地下アイドル脱退後、米NYで家賃70万の投資家に。超名門UCバークレー卒業後、NY勤務で金融業界へ。

2025年4月18日

はたらく情報メディア『スタジオパーソル』では、「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに様々なコンテンツをお届けしています。

今回取材したのは、「私、今日、このグループ辞めます!」たくさんのファンが見つめるステージ上で、袖のスタッフに中指を立ててグループ脱退を宣言した少女。その一部始終を捉えた動画は瞬く間にSNSで拡散され、大きな話題となりました。

活動名を小野寺ポプコから「onodela」に改名した彼女は、その後アメリカに渡り、名門校を卒業。ニューヨークで個人投資家として活躍し、今ではニューヨークにある家賃70万円のマンションで悠々自適に暮らしています。華々しい生活を手にするまでに抱えた苦悩や葛藤の日々、幸せなキャリアを導くために必要なことはなんなのか、onodelaさんに聞きました。

あこがれだったアイドル人生に、加入1週間で自ら終止符

──2019年にアイドルグループ・asterisk* eastアスタリスク・イーストに加入し、活動をしていたonodelaさん。アイドルになりたいと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

中学生時代から、テレビの中で華やかに活躍するアイドルにずっとあこがれを抱いていました。両親は教育熱心なタイプで、とにかく良い成績を取るようにと勉強漬けの日々。自分の住む場所とは別世界で、たくさんのファンに囲まれながら輝く彼女たちはすごく美しく見えました。

誰かの期待に応えようと自分を抑え込まなくても、ありのままの自分で無償の愛を受け取っていたい。今思えば、そんな願いがアイドルへのあこがれにつながったのかもしれません。

両親からの反対もあり、当時は一歩踏み出せなかったのですが、早稲田大学進学とともに一人暮らしを始めたことで、アイドルの道へ進む決断をしたんです。

──実際のアイドル生活はどうでしたか?

事務所に入った当初は、どんなに輝かしい世界が自分を待ち受けているのだろうと期待でいっぱいでした。でも実際は、思い描いていた世界とは程遠いもので。固い絆で結ばれたメンバーと、力を合わせて高みを目指していくのを夢見ていたのに、加入当初から私だけ仲間外れの状態で、ずっと孤独感を抱いていました。

それでも、心の底から願っていた夢をかなえられたのだから、これも仕事の一つなのだからと割り切るように。当時大学2年生だった私には、この機会を逃したらもうアイドルとして生きていく道はないという怖さもあったかもしれません。

──その後、加入からわずか1週間で、SNSでも大きな話題を集めた脱退宣言に至ります。当時の心境を教えていただけますか?

その日はアイドルとして初めてステージに立つ日でした。メンバーからも運営スタッフからも仲間外れにされていた私は、当日までライブのセットリストも明かされておらず、その場で頭に入れ込むしかなかった。メンバーとは相変わらず険悪なムードで、控え室でも会話はありませんでした。

そして本番直前、事務所の社長から突然解雇を告げられたんです。本当になんの前触れもなくて。あまりの急な出来事に、悶々とした状態で着替えたばかりの衣装から私服に着替え直していたのですが、帰りにほかのメンバーがステージに立っている姿を見た瞬間、猛烈な悔しさが込み上げてきたんです。気付いたら私服のままステージに上がっていました。正直その時のことはあまり覚えていません。たった6ヶ月間のアイドル人生だったけれど、応援してくれたファンの方々に、とにかく自分の想いを伝えたい。真相が闇に包まれたまま、幕引きになるのは嫌だ、その一心だったと思います。

衝撃の引退のその後。留学経験が、自然体でいられる自分を花開かせた

──アイドル引退後は、どのような生活を送っていたのでしょうか?

