かまいたち元マネ、吉本辞め28歳で豪州移住。「英語力ないから無理」”ある審査”で50件拒否される

2025年8月20日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、吉本興業でマネージャー兼アイドルとして活躍し、芸人・かまいたちのYouTubeでも人気を集めた樺澤まどかさん。「中学のころから吉本興業に入りたかった」と語る彼女は、早稲田大学理工学部から吉本興業へ新卒入社したものの、28歳で退社。英語力ゼロのままオーストラリアに渡るという大胆な決断をしました。

なぜ彼女は長年の夢だったキャリアを手放したのでしょうか?一大決心に至るまでの過程と、28歳からの海外生活について伺いました。

「吉本ではたらく」は中学生からの夢。早稲田理工からの異色転身

――樺澤さんは吉本興業に新卒入社されています。早稲田大学理工学部という理系ルートから、なぜ吉本興業に?

中学生の時からお笑いが大好きで「将来は吉本に入りたい」と思っていたんです。高校の進路相談で先生に「吉本は学歴主義だから、東大じゃないと無理」と言われたのを真に受けて、受験勉強を頑張りました。全然学歴主義じゃないんですけどね。結局東大は無理で、早稲田に入りました。

――なるほど、吉本興業への入社を見据えた受験だったんですね。

でも、いざ早稲田に入ったら勉強やサークル活動で忙しくて、夢のことはすっかり忘れていました。就活で「あれ?私、吉本行きたいって言っていたな」って思い出したものの、二次で落ちてしまって、受かったのはその後です。他社の内定をもらって内定式に出た後に追加募集があり、ギリギリで採用されました。

――最初はどんな仕事からスタートしたんでしょうか。

1年目は先輩マネージャーの下について、現場を回りました。博多華丸・大吉さん、千鳥さん、次長課長さん、かまいたちさんなど、テレビで見ていた大物ばかり。最初は大興奮で、信じられない気持ちでしたね。

――かまいたちさんに初めて挨拶した時は、どんな会話をしましたか?

最初に「樺澤です」って挨拶したら、「名字珍しっ!」って言われて。濱家さんに「カバ触ったことある?」って聞かれて「ないです」って答えたら、山内さんが「性格はカバサワしてるの?(サバサバしてるの?)」ってかぶせてきて、濱家さんが「言えてへんやないか!」ってツッコんでいました(笑)。初対面で緊張していた私を気遣って、場を和ませてくれたんだと思います。毎日必ず爆笑するくらい楽しかったです。

YouTubeでバズり、ワンマンライブも。名残惜しさを断ち切った上司の一言

――その後、マネージャーとしてかまいたちさんのYouTubeにも出演するようになりましたね。

はい。最初は裏方として手伝っていたんですけど、だんだんスタッフも出演する企画が増えてきて。「冷蔵庫を使わないから棚代わりにして、帽子を収納しています」って話をしたらすごく面白くいじってくれて。動画がバズってから、よく出演させてもらうようになりました。

2025年6月時点で約300万回再生の動画「【トリセツ②】かまいたちが樺澤マネージャーの取扱説明書を作ってみました」

――LINEニュースでも取り上げられるほど認知度が上がりましたが、ご自身ではどう感じましたか?

自分がどうというより「かまいたちってすごい」って思っていました。私がただ思ったことを話しているだけで、2人がそれをちゃんと拾って、めちゃくちゃ面白くしてくれるんです。

――入社1年目から、アイドル活動もしていたとか。

吉本坂46っていう男女混合のアイドルグループに所属していました。かまいたちのYouTubeで認知度が上がってからは、個人でワンマンライブもさせてもらって。自分を推してもらうのは新鮮で、すごく楽しかったです。

――それだけ楽しいことが多いと、退社に悩まなかったんでしょうか。

辞める1カ月前くらいは、めっちゃ悩みました。芸人さんたちに「辞めます」って伝えたら「え、辞めちゃうの?」って寂しそうな顔をされたんです。そんなに求めてもらえていたんだってびっくりして……後ろ髪を引かれる思いでした。それで上司に「辞めるのやめようかなって思っていて」と相談したら「あきらめるくらいなら、本当にやりたいことじゃないんだね」って発破をかけてくれて、腹が決まりました。

――素敵な上司の方ですね。吉本を辞めてから、戻りたいと思ったことはありませんか?

まったくないです。担当タレントも上司も最高だったし、毎日爆笑するくらい楽しかったから、やり切った!って満足しています。

コロナで「もう目が覚めないかも」と思い、海外移住を決断

――吉本を辞めて海外に行くという決断、相当大きな選択だったと思います。そのきっかけはなんだったのでしょうか?

