発達障害で「仕事できない代名詞」も、5分で完売するコルセット発明できた理由。元鈴木さんに聞いた。

2025年5月21日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、様々なコンテンツをお届けしています。
「どうせ30歳で死ぬと思っていたんですよね」

そう語るのは、SNSの総フォロワー数は20万人超え、「元鈴木さん」の通称で知られる株式会社Alyo・取締役社長の大橋茉莉花さん。現在はアパレル事業を中心に4ブランドを展開する実業家です。
SNSでの要望をもとに作った、着脱しやすく優しい付け心地が人気の初期のオリジナルコルセットは、発売後2分で完売。ほかにも、巨大なポケットが付いたアパレル商品など、さまざまなヒット商品を生み出してきました。

そんな順風満帆なキャリアを歩んでいるように見える元鈴木さんですが、かつては家庭でのDVに苦しみながら育ち、希死念慮に駆られた時期があったと言います。さらにはホームレス生活も経験したのだとか……。

絶望の淵に立たされたところから、実業家としてのキャリアを切り開くまでには、元鈴木さんの一貫して「身の丈」ではたらく姿が見えてきました。

情熱も生きる希望も何もなかった。唯一残っていた「自己承認欲求」が仕事のスタートに

──今では実業家として成功を収められている元鈴木さんですが、これまで壮絶な人生を歩まれてきたと聞きました。

幼いころからDVを受けていて、自分に関心を持ってもらえない。そんな家庭環境で育ちました。私には発達障害があるので、「育てにくい子」でもあったんでしょうね。

小学校4年生の時に引っ越しを経験したんですが、新しい小学校でいじめられ、家にも居場所がない状態で。追い詰められ、死のうと思うも、結局勇気が持てず……。

だから人生に何も期待なんてしていなかったんですよね。もちろん将来のことなんて考えられるはずもなく。当時の私は、すでに死んでいるのに身体は生きているような感覚で、日々をただただ受け流していました。

──そこからなぜ、大学に進み、グラビアアイドルの道を選ばれることになったのでしょうか。

英語には興味があったことと、「女に学は必要ねえ」と言う親への反抗心から、奨学金を借りて大学には進学したんです。将来への期待も何もなかった当時の私は、「どうせみんなもやりたいことなんてなくて、本音では毎日ゴロゴロしていたいと思っているはず」と考えながら過ごしていました。

ところが、いざ就活の時期に突入した時、衝撃を受けました。周りはやりたいことへの熱意や、将来への希望について語れる人ばかりだったんですよ。「こんな情熱を抱えた人たちと同じようにはたらくのは絶対に無理だ」と。

それに加え、私は決まった手順をまったく覚えられないので、人並みにはたらくのが難しかったんです。卒業式で証書を受け取る手順すら覚えられず、先生に怒られ続けていたほどです。

アルバイトも数えきれないほど試しましたが、何をやってもダメ。周囲からは「仕事ができない人の代名詞といえば、鈴木(旧姓)茉莉花」と言われていました。そんな自分の特性も相まって、就活をするのはやめたんです。

ただ、そんな中でも「私はこんなにかわいくて面白いのに、その魅力を誰にも知られていないなんてもったいない!」という、「肥大化した自己顕示欲」だけはなぜか持っていて。就職活動をやめてやりたいことがあるわけでもなかったし、「せっかく時間があるなら、この自己顕示欲を満たしてやろう」と、芸能事務所に所属してグラビアの仕事を始めました。

──そうしてグラビアに挑戦するも、ホームレス生活を送られていたとか……。

そうなんです。いざ飛び込んだグラビアの仕事ではお給料がきちんともらえず、自分の生活費すらも稼げない状態で。同時期に「HOOTERS(フーターズ)」というアメリカンレストランでアルバイトも始めることにしました。

採用の合格を知らせる電話で「明日から来られる?」と聞かれて、家もないのに「行きます!」と即答。ド田舎から上京して、出勤後は漫画喫茶に直行する生活が始まりました。はたらきづめで、部屋を借りられるようになるまで、約1カ月はホームレス状態でしたね。