夢だったアイドルへの道はあきらめましたが、芸能界へのあこがれだけはどうしても消えませんでした。なんとか近い活動をと、グループを脱退した翌月からDJとしての活動をスタート。アイドル脱退騒動が追い風になり、出演オファーも順調に相次ぎました。初めて出演したイベントでの報酬はたったの500円でしたが、それ以上に一人でステージに立てたことが何よりもうれしくて。その後も楽しく活動を続けました。

でもある日、集客に伸び悩む現場で、ふと自分の芸能活動への不安がよぎりました。DJとして過ごしてきた充実した生活も、一過性のものにすぎないのではないか。脱退騒動によって話題を集めているだけで、自分は一発屋で終わってしまうのではないか……と、強い不安に襲われたんです。

そんな折、アイドルになる前に申し込んでいた交換留学の合格通知が届き、悩んだ末に1年間シアトルへ留学することに。幼少期、学業という親が敷いたレールをただ進む自分に違和感を覚えていたにもかかわらず、その道に戻りたいと思うなんて、と迷いもありました。でも、この選択が私の人生に大きな変化をもたらしてくれたんだと、今になって実感しています。

──留学経験が、onodelaさんにもたらした変化とは?

学生時代の私は、周囲の顔色をうかがって自分の立ち居振る舞いを変えたり、考えすぎて何も行動できなかったりしていました。「そうしてほしくない」と感じることがあっても、より状況が悪化するのではと、相手に自分の思いを伝えられずにあきらめてしまっていた。でも留学中に出会った人との交流を通して、自分の気持ちを大切にして自然体で振る舞えるようになった気がするんです。良い意味で、周りも私のことをそこまで深く考えていないんだと気付いて、思いのままに動けるようになったというか。

これまでの人生で触れたことのない異文化や自由主義に魅了され、さまざまな考え方が雑多に共存するシアトルの地で、もっと自分に向き合っていきたいと考えるようにもなりました。交換留学を終え、大学卒業後はカリフォルニア大学バークレー校Haasビジネススクール(以下:UCバークレー校)への進学を決めました。

UCバークレー校 キャンパス内にて

──UCバークレー校では、どのようなことを学んだのでしょうか?

統計学やプログラミング技術を使って、株価などの金融資産の価格を測定・予測する金融工学を専攻しました。

実は高校時代から金融の世界にも興味があって、個人的に勉強していた時期があったんです。基礎的な金融学を一通り学んだ後、この業界でどう差別化できるかを考えた結果、人間の思考だけでは補えない部分をコンピューターで補完する、金融工学に惹かれるようになって。金融の最先端技術を、世界でも研究が進んでいるアメリカの地で学びたいと思ったんです。

──UCバークレー校の卒業式で、学生代表としてスピーチをしたこともSNSで話題となっていましたね。

UCバークレー校 卒業の日

とても光栄で、選ばれたときは本当にうれしかったです。ずっと何かに抑圧されていた人生で、もっと自由に生きて良いのだと気付かせてくれた学友やアメリカでの暮らしに、感謝を述べる気持ちでスピーチをさせてもらいました。

個人投資家×インフルエンサー。ありのままの自分を求めた先に見つけたはたらき方

──UCバークレー校を卒業後は、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか?

現地の投資関連企業に就職し、AIを活用した投資運用の仕事をしていましたが、組織に頼らず自分で生きていく道を探っていきたいという想いから、2025年から個人投資家としてはたらき始めました。同時に、SNSを主戦場としたインフルエンサーとしても活動しています。

グループでメンバーと馴染めなかったり、学生時代も友達がなかなかできなかったりと、幼少期から団体生活があまり得意ではなかったことは自覚していました。そんな中、「個人投資家」というはたらき方があると知り、興味や専門分野も活かせるし、きっと私にとっての天職になるのではないかと考えたんです。

とはいえ、これからずっと一人だけで生計を立てていくと決めたわけではありません。自分をさらに成長させられる環境に出会えたら、会社員の道に戻る選択肢もあるんだろうな、と思っています。

──個人投資家×インフルエンサーという2つのキャリアを同時に歩むのには、どんな理由があるのでしょうか?

