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- 中学で“学年1位”→乃木坂46→慶應卒。それでも山崎怜奈が「社会になじめない」と悩んだ理由。"コンプレックスの塊"を強みに転換。
中学で“学年1位”→乃木坂46→慶應卒。それでも山崎怜奈が「社会になじめない」と悩んだ理由。”コンプレックスの塊”を強みに転換。
スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
今回お話を伺ったのは、ラジオパーソナリティ・タレントの山崎怜奈さん。高校生で乃木坂46に加入後、学業と仕事を両立させ、慶應義塾大学に進学。グループから独立した現在は、「自分らしさ」を活かしてラジオ、報道、エッセイなど、幅広いジャンルで活躍し、独自のキャリアを築いています。
しかし、今は強みになっている「自分らしさ」が受け入れられず、「コンプレックスの塊」だった時期もあるのだとか。山崎さんは、自分自身をどう受け入れ、どうキャリアに活かしてきたのでしょうか。
コンプレックスとの向き合い方、そして「手数を打つ」ことで見つけた自分らしいはたらき方には、「はたらく」を楽しくするためのヒントが詰まっていました。
「言葉がきつい」「周りとなんか違う」コンプレックスの塊だった学生時代

──ラジオやテレビを通じて、本音をまっすぐ、でも軽やかに届けている山崎さん。その伝え方は、子どものころから自然にできていたのでしょうか?
物心ついたころから、考えたことをすぐに言語化できるほうでした。ただ、“ろ過”せずに考えを口にして、意図せず人を傷つけてしまうこともしばしばあって。
小学校のころは、自分の意見を言うのが怖くなって、同級生との会話は必要最低限でした。学校に行くのがとにかく憂鬱で、校門の前まで行って「やっぱ無理」と公園で時間を潰す日も少なくなかった。友達はいましたが、女の子特有の「仲良しグループ」で群れるようなノリには付いていけず。「みんなは楽しそうなのに、なんで私には難しいんだろう」と自己嫌悪でいっぱいでしたね。
また、「同級生と共通言語が少ない」のもコンプレックスでした。

──「共通言語が少ない」とはどういうことでしょう?
同級生には、お笑いやバラエティが好きな子が多かったんです。でも私は、小さいころから小説や大河ドラマ、クイズ番組が大好きでした。だから、クラスメイトが話す話題には全然ついていけなくて。
クラスで他の子がいじめられていたり、自分も陰口を言われたりしていて、学校にいる時間はずっと「早く家に帰りたいな」と思っていましたね。子どもによっては学校が社会みたいなものだから、「私は社会になじめない人間なんだ」と劣等感を抱いていました。
──山崎さんは、中学受験を経て私立の中高一貫校に進学していますよね。中学に入ってからは、周囲とのなじめなさはどうなりましたか?
解消されました。入学した中学は、男子校だったのがちょうどその年に共学化したばかりで、女子は全員が1期生。横並びのスタートだったからか、「今の環境を変えたくて来た」という子が多くて、私にも仲間ができたんです。
しかも、自分で部活を立ち上げたり、イベントを企画したりと、バイタリティのある子が多くて。その姿に影響を受けて、私も少しずつ変わっていったように思います。「誰かを傷つけるくらいなら自分を押し殺そう」という事なかれ主義から、「やりたいことはやる。そのための努力は惜しまない」と思えるようになったんです。
ただ、当時は「これになりたい」という明確な目標があったわけではなくて。だから、やりたいことが見つかったときに何でもできるように、勉強だけはしっかりしておこう、と思っていました。
学業と芸能、「どちらも手を抜かない」と決めた理由

