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盲目のR-1王者・濱田祐太郎「差別の不安はあった」マッサージのバイトで授業料40万を貯め大阪NSCへ

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
今回取材したのは、2018年にピン芸人日本一を決める『R-1グランプリ』で優勝し、“盲目の漫談家”として鋭い話芸で注目を集める濱田祐太郎さん。先天性の緑内障により視力を失いながらも、「お笑いが好き」という純粋な想いから芸人を目指し、その道を今日までまっすぐに歩んできました。
R-1優勝までの道のり、揺らぐことのない信念、そして今語る「はたらくこと」へのリアルな想いとは──。濱田さんらしい笑いと強さが詰まった記事となっています。
「ぼくは、やりたいことをやるだけ」今の「好き」で突き進む強さ
──いつごろから濱田さんの視覚障害は始まったのでしょうか。
先天性緑内障のため、生まれつき左目は見えませんでした。右目は小学校の低学年くらいまでは近くのものがなんとか見える程度で、テレビゲームはできていました。そのあと、成長とともに視力が少しずつ落ちていき、今は明るいか暗いかが分かるくらいです。

でも、視力が落ちてもとにかくテレビが大好きで。特にバラエティ番組はよく聴いていましたね。音だけで楽しめるし、不登校だった時期もあったので、お笑いに触れる時間は自然と増えていきました。
──お笑いが好きだったところから、濱田さん自身が芸人を目指されるようになったきっかけを教えてください。
小学校6年生のときにたまたま見た、ビッキーズさんとハリガネロックさんというコンビの漫才が衝撃的だったんです。ネタの内容はあまり覚えていないのですが、涙が出るほど面白かったことだけは覚えています。2人がただ喋っているだけなのに、なんでこんなに面白いんやろうと。人生で初めて“笑いすぎて泣く”という体験をして、心が揺さぶられました。そこから完全にお笑いに夢中になり、芸人を目指し始めました。
自分が盲目であるということは、あまり気にしていませんでしたね。
ぼく、そもそも周りにあまり興味がないんですよ。「芸人目指すってすごいな」みたいなひやかしなどにも一切関心がなかった。「ぼくは、ぼくのやりたいことをやるだけ」と自分を貫き、お笑いの道へと突き進んでいきました。
──とはいえ、お笑いの世界で成功するかも分からない中で不安はありませんでしたか?
売れるかどうか、将来のことなんて誰も予想できないですからね。成功する理想像だけを思い描いていたのと、ぼくにはお笑いしかないと思っていたので、あまり深くは考えていなかったんです。
ただ、盲目の方がテレビで活躍しているところを見たことがなかったので、「盲目の人は排除されるんじゃないか」と不安になることはありました。芸人になること自体には、不安はなかったですね。

あと、ぼくが子どものころは、テレビのコンプライアンスも今ほど厳しくなくて。バラエティ番組の司会の人が「今日の客、ブスばっかりやな!」などと言っているのを聞いて、「ろくでなしでも芸人になれるんや。じゃあ、ぼくでもいけるやろ」と思っていました。
──芸人になるために、学生時代から何かされていたんですか?
努力というよりは、ただ好きなことをやっていました。テレビ番組でいうと、『ごきげんよう』『すべらない話』など、さまざまなバラエティ番組をずっと聴いていました。
たとえば『すべらない話』なんかは、芸人さんのプロの技術がつまっているんですよ。感情の乗せ方、声の張り方や緩急、すべてが学びでした。『ごきげんよう』には芸人さん以外にもたくさん出演されていて、リアリティのあるトークが聴けたんです。人柄が現れる声の雰囲気や話し方が、面白いなって。そうしているうちに自然と面白い喋り方が体に染み込んでいきましたね。
芸人になりたいという想いはあったものの、まずは親を安心させるため中学校卒業後は視覚特別支援学校に進学し、あん摩マッサージ指圧師や鍼灸師の国家資格を取得しました。
その後、地元兵庫から、お笑い文化が根付く大阪へ引っ越します。そこでいきなり芸人の道に進むのではなく、一旦は大阪の暮らしに慣れるために1年間リラクゼーションサロンでマッサージ師としてはたらきました。お笑い芸人になるなら、お笑いの養成校・吉本総合芸能学院(以下、NSC)に入って経験を積むのがいいと思っていたので、入学に必要な学費40万円もその1年で貯めましたね。
マッサージ師としてはたらいていたころ、NSC入学前で舞台経験もなかったのですが、「自分はどれだけ通用するんだろう?」という想いが湧いてきて。アマチュアとして2012年のR-1に出場したところ、なんと準決勝まで進むことができました。その理由はきっと、昔からいろんなテレビを聴いていたから。気付けば、漫談としてかたちになっていったんだと思います。
漫談一本で勝負。「今が一番楽しい」を更新し続ける日々
──NSCに入学されてからは、どんな日々をすごしていたのでしょうか。
とにかくネタづくりに打ち込んでいました。ネタの方向性については、かなり悩んでいましたね。当時はコントや漫才でよくある、「伏線回収型」のネタ構成がNSCの講師の方から高く評価される傾向にあって。起承転結や綺麗なオチがあり、後半に向けて笑いが高まっていくようなネタですね。
ぼくも、一度は講師の期待に応えようと普段の漫談から構成を変えてみたんです。けれど、リアリティとは少し違った軸での笑いは自分の心が踊らないし、気持ち良く喋れなかった。結局一番楽しく喋れるのは、あこがれていた『すべらない話』や『ごきげんよう』に出演する芸人さんのように“本当にあったこと”を喋る漫談でした。そこで自分のありたい姿に立ち返って、周りに流されず、自分のスタイルを貫くことに決めたんです。自分は漫談だけで勝負をするんだと。

