私が16歳で両足切断した理由。パリコレに立つ車椅子モデル・葦原海「それなら、納得できたんです」

2026年6月3日

はたらく情報メディア『スタジオパーソル』が運営するYouTubeでは、仕事終わりの晩酌まで1日密着し、はたらく本音を深掘りする番組をお届けしています。

今回密着したのは、車椅子ユーザーでモデルとして世界を舞台に活躍する葦原海(あしはら みゅう。以下みゅう。)さんです。16歳で交通事故に遭い、両足を切断したみゅうさん。その過酷な運命をポジティブに受け止め、「ないものを数えない」生き方を発信し、多くの人の心を動かしています。

もともと「モデルになりたかったわけではない」と語る彼女は、なぜ表舞台に立ち、ランウェイを歩き続けるのでしょうか。みゅうさんの言葉には「やりたいことがない」と悩む若者の背中を押すヒントがつまっていました。

※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画を一部抜粋・編集してお届けします

モデルになったのは「ランウェイを歩きたいから」ではない

みゅうさんは、車椅子モデルとして国内外で活動しています。パリコレクションをはじめとする海外のファッションショーにも出演するかたわら、企業や学校での講演、メディア出演など、活動の幅を広げ続けています。

国籍や年齢、障害の有無、AIなども含む多様性を尊重したファッションショー『elite Japan Fashion Show』では、羽が舞うようなドレスに身を包み、車椅子でランウェイへ。華やかな装いと堂々とした表情で、多くの観客を魅了しました。

福岡県で開かれた人権啓発イベントでは、トークセッションのゲストとして登壇。「自分らしく生きる」をテーマに自身の経験を語りました。講演後には、ファンの方々との交流も。

「いつもブログを読んでいます」「みゅうちゃんのために福岡に来ました」

そんな言葉に、みゅうさんは笑顔で応えていました。

華やかなステージに、ファンからの温かい声援。モデルとして輝かしい活躍を見せるみゅうさんですが、この仕事を選んだ理由を尋ねると、意外な答えが返ってきました。

「ランウェイを歩きたくてやっているんじゃないんです」

では、なぜ彼女は車椅子モデルとして人前に出る仕事を選んだのでしょうか。

16歳、両足切断。それでも「スッキリした」理由とは

みゅうさんの人生が大きく変わったのは、高校1年生のときでした。交通事故に遭い、両足を切断したのです。

事故に遭い、生死の境をさまよっていたみゅうさん。家族は病院で“娘の足を切断するかしないか”の選択を迫られます。父親は「切断してでも生きる可能性を高めるべきだ」と考えました。一方、母親は「切断したとしても100%助かる保証はない。それなら切断しないまま生存できる可能性に賭けたい」と葛藤します。それでも最終的には、少しでも生存の可能性を高めるため、切断する道が選択されました。

事故当日に両足はすでに切断されましたが、目覚めたみゅうさんに、その事実はすぐには伝えられませんでした。親と医師はみゅうさんが多感な時期をすごす16歳であることを考慮し、伝えるタイミングを慎重に見計っていたのです。

しかしみゅうさんは、ベッドで体を動かした際に上は病院着を着ているのに対し、足にはビニールや包帯のようなものが巻かれていることに違和感を覚えます。そのことを自ら主治医に尋ね、そこではじめて、正式に切断の事実を知ることに――。

切断の事実を聞いた瞬間の気持ちを、みゅうさんはこう語ります。

「スッキリしました。退院はいつなのか、リハビリはいつから始まるのか、看護師さんに聞いてもはっきりとは答えてもらえなくて。切断したと分かって、すべての辻褄が合ったというか。ああ、それならすぐには無理だなってちゃんと納得できたんです」

家族の葛藤とは対照的に、彼女は驚くほど冷静に、そして前向きに、自分の状況を受け入れていました。母親は今でも「切断という選択が正解だったかは分からない」と話しているそうですが、みゅうさんの表情に後悔の色はありません。

たった一つの「好奇心」が新しい道を見せてくれた

退院後、みゅうさんは特別支援学校へ転校して高校を卒業し、デザインの専門学校へ進学しました。そして専門学生時代に、ある転機が訪れます。知人から「NHKの番組内で行われるファッションショーに出てみないか」と声をかけられたのです。

その番組は、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が決まったことを受け、パラスポーツや障害のある方への理解を広げることを目的としたものでした。しかし、みゅうさんがこの話を引き受けたのは、「社会に貢献したい」といった志からではなかったと言います。

