数々の奇跡を起こした日本の元動物園飼育員。絶滅危惧種を救う“繁殖のプロ”の半生
「自分でものを考えて、主体的に生きてきたから。それが結局、今の社会の中でたまたまハマったんですよ」
北海道・札幌市郊外の町に、絶滅危惧種の爬虫類を繁殖させ、その貴重な命をつなぐ男性がいます。
2022年まで26年間、札幌市が運営する円山動物園の飼育員としてはたらき、現在は独立し「ハビタットデザイナー」として駆け回る、47歳の本田直也さんです。「ハビタットデザイン」とは彼自身が名付けた分野で、「ハビタット」は生息地のこと。飼育施設の設計コンサルティングから実際の飼育、大学の非常勤講師まで、その活動は多岐にわたります。
本田さんの名が知られるようになったのは、飼育員時代に、世界初・日本初の爬虫類の繁殖を計6種以上、成功させたことがきっかけでした。高校時代の成績は良いとは言えず、「評定は平均1.9だった」という本田さんは、どのようにして今の仕事をするようになったのでしょうか?
小学生から「輸入」の手伝い
本田さんは1976年、北海道札幌市で生まれました。もともと生き物が好きだった本田さんは、3歳、4歳のころから昆虫類、ハムスターやモルモットを飼い始め、飼育かごの中で自然に繁殖していくようすを夢中で見ていました。もちろんこのころは「繁殖」という言葉も知らなければ、意識すらもしていません。
幼少期のある日、本田さんはテレビで、「亀池」の一年間を追うドキュメンタリー番組を目にしました。
それはのちに、亀の飼育で有名な姫路水族館の「亀池」のことだと分かるのですが、本田さんは「亀って、すげぇ生き物だな……」と強い興味を抱きました。北海道には亀が生息していないため、あまり見る機会がありません。本田さんにとっては、亀の姿そのものも珍しかったのです。
本田さんは10歳のころ、自分の部屋でミドリガメを飼い始めました。哺乳類にも興味がありましたが、動物の毛にアレルギーのある母親を気遣ってのことでした。「スカンクやフェレットも飼っていたんですけど、そこまでサイズが大きくなると、母が発作で入院しちゃって。さすがにもう毛のある動物はやめました」
12歳になると、市内に、趣味で世界中の爬虫類を輸入販売する男性がいることを知ります。新聞記事に電話番号が書いてあったので、すぐに電話し、「無償でいいから仕事を手伝わせてほしい」と伝えました。
「図鑑でしか見たことがない動物たちが毎週、世界中から来るわけですから、もう大興奮でした。飼育の環境づくりや、生き物の輸入手続きや法律もそこで覚えたんです。なんであんな子どもを相手にしてくれてたのかなって、今思うと不思議だな……」
学校帰りに地下鉄で30分かけて輸入商の自宅へ行き、帰りは車で送ってもらう——これを週に3回。手伝いといっても、空港での動物の引き取りも任されるほど本格的でした。本田さんの自宅の部屋は、お駄賃代わりに持ち帰った爬虫類でいっぱいになっていきました。
「中1の時に、4mのニシキヘビを持って帰ったことがあるんです。ヘビや亀はよく持ち帰っていたんで、両親は毎回『また持ってきたか』ぐらいの反応だったんですけど、さすがに4mのヘビにはびっくりしていましたね(笑)。父も『大丈夫かこれ?』って」
小学生のころから動物輸入商に入り浸り、さまざまな生き物を自宅に持ち帰ってきた我が子に、両親は「やめなさい」とは一言も言わなかったと言います。
「動物園ではたらきたい」
「動物園ではたらきたい」。そう思ったのも、中学生の時でした。輸入商の手伝いは本田さんにとって、学びと好奇心に満ちた貴重な経験でしたが、一方で動物を「売る」ことには何かしらの後ろめたさがありました。動物園の飼育員なら、公的な立場で、これまでに身につけた飼育の技術を役立てられると思ったのです。
高校生になってもその考えは変わらず、勉強そっちのけで飼育に夢中になりました。本田さんには3つ上の兄がおり、その兄が就職し、独立したことで空いた6畳間と、本田さんの4畳半の部屋は、50種類以上の爬虫類・両生類・小型哺乳類・鳥類などと、400匹のエサ用ねずみで埋め尽くされていました。エサ用ねずみは、本田さんが繁殖させたものです。
「二段ベッドの上段だけがぼくのスペースで、あとは動物だった」と笑う本田さん。ちなみに、爬虫類たちが快適に暮らすには、室温を約5℃〜25℃、湿度は個別のケージ内で40%〜90%の範囲で年間をとおして変動させ、「季節性」を再現しなければなりません。季節性とは、爬虫類が本来生息する地域の気候のことです。
本田さんはその環境を、輻射(ふくしゃ)式暖房機と、ケージ内への散水、床材の保湿などで忠実に再現しました。冬眠を促すために、冬でもストーブを炊かず、3℃の部屋で震えながら眠ったこともあります。繁殖は、面白いぐらいに成功しました。
