマスコットキャラクターを見ながら、何気なくこう言いました。
「アンドリュー、あんなふうにマスコットキャラをやればおもしろいんじゃない?」
アンドリューさんはその言葉を聞いて、とてもワクワクしたといいます。
すぐにミズーリ州スプリングフィールド市にある野球チームのマスコットキャラクター役に応募。とんとん拍子に話が進み、アンドリューさんはアルバイトでキャラクターの「中の人」を演じることになります。それからは、まるで水を得た魚のように野球のエンターテイメントにはまっていきました。
広島カープではたらくため来日
大学を卒業した2006年、アンドリューさんはミズーリ州郊外にある独立野球団に就職します。社員16名ほどの小規模の球団で、マーケティングからグッズ販売、イベントコーディネートまでさまざまな仕事を経験しました。
その後、独立野球団を離れ、メジャーリーグの「カンザスシティ・ロイヤルズ」やNCAA(全米大学体育協会)のバスケットボールチームの元ではたらきます。
3年の月日が流れたある日、当時の勤務先に日本から一通の封書が送られてきます。それは、日本の球団「広島東洋カープ」の国際スタッフの募集要項でした。
アンドリューさんはそれまでアジアの国を意識することはありませんでしたが、そこで日本のエンターテイメントに興味を持つようになります。
「地元でジャパニーズステーキハウスが流行っていて、それが私が描いていた日本のイメージでした。その店は日本の焼肉とはぜんぜん違うんですけど、シェフが鉄板の前で卵を投げるなどのパフォーマンスがあって、雰囲気を楽しめました。あと知識としてなんとなく漫画やビデオがゲームがいっぱいあって、秋葉原みたいなところがいっぱいあるのかなって。それで、『日本に行くのはおもしろいかも』って思ったんです」
さっそく広島東洋カープに応募すると、数週間のうちに採用通知が届き、アンドリューさんは日本ではたらくことが決まります。とはいっても、1年契約という期限付きでした。アンドリューさんは「1年は長いなぁって。終わったらすぐ帰ろうと思っていました(笑)」と振り返ります。
「ちゃんと覚えたい!」の一心で、日本語検定1級に合格
2009年、いざ日本にやって来てスタッフとしてはたらき始めると、言葉の壁にぶつかります。球団の中には英語が話せる人もいましたが、「アンドリューさんの勉強のために」と、なるべく日本語で話しかけていました。アンドリューさんも日本語での会話を試みますが、なかなかうまくいきません。
「会社でもっと活躍したい。日本語をもっとわかるようになりたい!」
そう強く思ったアンドリューさんは、日本語検定を受けようと猛勉強を開始。その勉強方法は、とても変わっていました。
「ハワイ大学の教授が書いた『Remembering the Kanji』という本を読んで、その覚え方がパズルみたいでおもしろかったんです。たとえば、『いとへんは、スパイダーマン』って、まずは部首に忘れられない人の名前をつけます。その後、漢字の形を使って自分でストーリーを作るんです。この本に沿ったシステムを使ってオンライン講座をしている方がいたので、そこで勉強しました。それで、1年9カ月で常用漢字(2,136字)を覚えるまでになりました」
この勉強方法がアンドリューさんにぴったり合っていたようで、2010年に日本語検定2級、その3年後には1級を取得。ちなみに1級の合格率は約30.8%と、かなり難易度の高いもの。短期間で日本語を習得したことを誇ってもいいはずですが、アンドリューさんは「僕がすごいってことじゃなく、環境が良かったんです」と照れ笑いを浮かべます。
「僕は気になることやわからないことは絶対聞く性格で……。知らない日本語が会話に出てきたら『どういう意味ですか。(スマホの画面を見せて、)これのことですか?』ってしつこいくらいに質問していました(笑)。球団の同僚たちが先生役をたくさんしてくれましたね」
通訳で直面した、日本ならではの野球用語
球団の契約が終わりに差し掛かるころ、アンドリューさんはさらに1年、広島カープではたらくことにします。その後、気が付くと6年も球団の仕事に携わっていました。
この期間のアンドリューさんの仕事は多岐に渡ります。球場外のグッズ売り場の店長や、外国人選手とその家族のサポートなど。中でも、2013年に引き受けた通訳の仕事は緊張が伴うもので、外国人選手と監督とのコミュニケーションに四苦八苦したそう。
「野球用語に戸惑うことが多かったです。たとえば、ホームコーチ(ランナーがホームに突入する際にホームベースでスライディングが必要かどうかを、次の打順のバッターがジェスチャーで伝えること)。たぶん、由来は英語から来ているけど、聞いたことのない言葉でした。
ある時、当時の2軍監督から『次のバッターに、ホームコーチしてって伝えて』と言われたんですけど、正直、意味がわからなくて。しょうがないからそのまま伝えるけど、やっぱり理解してもらえなかったんですね。でもその後、その選手はちゃんと誘導していて、『あ、それのことか!』って(笑)。すでに知っていることでも、言葉そのものが使われていないことがあって勉強になりましたね」
日本に来たばかりのころは誰も知り合いがいなかったため、時にはホームシックになったこともあったアンドリューさん。けれど、仲良くなった選手や同僚と食事に行くようになり、サッカーサークルや柔道を始めたりして、人と町に馴染んでいきました。
また、友人の紹介で知り合った広島在住の日本人女性と出会い、結婚も。「彼女は英語が話せるので、日本語の難しいニュアンスが分からないときはよく手伝ってもらっていました」とアンドリューさんは笑顔をのぞかせます。
不動産業への転身
2015年に球団での契約を終えたアンドリューさんは、広島でフリーランスの英語教師兼通訳士として仕事を始めます。
ある日、カフェで友人とその知り合いの女性の3人で話をする機会がありました。すると、友人から「彼女、不動産会社をやっているんだけど、英語が話せる人を探してるみたい」と言われます。その知り合いというのが、アンドリューさんが入社することになる、良和ハウスの副社長でした。
当時、広島市では中国やベトナムからの留学生が増え、外国人の賃貸契約の需要が高まっていました。そのため良和ハウスは英語で接客ができる国際営業チームを発足したいと考えていたのです。
副社長から「そのチームリーダーとして、うちに入らない?」と打診を受けるも、アンドリューさんは「僕が目指しているエンターテイメントの世界から外れているなぁ」と感じて、一度は辞退。
しかし、「そこをなんとか」と頼まれ、アンドリューさんは「まぁ、僕から誰かを紹介できるかもしれないし、チームを立ち上げるのはおもしろいかも」と考え直し、2016年、良和ハウスに入社。ここからアンドリューさんは、日本の不動産について深く考えるようになっていきます。
外国人が日本に住むハードル
入社後、アンドリューさんは本社勤務を経て、2020年の夏、広島市西区にある外国人専用の店舗に配属されます。主に賃貸物件の内覧や契約手続きなどを担当。いったい、外国人に日本の賃貸システムをどのように説明したのでしょうか?
