マヂカルラブリーを見て解散?51歳芸人が食べれない現実から”ある副業“で人生が一変した理由

2026年1月30日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

リーゼントに和柄のシャツ。極道の風貌で「任侠芸人」として活動するアイパー滝沢さん。

長年お笑いコンビとして活動したのち、現在はピン芸人として活躍しています。また、51歳にして意外な特技をきっかけに活動の幅が広がり、著書は発売前に重版が決まるなど、独自のキャリアを切り拓いてきました。

その特技とは一体なんなのか。そして、長い芸人人生を通して見えてきた「はたらいて、笑おう。」ためのヒントとは。アイパーさんに話を伺いました。

「好きだから、やってみよう」から始まった芸人人生

──アイパーさんがお笑い芸人を志したきっかけを教えてください。

ぼくは埼玉出身で、すごく仲が良かった地元の同級生が、芸人を目指して東京に出て活動していました。その友達から「一緒にお笑いコンビをやらないか」と声をかけてもらっていたんですが、当時はすでに20歳を過ぎていて、仕事もしていたので一度は断りました。でも少し時間を置いてから、また声をかけてくれて。当時の仕事があまり楽しくなかったこともあり、お笑いも好きだったので、「ちょっとやってみようかな」と思ってぼくも上京しました。

ところが、いざ一緒にお笑いをやってみると、友人からコンビという関係性の変化もあり、楽しい気持ちばかりでは一緒にいられなくなってしまって。結局、ぼくから解散を切り出し、コンビは1年ほどで解散しました。

それでもお笑い自体は好きでしたし、せっかく地元から出て「芸人になる」と決めた以上、すぐに戻るのも情けないなと。だからぼくは、ピンでも新たに合う相方と組んでもどちらでもいいので、そのままお笑いを続けてみることにしました。

──その後に、吉本興業(以下、吉本)が運営するお笑い芸人養成所・NSC(吉本総合芸能学院)に入られたのですね。

お笑いと言えば吉本というイメージがあって。NSCに行って吉本に入ろうと思い、最初のコンビを解散してから1、2年ぐらいはNSCの入学金を貯めるためにアルバイトをしていました。

その後、29歳でNSCに入学しました。

──NSCを卒業後、12年間活動したコンビ「えんにち」を結成した経緯を教えてください。

NSCを卒業してから、そこで知り合った同期とすぐにコンビを組んだのですが、相性の問題もあって、1年ほどで解散してしまって。

ちょうどそのタイミングで、えんにちの元相方も解散していたんです。それで向こうから声をかけてもらい、31歳のときに「えんにち」を結成しました。

──その後は、どのように活動していったのでしょうか。

月に5〜6本は新しいネタをつくって劇場で披露しながら、試行錯誤を繰り返していました。とにかく、日々漫才やネタづくりに真剣に向き合い続けていましたね。

その結果、2014年、40歳のころには埼玉にある「大宮ラクーンよしもと劇場」の劇場メンバーにも選ばれました。

大宮の劇場には毎日のように出ていて、年間1,000回ほどはステージに立っていたんじゃないかと思います。それだけ舞台に立たせてもらえるのは、ありがたかったですし、毎日好きなお笑いの仕事ができて、純粋に楽しかったですね。

大宮とは別の埼玉の劇場で、1,000人規模の単独ライブを開催したこともあります。いつもの大宮の劇場が140席ほどでしたから、当時のぼくにとっては圧倒的な数のお客さんでした。

コンビで活動していた12年間は、本当にずっと楽しくて。だからこそ、ここまで続けることができたのだと思います。

──えんにちが解散した背景についても、お伺いしてもよろしいでしょうか。

元相方から「モチベーションがなくなってしまった」と伝えられ、2017年に解散することになりました。

──元相方の方が、「同じ時期に大宮の劇場に立っていた大宮セブンの仲間、マヂカルラブリーのM-1グランプリでの活躍を見て、解散を考えるようになった」と語っている動画を拝見しましたが……。

本人からそういった話を聞いたことはなく、ぼく自身は知りませんでした。モチベーションが下がっているのであれば、無理に深く聞いても仕方ないと思って、あえて踏み込まなかったんです。決して、仲が悪くなって解散したわけではないのですが。

えんにちを解散したあとに、元相方は芸人を辞めました。ぼくは新たにコンビを組んだ時期もありましたが、2023年からピン芸人として活動しています。

ある「意外な特技」で、51歳にして初著書が発売前重版に

──ピン芸人になられてしばらく経ちましたが、今年(2025年・取材当時)はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

これまでは「芸人」という軸に重きを置いて活動してきたのですが、2025年は世の中のブームなどもあって、自分が12年間続けてきた特技である「編み物」を活かした仕事に振り切る一年にしようと決めて活動を続けてきました。

──任侠芸人なのに編み物。始めたきっかけはなんだったのでしょう?