2022年の年末、コロナに感染して一人暮らしの家で療養していたんです。呼吸すら苦しくて、実家の親に「明日、私から連絡がなかったら来て」って言ったくらい不安で。このまま寝たら目が覚めないかも、と不安になりました。

――生命の危機を感じたんですね。

そこではじめて、自分の人生について考えました。これまでは目の前のことにいっぱいいっぱいで、将来のことをちゃんと考える時間がなかったんです。「健康なうちに、後悔しない生き方をしよう」って思いました。

――それで「海外に住もう」と?

はい。留学したいと思ったことさえなかったのに「あ、海外に住みたいな」と急に思い立って、ワーキングホリデー制度について調べました。30歳までの制度で、当時の私は28歳。「すぐ動かなきゃ」と焦って、退職を決断しました。

オーストラリアで学んだ「どうでもいい雑談」の尊さ

――オーストラリアのシドニーに行って、最初はどうでしたか?

シェアハウスに応募したものの、審査に50軒以上落ちてしまって、本当に大変でした。英語が全然話せないから「コミュニケーションしにくい」って理由で大家さんに断られちゃうんですよね。完全に心は折れていましたけど、住む場所が見つからないと生活できないので、探すしかない。1ヶ月ほどホステル暮らしをしながら応募し続けて、何とか見つけました。

――現地ではどんな仕事をしていたんですか?

最初は日本食レストラン、その後はアイスクリーム屋さん、1年後にメルボルンに移ってからはケーキ屋さんではたらきました。どこも時給は2,500〜3,000円くらいで、週4日はたらきつつ、語学学校にも通って、だんだん英語が聞き取れるようになりました。

――文化の違いで印象的だったことは?

毎日いろんな人から「How was your day?(今日どうだった?)」って聞かれることです。初対面の店員さんにも聞かれるから、最初は「え?なんで私の1日に興味があるの?」って戸惑いました。なんて返そうかよく考えて「so-so(まあまあ)」って返したら、「so-soって!」と笑われたりして。みんなもっとラフに「Not bad(悪くない)」って答えるのに、生真面目に考えてるいのがおかしかったみたいです。

――日本にいたころから、そういう雑談が苦手だったんでしょうか?

苦手でした。「これを話す意味はあるのか?」って自問自答してしまうタイプで、誰かの雑談にも「何が言いたいんだろう?」と構えちゃうんです。でもシェアハウスのメンバーが「美味しいサンドイッチ食べた」とか「今日はちょっと眠かった」とか言ってるのを聞いて「会話って、ただ共有するだけでいいんだ」って思えるようになって、自然と人に興味が持てるようになりました。

――いい変化が生まれたんですね。

今までは「自分がどう見られているか」とか、「意味がある行動をしなきゃ」って考えていたけど、それよりも目の前の人と自然体でつながれることが楽しいと思えるようになりました。

思い切って立ち止まってみると、やりたいことに出会える

――移住生活をして、一番良かったことは?

シェアハウスのメンバーと仲良くなれたことです。最初は全然英語がしゃべれなかったけど、「仲良くなりたい」っていう気持ちは伝わるみたいで。毎日みんなが「今日どうだった?」って聞いてくれて、英語もたくさん教えてくれたおかげで、深い会話ができるようになりました。

――英語が上達したんですね。今後の予定は?

イギリスに行きたいです。メルボルンの街並みがすごく好きなので、同じようなアーティスティックな街にまた住んでみたいなって。30代は、いろんな国で暮らしてみたいです。

――28歳で仕事を辞めて海外に渡った決断には、どんな意味があったと思いますか?

自分を知るきっかけになりました。それまでは「仕事を頑張らなきゃ」って気持ちばかりで、目の前のことにいっぱいいっぱいだったんですよね。それも楽しかったけど、自分が何をしたいのか、全然分かっていなかったんです。仕事を辞めて海外に行ってから、SNSで発信したり、服を作ったり絵を描いたりするようになって「私ってこういうことが好きなんだ」って気付きがたくさんあって。立ち止まってみると、やりたいことが見つかるんだって思いました。

――ずっと楽しんでいる印象ですが、これまでの人生で一番幸せだったのはいつでしょうか。

今が一番幸せです。吉本時代も超ハッピーだったし、シドニーやメルボルンでの生活も楽しかったし、今も「また新しい国に行けるかも」って思うとワクワクする。やりたいことをやり続けているおかげで、ハッピーがどんどん重なっていっている感覚で。これからもやりたいことを続けていきます。

(「スタジオパーソル」編集部/取材・文:秋カヲリ 写真:タカハシ郁海 写真提供:樺澤まどかさん)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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