「一発芸」と「コルセット」でオーディションを通過。初めて出会えた「セールス」の仕事

──壮絶な人生ですね……。

23歳くらいまでは自立とは程遠い生活を送っていましたね。でも、生活のために始めたアルバイトではじめて、「私セールスが得意だったんだ」と気付いたんです。

HOOTERS のウェイトレス「HOOTERS GIRL(フーターズ ガール)」の仕事の一つが、お酒を売ること。ある日「売上1位になった従業員にタイ旅行をプレゼントする」と社内キャンペーンが始まったことを機に、どうしてもタイ旅行に行きたかった私は、どうしたら売れるのかをひたすら試行錯誤しました。

この時の私は脳汁(達成感や高揚感を誘う神経伝達物質の俗称)がガンガン出ている状態で。こんな感覚を味わったのははじめてだったんです。

HOOTERS GIRL時代の元鈴木さんと旦那様

そのうち、お酒のショットやお店のオリジナルグッズだけで5〜6時間で20万円分くらい売れるように。基本的にはテーブルごとに接客の担当が付くシステムだったんですが、私がひたすらお酒を売るものだから、テーブルに関係なく、自由に売り歩ける私専用のポジション「ハンター」が誕生したほどです(笑)。

──お酒を売るために、具体的にどういったことをしていたのでしょうか。

カロリーや産地、価格など、売るお酒に関する情報は徹底的に調べた上で、値段なども事前にお客さまにも包み隠さずに伝える。できるだけ分かりやすく、なおかつハイテンションで伝えるようにしていました。

だって、お客さまも同じものを買うなら、ワクワクしながら楽しく買いたいじゃないですか。HOOTERSという場の雰囲気にも合わせて、「ここでしか味わえない楽しさ」を伝える、“エンターテイメント”を大事にしながら仕事に打ち込んでいました。

──“エンターテイメント”ですか?

HOOTERSをやめてからは展示会などで英語対応をするイベントコンパニオンの仕事を始めて、そこでもエンターテイメントでキャリアを切り開いてきました。

お給料のいい案件はオーディションに100人以上が来るんですよ。そうなるとまず顔を覚えてもらわないと、一次審査にすら進めない。そこで考えついたのが「インコのピーちゃん」と「昭和のプロレスラー」の一発芸でした。運動はしたくなかったので、コルセットでくびれを作り、審査員の前で中西学選手のモノマネをしていました(笑)。

コルセットで人一倍くびれた女性が突然そんな芸をしたら、嫌でも覚えるじゃないですか。世の中に英語ができる人ってたくさんいますけど、オーディションでプロレスラーの一発芸ができる女性は当時はいませんでしたから。審査員からのウケも良くて、実際にオーディションの通過率は明らかに上がりました。ちょっと私の“エンタメ”のやり方は極端かもしれませんが(笑)。

──ものすごい勇気ですね……!

ものを売るにも、自分自身を売り込むにも、自分が得意なものと掛け合わせて、一種のエンターテインメントとしてセールスをする。この方法で、オーディションを通過してイベントコンパニオンになってから、1日3箱しか売れていなかったタバコを25箱も売りましたね。

SNSのライブ配信でコルセットやアパレルの商品を紹介している今も、売る商品こそ変わりましたが、「分かりやすく、楽しく伝える」というスタイルは、ずっと一貫しています。

失うものがなければプラスにしかならない。借金をして作った最初のコルセットは販売開始わずか2分で完売

──イベントコンパニオンをしていたところから、なぜ起業してコルセットを作るようになったのでしょうか。

イベントコンパニオンの仕事って、ハイヒールを履いたまま1日立ちっぱなしなんですよ。何年も続けていると足がしんどくて、それが一つの原因となって私は仕事を辞めてしまったんですね。

無職になり、時間を持て余していたので、何か始めてみようとSNSでいろいろ発信をしていたところ、Webの美容ライターの依頼をいただいたんです。

そこで、イベントコンパニオン時代に使っていたコルセットについての記事が30万PVを叩きだすほどにバズりまして。SNSでは毎日100件ほどのメッセージをいただくように。