「賃貸の契約のときは宅建士が説明して、その横で僕が通訳しました。ただ、そもそも日本の敷金や礼金のシステムを知らない外国人が多く、『この料金をなぜ払う必要があるのか?』というところから話す必要がありました」
不動産の難しい用語を訳すことに、頭を抱えたアンドリューさん。会社の人たちからアドバイスを受け、伝え方を分析して試行錯誤を繰り返します。すると、外国人の顧客が「ありがとう」と笑顔を向けてくれるように。その表情を見て、アンドリューさんは胸をなでおろしました。
それと同時に、「日本に住む外国人って、すごく不安な気持ちなんだな」と感じます。
たとえば、ゴミの分別。日本は自治体によって分別の仕方や収集する日が細かく決められていますが、外国人はその習慣がないことが多く、ルールを守らないことでトラブルになるケースがありました。アンドリューさんは、そういった顧客の心情を知るようになります。
「ほとんどの外国人は『分別せずに捨てたい』なんて思ってないんです。本当は、分別を間違えて『大家さんに追い出されるんじゃないか』って怖がっていたり。なので、『ゴミの分別はこういうふうにしてくださいね』『大型ゴミは予約する必要がありますよ』と細かく説明するようにしたら、すごく安心してもらえたんです」
アンドリューさん自身も、日本に来日したときに、在日カードの申請やインターネットの開設に時間がかかり、大変な思いをした経験がありました。
「当時の僕は会社からのサポートがあったけど、世の中には誰からも手助けがなかったり、もっと苦労している方がたくさんいる。その人たちに喜んでもらえるのは、すごくやり甲斐があることだなって思ったんです」
こうして、広島県に住み始める外国人に寄り添ううちに、アンドリューさんは不動産業にのめり込んでいったのです。
広島は“平和の町”
アンドリューさんの奮闘の結果、目に見えて成果があらわれました。
店舗では数えるほどしかいなかった英語圏の顧客率が約300%アップし、入社して3年目となる2019年は、1年間で300件以上の外国人からの申し込みがありました。
そのほかにも、MEO対策(Googleマップに登録されている店舗の検索順位を上昇させること)のためのプロジェクトを立ち上げました。最新のGoogle情報に詳しいニュージーランド人の知り合いに依頼して、検索順位を上げる方法を模索したり、二次元コードを読み取り、顧客が口コミを書ける仕組みをつくったりなどに尽力。そのおかげで、Google経由からの問い合わせはそれまでの倍以上になりました。
アンドリューさんは、一緒にはたらく同僚たちにも目を向けています。社内用の研修ビデオをつくったり、コロナ禍には社内で「オンライン運動会」や英会話講座を企画したりなど、はたらきやすい環境づくりに力を注いでいるのです。
現在、アンドリューさんは本社の広報部に異動。公式YouTubeチャンネル「Work Life Japan」で企画・演出を行ったり、市街に情報を発信するためのコマーシャル映像を制作したりなど多方面で活躍しています。
13年の月日を過ごした広島県で、アンドリューさんはこう語ります。
「平和なときの悩みって、『仕事がうまいかない』とか『今夜何食べよう』とか、そんなことだと思うんです。でも、戦争が起こった国の人は、『いつ家族に会えるだろうか』『明日は生きているだろうか』と考える……。住む国でこんなに悩みが違うんですよね。広島は戦争で大きな被害があった場所ですが、今は “平和の町”です。僕は外国人代表として、この環境をアピールしたいです」
さまざまな業種ではたらいてきたアンドリューさんは、「人を笑顔にすること」をずっと貫いてきました。今までの道のりを振り返って、「大切なのは、たくさん試すこと」と話します。
「いろんな仕事を試してみて、自分にとって価値があるかどうかを見つけていくのがいいと思います。1つだけトライしても、それがぴったり合うかどうかわからないですから。たくさん自分の道をつくって、選択する。チャレンジ溢れる人生をこれからも歩みたいです」
(文・写真:池田アユリ 画像提供:良和ハウス)
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