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タイ副首相の訪日に同行。二度の留学を経て選んだ、外交官という仕事
海外で仕事をする人にインタビューする連載「世界ではたらく日本人」。第3回は、タイ・バンコクの日本国大使館に勤務する守矢彩花さんにお話を伺いました。
守矢さんは大学時代に二度のタイ留学を経験。大学院を卒業後、外務省に入省し2019年7月からタイの日本大使館に配属されました。タイの外交官を志した経緯や仕事のやりがい、休日の過ごし方などについてお聞きしました。
タイに行くまで
大学時代、タイへ二度留学
――海外ではたらきたいと思ったのは、いつですか?
最初に海外ではたらきたいと思ったのは、高校時代です。高校の授業で世界各地の紛争や途上国の現状を学んだことをきっかけに、自分も途上国の力になりたいと思うようになりました。
まずは自分がどういった側面から貢献できるのかを知るために、国際情勢を学ぶ必要があると考え、大学では政治経済学部に入りました。大学で国際情勢を学びつつ留学も経験して、海外でのキャリアにつなげていきたいと思っていましたね。
――大学時代に留学に行かれたんですか?
はい。大学1年の夏休みにタイへ1カ月間短期留学し、2年生から3年生の1年間では長期留学も経験しました。
――なぜ、留学先としてタイを選んだのでしょうか?
正直、深い理由はありませんでした。学部の短期留学プログラムがあって、行き先がアメリカ、韓国、タイから選べたんです。アメリカはなんか普通だし、韓国のプログラムは期間が2週間しかなく、短すぎる。じゃあタイにするか、と軽い感じで決めました(笑)。東南アジアも私自身が関心を寄せていた発展途上の地域と言えるし、とりあえず行ってみようと。
短期留学では、バンコクにあるシーナカリンウィロート大学でタイの文化や政治経済、タイ語の授業を受けたり、日系企業を訪問したり、現地の学生と一緒に観光したりしました。1カ月間のプログラムを通じてすっかりタイを好きになり、帰国後すぐに長期留学に申し込みました。
留学時代の勉強が外交官の仕事の基礎
――長期留学では、どのような生活を送っていましたか?
バンコクのタマサート大学で国際政治やタイの政治などの授業を受けつつ、タイ語の語学学校にも通っていました。特に語学には力を入れ、1日3時間×週5日、勉強していました。
今振り返ると、かなりガッツリやっていたなと(笑)。ただ、留学時代の勉強が今の仕事の基礎になっているので、あのとき頑張って良かったと思います。留学が終わるころにはタイ語の読み書きは一通りできるようになっていました。タイの新聞も簡単な記事なら読めるようになっていましたね。
――長期留学って短期留学とは全然違うものなのでしょうか?
違いますね。1カ月ではタイの良いところしか見えませんでしたが、1年間暮らすと嫌な部分も知ることになります。道路は渋滞するし、洪水は起こるし、屋台の食事で食あたりもするし(笑)。
停電したり、蛇口の水が出なくなったりすることもありました。蛇口から茶色い水が出てきた時には「あー、ここは日本じゃないんだ」と思いましたね。
海外の中でもタイの外交官を選んだ理由
「日本とタイの関係を良くしたい」と外交官を志す
――タイではたらきたいと思った理由を教えてください。
タイの好きなところはたくさんありますが、一番は人です。タイ人は温厚で親日的な人が多いんです。短期留学のとき、タイ語も英語もほとんど話せない私に一生懸命、日本語でコミュニケーションを取ろうとしてくれました。1カ月の滞在とは思えないほど仲良くなって、帰りの空港で別れるのがつらかったのをよく覚えています。
あとは、タイ語も好きです。声調があって音の響きが優しく、大らかで優しいタイ人の気風を反映しているような気がします。タイ料理や一年中暖かい気候、なんでも受け入れてくれる寛容な文化も自分にとっては居心地が良いですね。
――タイではたらくにしてもさまざまな選択肢があると思います。なぜ外交官を選んだのでしょうか?