──その結果、中学では3年間の総合成績で1位、高校1年生のときも学年1位だったそうですね。そして、高校1年生で乃木坂46に加入しています。
乃木坂46への加入のきっかけは、私の知らない間に母が応募していて。書類審査合格の通知が自宅に届いたときには、「何これ?」と驚きました(笑)。
実は私、小学生のころに子役事務所に所属していた経験があるんです。といっても、全然オーディションに受からなくて、ほとんど仕事はなかったんですけどね。「書類審査の次に進める機会」があるのは、とても貴重だと分かっていた。だから、想定外ではありましたが、オーディションに挑戦することにしました。
──それから大学卒業まで、7年間も芸能活動と学業を両立していましたよね。かなり大変だったのではないでしょうか?
ずっと大変でした(笑)!例えば初期の頃は、もともと運動が苦手で学校の部活にも入っていなかったのに、急にダンスレッスンやボイストレーニングが始まったので、体力的に付いていけなくて。一方で、学校では国公立大学を目指すコースにいたから、授業以外の講習も多い。当時は移動中などの隙間時間はもちろん、睡眠時間を削って必死に両立させていました。
──一つを頑張るだけでも大変なのに、どうしてどちらも続ける選択をしたのでしょう。
どちらもやりたくてやっていることだから、ですかね。それに、芸能の仕事を始めて成績がガタ落ちするのも、「学業を優先してお遊び感覚で仕事をしている」って思われるのも嫌だったんです。だったら、両方やりきるしかないなって。
ただ、生きづらい選択をしているのは分かっていたので、あえて周りと比べないようにしていました。
──しかし、両立について厳しい言葉をかけられたこともあったとか。
当時は、高校を卒業したらグループ活動に専念するのが“正しい”という暗黙の了解があったんです。だから、私が大学進学を選択したことについて、あまり良く思わない方もいらっしゃることは想定していました。
それでも、自分なりに努力しているつもりではあったのですが……あるとき握手会に来た方から「乃木坂の活動はバイト感覚ですか?」と言われてしまって。それがすごく悔しかった。
ただ、それをきっかけに、より一層の覚悟が決まりました。グループ活動と学業を両立したいなら、そのために努力をするのは当たり前。その上で「手を抜いている」って思われてしまうなら、私の努力がまだまだ足りないってことかなって。
──山崎さんが大学に進学して以来、所属していたグループでは、芸能活動を続けながら大学進学を目指すメンバーが増えたそうですね。
当時は「私が先駆者になる!」と志を持って頑張っていたわけではないのですが、結果的に選択肢を広げるきっかけになれていたらうれしいですね。
たくさん“手数”を打ったから見つけられた、自分の強み
──グループに入ってからのコンプレックスについても伺いたいです。
実は、小学生のときに抱えていた「周りとなじめない」という感覚と似たようなものは、グループに入ってからもありました。メンバー同士の「仲の良さ」も、グループ活動では大事にされるコンテンツの一つです。たとえば、自他ともに認める「仲良し2人組」や「シンメ」と呼ばれるような組み合わせでは、ユニット曲を歌ったりすることもあって、活躍の場が広がりやすいんです。でも、もともと特定の誰かと関係を深めたり、くっついたりするのが苦手だった私は、うまくそれができなくて。勘違いしてほしくないんですが、メンバーはみんな良い子たちばかりだし、仲も良いので、グループの雰囲気も良いんですよ。
それに、どうしても人から評価されてしまう仕事だからこそ、最初は自分の考えを発言するのが怖い気持ちもありました。気を抜くとハキハキ淡々と考えを述べてしまうし、葛藤しながら表に出ていたせいで、表情も硬くなりがちでした。それを周囲から「怖い」「生意気」と受け取られてしまうことも少なくなくて。