投資家としての私も、インフルエンサーとしての私も、どちらも本当の自分であることに変わりはないから、かな。

投資家として活動する私は、勤勉でごく普通な社会人。SNSでの私は、人の気を引くのが好きで、自分の世界観を発信することで人々を魅了できるように頑張っている、目立つタイプの人に見えていると思います。そのどちらの側面も、きっとありのままの私なんですよね。

仕事の傍ら、年の半分は海外旅行に出かける生活
写真は旅先のフランスにて

私自身、どちらの自分もあきらめたくないという想いもあります。考えてみれば、大学に通い、講義を受けながらアイドル活動を続けていたあのころのようなバランスを求めていたのかも。どちらか一方を取るから、もう一方は切り捨てるなんてことはしたくなかった。

──「ありのままの自分でありたい」という想いは、アイドルを志したころからずっと変わらず、onodelaさんの中に生き続けているのですね。

そうかもしれません。私が考える「ありのままの自分」って、本当に大したことないんです。寝て遊んで自由気ままにすごしている小動物のイメージ。

人間って生まれた瞬間はなんのしがらみも感じないじゃないですか。誰の顔色もうかがわずに、本能のままに振る舞える。でも社会に出ていろいろな情報に触れたら、それが自己成長の糧にもなればし、時に心を乱してしまうこともある。現代社会で生きていくにはどうしてもお金が必要だけれど、好き勝手に振る舞うだけでは収入は得られないですしね。

自宅の書斎にて

でも、だからと言って自分らしさをすべて押さえつける必要はないと思います。100%は無理だとしても、「ありのままの自分」と「社会で生きていくために必要な自分」、そのバランスをうまく保っていくことが、心地良いキャリアや人生の扉を開く鍵になるのかなと。

定まらない未来のビジョンも、ありのままの自分らしさの証

──今振り返って、アイドル時代と現在の生活、どちらがより自分らしくいられると感じますか?

心地良いのは今の生活かもしれません。アイドルって愛嬌やカリスマ性といった、数字には表せない要素が成功の決め手になるので、誰かに自分の存在を認めてほしいのに、自分を上手にアピールするのが苦手な私にとってもどかしい部分も多かった。反対に、学業や投資の仕事には明確な評価基準があるし、自分の成果がすぐに数字に表れるので、私にとってはすごくやりやすかったんです。

でも、毎日挑戦の連続で精一杯頑張っていたアイドル時代を振り返ると、愛おしさや未練を感じることもあります。もしかしたらこの先、またアイドルの道を進み始めるかもしれません。

現時点でのビジョンとしては、アメリカで投資家として自分の会社をさらに成長させていくか、日本に戻り芸能活動を再開するか、二つ選択肢を考えています。生活拠点が変わる大きな選択になるので、まだどの道に進むかは決めきれていないです。いずれの道であっても、あるいはまったく別の道であっても、100%の決意を持って進めるようにしたいですね。

──読者に向けて、自分らしく楽しくはたらくためのアドバイスをお願いいたします!

はたらき始めたばかりのころは、経済的な理由や慣れない環境、仕事に精一杯で、今いる状況がすべてだと思い込んでしまう方も多いと思います。でもやっぱり、いろいろな場所で多様な経験をすることで、未来の選択肢はぐっと広がると思うんです。

少し生活に余裕ができたら、「ありのままの自分でいられているか」「本当にやりたいことをやれているか」と自分に問いかけてみてください。そして、もし違うと感じたなら、ぜひ新しいチャレンジをしてみてほしいです。生活に不安があったとしても、金銭面の問題はきっとなんとかなるもの。それよりも、毎日の仕事が心地良く、熱中できるものであることこそが、人生における本当の幸せになると思うから。

(「スタジオパーソル」編集部/文:神田佳恵 編集:おのまり 写真提供:onodela)

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フリーライター神田 佳恵
フリーランスライター 兼 一児の母。取材・インタビュー記事、エンタメコラム、ライブレポートやエッセイなど、複数媒体・分野で執筆活動中。

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