本田さんはいったい、生き物の何にそこまで惹かれるのでしょうか?それは、単に可愛いからでも、繁殖自体が楽しいからでもありませんでした。
「繁殖はあくまでも目的の一つなんですよね。愛玩として飼う、という感覚じゃない。『自然の一部を持ってくる』というか、動物の生態のさま、繁殖のさまを再現するってことが興味深いんです。だから、より原始的で、環境適応性の低い生き物にどんどん、はまり込んでいく。大人になった今も(爬虫類のように)一般的には注目されない、謎多き動物に取り組むのは、それが理由なんです」
高校生の時、本田さんはある「人生の指標となる人」に出会います。『爬虫類クラブ―爬虫類&両生類の飼い方(誠文堂新光社)』の著者で、東京の江戸川区自然動物園ではたらく長坂拓也氏です。
30年前当時の日本では、爬虫類の飼育に関する誤情報が飛び交っていました。本田さんは彼の本を読み、「すごい、的確だ」と感激しました。たとえば「リクガメの甲羅は、なぜ飼育下だと歪むのか?」について、本田さんの考察と同じ答えが書いてあったのです。
本田さんはすぐに動物園に電話をかけ、長坂氏にリクガメについての自身の考察を伝えました。すると長坂氏は、2時間にわたって一緒に議論してくれたのです。
一方学校では、評定平均が1.9だったという本田さん。先生には進路を心配されたと言いますが、それでも気にせず、札幌市が運営する「円山動物園」ではたらくための公務員試験を受けました。見事合格し、毎週電話で情報交換をしていた長坂氏にも報告したのです。
「動物園、受かりました!」
動物園での仕事は、本田さんにとって夢のようなものでした。
「何見ても『お、すげぇ!』『お、すげぇ!』みたいな感じですよ。ふふ、だってね、トラやライオンと身近に接したことなんてないから。5年目まではトドとかアザラシとか、爬虫類じゃない動物も担当していたんですよ」
毎月のお給料は、東京行きの飛行機代でほとんどがなくなりました。月2回は長坂氏に会い、日本中の動物園関係者を紹介してもらいました。
5年目からは爬虫類担当になり、2001年には、絶滅危惧種である「ヨウスコウワニ」を世界で初めて、屋内で繁殖させることに成功しました。その時のことを本田さんは、爬虫類との思い出の中でも、特に印象に残っていると言います。
「どうやったら繁殖できるかなぁ……と考えた末に、やっとできたことだったので。というのも、動物園の飼育環境は季節性がないので、本来ワニの繁殖に必要な『冬眠』をさせてあげられない。だから、10月から4カ月間絶食をさせて、生物学的なシャットダウン状態 ※ を人為的につくって、発情を促したんです」
温度、湿度、ライトの具合、エサを与える頻度。子どものころ、自宅で夢中でやっていたのと同じように、ヨウスコウワニが本来の生息地にいるかのような環境をつくり出しました。
「札幌は2月に入ると日長時間がぐんと上がるので、それに合わせていろいろなエサを一気に提供して、マイナスからプラスへのギャップをつくりました。そうしたら、交尾したんです」
2006年にはラオスモエギハコガメ、2012年にアオホソオオトカゲと、絶滅危惧種の繁殖を次々と成功させ、9種の「繁殖賞」を受賞した本田さん。繁殖賞とは、日本で初めて繁殖に成功した動物について、日本動物園水族館協会から贈られる賞です。
※急な環境変化や病気など、何かしらの負荷がかかる環境の中で、代謝や活動が低下すること。季節に関係なく起きる。
飼育員にしかできないこと
「円山動物園は、すごく柔軟だと思います。新しいものを受け入れたり、その時々に合わせて形を変えていったり。たとえば公務員って普通、ブログ一つ投稿するのにも許可が必要だったりするんですけど、ぼくの好き放題、やりたい放題に書かせてくれて」
2007年、円山動物園の公式ブログ内で本田さんの連載が始まりました。タイトルは『爬虫類と猛禽類のDeepな世界。』。本田さんの生き物への愛とユーモアあふれる文章は、次第にファンの間で話題になり、SNS上で「本田節」という言葉まで登場しました。
2011年4月には、円山動物園内に、本田さんも設計に携わった「は虫類・両生類館」がオープン。2017年には、本田さんがある媒体で「ヘビに関するQ&A」に回答した文章がSNS上で拡散され、1万件以上の「いいね」がつきました。
地元ファンから「この方がいるから、円山動物園へ行ったら必ずは虫類・両生類館に寄る。そこは愛であふれている」といったコメントがつくほど、本田さんは名物飼育員となったのです。
