暴走族から16歳で少年院。貯金160円で世界一周した私が、障害のある作家とはたらく理由

2026年3月12日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

障害のある作家とともに、新たな文化の創造を目指すブランドでリテール事業部 シニアマネージャーを務める新井博文さん。実店舗やポップアップストアなどを主導し、これまで数多くの企業とのコラボレーションを生み出してきました。

そんな新井さんですが、16歳で少年院に入り、「このままでは人生が終わってしまうかもしれない」と追い詰められた過去がありました。そこから貯金160円で世界一周の船旅へ。ある意味、“普通じゃない”と言われる道を歩んできました。
はたらくことに漠然とした不安があったところから、紆余曲折を経て、今新井さんは、「条件よりも面白いと思えるかどうか、誰とはたらくかが大切な軸」だと語ります。

迷いながらもあきらめずに行動してきた新井さんの歩みをたどりながら、“自分らしくはたらく”ためのヒントを伺います。

暴走族しか居場所がなかった。少年院での生活

──まずは、現在の新井さんの仕事について教えてください。

ヘラルボニーのリテール事業部 シニアマネージャーとして、ブランド全体を統括しています。

ヘラルボニーは、障害のあるアーティストが描いたアートを起点に、さまざまな商品開発や企業とのコラボレーションを行っています。「支援」や「福祉」の文脈ではなく、一つの表現として、ブランドやプロダクトに落とし込み、社会に届けることを目指しています。

そんなブランドを世の中に届ける役割を担う部署が、リテール事業部です。ぼくは店舗運営や企画、マーケティング、ブランディング全般を統括しています。

日々の仕事では、売上や在庫などの数字を見ながら、ただ管理するだけでなく、「どんな商品を、どんな形で届けるか」「次にどんな挑戦をするか」といった方向性を定め、実行に移していきます。

また、ヘラルボニーは多くの企業とコラボレーションを行っているため、その窓口として、企業の担当者と話し合いながら、どんな企画を一緒につくるかを考えています。

──新井さんは、16歳で少年院に入院されたと伺いました。

そうなんです。中学生くらいから暴走族に出入りするようになり、非行に至りました。暴走行為や喧嘩などを繰り返していたので、正直に言うと、少年院に入ることは、まったく予想外の出来事だったわけではありませんでした。

自分たちのやっていることが人の迷惑になっている自覚はありましたし、先輩たちが次々と少年院に入っていくのも見ていました。このまま進めば、いずれ自分も同じ道をたどるだろうな、という感覚はどこかにあったと思います。

──そもそも、なぜ暴走族に入ったのでしょうか?

小学校の低学年からいじめを受けていたり、小学6年生のときに両親が離婚したりして、学校も家族も落ち着く場所ではなかったんですね。

ある日、友人のお兄ちゃんが暴走族をしていたことをきっかけに、自分も出入りするようになって。当時のぼくにはとてもカッコよく見えたし、そこにしか自分の居場所がなかった。暴走行為や喧嘩そのものが好きだったのも否定できませんが、それ以上に、「ここを離れたら孤独しか残らない」という感覚が大きかったと思います。

ただ、居場所とはいえ、決して落ち着く環境ではありませんでした。いつ喧嘩になるか、先輩から何を言われるか、何をされるかも分からない。当時のぼくには「将来どうなりたいか」なんて考える余裕はなかったですね。

──少年院での生活で、将来を描けなかったところから変化はありましたか?

少年院にいる間も、具体的に「出所したらこれをやりたい」というものは、まったくなかったです。少年院では本をたくさん読んでいましたが、社会の情報に触れる機会はすごく限られていて。完全に情報弱者だったので、自分が何をしたいのか以前に、自分に何ができるのか、どんな選択肢があるのかすら分からない状態でした。

ただ、はたらくこと自体への意欲がなかったわけではありません。「再犯しないためには、まずはたらくことが大事」と何度も教わっていましたし、「外に出たらはたらかなきゃいけない」という意識はずっとありました。

──少年院を出たあとは、縁があって植木屋や電気屋ではたらいていたそうですね。

少年院を出るときには職は決まっていなかったのですが、運良く、親戚や知人のつながりではたらける場所にたどり着きました。「運良く」というのには3つあって、一緒にはたらく人はぼくが少年院にいたことを知っていて、なおかつフィーリングが合う上に、仕事にもやりがいがあったんです。

