元ミスマガ女優・岩佐真悠子、33歳で介護士へ。介護現場のやりがい「毎日、小さなドラマがある」

2025年12月19日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

2003年にミスマガジンでデビューを果たし、俳優として活動してきた岩佐真悠子さん。コロナ禍を経て2020年、33歳で芸能界を引退し、現在は未経験から介護士として現場に立ちながら、介護タレントの西田美歩さんとともに介護の魅力や情報についても発信しています。

まったく異なる業界に挑戦しぶつかった壁、その先で見つけた今も活き続けている経験、そして複数の介護施設を渡り歩いてきた理由など、岩佐さんの人生とキャリアを振り返りながら、「はたらく」を自分らしく楽しむための実践的なヒントを伺います。

学校は合わず、途中下校も。芸能界、最初は「はたらく」が分からなかった

──岩佐さんは、小さいころどんなお子さんでしたか?

兄が2人いる末っ子の長女で、目立ちたがり屋で気が強かったと思います。母も兄も前に出るタイプではなかったのに、私は気付けば目立つ場所にいる子どもでしたね。

弱い立場にいる人を見ると放っておけず、いじめっ子がいたら「なぜそんなことをするの!」と突っかかっていくような、正義感が強い性格でもありました。

──岩佐さんの幼少期からの性格が、今の介護のお仕事にもつながっているのかもしれませんね。学生時代は生徒会などを率先してやるようなタイプだったのでしょうか?

いいえ。中高生のころは、言葉は悪いですが「舐めたクソガキ」だったというか……(笑)。先生と折り合いが悪いとその教科自体が嫌になって授業を受けたくなくなってしまうし、座ってじっとしているのが苦手で。学校という場所からどんどん気持ちが離れていきました。

出席はしても5時間目から行ったり、朝に家を出ても近所をぶらぶらして数時間後に家に戻ることもありましたね。机に向かうより常に動いていたくて、高校ではバイトをしている時間のほうが長かったです。

──そこから芸能界に入られたきっかけを教えてください。

16歳の春休みごろ、渋谷でスカウトされたのがきっかけです。高校が合わず学校にもあまり行っていなかったので「どんな世界か見てみよう」と軽い気持ちで芸能界に足を踏み入れました。

事務所からは「最初のほうは暇だと思う、いきなり忙しくはならないから」と聞いていたのですが、入ってすぐに講談社ヤングマガジン編集部・週刊少年マガジン編集部が主催する2003年のミスマガジンでグランプリに選んでいただき、あれよあれよと言う間に忙しくなっていきましたね。

──仕事について考える暇もなく、本格的に芸能界のお仕事が始まっていったんですね。

そうですね。最初は、言われたことをただこなす感覚でした。それに、芸能界ってはたらいた時間と収入が必ずしも結びつくわけではないし、特に初期は売り込むためにお金にならない仕事も受ける必要があって。

お仕事へのやる気も自覚もない状態で芸能界の仕事を始めてしまったので、「忙しいのに、これならバイトのほうが稼げたじゃん!」と不満を感じて、事務所の人に「このままなら辞める」と伝えたことも……。今考えると本当に申し訳なかったなと思っています。

はじめた当初のお仕事は、グラビアの撮影が中心でした。当時は少人数の現場が多く、同じスタッフさんたちと和気あいあいとした空気の中で進めていました。予算もあるし、雑誌社や出版社からちやほやされることも多かったんですよね。仕事というより楽しい場に参加している感覚で、自分が「はたらいている」という意識は薄かったと思います。

真心を持ち、失敗を恐れない。芸能経験も活かし見つけた楽しさ

──グラビアから演技へとお活躍の幅が広がっていく中で、お仕事に対する考えに変化はありましたか?

ドラマや舞台など芝居の仕事になると拘束期間が長くなって、スタッフさんとの関わりも増えました。裏方のスタッフさんも含めて、人が目の前で懸命にはたらいている姿を間近に見ることで「これが仕事なんだ」と自分の中の認識が変わりましたね。「責任を持って仕事に臨まなければ」と18歳ごろからようやく考えるようになりました。

少しずつ「こういう作品をやりたい」という想いも生まれてお仕事が楽しくなっていったのですが、年月が経つとどうしても事務所の方針とズレが生じたり、年齢とともに女優としての仕事が減っていく現実もあったりして。引退前、最後の2〜3年は本当にときどきしか仕事をしていませんでしたね。そしてコロナ禍で芸能の仕事がほぼなくなったことを機に、これからのはたらき方をあらためて考え始め、最終的に引退を決めました。

──芸能界引退後、どのようにして介護の世界と出会われたのでしょうか?

