42歳で養成所へ。声優・斧アツシさんはなぜ、年齢を重ねてもチャレンジし続けるのか

2023年1月18日

「スタートするのは何歳からだってかまわない。一番悲しいのは、やらないで後悔すること」

落ち着いた美声でそう語るのは、声優の斧アツシさんです。現在61歳の斧さんは、『機動戦士ガンダム』や『プリキュア』シリーズ、『その着せ替え人形は恋をする』をはじめ、数々の人気アニメで多彩なキャラクターの声を演じています。

「ガンダムチャンネル 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』 前日譚「PROLOGUE」冒頭5分」 より。
初老男性からカフェのマスター、司令官まで幅広い役柄を演じる

今では声優界の「名脇役」とも呼ばれる斧さんですが、意外にも声優を志したのは40歳を過ぎてから。42歳で通った声優養成所では、自身の至らなさに「毎週のように落ち込んで帰った」といいます。

過去には会社員時代もあったという斧さん。歳を重ねても新しいことにチャレンジし、学び続ける姿勢の奥には、どのような想いがあるのでしょうか? 斧さんが声優になり、現在の活躍に至るまでの軌跡を辿ります。

会社員に夢が持てず……29歳で劇団へ

——斧さんは声優になる以前、どのようなお仕事をされていたのですか?

30代は役者やナレーターの仕事をしていましたが、20代のころは、まったく違う仕事をいくつも経験しました。

子どものころからアニメや映画を観るのが好きで、学芸会で人前で演技をするのも得意でした。「この楽しさを、将来仕事にできたらな」とずっと思っていたんですけど、同時に頭の片隅で、「そんなに甘い世界じゃねぇよな」と諦めてもいて。ひとまずやりたいことが見つかるまでは、と大学へ進みました。

でも結局中退し、20歳からは一人暮らしを始め、アルバイトを掛け持ちして生活しました。両親には「20歳になったら家を出なさい」と言われて育ち、実際にそうしたものの、やりたいことが見つからないまま定職にも就かず、心配ばかりかけたと思います。

アルバイトは、郵便配達をはじめ、10数種類の職種を経験しました。正社員にもなりましたが、早々に「自分は会社の組織には馴染めない、向いてない」と感じました。その会社の上の人たちを見ていて、夢が持てなかったのもあります。

——そこから、どのような行動を取られたのでしょう。

改めて、「自分が本当にやりたいことって何だろう?」と考えました。

するとパッと、「役者」という言葉が頭に浮かんで。昔は無理だと決めつけていたものの、やっぱりこの(演技の)道は避けても避けきれない、と思ったんです。その気持ちを知った友人が、新聞広告の切り抜きを送ってくれたことがきっかけで、29歳の時、劇団のオーディションを受けました。

ただ、子役が中心の劇団だったので次第に物足りなくなって、同じ劇団の同期数人で別の劇団を起ち上げ、自分たちで公演するようになったんです。

——いつごろから、安定した生活を送れるようになりましたか。

自主公演を続けていく中で、名古屋に本社があるタレント事務所からお誘いがあって、所属することになりました。そのうち、「本社に移れば仕事の幅がもっと広がる」ということで、32歳の時、出稼ぎのつもりで東京から名古屋に拠点を移したんです。

そこでは役者だけではなく、マルチタレントとして、ナレーションの仕事やグルメ番組・旅番組のリポーター、結婚式の司会者までいろいろとやらせてもらいました。事務所のお力もあって、役者としてNHKの『中学生日記』や大河ドラマにも出演したりしましたが、それでも“売れない役者”状態で、生活は安定しませんでしたね。

ようやく安定したのは40歳も近いころで、フリーランスになり、ナレーションの仕事を中心にやるようになってからです。

——声優の仕事に興味をもったきっかけは、何だったのでしょうか。

そのころ、NHK深夜の再放送で『ビバリーヒルズ青春白書』という海外ドラマをやっていて。面白くて毎回観ていくうちに、「吹替えってすごいな……」と興味が湧いてきたんです。

とくに、今の事務所の先輩である小杉十郎太さんの声と芝居に惹かれました。それまで声優の仕事に興味を持つことなんてなかったのに、純粋に「声優っていいな」と思うようになりました。

それで42歳の時、東京に戻って、仕事を続けながら社会人向けの声優養成所へ通い始めたんです。

——42歳で、新たなキャリアの道を歩み始めたのですね。

たった一度の人生、好きな道、嫌いな道、どちらを進みたいか?と問われたら、好きなほうへ進みたいじゃないですか。

ただ、入所してからは毎週落ち込んで帰っていました。

というのも、ぼくには役者やナレーターの経験があったので、初心者向けではなく「プロ専科」という、すでに現場で活躍している方がスキルアップするためのコースを選んだんです。だから授業内容も、スタンドマイクの前で台本を持って、人物やキャラクターが動くのをモニターで観ながら、それに声を充てていく……という実践的なものでした。それがぼくは、全然できなくて。

