ピッチのほかに、もう一つの職場 ─ 審判員の兼業・複業【審判員:山内宏志さん】

2021年10月14日

サッカーの試合において選手の活躍を目にする機会は多いですが、ピッチ上で汗を流しているのは選手だけではありません。試合を冷静にコントロールする審判員の存在があってこそ、すべての試合が成立しています。
パーソルグループと日本サッカー協会の共同企画でお届けする「サッカー審判員のはたらく」では、6回に分けてサッカー審判員という職業の実態、裏側、苦労などを解剖していきます。

初回は「試合のない日は複業。サッカー審判員を徹底解剖!」をテーマに、JFAプロフェッショナルレフェリーで国際基督教大学の講師も務める山内宏志さんにお話を伺いました。(聞き手:日々野真理)

審判員:
山内宏志さん
プロフェッショナルレフェリー、国際副審。2013年から国際基督教大学保健体育科で講師を務めながら審判員を行ない、2018年に日本サッカー協会とプロフェッショナルレフェリー契約を締結。同年にはロシアW杯審判団にも選出。

ゲスト:
鈴木啓太さん(元サッカー日本代表・現在 AuB株式会社代表取締役)
・大浦征也(パーソルキャリア株式会社 執行役員・公益財団法人スポーツヒューマンキャピタル理事)

平日は先生、週末は審判に

――山内さんの1週間のスケジュールから教えてください。

山内さん:大学の教員ということで、月曜日から金曜日まで授業があります。授業時間以外に研究活動もやっていますので、私の場合、水曜日にデータをとったり、論文を書いたりしています。そして、主に週末を審判活動に使っています。

――審判は試合中走り続けるので、体力も必要な仕事かと思います。トレーニングはいつされているんですか?

山内さん:やはり平日の夜が多いですね。あとは実技の授業がありますので、実際に一緒に走ってみて、同時に自分のトレーニングにつなげるような形で体を動かしています。

鈴木さん:いい位置でプレーを見るためにも、スプリント能力などもなければいけないわけですよね。相当なトレーニングをされているんじゃないですか?

山内さん:非常に負荷の高いトレーニングが必要になってきます。試合日からさかのぼって、何日前に強度を高めて、いつ負荷を落とすのか、いつリカバリーをするのかを考え、さらに瞬発系や有酸素系のトレーニング、筋力トレーニングもします。また、審判員にはチームでのトレーニングがほとんどありません。スケジュール管理なども含め、自律してトレーニングすることが求められると思います。

――そもそも山内さんはなぜ審判員になろうと思われたのでしょうか。

山内さん:小さいころからサッカーが好きで、大学生の時まで選手としてプレーしていました。すごくやりがいのある時間を過ごせたんですけれども、将来のことを考え、選手とは違う形でのサッカーとの関わり方を探し始めました。コーチングのライセンスやトレーナーの勉強もしていましたね。

そんな中、先輩に声をかけてもらって参加した関東大学サッカー連盟の審判養成コースで、審判員という仕事が「本当に面白い」と思えたんです。選手生活を振り返ったときに、たくさんの審判員の方々がいたから、自分が本当に好きなサッカーに打ち込めたんだということにも気づかされました。そこで、将来は仕事をしながら審判員という関わり方もあるんじゃないかと感じたのが最初のきっかけです。

――兼業に関しては、大変だと思わなかったですか?

山内さん:学生審判として活動している時に、社会人の先輩の審判員の方々がたくさんいて、ものすごく勉強させていただきました。そういう先輩たちの姿を見ていて、正直生活も大変そうだなとは思いました。なので、サッカーの審判活動を続けられる仕事を意識して就職活動をして自分のキャリアを組み立てていかないと、両立していくのは簡単ではないなというのは、先輩たちの苦労を見て気づきました。

©JFA

人生設計に「審判員」の自分をどれくらい入れるのか

――自分のやりたいことを実現するために、キャリアをどう組み立てるのか。課題に感じる方も多いかと思いますが、大浦さん、この点についていかがでしょうか。

大浦:山内さんほど明確にやりたいことが決まっていて、それを軸にキャリアを組み立てようとする方はそう多くはないです。やりたいことが見つかっても、それでご飯を食べていくのは難しいだろうと思う学生がほとんどのはず。
そこで、最初から兼業・複業のような形を志向されたというのは、重要なポイントではないかと思います。今でこそ審判員にスポットライトが当たるようにもなってきましたが、当時はそのような機会は少なかったはずですよね。将来に不安はなかったですか?