積極的にやりたいことがあるよりも、何をしたらいいのか分からなかった当時のぼくにとって、この3つの要素がバランス良くある職場に縁で出会えたというのは、ファーストキャリアとしてとてもありがたかったですね。

──フィーリングが合う人とともに、やりがいを感じられる仕事をしていた一方で、違和感も抱いていたとか。

先輩たちの姿を見て、このままの生活を続けていたら、自分も同じような人生を歩むのだろうと想像できてしまったんです。

居心地は悪くない。でも、「人生をおもっきり楽しみたい」という自分の本音が、今の延長線上では叶わない気がしていました。

少年院を出て「普通に生きていく」と決めたはずなのに、地元に戻ると、関係が続いていたのは暴走族時代の仲間たちのグループだけで。

また同じ日々に戻るんだろうか、普通に生きていくことがぼくにはできないんだろうかと、不安定で、不安で、いっぱいでした。「このままだと、新井博文としての人生がここで終わってしまうかもしれない」と感じましたね。

「これでいい」から「これがいい」へ。貯金160円で世界一周

──そんな不安や違和感を持っていたところから、新井さんは世界一周の船旅に行くことを決意します。思い切った決断の背景には何があったのでしょうか?

きっかけは、暴走族時代から仲の良かったグループの一人が「俺、大学行くわ」と言ったことでした。目標を見つけて進む彼がまぶしく、同時に、やりたいことが見つからない自分との距離を突きつけられた気がしました。

大学を目指す挑戦をすることに背中を押され、ぼくも転職活動をしてみたんです。地元で一番大きなコンビニに行って、置いてあるフリーペーパーを全部持ち帰り、片っ端から読みましたね。

でも、魅力的な応募にはすべて「高卒以上」「有資格者」と書かれていて、条件を満たせる職場はありませんでした。ページをめくるたびに、「自分は対象外だ」と感じてしまいましたね。こんなに仕事はあるのに、自分が行ける場所はないのかもしれない。社会は自分を必要としていないんじゃないか、と。

そのことを家族に冗談混じりに話したことがあったんです。少年院を出てから時間が経ち、ようやく会話も増えていた頃でした。でも返ってきたのは、「少年院を出た人を雇ってくれるところなんてないんだから、今の職場で普通にはたらきなさい」という言葉でした。

それでもあきらめられず、電気屋の夜勤前には本屋に行き、人に会い、ノートパソコンを買い……もがき続けました。そんなある日、購入した本に書かれていた「『これでいい』じゃなくて、『これがいい』」という言葉に惹かれ、ノートパソコンで著者のことを調べてみることに。「これでいい」「仕方ない」といった選択ばかりを続けていた自分にとって、「これが」いいで選ぶ生き方があることに衝撃を受けたんですよね。

そうして著者のHPで目に留まったのが、「2010年8月出航のピースボート世界一周の船旅に乗船します」という一文。ピースボートとは、国際交流と平和教育を目的としたNGO(非政府組織)が企画・実施している、世界一周クルーズです。当時のぼくにとって未知すぎるもので、パスポートは持っていないし、貯金も160円しかなかったんですが、それでも、「もうこれしかない」と。

──なぜ「もうこれしかない」と踏み出せたのでしょうか?

失うものが何もなかったんです。守るものも、手放したくない地位もなかった。やったことがない世界一周に挑戦したいという気持ちもありましたが、どちらかというと「世界一周しかない」状態だったんですね。

社会にある情報のうち自分が得るものはまだ圧倒的に少ない中で、歩みたい道なんて分からない。一歩下がれば、またもとの道に戻るだけ。追い込まれて、もうこれしかないと。もはや背水の陣で挑んだという感覚が近いです。

──実際に世界一周に出てみて、どんなことを感じましたか?