——ナレーターや役者の仕事とはまったく違った、ということですか。

「誰かの動きに合わせて声を充てる」という点では大きく違いました。

大ベテランの先生に、芝居を「あなた、それじゃあだめだよ」とボロクソにダメ出しされたこともありました。だから毎週、外画のレンタルDVDを借りてきて、日本語吹き替え版を観ながらセリフをノートに書き起こして、次に字幕版を観ながら自分でセリフを充てる……という自主練を繰り返していましたね。

それで、なんとか授業に追いつけるようになって。映像プロダクションが運営する養成所だったので、コースの後半には、現場の仕事に呼んでもらうこともできました。

斧さんのツイート

何度も「年越せねぇかもな」と思った

——先生からダメ出しもされる中、プライドを傷つけられることもあったと思います。なぜ、挫折せずに学び続けられたのでしょう。

純粋に、「声優になって仕事をする」っていう目標があったからです。

それに今思えば、先生にダメ出しされた時にぼくがしていたのって、「このほうが声優らしいだろう」と自分の中で勝手に決めつけた、かつ心の奥底では自分自身が嫌ってた芝居だったんですよね。普段は絶対にしないようなオーバーなリアクションだったり、格好つけて上手にしゃべろうとしたり、ものすごく感情を込めてみたり……。

きっと先生は、それを見抜いていたんだと思います。

——43歳で養成所を卒業後、すぐに大手声優事務所に入られたとか。すぐに所属することができるものなのですか?

声優を志した時から「小杉十郎太さんのいる大沢事務所に入りたい」とずっと思っていました。ただ、入りたい、と思ってすぐに入れるような事務所ではなかったので、名古屋時代にお世話になったスタジオの伝手でコンタクトを取ってもらったんです。

(写真はイメージ)有名声優も多く在籍する事務所で、オーディションには毎年2,000名以上の応募者が殺到するという

そうしたら大沢事務所が、過去のCMナレーションのキャスティングで、すでにぼくの名前を知っていてくれて。幸運なことにすぐに面接を経て、所属することになったんです。

——声優の活動をスタートされた時、お仕事は順調に得ることができましたか?

いえ、最初は役らしい役は全然もらえませんでしたね。特にジュニア時代※(業界では最初の5年間を「ジュニア」と呼ぶ)は1本のギャラが少ないので、何度も「年越せねぇかもな……」と思いました。新聞配達のアルバイトもしていたんですよ。昼間は仕事があったりなかったりするので、早朝の仕事ならできるだろうって。

徐々に声が掛かるようになったのは、1年ほどして、(株)マジックカプセルの音響監督・明田川仁さんに出会ってからです。彼はぼくが敬愛するディレクターの一人で、今も『機動戦士ガンダム 水星の魔女』や『慎重勇者〜この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる〜』を始め、たくさんの作品に呼んでくださっています。

この時のぼくはとにかく、「もっといい仕事を!もっといい役を!」と常に飢えてましたね。

※日本では声優の出演料がランクで決まっており、最初の5年間は皆、1本一律15,000円の“ジュニアランク”となる。以降は自動的にランクアップし出演料も上がるが、スキルが伴わないと仕事はもらいにくくなる。

——斧さんは明田川氏の監督作品をはじめ、多くの作品でリピート起用されています。継続して依頼をいただくために、大切にされていることはありますか?

ぼくは癖のある人間だと自分では思っているし、頑なに“自分の芝居”を貫いてきたから、クライアントさんの反応も実は両極端なんです。気に入ってずっと使い続けてくださるケースもあれば、その逆もある。ぼくの思う“いい芝居”とは、普段喋っているのと変わらないような、自然な芝居のことですね。

明田川仁さんが、「なぜ斧さんをキャスティングし続けるんですか?」と後輩の声優に問われて、「だってあの人、どこまでが素なのか演技なのかわからないから」って答えたと知った時は、本当に嬉しかったな。その言葉に報われた思いがしました。

——自然なお芝居をするために、何を心掛けていますか。

想像力をどこまで膨らませられるか?がとても大事だと、ぼくは思ってます。

たとえばぼくは、台本を読む時に「このキャラクターはこういう時、どういう風に考えるだろう?」と想像したり、「このキャラクターは本当にそのセリフを言うだろうか?」と改めて考えたりするんです。

そこで「いや、言わないだろう」と思ったら、リハーサル時に、台本とは違うセリフで演(や)ってみる。そのセリフを使うか使わないかは制作側の判断で、ぼくら声優の役目は、その声優だからこそできる言い回しや言葉の選び方で、キャラクター一人ひとりの肉付けをすることだと思うんですね。

与えられた台本に書かれたセリフを読むことだけが、声優の役目じゃない。そう常々思いながらやっています。

斧さんのツイート

——斧さんのそうしたお芝居へのスタンスが確立される、きっかけとなった作品はありますか?