──2018年にはピン芸人の大会である『R-1グランプリ』で優勝されましたが、当時の心境を教えてください。
振り返ってみると、自分を信じて漫談に絞って取り組んだからこそ、R-1で優勝できたんだと思います。自分の「好きな」スタイルだからこそ、ずっとブレずに継続できたのかなと。
そして、もちろん優勝できたこともですけど、実は決勝進出が決まった日が一番うれしかったんです。決勝に進出=R-1というテレビ番組に出演できるということ。全国ネットのテレビに出られることが決まって、「ちゃんと認められたんや」と胸がいっぱいになりました。審査員の方に、濱田祐太郎を決勝に出そうと思ってもらえたこと自体が感慨深かったですね。
──優勝後、仕事の内容や、やりがいを感じる部分など変化はありましたか?
R-1で優勝してからは、仕事の量も内容もまったく違います。好きだったところから、実際に自分が芸人としてはたらくようになり、本当にいろいろな経験をさせてもらっていて。劇場だけでなく、ロケ番組で全国いろんな場所に行ったり、テレビに出たりと、仕事の幅が一気に広がりました。今まで会えなかったような人とも会えるようになったのも、うれしいです。
ドラマへの出演も経験するなど、R-1で結果を出したことで思いもよらない仕事もいただくように。あと、ちょっとモテるようにもなりましたね(笑)。それはさておき、日々新しい世界を知れるので、芸人を始めてから「今が一番楽しい」を更新し続けています。
日々を無駄にするかはあなた次第。ブレずに歩めば強みになる
──これまでのお話から、ご自身のスタイルを大切にしながら、前向きに仕事に向き合ってこられた印象を受けました。
そうですね。ぼくはただ、子どものころにあこがれた“面白くてかっこいい芸人”になりたいだけなんで。目が見えないことを「つらいけど乗り越えました」みたいに語るのはまっぴらごめんです。芸人として、純粋に“面白いこと”をやっていきたい。それが一番ですね。

──そんな濱田さんの、今後の目標を教えてください。
全国放送のバラエティ番組でMCをやるのが目標です。最近はラジオにもハマっていて、一人しゃべりの番組もやってみたいですね。
また、最近中高生の子たちから「YouTubeでネタを見ました」「トーク面白いです」とメッセージをもらうことが増えてきて。目が見えないからどうこうじゃなくて、ただ「面白い」と言ってもらえるのが素直にうれしいんです。今の子たちは、すごく自然な目線でぼくを見てくれている気がします。
なので、もっと子どもたちと関わる場もつくっていきたいなと。学校をまわってネタを披露したり、ぼくを案内してもらいながら介助について学べたりするようなイベントをつくって、挑戦してみたいですね。
──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
人生に無駄なことはありません。
まあ、学生時代のぼくは「無駄な時間なんてない」と話す大人を見て、「この話を聞く時間が一番無駄やろ」と思っていたんですけど(笑)。自分が大人になった今は、どんな時間も、自分の考えや行動次第で意味のあるものになると心の底から感じています。
ぼくが何度も繰り返し聴いていたテレビ番組の記憶は、今の漫談の土台になっています。それに最近は、お笑いのためにいろいろな人と関わるようにしてみたら、交友関係も広がり、人生がより楽しくなってきました。仕事もプライベートも、どんな経験も意味を持っています。
あとは、「好き」という気持ちをぜひ大事にしてほしいですね。ぼくはお笑いや喋りが好きという純粋な気持ちを何より大切にしながら漫談を続けてきました。好きは原動力になりますし、そうして継続したことが次につながる力になっていくんじゃないかなと思います。
どんなときも自分の想いを大切にしながら突き進んでほしいです。
(「スタジオパーソル」編集部/文:朝川真帆 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:朝川真帆 )

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