「ずっと、向いてないと思ってた」与田祐希が8年の乃木坂46舞台裏を告白。島育ちの少女がセンターに、そして卒業。

2025年8月22日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を聞いたのは、与田祐希さん。16歳でアイドルグループ乃木坂46の3期生として加入し、中心メンバーとして活躍。2025年2月に卒業し、現在はソロで活動しています。

「アイドル向いてないなって、ずっと思っていました」
「卒業を決めたのは、この仕事を“楽しい”と思えるようになったからです」

まっすぐこちらを見つめながら、一つひとつの質問に正直に、真剣に向き合ってくれた与田さん。彼女が8年間半最前線で走り続けた理由とは?そして、「楽しい」と思えるようになった経緯とは?

与田さんの等身大の言葉で語られる歩みから、「はたらくを、もっと自分らしく。」を見つけるヒントが見えてきました。

こんな素敵なグループにいたことを、恥じぬように頑張りたい

2025年2月に乃木坂46を卒業してから約半年。与田さんは今、新たな道を歩み始めています。

「やっぱり、『元乃木坂46』の肩書は今でもあるので、油断はできないですね」

そう柔らかい表情で話す与田さんに、「油断できない」と思う理由を聞いてみました。

「さっき生放送で新曲の初披露を見ていたんですけど、やっぱり乃木坂46って素敵だなって。こんな素敵なグループにいたことを恥じぬように頑張らなきゃなってあらためて思いました」

卒業から半年経った与田さんは今、どんな想いで仕事に取り組んでいるのでしょうか。

「人と一緒に何かをつくるのが、楽しくて大好き。このお仕事が、とても好きなんです。だからこそ、関わった人に『与田と仕事して良かったな』って思ってもらえるように、一つひとつのお仕事を一生懸命頑張りたいなって思っています」

今でこそ、前向きに仕事に取り組んでいる与田さんですが、もともとは「夢なんてなく、ぼんやり生きていた」と言います。そしてアイドルになってしばらくは、「私にはこの仕事無理だ」「向いていない」と悩んだことが、何度もあったのだそうです。

「すっごい人見知り」人口1,500人の島で過ごした幼少期

与田さんは、人口わずか1,500人ほどの福岡の小さな島で生まれ育ちました。幼いころは「すっごい人見知り」で、お母さんの後ろにずっとくっついていた、と当時を振り返ります。

「みんなで遊ぶよりも、一人で虫を追いかけたり、泥団子を作ったりするほうが好きでした。でも、やんちゃなところもあったみたいで。幼稚園のころは、仲良しの先生の膝の上に座って、その上でわざとおならをしたりとか……(笑)。基本的には人見知りなんですけど、仲の良い人には“素”をさらけ出しすぎちゃうんです」

©乃木坂46LLC

その後進学した小学校は、全校生徒は約20人、同級生はたったの4人でした。“みんな仲良し”な環境だったから、自分が人見知りであることを忘れるくらい、活発に過ごしたと言います。

「木登りをしたり、男の子とチャンバラごっこで喧嘩したり。上級生になってからは、登校班のリーダーもしましたね」

しかし、中学校に上がると状況は一変。1学年50人規模の学校でしたが、与田さんの小学校からその中学に進学する人は、2名しかいませんでした。知らない人ばかりの環境に「怖い」「逃げたい」と感じた与田さんは、学校も部活も休みがちになってしまいます。

「学校に通うとか、新しい友達をつくるとか、みんなが普通にできていることが私にはできない。そんな自分が嫌なのに、行動する勇気もなくて逃げてばっかりで。極力目立たないように過ごしていました。あのころは、自分のことが好きじゃなかったです」

「変わりたい」一心で飛び込んだ乃木坂46のオーディション

しかし16歳のとき、ついに行動を起こします。乃木坂46のオーディションへの参加を決めたのです。見事合格を果たすも、与田さんの心境は複雑でした。

「自分の周りの人や場所、環境とかいろいろ変わったら、こんな私でも変われるかな。そう思って、ちょっと違う世界に行ってみたい気持ちも心のどこかにはあって、福岡から上京してオーディションを受けました。でも、まさか自分が受かるとは思わなくて……。合格を受け入れたら、本当に全部が変わっちゃう。そう思うと、不安のほうが大きかったかもしれません。正直、辞退することも考えました」

©乃木坂46LLC

「でも、こんな奇跡みたいなチャンスから逃げたら、私はもう変われないかもしれない。変わるのは怖いけど、『逃げてばっかりの私なんて、一生変われない』って思いながら生きていくのはもっと嫌だなって」

そして与田さんは、変わるための覚悟をします。

「これまでの私は、部活も最後まで続けられないような、すぐ逃げちゃう性格でした。だから今度は、どんなにつらくても5年は頑張ろうって決めたんです」

こうして与田さんの乃木坂46としてのアイドル人生が始まりました。しかし、待っていたのは想像以上に厳しい現実だったと言います。

「私の強みってなんだろう」周りと比べて、何度も落ち込んだ

「乃木坂46に入ってから5年目ぐらいまでは、もちろん達成感や喜びもありましたが、比率で言うと、圧倒的につらいことのほうが多くて。『私、アイドル向いてないな』ってずっと思っていました」