記事には「もともと刑務所に入っていて、刑務作業で編み物を始めた」という設定で書いておいてください。

──……というのは、アイパー滝沢さんとしてのオフィシャルの理由ですよね?本当の理由を教えていただけますか?(笑)

オフィシャルじゃないとしたらですよ、芸人として、いろいろなところにオーディションに行くじゃないですか。そこで何か一つでもアピールできる、自分の武器になる特技がほしかったからです。

それに、任侠芸人が編み物をやっているって、意外性があって面白いじゃないですか。

そうして編み物を続けるうちに、集中することで瞑想のように気持ちがスッと整う感覚や、自分が作ったものに対して周囲から反応をもらえる喜びに気付き、どんどんハマっていきました。

──アイパーさんの編み物の作品は思わず笑ってしまうようなものばかりで、それ自体がネタになっていますね。

そうなんです。ぼくの編んだ作品をSNSなどで見かけて、「めちゃくちゃ笑っちゃったんです」「私、この編み物を作った人に会いたいと思って」と、ぼくが開いている編み物のワークショップにわざわざ来てくれる人もいるんです。

『アイパー滝沢のポゥシェット編み物道』(日東書院本社)という本も出版させていただくことになったのですが、Amazonの予約販売ページができて1カ月弱で「発売前」重版が決まりました。

──発売前に重版とは、すごいです。ご自身で開催しているワークショップのほかには、どんな編み物のお仕事や活動をされているのか教えてください。

カルチャーセンターで講師を務めたり、個展を開いたり。あとは、編み物イベントの企画など、全国各地でさまざまな活動を行っています。

NHKで10年以上続くハンドメイドの番組『すてきにハンドメイド』にも芸人として初出演しました。

ワークショップは毎週水曜日に原宿で開催していて、はじめての方からリピーターの方まで、幅広い方々に参加していただいていますね。

編み物がうまくなって喜んでいただけたときに、「ああ、やっていてよかったな」としみじみ思います。その反面、もっと分かりやすい教え方をしなきゃいけないなと。でも、教えるための準備も、どれだけ時間がかかっても「やらされている」感がなくて楽しいんです。

思い返すとぼくは、今まで「はたらいている」という実感を持って仕事をしたことがないかもしれません。

──「好きで続けていたらキャリアにつながった」ような感覚でしょうか。

そうですね。ここまで編み物自体がブームになったのははじめてのことですが、編み物が好きだったからこそ、12年もの間自信を持って続けられました。お笑いも同じで、好きだからここまでやってこれたんです。

楽しい気持ちや「好き」を貫いてきた結果、今があるのだと思います。

「もし今日死んだら、自分の人生をどう思う」

──長年はたらいてきたアイパーさん。「好きなことを貫く」ことについて、どう考えていますか?

「好きなことを貫く」というと、「それ以外はやっちゃダメ」と自分を縛ってしまう人も多いと思うんです。でも、そうすると身動きが取れなくなってしまう。

大事なのは、考えが変わっても良いから、自分に正直であり続けることです。それが「自分を貫く」ということですね。

ぼくはたまに、「もし今日死んだら、自分の人生をどう思うだろう」と考えることがあります。好きな人と付き合えなかったとか、思うようにお金を稼げなかったとか、後悔はあります。でも、人生全体を振り返ったときに、「好きに生きてきて、幸せだったな」と思える日々を送ってきました。

好きを貫くというより「自分に正直にはたらき続ける」ことが大切なんじゃないかと思いますね。できるだけ後悔のないように。

──自分に正直に生き続けることは、勇気がなくて難しいと感じる人も多いと思います。そうした20代、30代の読者に向けて、何かメッセージをいただけますか。

正直、ぼくは自然と自分のやりたいことばかりやってきたので、「我慢してきた」という感覚があまりなくて。

同じ気持ちになることは難しいのですが……でも、20代や30代の人たちに、何かビシッとかっこいいことを言いたいんです。ちょっと待ってください(笑)。

そういえば、ぼくは「はじめて〇〇日記」というものをずっとつけているんですよ。

──はじめて〇〇日記?

はじめてやったことを必ず日記に残していくんです。そうすると、自ずと新しいことにワクワクできるし、挑戦することが習慣になります。

今までの環境を捨てて自分に正直に生きることや、挑戦することが怖い方は、こうした小さなことから始めるのも一つの方法です。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

もし、何かに挑戦するべきか悩んでいるなら、やったほうがいいと思います。悩むということは、それだけ興味があるということじゃないですか。しかも、20代や30代なんてまだまだ若い。これをやって失敗したらダメだ、なんて考えすぎる必要はない。

とはいえ、ぼく自身は「若さ」そのものがすべてだとも思っていません。年齢に関係なく、人はいつからでも変われるし、挑戦できると思っています。

いろいろ偉そうなことを言ってしまって、すみません。

でも、「50歳を超えても新たな経験やチャレンジをしながら、自分を貫き、幸せにはたらく人がいる」ということは知っておいてほしいです。

「スタジオパーソル」編集部/文:朝川真帆 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:朝川真帆

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ライター朝川真帆
フリーランス取材ライター。住宅系コミュニティマネージャーとしても活動中。2021年、新卒でコンビニの会社に入社し、数年後結婚を機に上京・退職。2023年に取材ライターとして独立した。現在はキャリアや事例導入、グルメなどのジャンルをメインに執筆中。フジロックのファンサイト、フジロッカーズオルグでもライターとして活動中。管理栄養士資格を持っている。関西出身。

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