山内さん:そうですね。私は18歳から審判員を始めて今年で25年目になりますが、当初はプロフェッショナルレフェリーという職業はありませんでした。サッカーの審判員をやっていこうという気持ちは固まっていたんですけれども、どのように審判業を続けて、どういうはたらき方や人生になるのか、正直分からなかった部分が大きいです。

大浦:当時、たとえばJリーグの重要な試合やワールドカップで笛を吹きたいなど、将来のイメージはあったんですか?

山内さん:やるからにはトップを目指そうという気持ちはありましたが、非常に厳しい競争の世界でもあるので、どこまでいけるかはわかりませんでした。ただ、仕事のことも考えながら、どれくらい関わるかを自分で選択・調整できるのが、サッカー審判員のいいところでもあります。

鈴木さん:トップというと、サッカー選手でいえばワールドカップですよね。ただ、審判員にはトップを目指すことを選択肢として持たない考え方があるというのは、すごく面白いなと思いました。人生設計の中に、審判員というものをどれくらい入れていくかということですね。

山内さん:ワールドカップには私も実際に参加して、みんなで最高の舞台を作り上げようという想いでいろいろな方々が関わられているのを知り、本当に素晴らしいと感じました。

でも、それがすべてではなくて、Jリーグ含め、国内のサッカーを支える審判員の価値は、どのカテゴリ、どういう立場であっても等しいと思っています。そういう意味では、啓太さん(※鈴木さん)がおっしゃる通り、トップを目指さない選択ができるのは、サッカー審判員ならではですね。

「もう一つの場所」で、心を切り替える

鈴木さん:仕事をする上で、僕はオンとオフがすごく大事だと思うんです。選手にとってもそうです。でも、ここまでのお話を聞いていると、オフがないですよね?

山内さん:実際、兼業や複業で活動されている審判員には、オフがほとんどないと思います。日曜日のナイトゲームの翌朝から仕事があれば、夜行バスや寝台列車で帰らなければいけないこともあります。そんな環境でいかに自分を持続可能な状態にするかという意味で、仕事と人生のバランスというか、オンとオフのバランスを保つのは、すごく重要だと思います。

――審判員をするときと大学で講師をされるときで、気持ちもうまく切り替えないといけませんよね。

山内さん:学生たちにとっては、私が前日に試合をしたことなんて、ハッキリ言って関係ないわけです。なので疲れていても、ミスをしてうまくいかなかった試合のあとでも、いつも通り授業をします。それもプロだと思うんです。どの仕事もしっかり役割を果たすというのは意識しています。

ただ、この点については学生たちにも救われていますね。いつも通り「先生おはようございます」と笑顔で挨拶をしてくれて、私の授業の中でいきいきと活動しているのを見ると、本当に心が洗われるというか。審判員以外に、もう一つの場所があるのはとても大事だなと思います。

あとは、職場の方々の理解はすごく重要です。出張のために環境を整えてくださる職員の方々がいたり、同僚の先生方のサポートがあったりしてはじめて審判活動ができると思います。24時間365日、これは誰もが一緒なので、本当に難しいこともありますけれども、やりがいはすごくありますね。

大浦さん:審判員としての経験をちゃんと大学に還元する、授業に活かしていくことも意識されていらっしゃるのでしょうか。

山内さん:はい。教員とサッカー審判員の仕事、相互に活かせるスキルはあると思っています。審判員のときは、選手が審判員を必要としないで楽しく、最高のプレーができる環境をいかにつくるかを考えています。大学の授業でも一緒で、学生たちが主体的に対応しながら深く学べるような環境をどうつくるかを意識します。 私は副審を主にやっていますが、副審として試合をそばで見て環境を整えていく目線と、ある程度環境を設定して「さあ、自分たちでこの授業をつくっていきましょう。一人ひとり何ができますか?」という教場の端からの視点は、すごく似ているところがあると思います。

自分の仕事は、何につながっている?

大浦:これまで審判員を辞めたくなったことはなかったですか?