加入してから1年経たずに選抜メンバー、そしてセンターに選ばれるなど、乃木坂46の中心メンバーとして活躍していた与田さん。アイドルとして順調にステップアップしているように見えましたが、いったいどんなことを「つらい」「向いていない」と感じていたのでしょうか。

©乃木坂46LLC

「そもそも私、人見知りで“緊張しい”なんです。ライブ前はいつも体が震えるし、人前で話すときだって手が震えちゃう。本番中なのに、頭が真っ白になったことも何度もありました。それに、ダンスや歌だってちゃんとやってきたわけじゃない。でも、ほかのメンバーはダンスがうまいとか、歌声がきれいとか、トークが上手とか、本番に強いとか、みんな何かしらの“強み”を持っているんです。自分と周りを比べては、勝手に落ち込んでいました」

アイドルとしての強みを見つけられずに悩んだ与田さんは、「迷走した時期もあった」と当時に想いを馳せます。

「声を高くしてみたり、キャッチコピーをつけてみたり。『“CRAZYキャラ”でいなきゃ』みたいなときもあって……変に背伸びしていましたね。でも、そういう試行錯誤があったから、少しずつ『自然体な自分でいいんだ』って思えるようになったのかもしれません」

そもそも、なぜ「CRAZYキャラ」を演じようと思ったのでしょうか。

「共演した方に、『与田ちゃんってクレイジーで面白いね』と言われたんです。最初はどこが!?とびっくりしたのですが、『もっと面白いと思われたい』『褒められたい』と、一時期は無理にCRAZYキャラを演じていました。そのころの映像は、今は恥ずかしくて見られません(笑)」

しかし、自然体でいようと決めてから、かえって「CRAZY」と言われるようになったそうです。

「私は普通にしているつもりなんですけど……」と話す与田さんに、隣で聞いていたマネジャーさんが苦笑いを浮かべなからこう教えてくれました。

「たとえば今年の2月に放送されたテレビ東京『乃木坂工事中』の卒業企画では、与田本人の希望で“顔面パイサバイバル”が行われ、メンバーやバナナマンさんとパイを投げ合って、自ら“顔中パイまみれ”になりにいっていましたね。

また同じ回で、目隠しをしてなんの食材か当てるゲームで、与田は“食用セミ”にチャレンジしたのですが……自分が口にしているものがセミだと気付いた与田は、一度は驚いて口から取り出したものの、そのあとなぜか再び口に戻して、周りを驚愕させていました(笑)」

マネジャーさんの言葉に、「あれそんなにおかしかったですか……?」と戸惑いを見せる与田さん。

本人も意識していないような、飾らない「素」の姿が、周りの人たちからは「与田ちゃんらしくてかわいい」「面白い」と評され、与田さんだけの「強み」になっていきました。

「ここまで来たら、続けるか続けないかだよ」

それでも、「周りと比べると私なんて……」「やっぱりアイドルには向いていない」という想いは変わらなかった、という与田さん。そんな気持ちのまま、「どんなにつらいことがあっても、5年はこの仕事を続けよう」と考えていた、ついに5年目を迎えます。

「あるとき、スタッフさんに『やっぱりずっとつらくて、この仕事に向いてないんです』と愚痴をこぼしたんです。そしたら、『ここまでやってきたんだから、あとは続けるか続けないかだよ』と言われて。その言葉をきっかけに『もう、向いているかどうかでクヨクヨ悩む時期は終わったんだ』と思うようになったんです」

自分のコンプレックスと真正面から向き合った5年間は、しんどかった。実際に弱音もたくさん吐いてきた。自分の嫌なところもたくさん見えた。でも、振り返ってみたら、そんな自分を優しく支えてくれたメンバーやスタッフ、応援してくれたファンの人たちがいた。それなのに、「つらい」と思ったまま辞めるのは、多分違う。そんな自身の深い想いにたどり着いた与田さんは、「こんな私を優しく受け入れて育ててくれた大好きな乃木坂46に、何かを残したい」「心から『やりきった』と思えたら卒業しよう」と考えるようになりました。

「そう考えられるようになったのは、周りの人たちのおかげです。人見知りで、なかなか自分からは話しかけられないような私の周りには、優しく声をかけてくれた人がたくさんいました。

自分のことが好きじゃなくて、周りと比べてたくさん悩んできた私だからこそ、同じように悩んでいる人に寄り添えるかもしれない。そんな優しさを、今度は私が引き継いで伝えていけたら、と思うようになったんです」

チャンスが巡ってきたときに、後悔しない選択を

そして、乃木坂46に加入して8年目。与田さんは、ついに卒業を決断します。

「勇気を振り絞ったわけじゃなく、自然と『卒業するなら今だ』と感じたんです」

先輩、後輩とのコミュニケーションも深まり、スタッフさんとの関係も良好。当時の乃木坂46は、与田さんにとって「居心地最高の場所」でした。それは、与田さんが「つらい」「向いていない」と感じながらも、8年間かけて積み上げてきた努力の結果です。なのになぜ、「辞めるなら今だ」と思ったのでしょうか。