長期留学が終わって3年生の9月に帰国してから、いろいろな企業の説明会やインターンに参加しました。当初は周囲に流されるように民間企業への就職を考えていましたが、違和感を覚えて12月に就活を中断しました。民間企業での仕事は、なんらかの商品やサービスを通してタイや世界に貢献することになると思うのですが、当時の私にはこれだというものがなかったんです。
「タイに関する仕事がしたい」という軸はあったのですが、どんな商品やサービスをやりたいかと言われると「うーん」となってしまって。何をやりたいのかをもう一度考え直したところ、日本とタイの関係を良くする仕事がしたいと気付いたんです。
それができるのは外交だと思いました。外国語の勉強が好きなこと、さらに途上国の支援をずっとやりたいと思っていたことからも、外務省の仕事にピン!ときました。外務省のパンフレットを手にとったとき、ようやく「これがやりたい!」という感覚になったんです。
こうして、タイを担当する外交官になろうと外務省を志したのは、4年生になる直前の3月でした。
――外交官は専門性が高く、就職の難易度が高いイメージがあります。外交官になるまでのプロセスを教えてください。
私はタイを担当したいと思ったので、外務省専門職員の試験を受ける必要がありました。外務省専門職の採用試験は4年生の6月から始まるため、数カ月の準備では間に合わないと感じ、留年を決断。両親に「留年して外交官を目指します。公務員試験のための予備校で勉強させてください」とお願いすると、最初は「大丈夫?合格できるの?」と心配されましたが、最終的には理解し応援してくれました。
大学4年目はとにかく勉強に明け暮れた1年間でした。というのも、公務員試験の予備校に通いながら、大学院の授業も受けていたんです。4年生で大学院1年目の単位を取って、5年間で大学と大学院を卒業できるプログラムがあって。単に大学を留年するよりも、大学院で修士号をとった方が今後の可能性も広がるかもしれないと考えました。
大学5年目の6月に外務省の筆記試験、7月に面接を受け、8月末に合格発表がありました。民間企業の就活はせず公務員一本に絞っていたので、合格を知った時はホッとしましたね。外務省から最終合格の電話を受け取ったときは家族と号泣しました(笑)。12月には希望通り、タイ語専門職での採用も決まりました。
タイでの仕事内容
安倍元総理の国葬で、タイ副首相の訪日に同行
――外務省に入省した当初はどのような仕事をしていたのでしょうか?
1年目は霞ヶ関にある外務本省で勤務しました。国際保健政策室や南東アジア第一課で、実務研修を受けました。
2年目の2019年7月にタイの日本大使館に配属。最初の2年間は研修で、タイ語やタイの政治、国際政治について大学で授業を受けました。自分にとっては再び2年間の留学という感じでしたね(笑)。研修期間が終わり、大使館での本格的な勤務が始まったのは2021年7月です。
――研修期間が2年間もあるんですね。現在は具体的にどんなお仕事をされているのでしょうか?
2023年7月までは広報文化部と政務部を兼任していました。広報文化部の仕事はプレスリリースを出したり、大使への取材をアレンジしたり、茶道やアニメなど日本文化を伝えるイベントのサポートをしたりします。
政務部の仕事はタイの内政をウォッチすることです。日々のニュースを追ったり、政治学者などの有識者に会って直接話を聞いたりして集めた情報を霞ヶ関の外務本省に報告します。その報告を受けて、外務本省で日タイ関係の政策形成がなされ、意思決定が行われます。その後、外務本省からの指示を受けて大使館が手足となってタイ政府との連絡や交渉を行っていきます。
ちょうどこの8月から配属が変わり、政務部1本となりました。大学時代から学び続けてきた国際政治の知識をよりいっそう活かせる機会をいただいたので、より良い外交政策を形成できるように、今後も情報収集や分析に力を入れていきたいです。
――外交に直接大きな影響を与える重要なお仕事ですね。
そうですね。自分たちが準備してきた首脳・大臣が参加する会議が実際に行われ、外交が目の前で繰り広げられ、まさに歴史が動く瞬間に立ち会えるときがあります。そうした会談がニュースに取り上げられると、日本とタイの外交に関われた、その歴史の一部に携われたという実感が湧き、頑張って良かったなと思います。
――外交官のお仕事ってかなり大変ですよね……?