引退後になんの仕事をしようか考えているときに、私は高校も出ていないし、会社員経験があるわけでもないので、芸能の経験を一般の会社で活かすのは難しいんじゃないかと思ったんです。ただ、コロナ禍で接客・飲食業は厳しい時期。社会に今求められていて、長く続けられて、自分の手に技能が残る仕事は何か考えました。

その時期に、同じ年にミスマガジンを受賞した芸能界時代からの親友・西田美歩に相談してみたんです。そしたら、先に介護の仕事を始めていた西田が「介護の仕事いいんじゃない?向いていると思う。めっちゃ楽しいよ」と話してくれて、そのまま介護の道へ進みました。西田もとても楽しそうにはたらいていたし、新しい業界への挑戦にあまり迷いはなく、すんなりと決断できましたね。

──とはいえ、介護の現場は芸能界とは大きく違う部分もあったと思います。最初に直面した壁などがあれば教えてください。

最初の職場は特別養護老人ホームで、入居者の9割が認知症という環境でした。初日から「挨拶してコミュニケーションを」と伝えられ現場に出ましたが、入居者の方に自己紹介しても反応が返ってこない。聞こえているのかいないのかも分からず、心が折れそうになりました。

先輩は全員が忙しそうでコミュニケーションの取り方も質問もできず、手が空いたら話せる入居者のもとにばかり行ってしまう。当時は私の認知症に関する知識が乏しく、どう対応すればよいか手探りでしたが、声かけの向きや話題の選び方など、一人ひとりで反応が違うことを体で覚えていきました。

もう一つ、仕事を始めて間もないころに、大切なことを教わった印象的な出来事があります。

車椅子で認知症をお持ちの入居者の方を介助していたら、その方が前の物を取ろうとしたことがきっかけで、転倒事故を起こしてしまったんです。命に別状があったわけではないのですが、事故を防げなかった自分を責めて、思わず泣いてしまうほど落ち込みました。ですが、その方は「あなたのせいじゃない」と言ってくださり、むしろそのあとも私を気に入ってくださったんです。

ご家族の方も優しく、周囲の職員も「一生懸命やっているのは伝わるから」とフォローしてくれました。たとえ認知症であっても真心は通じる。失敗から学ぶ必要はありますが、恐れて動かないままでは何もできない。失敗を恐れずに利用者の方の介助をしていこうと、この出来事で腹を括れましたね。

──介護のお仕事ではじめてのことも多かったと思いますが、逆に「これは得意だな」と感じたことや、これまでの芸能のご経験が活きたことはありますか?

介護の仕事では相手の状況や症状などに合わせて自分の見せ方を変え、合わせていく必要があるのですが、その際にこれまでの経験が活きていると感じます。

芝居では初対面の方であっても、親友や恋人役を演じなければなりません。テレビのお仕事などでは初対面の方と一緒にお仕事をする機会も多くて。私は本来人見知りですが、仕事を通じて「相手や場面によって、自分の側面を選んで出していく」ということが自然にできるようになりました。

今の介護の仕事でも、利用者の方にとって穏やかさが必要なら穏やかに、明るさが必要なら明るく。無意識に相手に合わせて表現をする癖が仕事に活きています。

──お仕事をしていて、やりがいや楽しさを感じるときはどんな場面か教えてください。

毎日、利用者さんの小さな変化や自分自身の気付きがあって楽しいです。毎日、施設の中ではドラマがあるんですよね。

たとえば、ほかのことには反応が薄かった方も、歌に合わせて手を取って一緒に体を動かすと表情がほぐれていったり、上品に見える方が意外と下品な冗談も好きだったり(笑)。

自分で行動を重ねて、相手が何を求めているのか探ってみる。そうすると心を開いてくれたり喜んだりしてくれるので、そこに大きなうれしさとやりがいを感じます。

楽しさは自分でつくるもの。小さなことでも良いから見つける姿勢を

──岩佐さんは「これまで多くの介護施設で勤務してきた」とイベントでおっしゃっていました。どんな施設で何を学んできたのか教えてください。

最初は特別養護老人ホームで約4カ月はたらきました。要介護3以上の方が中心の環境で、介護の基礎を実地で学べたのですが事情があり退職。仕事の中で利用者さんの体に触れる機会も多かったので、介護にも活かせると考えエステティシャンの資格を1年かけて取得しました。

