1冊の本に導かれ、東欧の小国セルビアへ。近代美術研究家が語る、プチ留学のススメ

2023年11月9日

海外で仕事をする人にインタビューする連載「世界ではたらく日本人」。第8回は、セルビア・ベオグラードでセルビア近代美術研究家として活動する山崎佳夏子さんにお話を伺いました。

山崎さんは大学院在学中、セルビアの美術を研究するために留学。当時出会ったご主人との結婚を機に2016年1月からセルビアに移住しました。セルビアでの具体的な仕事内容や日本と比較して感じることなどについてお聞きしました。

セルビアに行くまで

知識ゼロで1年半の留学へ

――セルビア近代美術を研究し始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

きっかけは1冊の本との出会いでした。

大学では美術史を専攻していて、日本やヨーロッパの近代美術について学んでいました。卒業後の進路を考えていたころ、たまたま『バルカンを知るための66章』という本を読んだんです。その本の著者の一人が、セルビアの美術を研究している岡山大学の鐸木道剛教授(当時)でした。

鐸木先生の存在を知り、私は衝撃を受けました。というのも、美術史の研究対象といえば、フランスやイギリス、アメリカなど西洋の国々が一般的だからです。日本人の多くが知らない小国の美術を専門に研究する人がいることに驚きました。

そこからセルビア美術に興味を抱くようになり、大学のホームページを検索して鐸木先生にメールを送り、直接会ってお話ししたところ「ぜひ大学院に来てください」と言われ、岡山大学の大学院に進学。大学院在学中に計1年半、セルビアのベオグラード大学へ交換留学し、セルビアの近代美術を研究しました。

しかし、セルビアの近代美術の情報は、日本語ではほぼまったく見つかりません。大きな図書館に行けば、英語で書かれている本が数冊ある程度でした。

――そんな中で、どのように研究したのでしょうか?

やはり日本にいても情報が少ないので、セルビア語もセルビア美術もほぼ知識ゼロの状態でしたが、セルビアへ留学に行きました。

留学中は美術史の授業を受けながら美術館に行ったり、セルビア人の画家についての本をセルビア語で読んだりして研究をしていました。あとは「セルビアの美術史に興味がある」と言って、いろんな専門家の方を紹介してもらい、会いに行くこともありましたね。

海外の中でもセルビア移住を選んだ理由

どこにいても、自分の力を使って生きていくのが人生

――留学生活を終えてから、セルビア移住を決めた経緯を教えてください。

移住を決めた理由は、結婚です。留学しているときに、共通の日本人の知り合いを通して、今の夫と出会い、結婚を機に2016年から移住しました。

私は「海外で住みたい」「海外ではたらきたい」という思いはなかったので、夫と出会っていなければ、日本で暮らしていたと思います。

――留学経験があるとはいえ、移住に対して不安はなかったのでしょうか?

自分のキャリアについては、一番悩みました。

大学で一緒に美術を研究した日本の友人の多くは、美術館の学芸員としてはたらいています。私も当初は美術館ではたらく道を考えていましたが、セルビアではそれは難しい。私はセルビアでは外国人となるのでそもそもはたらき口が少ない上に、美術関係の仕事となればさらに狭まってしまいます。

難しい選択でしたが、これまでの学歴やキャリアはある意味捨てて、結婚を優先して移住する決断を下しました。もちろんキャリアの不安や家族となかなか会えなくなるといったことはありますが、どこにいようが結局、人生は自分の力を使って生きていくというシンプルなことではないかと。

美術評論家や画家の友人たちとともに、国際ミニチュア美術ビエンナーレを訪れた山崎さん(右から2番目。本人提供)

実際に移住してみると、自分の思い描いていた仕事には就けなかったけれど、セルビアにいる方が知的好奇心は満たされると感じます。日本ではセルビア美術の情報は非常に少ないですが、現地にいれば情報はどんどん入ってきますし、自分の専門分野をリアルな美術品を見ながら学び続けられるのは非常に楽しいですね。

セルビアでの仕事内容

書籍執筆やブランド立ち上げも

――現在の仕事内容を教えてください。

3年前に子どもが生まれてからは子育て中心の生活を送っているのですが、不定期でセルビアの文化・ライフスタイルを日本人に向けに発信する情報サイト「My Serbia」に美術館の展覧会に関する記事などを寄稿しています。

また、『スロヴェニアを知るための60章』『ボスニア・ヘルツェゴヴィナを知るための60章』で両国の美術について執筆をさせていただきました。スロヴェニアやボスニア・ヘルツェゴヴィナは以前、セルビアと同じくユーゴスラヴィアとして1つの国だったので、このあたりの国々の美術史はすべて勉強していたんです。

あとは、2023年3月から「Peppermint Delight」というブランドを立ち上げて、手づくり服の制作・販売を始めました。

――なぜブランドを立ち上げようと思ったのですか?