本田さんは、動物とのかかわり方には「一人称、二人称、三人称の3種類がある」と言います。一人称とは、人として動物の気持ちに寄り添ったり、共感したりすること。三人称は獣医や研究者のように、科学的な視点から動物たちを見ることです。
「でも、ぼくらがやってるのは『二人称』。これは飼育員にしかできない。動物の立場からものを見て、同じ世界を共有しようとする関わり方です。それをね、“棲みこみ”っていうんですよね。たとえばうち(円山動物園)の以前のチンパンジー担当の飼育員は、なんの躊躇もなくチンパンジーの群れの中に入っていけた。これは棲みこみができていて、完全に彼らと一体化しているからです」
2017年に本田さんのもとに運び込まれた、瀕死状態のヒラタヤマガメ5匹。絶滅危惧種の中でも「深刻な危機」と危ぶまれている種です。
「三人称」視点で見れば、治療として投薬や大量のエサを与えなければいけない状況でしたが、本田さんは長年の棲み込みで培った直感で、「彼らはそのストレスに耐えられない」と感じました。そうして、エサを与えるのとは反対に、冬眠状態にして体力を温存した結果、カメたちは奇跡的に元気を取り戻したのです。
43歳で大学院へ
ところで本田さんは、繁殖のプロフェッショナルとして知られるようになった今も、なぜ地元・北海道にとどまるのでしょうか?
「野生動物の研究者は、世界中に何万人もいるわけです。だけど、あくまでもぼくのスタンスは、飼育技術者の立場からどう彼らの保全に貢献していくか。『飼育』なんです、絶対に。飼育以外はあり得なくて、それはどこにいてもできることだから。むしろ、気候や土地面積、建築物の構造など、適切な飼育環境デザインにおいても、北海道には有利な条件が整っています」
高校卒業後すぐに動物園に就職した本田さんですが、実は、45歳の時に大学院でデザイン学の修士号を取得していました。大学院は、4年制大学を卒業した人が進学するイメージがありますが、同等の学力や社会人としての実績が認められたりすれば、必ずしも大卒でなくてもよいのです。
ただ本田さんの目的は、学歴取得ではありません。
「建築やデザイン学は、動物の飼育環境をつくる上で、すごく親和性が高い学問領域なんです。特に動物園は人工的にいろいろな施設をつくるので、動物、生物学の知識だけじゃ、ぼくらの仕事は成り立たないと思いました」
2022年、26年間勤めた円山動物園を退職し、会社を設立した本田さん。ハビタットデザイナーとしてはたらきながら、円山動物園にも週4日、飼育のために足を運んでいます。2023年春には、滋慶学園グループが経営する「北海道エコ・動物自然専門学校」の敷地内に、本田さんが代表理事となる、日本初の「一般社団法人野生生物生息域外保全センター」ができる予定です。
「ぼく、あまり人の好き嫌いがなくて、結構誰とでも会話するんです。だからかもしれないけれど、周囲に何か反対されたことはないし、みんなが協力してくれる。今建設中の保全センターは、本当は動物園内につくりたかったのですが、やはり行政の組織においてはそう簡単に事も進まず、断念。なので、自分でつくるしかないと思って土地探しをしていた時に、『校舎に一つ空きが出たからここでやらないか?』と滋慶学園の方に声を掛けてもらいました」
「週3日は大学や専門学校での授業があるし、あとは動物園にいる」という本田さんに休日はありません。ですが本田さんの表情から疲れは感じられず、むしろ楽しくて仕方がないように見えました。
「やっぱり、好奇心ですよね。好奇心が強くて、動物の世界に浸かっていたい、というか。そしてこれから、ぼくたち飼育員の視点を、科学の土俵に乗せていきたい。ぼくらの視点って『主観的』と言われて、科学的に認められない部分があるんですよ。でも人間と一緒で、動物も、共通する普遍性もあれば、再現困難なそれぞれ状況に応じた個体の固有性もあるので、客観的データだけでは彼らの感情を計ることは成立しないと思ってるんです。だからまずは、科学的なフレームを学ぶために大学で勉強したり、論文を書くことを今やっています」
周囲に流されず、自分が夢中になれることに全エネルギーをそそいできた本田さん。「ハビタットデザイン」が大きな分野となっていく未来が、これからきっとやって来るのでしょう。
(文・写真:原由希奈 写真提供:札幌市円山動物園 〒064-0959 札幌市中央区宮ヶ丘3番地1)
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北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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