世界はこんなに面白いんだと驚きました。それまでの自分の世界は、出身地である滋賀県だけ。でも船に乗っていろいろな国に行ってみたら「自分が生きていけそうな場所がほかにもあったんだ」と気付きました。

同時に、こんなに苦しい人生を歩んでいるのは自分だけだと思っていたんですが、一緒に乗船していた人たちと話す中で、「今のままでいいのか分からない」「やりたいことがない」など同じような悩みを持つ人がたくさんいて。自分だけじゃない、自分にも道が開けるかもしれないと、ここではじめて思えたんです。

これは自分にとってとてつもなく大きすぎる価値観の変化で、直感に従って歩むとカルチャーショックどころか、世界はこんなに広がるのか、と。人生初の成功体験になりました。

──世界一周を終えて、ピースボートのスタッフとしてはたらくことを決意されています。当時の心境を教えてください。

帰国してすぐ、現実とのギャップを受け入れるのに時間がかかっていたぼくに、「ピースボートのスタッフにならないか」と声をかけくださったんです。

正直、給与や時間など条件だけで見るとほかにももっと良い環境はありました。前職に戻る選択肢だってあった。それでも、船旅を経験して「自分がやりたいことに従って生きているほうが道は開ける」と知ったから、スタッフとしてはたらくことを決め、6年間続けました。

──6年もの間はたらき続けられた理由はなんだったのでしょうか?

ぼくが実際に経験したように、世界一周で価値観が変わることを、もっと多くの人に体験してほしかったからです。だから、ピースボートではたらいているときも、乗船を迷っている人や不安を抱えている人たちに、自分の経験を伝えて背中を押せたとき、とてつもない喜びを感じました。

そして、乗船を終えて帰ってくる人たちが、すごく活き活きしているのを見ると「ああ、この仕事をやっていて良かったな」と思えました。仕事を通じて多くの人に出会い、いろいろな価値観に触れ、自分自身も学びながら世界中を旅できたので、やりがいしかなかったです。

やりたいことに従い、やりがいを感じながら仕事ができて、人にも恵まれていた。これが6年間はたらき続けられた理由だと思います。

──給与やはたらく時間などの条件よりも、自分の心に従うほうが「楽しく生きる」につながることを、あらためて実感されたんですね。

そうですね。ピースボートを退職後、別会社への転職を経験していて、そこでも給与が上がっても、我慢してはたらくことは自分にとっては幸せではないと感じました。

植木屋や電気屋、ピースボートではたらいた経験、転職活動を通じて、はたらく条件はもちろん大事ですが、ぼくにとって仕事選びの優先順位として一番ではないことに気付いたんですね。

それよりも、仕事を通じて自分が面白いと思えるか、やりたいことに従って、リスペクトできる人が周りにいるかどうか。そこが満たされないと、仕事は長くは続かないなと。

「こんな人たちと一緒にはたらきたい」から始まったヘラルボニーでの挑戦

──そこから、次のキャリアにヘラルボニーを選ばれた背景についても教えてください。

とある展示を訪れて、ヘラルボニーの契約作家さんの作品をはじめて見たときに、シンプルに「めちゃくちゃかっこいい」と思ったんです。固定観念なんてない、異才を放つ作品たちに衝撃を受けました。

そして展示を出てすぐにネットで検索して出てきたのが、今も変わらない「異彩を、放て。」をミッションに掲げる、創業1年目のヘラルボニーでした。

「これはすごい会社を見つけてしまった」と思い、当時関わっていたNPOのチャットグループにヘラルボニーのHPリンクを共有し、「どえらいものを発見しました!」とメッセージを送ったんです。すると、NPOの代表から「松田兄弟と仲良しだから、予定を聞いてみるよ。4人でご飯に行こう」と返信がありました。

そうして、代表である松田崇弥さんと文登さんと一緒に食事をする機会は実現しました。その時点では具体的な仕事の話をしたわけではありませんでしたが、描く未来や人柄に強く惹かれたことを今でも覚えています。

食事会から約2年後にぼくが無職になったタイミングでその内容をFacebookに投稿したところ、代表から仕事のことでメッセージをいただいて。

ヘラルボニーの取り組みに共感もあり、仕事も面白そうだとは思っていたけれど、具体的にどんなことをしているのか分からなかったので、東京に行って再び話をすることになりました。そのときに、「実際にはたらいている社員の方々にも会わせてください」と伝えたんですね。そこで出会ったヘラルボニーのメンバーたちがとても印象に残り、最後の決め手になって入社しました。