──それでも、発信するようになったのはなぜでしょうか。
この仕事は続けたい。でも、今の私のままじゃ長くは続けられない。そう思って、ファン向けのブログやメールサービスで、自分の好きなことの発信をしてみたんです。大前提、好意的に思っていただいている方が集まる場所でなら、始めやすいんじゃないかと思って。
──好きなこと?
たとえば、好きなラジオ番組の感想や、歴史の話を投稿してみたり、最近学んだことのまとめノートを連載形式でシェアしてみたり。配信アプリで週に1度、自分で考えたフリートークを披露してみたり。そうしたら、ラジオ番組のゲストに呼んでいただいたり、テレビの歴史の番組の出演オファーをいただいたりして、仕事につながる場面が増えていきました。
一方で、うまくいかなかったこともあります。小学生のときから絵を描くのが好きだったので、メンバーの似顔絵を描いてブログで公開したこともあるんですよ。でも、当時は絵がうまいメンバーがたくさんいたので、あまり目立たなかった。
ただ、とにかく「手数」をたくさん打って分かったこともたくさんありました。どうせやるなら、自分の好きなことを仕事にしたいじゃないですか。でも、「自分が好きなこと」と「自分が向いていること」、そして「世間が自分に求めていること」とは違う場合も多い。長く仕事を続けるためには、この3つが重なるところを見つけよう、と。
──そのために、好きなことをとにかく発信して、世間が興味を持ってくれるポイントを探したのですね。では、「向いていること」はどのように見つけたのでしょうか?
それも、手数を打ったから見つかったと思っています。私、昔からラジオを聴くのが好きだったのですが、たくさん聞いているうちに「ラジオの場合は、生放送のときに黙って変な間が空いてしまうと、放送事故になる。むしろ、パッと言い切ったほうが面白いときもある」と気付いたんです。言葉の出しどころと出し方、誰に向けて喋るかによっては、「鋭さ」が武器になるんだなって。
思ったことをすぐに口に出せてしまう。ハキハキとした口調によって「怖い」「可愛げがない」と言われてしまうことも少なくなかったから、昔はそれがコンプレックスでした。でも、ラジオはそれが強みにもなる場所だったんです。
誰でも、いつからでも、何者にでもなれる

──現在の山崎さんは、自分の強みを活かして、「はたらく」を楽しんでいるように見えます。
たしかに、「求めてもらえる場所が自分にもある」という実感を持ててから、やっと「はたらくって、楽しい」と思えるようになりました。
ながらく「私は社会になじめない人間なんだ」と思っていましたが、「言葉の強さ」や「人と違うものが好き」というコンプレックスが、強みになる場所があった。特に、昔から大好きだったラジオで冠番組をいただけたときは、ものすごくうれしかったです。
もちろん、仕事が楽しいと思う理由はほかにもたくさんあります。でも、楽しいと思えるようになった原点は、ここにあると思っています。
──ラジオパーソナリティという天職に巡り会えた理由を、ご自身ではどう分析していますか。

正直、運が良かったと思います。ただ、せっかく運が巡ってきても、受け取る準備ができていないと、せっかくのチャンスを逃してしまう。たくさん手数を打って準備していたし、その過程で「自分が好きなこと」と「向いていること」を把握できていたから、いざチャンスが来たときに受け取れたのかな、と思っています。
──現在は、コンプレックスとはどう向き合っているのでしょうか?
「言葉の強さ」については、気をつけてはいるものの、考えたことをストレートに口にしすぎてしまって、「やってしまった」と思うことはまだまだあります。ただ、「だから自分の考えを言わない」のではなくて、「言い過ぎた」と思ったらすぐに謝罪することを心がけています。「発信に瞬発力がある」って、つまり愛や感謝の気持ちもすぐに発信できるってことだと思うから。
完璧な人なんていないのだから、コンプレックスを抑え込むのではなく、折り合いをつけて付き合っていけたらいいのかな、と今は思っています。
──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
好きなことや向いていることがよく分からないなら、まずは「手数をたくさん打つ」ことから始めてみてはどうでしょうか。はたらく内容や場所を含めて、「どんな状況が、自分にとって居心地が良いのか」は、実際に試してみないと気付けないことも多いですよね。
また、今置かれている状況は、良くも悪くも永遠に続くものではありません。だからこそ、誰でも、いつからでも、何にだってなれると思うようにしています。「永遠はない」と考えると、今をもっと大事にしようって気持ちになれるんですよね。それでも続けられなくなったら、思い切って住む場所を変えたり、仕事を変えたりしてもいい。人それぞれ「これじゃなきゃいけない」ということは意外と少ないと思っています。時間はかかるかもしれませんが、きっと今から何にだってなれるんですから。

(「スタジオパーソル」編集部/文:仲奈々 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:小野澤藍)
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