「出演を決めたのは『NHKの現場が見れるじゃん!』という好奇心からでした。テレビ番組がどうやってつくられているのか、その過程を見てみたかったんです。当時はモデルになろうという考えはなく、スタッフさんの動きとか、スケジュールの組み方とか、そういった制作の裏側ばかり見ていました」

しかし、ファッションショーが終わったあと、SNSに寄せられた反応を見て、みゅうさんは意外なことに気付きます。コメントのほとんどが、自分と同じように障害がある方や、その家族、福祉関係者からのものだったのです。

「ファッションショーの本来の目的は、『障害のある人“に対する”理解を広げる』ことであったはずなのに、結局はほとんど当事者にしか響いていない。パラスポーツや障害について関心のない人たちにはあまり届いていないんだなって。正直、『これでは大成功とは言えない』と思ってしまって」

本当に伝えたかった相手に、伝わっていない。その現実を目の当たりにしたみゅうさんは、ある想いを抱くようになります。

「もっと、障害に対して興味のない人や身近ではない人の目にも触れるようにしたい。『こういう人間もいるんだよ』と自然に気付いてもらうために、自分が表舞台に立つ活動を続けていきたい——」

この出来事が、みゅうさんのその後の人生に大きな影響を与えることになります。

“当たり前の景色”になるために。目指すはドラマの「脇役」

専門学校卒業後、みゅうさんはテレビ局の子会社へ就職しました。編集チェックの仕事に従事する日々は、とても充実していたと言います。

「やりたいと思って入った会社でしたし、テレビ制作の裏側に触れられるのが本当に楽しくて。『こういう仕組みで番組ができているんだ』と、毎日が発見の連続でした」

しかし、専門学生時代の「関心のない人にこそ、障害のある人の存在を身近に感じてほしい」という消えない想いが、みゅうさんを再び突き動かします。だからこそ、テレビ局に入社すると同時に、モデル活動も本格的に始めました。

そして活動を続ける中で、みゅうさんはある大きな決断を下します。

「今の私は、有給休暇の中でしかモデルの活動ができていない。そのことに気付いたとき、『私はなんのために会社にいるんだろう』と思ったんです。本当はモデルとして世の中に伝えたいことがあるのに、自分で自分の範囲を狭めてしまっているなんて、自分に嘘をついているだけだって」

こうして、みゅうさんは会社を辞め、本格的にモデルの道へと進みはじめました。

現在、みゅうさんが活動する上で大切にしているのは、「さりげなく混ざる」という感覚です。

「普段の生活で障害のある方と接する機会がなければ、自然と遠い存在になってしまいますよね。でも私は、『福祉について勉強しよう』という堅苦しいかたちではなく、ファッションショーやSNS、楽しいイベントを通じて、ふと目に留まる存在でありたい。そういう何気ない接点が、障害のある人のことを知るきっかけになったらうれしいです」

今後の目標を聞くと、みゅうさんはこう答えました。

「ドラマに脇役で出たいです。シーンが学園ならクラスメイトの一人、オフィスなら車椅子の社員の一人、というふうに。みんなの『当たり前の景色に混ざっていく』のが目標です」

迷っているあなたに問う「自分に嘘をついていませんか?」

20歳で安定よりも挑戦を選び、表舞台に立つことを選んだみゅうさん。彼女に、はたらくモヤモヤを抱える若者へのメッセージを伺いました。

「『自分に正直に生きているか』を自分自身に問い続けることが大切だと思っています。その上で、何を優先するかを考えること。遠い目標のために必要なことなら、たとえ今やりたくないことだとしても、それは続けるべきだし、『今すぐ状況を変えたい』と強く思うなら、それは行動を起こすタイミング」

みゅうさんは、これまでの人生の選択の場面で、いつもこの問いと向き合ってきました。

「やりたいことがない人はきっと、自分の気持ちも選択肢も知らないことが多すぎて、まだ見つけられていないだけ。私はモデルの仕事をこんなに長く続けるとは思っていなかったけれど、好奇心で一歩踏み出したからこそ、今がある。目の前のチャンスをまずは掴んで挑戦してみることが、夢を見つけるきっかけになるんだと思います」

自分に正直に、一歩ずつ。みゅうさんの歩みは、これからも続きます。

※今回お伝えし切れなかったフルバージョンの動画はYouTube『スタジオパーソル』にて公開中

(「スタジオパーソル」編集部/文:間宮まさかず 編集:いしかわゆき、おのまり)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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