山内さん:正直に言うと、ミスをしたときに、そう思ったことがあります。ミスをしたい人はいないと思いますが、現実にはどうしても起きてしまう。それを受け入れて、直視して、自分のできることやできないこと、自分の得意なことや苦手なことと向き合う作業が大切なんですけれども、すごく大変です。なかなか気持ちを切り替えられず「自分がやっている仕事は、選手やサッカーのためになっているのか?」と自問自答することもありました。

ただ、本当に不思議なもので、そういうときに現れるのが大切な存在なんです。家族もそうですし、時には選手が「こないだはゴメンね」と話をすると「大丈夫ですよ。またお願いします」と言ってくれた経験もあります。そういう方々の支えがあって、気持ちが復活してきました。パッションみたいなものが奥底にあるんでしょうね。それを燃やし続けられたから、まだ審判員を続けられているんだと思います。

©JFA

鈴木さん:審判員って、褒められるということがあまりない減点方式の職業で、周囲からは「いいジャッジをして当たり前」という見方をされませんか?

山内さん:おっしゃる通りで、減点方式で捉えられる立場だと思います。なので他者の評価というのはありますけれども、自己評価も大切にすべきだと思います。

私の一番好きな瞬間は、試合終了後の握手なんです。そのときの選手たちの表情を見れば試合の結果に納得して、どれくらい受け入れているか分かります。そこで「今日は自分たちの力を出し切ったな」というのが見えたときに、それが自分たちへの報酬だと思うようにしています。

鈴木さん:選手と審判員の間では「これはOKだよね」と思っていても、ファン・サポーターとの間に温度差が生まれることがあります。外から見ていると分からないことがあるというか。だからこそ、しっかりと選手と審判員とで一緒に試合をつくり上げていかないといけないなというのを、現役の最後の方で気づきました。

山内さん:私も啓太さんとは何度かピッチでご一緒したことがありますけれども、その想いは審判員に伝わっていると思います。一人では絶対にいい試合はつくれないので、もちろん選手の方々や審判員、みんなが一つの目標を持ってプレーするというのは、すごく大事な視点だと思います。

鈴木さん:選手と審判員は対立構造みたいに捉えられがちですが、本来はそうではない。僕も若いころはよく審判員に「なんでこのジャッジになるんだよ!」みたいなことがあって、イエローカードもたくさんもらいました。でも、晩年は審判員と「こうじゃない?」「これってこういう基準なのね」と、しっかりと対話して温度を確かめ合いながらプレーしていたので、イエローカードも少なくなりましたね(笑)

大浦:先ほどもミスがあったときに選手に声をかけられて元気になったという話があって、「そんな会話するんだ!」と、すごく意外でした。選手と審判員のコミュニケーションもとても大事なんですね。

山内さん:おっしゃるとおりで、相手の立場を理解して、こちらが持っている情報をどういうふうに伝えるか。できる限り伝わる言葉であることも大事ですし、間合いやタイミングも意識しています。

でも、以前は選手と審判員が話す文化がなかった時期があるんですよ。 私がサッカーの審判員を始めたころは、毅然として笑顔を見せず、話は極力しないという風潮でした。でも、本当にいい試合をするために、みんなが同じ方向を向いてやるためという目的を持っていれば、コミュニケーションの方法も変わってくると思います。

©JFA

――山内さんは、これからどのような「はたらく」を審判員としてつくっていきたいと思われますか?

山内さん:審判員として、試合を委ねられた立場として、サッカーの試合をより良くするために、競技規則をうまく適用しながら何ができるかを考えていかなければいけません。兼業ということで、審判員として学んだことをいかに違う場所でも応用していくか。そして、仕事で信頼関係を築いて、職場に理解されながら、その職場で得たスキルを審判員の活動に応用して、より良いパフォーマンスにつなげていけるか。

そういった双方向の兼業の形を実現するためには、自分にベクトルを向けて、自分をどのように成長させていくのか。この活動にどんな意味があって、何につながっていくのかを常に意識しながらはたらいていくことも重要だと思っています。

──では最後に、山内さんにとって「審判員としてはたらく」とは?

山内さん:「審判員としてはたらく」とは、サッカーという社会の中で、自分の持っているものを最大限に発揮して、最高の時間を過ごしてもらう、その環境を整えることだと思います。

(聞き手:日々野真理 文・舩木渉 写真提供:JFA)


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サッカージャーナリスト舩木渉
1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20ヶ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。
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