そのあとはデイサービスと訪問介護を同時期に1年、パートでダブルワークをしました。とても居心地の良い職場だったのですが、利用者さんには歩行ができて生活自立度の高い方が多く、身体介護の比率が少なかったため、次に病院が母体である介護老人保健施設へ移る挑戦をしました。約1年弱、看護師さんや薬剤師さんなどから薬の処方にまつわることなど、実践的な医療の知識を学ぶことができましたね。

続いて、今まで経験したことのなかった介護付き有料老人ホームで約9カ月勤務し、サービスに対価をいただく場だからこそ求められる業務水準や、お部屋ですごす時間の長い入居者の小さな変化を短時間で見抜く視点を養いました。

現在は子育てとの両立を考え、ダブルワークをしていたときのデイサービス施設に復帰。現場での学びを続けながら、座学でも知識を深める期間にしようと思っています。

これだけ多くの経験を積んでいる理由は、将来自分で施設をつくってみたいという夢もありますし、体が動くうちに、短い期間でさまざまな経験をしておきたいなと思っているからなんです。

──将来はご自身で施設をつくってみたい。素敵な夢ですね。具体的にどんな施設にしていきたいか、イメージはありますか?

自分が老後に入りたいと思える場所ですね。これからの世代は遊びや文化の経験値が高く、スマホやPCを使うのも当たり前。今の施設のままだと、物足りなく感じる人もいると思うんです。Netflixなどが鑑賞できるシアタールームや飲食、お酒も楽しめるようなパーティールームがあったら最高だなと思います。

ただ、遊びを充実させるには、その分人員配置が必要になります。介護業界は特に人手不足が深刻なので、少人数でも心地良い施設をどのようにつくっていくのかは考えていきたいですね。

人手不足解消のために自分ができることとして、今は親友の西田とともに介護のお仕事について発信する活動も行っているので、そこで介護職の良さについてもっと多くの方に知ってもらいたいです。

──ほかに、介護についてこれから発信していきたいことなどがあれば教えてください。

特に若い世代が、ご自身の今後や介護に関心を持ってもらえるような発信をしていきたいですね。病気や事故は突然起こりますし、認知症で家にこもりきりなどになってしまうと、施設への抵抗が強くなることもあります。何か起こってからではなく、体も心も元気なうちに「ここなら良いかも」と思える施設を見に行ってみると良いと思います。

また、介護士の人手不足の課題は税金の問題なども絡んでいて複雑ですし、国に動いてもらうのも簡単ではありません。だからこそ、できるだけ早い段階からご自身でも運動や頭の体操、外出で孤立を防ぐなど「今できること」に取り組み、ご自身の要介護状態を遅らせるために対策をすることが重要です。

皆さんに介護についてもっと知ってもらうために、私も発信やイベントを続けていきます。12月21日には東京で介護と防災について学べるイベントも行うので、ぜひ関心の入口として来ていただけたらうれしいです。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

楽しさは外から与えられるものではなく、自分の姿勢でつくるものだと思っています。芸能界ではたらいていたころ、「どう頑張っても、これは嫌だ」と思ってしまう現場もありました。それでも、その場の中で自分が少しでも笑えることを見つけると、気持ちが軽くなりました。ちょっとした人間観察のような、小さな工夫で良いんです。

自分で「つまらない」と決めてしまうと、毎日がその通りになります。逆に「楽しもう」と決めるだけで、見え方が変わり、同じ空気を持つ人も近づいてきます。前向きに仕事を楽しんでいる人と話すことも、良い影響を受ける手段の一つですね。

ただ、仕事は人生のすべてではありません。仕事の中でも、仕事以外でも、小さな楽しみを自分で用意する。まずは私生活からでも良いので、「自分で楽しむ」という習慣を身につけてみてほしいです。

「スタジオパーソル」編集部/文:朝川真帆 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:朝川真帆

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ライター朝川真帆
フリーランス取材ライター。住宅系コミュニティマネージャーとしても活動中。2021年、新卒でコンビニの会社に入社し、数年後結婚を機に上京・退職。2023年に取材ライターとして独立した。現在はキャリアや事例導入、グルメなどのジャンルをメインに執筆中。フジロックのファンサイト、フジロッカーズオルグでもライターとして活動中。管理栄養士資格を持っている。関西出身。

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