「どんなに乃木坂46が好きで楽しくても、卒業するときは必ず来ます。『つらい』『今すぐ卒業して逃げたい』と思ったときもあったけど、気付いたら『今すぐ卒業しても、数年後に卒業しても、あんまり変わらないな』と思えていて。それで、私ついにやりきったんだって、心から満足できたんです」

©乃木坂46LLC

充実感に満ちた表情で、卒業当時を振り返る与田さん。「変わりたい」と思いながらも行動できずにいた過去があるからこそ、今の充実感がより特別なものに感じられるのかもしれません。

「そういえば、中学生のころに良くしてもらっていた美術の先生と久しぶりに話をしたときに、『あのころの与田さんは、将来の夢を聞いたら“自由人かな”って答えていましたよね』と言われたんです。そんな私がアイドルになって、しばらくは辛いことも多かったけど、今は“やりきった”と思えていて、やりたいことや夢を見つけられた。私だけじゃなく、周りもまったく想像していなかったと思います」

どうして与田さんは、夢を見つけられたのでしょうか。見つけ方について聞くと、少し考えてからこう答えてくれました。

「私もずっと、夢らしい夢はありませんでした。でも、人生本当に何が起こるか分からないなって。私の場合は、乃木坂46に合格するという奇跡みたいなチャンスが突然巡ってきました。あのとき『怖いから』と逃げていたら、今も夢はなかったかもしれません」

そして、当時の自分と重ねるように続けます。

「だから、『自分にもチャンスが巡ってきた』と思ったら、後悔しない選択ができるといいのかな。それを積み重ねていくと、いつか自然と夢が見つかるのかもしれないと、今は思っています」

あのとき逃げた自分がいたから、今の自分がある

16歳から24歳という多感な時期をアイドルとして過ごした与田さん。その経験は、与田さんの考え方にも大きな影響を与えました。

「正直、過去の自分は今でもあまり好きじゃないんです。泣き虫で、弱虫で、へたれで。いつも周りのせいにして、逃げてばかりいました」

でも、と与田さんは続けます。

「でも、あのときの自分があったから、『もう逃げたくない』『変わりたい』と強い気持ちが芽生えたんだろうなって。だから、過去の自分は好きではないけど、否定はしたくないんです。どんな自分も、全部未来の自分につながっている、と思っています」

最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、与田さんからアドバイスをもらいました。

「そんな偉そうなことは言えないですけど、私は『人生は思い出づくりの繰り返し』だと思っていて。つらいことも楽しいことも経験して、死ぬときに『こんなことあったな』って笑えたら最高じゃんと思っています。

まさに今、はたらくことに悩んでいる人もいると思います。『つらいことから逃げてしまった』と後悔している人もいるかもしれません。でも、数十年後に思い返したときには、私のように『あの選択には、意味があった』と思える人も、同じくたくさんいるはずです。

はたらくことだって、人生の思い出の一つ。頑張ったり、落ち込んだり、逃げたりしながらも、最後には笑えるような、思い出いっぱいの人生を過ごしてほしいです」

(「スタジオパーソル」編集部/文:仲奈々 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:小野澤藍)

※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。

130

あなたにおすすめの記事

同じ特集の記事

  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
ライター仲奈々
フリーランスのライター。エンタメ、キャリア、ビジネス、食、インテリア、ホラーなど多ジャンルでインタビュー記事を中心に執筆中。

人気記事

片瀬那奈さん、40歳で女優から会社員になった現在。「今の仕事が天職」の理由。
元ヤンから日本一バズる公務員に。高知ゆるキャラで、ふるさと納税額200万から34億へ。
【取材】元乃木坂46・高山一実「バラエティ自信なかった」「卒業で変わった仕事観」
【取材】さらば森田哲矢。相方スキャンダルで変わった仕事観。借金200万「自堕落な生活」から遅咲きの苦労人。
ボール拾いで年収1,000万!? 「池ポチャ職人」ゴルフボールダイバーの仕事とは
  • シェア
  • ツイート
  • シェア
  • lineで送る
ライター仲奈々
フリーランスのライター。エンタメ、キャリア、ビジネス、食、インテリア、ホラーなど多ジャンルでインタビュー記事を中心に執筆中。

人気記事

片瀬那奈さん、40歳で女優から会社員になった現在。「今の仕事が天職」の理由。
元ヤンから日本一バズる公務員に。高知ゆるキャラで、ふるさと納税額200万から34億へ。
【取材】元乃木坂46・高山一実「バラエティ自信なかった」「卒業で変わった仕事観」
【取材】さらば森田哲矢。相方スキャンダルで変わった仕事観。借金200万「自堕落な生活」から遅咲きの苦労人。
ボール拾いで年収1,000万!? 「池ポチャ職人」ゴルフボールダイバーの仕事とは
  • バナー

  • バナー