48歳の時の『天体戦士サンレッド』は、ぼくの中で一つの転機になりましたね。大人向けのギャグアニメなんですけど、アフレコではなく、セリフを先に録って、それに合わせて絵(アニメーション)をつくる「プレスコ」という技法で収録したんです。

現場はアドリブ合戦さながらで、声優がレコーディングしていると、後ろから監督やディレクター、プロデューサーたち制作陣の笑い声が漏れてくるんですよ。それで声優陣も調子にノッて、「もっと面白いことを言おう」と発想を膨らませる。

枠に囚われない、自由なスタイルでやらせてもらえたので、それはそれは楽しくてね。失敗や周囲の反応を恐れずに、自分が“良し”と思う芝居をしよう。そう思えるきっかけをくれた作品です。

「若さには時間があり、年輩には経験がある」

——声優として活動される中で、辛かった出来事はありますか。

実はぼく、子どものころから大好きなアニメがあるんです。声優を始めたころから、そのアニメの中でも一番好きなキャラクターの声を(現声優の方から)引き継ぐことを、密かにずっと目標にしていました。

だから、いつかやってくる“その時”のために、アニメのTVシリーズやスペシャル番組、劇場版でのそのキャラクターのセリフをゼロから書き起こしては、声や言い回しの癖をひたすら真似して、その声優さんに近づける練習を何年も続けていたんです。

自信はものすごくあったのですが、昨年、オーディションも受けるチャンスがないまま、人気も実力も到底及ばない大先輩の声優さんにすでに引き継がれていたことを知って。あの時は茫然自失で、一瞬で気力がなくなっていきましたね。目標を失ってしまった気がして……。

ただ、あまりにも悔しくて「このままじゃ終われねぇな」と思ったんです。「どうせ声優人生を終えるなら、自分の中で『やり切った!』と納得して終えたい。それまでもう少し続けてみよう」って。

——これから声優を目指す人に伝えたいことはありますか?

ぼくが懸念していることの一つに、最近はどの作品も芝居も、平面化されているように感じるんです。市場の原理として仕方のないことではあるんですが、1本当たると同じような作品、同じような芝居をする人がどんどん増えていく。短期的にはいいかもしれないけれど、長期的に見ると、いずれ大勢のライバルに埋もれてチャンスを掴めなくなります。

だからぼくは、これから声優を目指す人には人と違うことをやってほしい。それは“奇を衒った芝居”ということではなくて、想像力と感性をはたらかせた、自分にしかできない芝居ということです。

あとは、声優として作品に出演するには、基本は毎回オーディションを受けなければなりません。ぼくもオーディションには何度も落ちていますが、たとえ落ちたとしても一喜一憂しないこと。「イメージに合わなかった」、ただそれだけです。落ち込んでたってしょうがないし、その悔しさがあるからこそ、次のチャレンジに進めると思うから。

斧さんは自身の知名度を知るため、エゴサーチも頻繁にするという。「ネガティブな意見でも、話題にしてもらえるのはありがたいこと」(斧さん)

——斧さんが歳を重ねてもチャレンジし、スキルアップのために努力し続けられるのは、なぜなのでしょうか。

本当にやりたいことがあるならやるべきだし、やらないで後悔するのは一番悲しいこと。それを始めるのはいつからだって構わないと、ぼくは思っています。

もちろん声優は、若いうちに始めるに越したことはありません。20歳で始めれば、20年経験したとしてもまだ40歳。20年の間には声優としていろいろな経験が積めるでしょう。

一方で、40歳や60歳からスタートする人は、それまでの「声優以外」の経験が、必ず仕事に活きてくると思います。なぜなら芝居は、自分の中にある経験や体験から想像してつくり上げるものだから。若い人は時間があるぶん、これから経験を積めばいいし、年輩者はスタートが遅いぶんゴールも近い。ぼくはそう考えるようにしています。

——これから声優として、やってみたいことはありますか?

あくまでも妄想の範囲ですが、石森章太郎さん作の『佐武と市捕物控』という、とてもいい漫画があるんです。もしまた、その漫画がアニメ化されることがあったなら、主人公の一人である盲目の按摩師「市(いち)やん」の声を演じてみたいですね。

いつもの日常生活の中で起こる、ちょっとした物語。それらを紡いだようなアニメ作品に、これからも出演していけたら、それが声優として一番幸せなことです。

(文:原 由希奈 写真提供:斧アツシさん)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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