好きなことを仕事にするべき?夢を手放したデザイナーの結論

2023年11月30日

スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、好きなことを仕事にしてキャリアに行き詰まったエピソードをご紹介します。

デザイナー歴16年のきびのあやとらさんは、デザインの仕事が軌道に乗らずもがいていました。コンペやスクールにも挑戦するも成果が出ません。「好きなことで何者かになりたい」と願ってきたあやとらさんは、気づかないうちにある呪いにかかっていたと言います。その呪いから解き放たれた話をnoteに投稿しました。

※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」から抜粋したものです。

ギャルからこじらせデザイナーへ

きびのあやとらさんのキャリアは、ギャルから始まりました。
幻術短大生だったあやとらさんは「バリバリのギャル」だったそうで、アメ横でストリートスナップされたことがキャリアの起点になります。

その時声をかけてきたライターさんのツテで、コギャルが編集長(と言うコンセプト)のギャル雑誌編集部でアルバイトすることに。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

そのまま就職しますが、わずか3か月で会社が倒産。
編集プロダクションや広告代理店などを経て、地元の岡山に戻り、お父さんのデザイン会社でデザインを学びます。
このころから、きびのあやとらさんの肩書きは「デザイナー」になりました。

2007年結婚を機にブライダルペーパーアイテムのオーダーメイド事業をスタート。以来私の肩書きはずっとデザイナーで、産後ぼちぼちイラスト受注するようになってからも、本業はデザイナーで変わらなかった。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

子育てが落ち着いたらブライダルのオーダーメイド事業を再開する予定でしたが、厳しいスケジュールを思うと子育てとの両立に懸念が残り、なかなか踏み切れません。
似顔絵の受注を受け始めるもののそれだけでは心許なく、本業だったはずのデザインの仕事は減る一方。
「流石にこれはまずいぞ」
と焦りを感じ、ロゴの公開コンペに応募したり、Webデザインの勉強を始めたりします。

しかし、どれもうまくいかず、コンペに落ちるたび
「10年以上デザイナーやってるのに入選もしないなんて…」
とうなだれる日々でした。

通っているWebデザインのスクールでも、すでに知っている基本操作から教わり
「高い受講料を払ってすでに知っていることを学ぶとは…。どうして私は10年以上やってて未だに教わる側なんだろう。どうして私はあっち側(オンライン授業の講師)に行けないんだろう」
と惨めな気持ちになり、キャリアをこじらせた「こじらせデザイナー」になっていたと語ります。

そんなこじらせ期と不景気がシンクロした昨年はなかなかの地獄。
個人の方なので精一杯のサービス価格を提示したら「え…高…」と言われ、提案しても「強いて言うならBですかね」みたいな反応。直しに直しを重ねた挙句「やっぱりcanva使って自分で作ります」と言われたことも。色んなものをすり減らして得られるのは、印刷代を差し引くと1万円にも満たない報酬。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

長年取引しているお客さまからは評価されることもあったものの、当時こじらせていたきびのあやとらさんは「できないこと」「なれなかったもの」ばかりに目が向き、現実を悲観して苦悩していました。

10年以上やっているのに、何者にもなれなかった。
…それならもうやめちゃおうかな。
重荷でしかないキャリアならばいっそ、手放してしまおうか。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

そんな思考に至ったとき、沈み込んでいた体がふわりと浮いた気がしたのです。

「好きなこと」や「私らしさ」は呪いにもなる

「デザイナーをやめる」という選択は、意外にも心を明るくしました。
一度もやめようと考えたことはありませんでしたが、イラストや漫画の仕事は順調でした。
いつの間にか「好きなことを仕事にする」とか「私らしくはたらく」といったポジティブな言葉が、自分を縛る呪いになっていたことに気づきます。

かつて「私らしさ」の象徴的に扱われていたクリエイティブ系はまんまと食いっぱぐれてるし、一生モノのスキルを手にしている人なんて限られたごく一部なのではないだろうか。

でもやっぱり「自分は違う。自分は賢くやれた方だ」って誰もが思いたいし、私もそうだ。何年もかけて取り組んできたものが正解だったと思いたい。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

そんな思いが、きびのあやとらさんの体を重くしていた原因でした。

――たとえ好きなことを仕事にできなくても、自分らしくはたらけなくても、その過程は無駄ではないし、バッドエンドではない。

そう考えると、デザイナーという肩書きを手放してもいい気がしたそうです。
そして「好きなこと」への執着を捨てて仕事を俯瞰してみれば、デザインは好きではあるものの、目的ではなく手段であることに気づきます。

きびのあやとらさんのはたらく原動力は「デザインすること」ではなく、「誰かの役に立ちたい」「喜んでもらいたい」「楽しんでもらいたい」といった貢献願望でした。

じゃあそれなら別に、デザインにこだわる必要は無いね、と。
私自身は歳のこともあるし、もうあまり無理せずストレスをためず、誰かの役に立つことをやれば良いのだ。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

この考えに至ったきびのあやとらさんは、今年の秋にデザイナーをやめる決断をしました。
新しく背負った肩書きは「イラストレーター」。
漫画やイラストを通じて、より多くの人の役に立ち、喜んでもらうことを目指しています。

ほとんどの方に知られずひっそりと、もうすぐ名前を消す屋号。
それとデザイナーとしての私。本当にお疲れ様。

誰も知らなくても、有名になれなくても。
この16年を誇りに思う。

「ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話」より

そう言って前を向くきびのあやとらさんがいるのは、何者にもなれなかった16年間があったから。
好きなことを仕事にできなくても、思ったような成果が出なくても、有名になれなくても、その仕事でだれかの力になれたなら、立派な目的を叶えていると言えるのではないでしょうか。

<ご紹介した記事>
ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話

【プロフィール】
きびのあやとら
イラストレーター。漫画も描きます。

(文:秋カヲリ)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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