立ち上げといっても、お試しで始めてみたという段階です。

妊娠中にミシンを使った洋服づくりにハマり、友達の洋服をつくってみると、結構好評で。「販売してみたらいいじゃん」と背中を押されて、Instagramのアカウントを立ち上げてみました。

恩師の鐸木教授(右)や同じゼミの先輩とセルビアの中世美術の残るストゥデニツァ修道院に調査旅行に行く山崎さん(写真左。本人提供)

セルビアでは最近、個人のハンドメイド販売が流行っていて、InstagramやFacebookをベースにしたお店も多いんです。SNSを通じて個人からものを買うことに対して抵抗がないようで、知人以外からもカジュアルに問い合わせが来ています。

まだ始めたばかりなので、販売方法などはこれから試行錯誤していきたいです。注文を受けてから洋服をつくるのか、先につくって在庫がある状態で売るのか。そのあたりも考えているところです。ベオグラードのナイトバザールに出店してみるのもいいかなと思っています。

――どんな洋服を販売しているのですか?

日本の洋服の型紙をベースにして、いま日本で人気の高い、ゆったりとしたシルエットの服をつくっています。

セルビアなどのバルカン地域では、ピチピチのTシャツや体のラインを強調する服が主流です。生地も化学繊維の薄いものが多いんです。

でも、そういったメインストリームの洋服がダサいと思っているセルビア人もいて、彼らにとっては、日本で流行っているような服の方が洗練されていると映るみたいで、結構ウケていますね。

セルビアで感じる、はたらく上での日本との違い

セルビアと日本は、すべてが逆

――セルビアと日本の仕事する環境は、どのように違いますか?

セルビアと日本、それぞれのいいところもあるのですが、すべてにおいて逆という感じがします(笑)。

セルビアはいわゆるコネ社会なので、コネがあると就職が決まったり、仕事がうまくいったりするようです。私自身は直接セルビア人とはたらいているわけではないので、あまり影響がないですが。

また、セルビア人はかなり大ざっぱで、ゆるい雰囲気を感じます。年上の人に対してもわりとフラットに話せるので、日本と違ってリラックスできるところは私には合っていて、好きですね。

――生活面で大変なことを教えてください。

最近のインフレには本当に困っています。この半年〜1年の間で牛乳が60%、肉も40%ほど値上がりしています。家賃も上がっていますし。政治や経済の不安は大きいです。

また、セルビアだけの問題ではないですが、飛行機のチケットも大幅に上がっているので、日本に気軽に帰れないのも大変ですね。

――そのほかに、日本とセルビアを比べて感じることはありますか?

日本は同調圧力が強いのかな、と感じる部分はあります。女性のキャリアに関して言えば、個人的には、最近は昔とは逆の圧力がはたらいているように思うんです。「共ばたらきが当たり前。女性も社会人として独立して、ある程度キャリアをつくってから結婚・子育てをした方がいい」というような。

私自身セルビアに移住してから考えが変わったのですが、パートナーがいて、子どもができたら専業主婦のように家庭中心の生活を送るのもありだと思うんです。どちらがいいとかではなく、周りや社会の流れを気にしすぎず、それぞれが平和に暮らせる生き方をするのが大事だなと。

セルビアのワーク・ライフ・バランス

気負わず、こだわりすぎず、気軽に海外に行こう

――現在のご自身のワーク・ライフ・バランスはいかがですか?

子育てなど家庭を中心にしつつも、仕事ができる今の生活は充実しています。子育てばかりになるのもよくないので、自分を保つためにも、仕事をしています。お金を稼ごう、キャリアを築こうといったことではなく、自分のためにはたらいているイメージですね。

布を買いにいったり、Instagramを投稿したりすると、家族や知人以外の人とも自然とコミュニケーションが始まるのがいいなと。外国人として暮らしていると、きっかけがないとセルビア人の友人ができないので。

ドナウ川にて、息子とともに時間を過ごす山崎さん(本人提供)

――最後に、海外ではたらくことを考えている人に向けて、メッセージをお願いします。

海外に興味のあるみなさんには、もっと気軽に海外に行ってほしいです。コロナ以降、円安や物価高などで海外で暮らすことのハードルが上がり、海外に出る人が減っているようですが、こだわりすぎずに視野を広く持てば、そこまでハードルは高くないと思います。

あまり「専門家になるぞ」「〇〇語をマスターするぞ」などと気負いすぎず、チャンスがあればポンと外国へ出てみる、くらいがちょうどいいと思います。直接的にはキャリアにつながらなくても、外国で暮らすことによって見聞が広がったり、出会いがあったりして、ビジネスチャンスやその後の人生に何かしらつながるはずです。

プチ留学でもいいですし、観光ビザで3ヶ月滞在するのでもいいと思います。実際に暮らしてみないと分からないことがたくさんあるので、まずはフットワーク軽く行動してみるのがおすすめです!

ただ、強調したいのは海外に出ても自分の好きなことを大事にしてほしいということ。私にとっては、それが美術史でした。どこで暮らしていくにしろ、自分の好きなことが人生の一つの指針になると思います。

(文・写真:岡村幸治)

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ライター岡村幸治
1994年生まれ。スポーツニッポン新聞社を経て、フリーライターへ。経営者インタビューや旅行エッセイなどを執筆する。旅が大好きで、世界遺産検定マイスターの資格を保有している。
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