たしかに大変なことは多いですね。特に要人往来といった大きなイベントの際は忙しいです。
2022年9月の安倍元総理の国葬では、タイのドーン副首相兼外務大臣の訪日に同行しました。事前の調整から始まり、副首相が実際にいらっしゃった3泊4日は常に行動をともにしました。行程がスムーズに進むように時間や動線をご案内したり、各種方面と調整したり、通訳したり。
2022年11月にはAPEC首脳会議がタイ・バンコクで行われ、岸田首相や林外務大臣が出席。私はプレス担当として、日本のプレスが取材を行えるように、タイ側や外務本省への連絡調整などを行いました。裏方となり地道な作業を行うこともありますが、自分の仕事が外交の一部になっているという点では、やりがいのある仕事でもあります。
タイで感じる、はたらく上での日本との違い
遅刻しても「サワディーカー」と笑顔のタイ人
――タイではたらく上で、日本との違いを感じる点はありますか?
タイと日本では、時間感覚が違うと感じます。タイ人は遅刻しても「サワディーカー(こんにちは)」と笑顔でやって来るんです。「ごめんなさい」じゃないんだと思いました(笑)。日本大使館にはタイ人の職員が60人程度いるのですが、彼らには「遅刻をするなら事前に連絡してください」と日本スタイルでのはたらき方をお願いしています。
でもそんなタイ人と一緒にはたらいていると、たまにハッとさせられることがあるんです。彼らは明るくのんびりとした性格なので、私が切羽詰まっていると「そんなにカリカリしないで」と言ってきます(笑)。一方で、突然悟りを開いたかのような深いことを言い出す時もあります。「永遠に同じものなんてない。いずれ別れはやってくるのだから、今を大切にしなければ」と言われて、まさに「諸行無常」だと思いました(笑)。やっぱり仏教徒が多い国なんだなと感じますね。
――タイに来てから、日本に帰りたいと思ったことはありますか?
コロナ禍に入った直後が一番つらく、日本に帰りたいとも思いました。当時は研修中だったのですが、大学の授業はすべてオンラインになり、学校の友人たちは地元に帰ってしまって。タイで暮らす外国人もそれぞれの国に帰ってしまったので、一人で取り残されていく感覚だったんです。
タイは大好きだしタイ語も話せるけど、やっぱり外国なんだと実感した瞬間でした。外務省の職員である私たちは日本に帰るわけにはいきません。先が見通せない中で、タイの専門家にならなければ、これからタイではたらかなければ、というプレッシャーを感じていました。一時期は本当につらかったのですが、大使館の皆さんが気にかけてくださったおかげで乗り越えることができました。
タイのワーク・ライフ・バランス
外交官は一生学び続ける職業。休日にタイ語の勉強も
――休日はどのように過ごしていますか?
コロナでしばらく出かけられない時期が続きましたが、ようやく旅行に行けるようになり、最近はタイ北部のチェンライに1泊2日で行きました。
あとはタイ語の勉強をしています。大使館の先輩方は始業前の時間や土日に勉強をしている人が多く、刺激を受けています。外交官は一生学び続ける必要がある職業だと思っているので、私も頑張っていきたいです。
――今後の目標を教えてください。
今はまだ目の前の仕事を一所懸命こなしている感じなのですが、将来、総理や外務大臣の通訳を任されることに備えて、通訳の勉強をしっかりとやっていきたいです。通訳は単純に言葉が話せれば良いわけではなく、背景知識や流行などを知っている必要があります。
瞬時に最適な言葉を選ぶのは、本当に難しいなと常々感じています。どのような状況であっても、任せてもらえるように、よりいっそう努力していきたいです。
国家レベルでスケールが大きく、さまざまな影響を与えられる外交官の仕事も面白いのですが、いずれは途上国で貧困に苦しむ人々を直接支援する草の根のような仕事にもチャレンジしてみたいと思っています。
(文・写真:岡村幸治)
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