──ヘラルボニーではリテール事業部 シニアマネージャーを務められています。具体的な仕事についてもお聞きしたいです。

実店舗やポップアップストアなどはリテール事業部が主導していて、たとえば2022年に行った阪急百貨店うめだ本店での催事は、ヘラルボニーとして過去最大規模の挑戦であり、その企画運営を主導しました。会期は13日間、約90坪の広さを使い、原画約150点を展示した「ヘラルボニーアートコレクション」です。

これまでも全国でポップアップストアはやってきましたが、この規模はまったく別物でした。阪急百貨店の担当の方々と一緒に、企画のすり合わせに始まり、売り場づくり、オペレーション、スケジュール管理など、細やかに調整していきましたね。

延べ数万人の方に足を運んでいただき、「ヘラルボニーの世界観を、これだけ多くの人に届けられた」という実感があり、大きなやりがいとしても印象に残っています。

──今のお仕事は、これまでとはまた違った新しい挑戦だと感じます。これまでの経験で、現在の仕事に活きていることはありますか?

これまでさまざまな場所ではたらくことを通じて、「自分が面白いと思えるか」が仕事選びの大事な軸になるという気付き。これがヘラルボニーではたらいている今につながっているので、培った経験や感覚が活きていることの一つでもあると思っています。

あとは、情報を集め続けることですね。良いアウトプットは、良いインプットから始まります。少年院での生活をきっかけに、本をはじめとして、とにかく多くの情報に触れました。ピースボートでも、さまざまなお客さまの対応をする過程で、求められている必要な情報をそろえることが仕事の質を左右することを実感しました。

自分は学があるタイプではないので、最初から質の高い答えは出せません。だからこそ、情報を取りに行き、それを実行に移して、まずは数をこなしてみる。その中で「これは違う」などを知り、PDCAを回して質を追求できるんだと思います。

質の追求の起点となる、情報を集め続けることはこれまでの経験があったからこそ身に付いたもので、今にも大いに活きています。

「誰とはたらくか」を大事にしてきたからこそ、行動を続けられた

──若者の中には、そもそも自分が何を望んでいるのか、仕事で大事にしたいことは何かがまだ見えていない人もいると思います。そんな若者へ、新井さんならなんと声をかけますか?

「挑戦してどう思われるか」「失敗したらどうしよう」と、自分に矢印を向けすぎなくていいと思っています。大事にしたいことややりたいことなど、ぼくたちは無意識に固定観念や自己認識の中だけで考えがちです。

でも、その枠は会う人や環境によって大きく広がります。今は自分が望むものが分からなくても、自分探しではなく、“世界探し”をすると、もっといろいろな選択肢が見えてきて、そこにあなたの価値観がゆさぶられる何かがあるかもしれない。

世界は思っている以上に豊かで、人は優しいです。外に出てみると、意外と自分のことを受け入れてくれる人は多くいます。実際にぼくも世界一周の船旅に出て、そのことを痛感しました。

だから、会ってみたい人に会いに行く、行ってみたい場所に行ってみる。そんな小さな行動から始めて、それを繰り返すことで、自然と自分が選ぶものが見えてくると思います。

──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

自分らしく、楽しくはたらくことを実現する要素は、「何をするか」「誰とはたらくか」「どこではたらくか」など、人によってさまざまです。そして、その優先順位も十人十色。

ぼくの場合は、はたらく条件よりも、心の底から仕事が面白いと思えているか、やりたい気持ちが動かされるかを優先するほうが、楽しく生きられるタイプだとこれまでの経験を経て気付きました。

そして今、その楽しさは業務内容以上に「誰とはたらくか」で大きく変わることも実感しています。尊敬できる人たちと一緒に取り組める環境では、「自分もここに居ていいんだ」と思えて、自然と前向きに頑張れるんです。

はたらき方の正解は一つではありません。無数にある選択肢の中で、自分が一番ご機嫌でいられる条件は何かを、トライアンドエラーで探してみてほしいです。

(「スタジオパーソル」編集部/文:石田千尋 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:水元琴美)

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ライター石田千尋
1996年、群馬県出身。新卒で人材紹介会社に入社し、キャリアアドバイザーとしてエンジニアやデザイナーなど多様な職種の転職支援に携わる。その後IT企業の人事を経て、現在はWebメディアを中心にライターとして活動。
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