でも、当時私が推していたコルセットは、着用感はきついし装着が大変だし、日本人の体型に合っているとは到底言えないものばかりだったんです。いただいた相談からも、同じような悩みを抱えている方が多いとわかり、「これだけ悩んでいる人がいるなら、私が作ればいいや!」と思って、29歳でコルセットブランド『Enchanted Corset』を立ち上げました。

個人ではなく会社にしたのは、友達に「個人で作ると税金ヤバいよ」って教えてもらったからで。完全に勢いですね。今振り返ってもよくやれたなと思います。

──キャリアを切り開く、その思い切りの良さはどこからきているんでしょうか。

売るのが得意な根っからの商人だからかな?前例がないことって、大体の人が「前例がないから」という理由でやめてしまうじゃないですか。でも私は「前例がないならこそ、ライバルがいない=ブルーオーシャン(競争の少ない未開拓の市場)じゃん!」と思うんです。

起業当時の私には、失うものなんて何もなかったんです。私にあったのは夫くらいで、その夫は私がどんなことをしても一緒にいてくれる人だと分かっていたので。つまり、挑戦して何かに取り組んだ分だけプラスにしかならないなと。

ただ、日本製にこだわって商品づくりをしていると、自己資金の200万円では足りず……。公庫と銀行から1,000万円ほど借金をして完成させたコルセットの発売前日は、さすがに不安で泣きました。一生かかっても返せない金額ならいっそのこと怖くないけど、なんとか返せるくらいのだったので、より現実味が湧いてきて。

発売日前日「売れなかったらどうしよう」と泣いていたという元鈴木さん

結果的には、ありがたいことに発売から2分で完売して、次の生産をお待たせするほどに好調な滑り出しになりましたが。

自分の「身の丈」で生きる。やりたいことが見つからない人へ伝えたいこと

──元鈴木さんのように、悲観せずに得意なことや自分だからできることに気付くにはどうしたらいいのでしょうか。

まずは、自分の「身の丈」で生きることを大事にしてほしいです。

たとえば、きれいに掃除をして整理整頓ができる人のやり方を、片付けが苦手な人が真似するのは無理じゃないですか。まずは「8割の床が見えている」を目指すべきなのに、完璧に片付いている状態を目指して、できないことばかりに目を向けていると自己肯定感を自分で下げてしまう。

あとは少しでも「嫌だな」「自分には無理だな」と思ったら、スパッとやめるくらいでもいいと思うんです。私も実際、できないことには固執せずにきっぱり諦めてきたからこそ、自己肯定感を下げすぎず、最終的に「本当にできること」が残ったんだと思います。

──最後に、スタジオパーソル読者に、自分だから歩める人生を築いていくためのアドバイスをお願いします。

自分だからできることをまだ見つけていなかったり、やりたいことがなかったりするのは、別に悪いことじゃないですよ。私も本当に最近までやりたいことなんてなかったから。

できないことをやめて、自分が少しでも居心地いいと感じる環境を選び続けているうちに、自然と気付く日が来るんだと思います。私の経験から言えば、こうしたトライアンドエラーを繰り返しながら自己分析をして、少しずつできることを見つけていくのがおすすめです。

まずは、できないことを気に病まないこと。「好きなこと」じゃなくても「できること」を見つけられたら、それでいいんじゃないですかね。

(「スタジオパーソル」編集部/文:粒衣 杏 編集:おのまり・いしかわ ゆき 写真:いしかわ ゆき)

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ライター / 広報粒衣杏
新卒で建設業界の中小企業へ入社。1年半の現場経験を経て、広報・マーケティングチームの立ち上げメンバーとして配属。6年半の間、コーポレートサイト・オウンドメディアサイト運営のかたわら、社内外広報物の制作やイベント運営に携わる。 2024年4月に独立。 現在は中小企業を中心に広報戦略立案やディレクション、ライティング、SNS運用、イベント企画運営まで幅広くサポートする伴走型広報支援を行っている。

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