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- 専業主婦が“石鹸”を皮切りに総売上500億円へ。夫レイザーラモンHGが月収7,000円から妻・住谷杏奈が大黒柱に。
専業主婦が“石鹸”を皮切りに総売上500億円へ。夫レイザーラモンHGが月収7,000円から妻・住谷杏奈が大黒柱に。
スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
専業主婦として暮らしていた日々が一変、突然夫が無収入になり、自分が一家の大黒柱に……。そんな過去を持つのは、住谷杏奈さん。タレントとして活動していた最中、レイザーラモンHGさんと結婚し23歳で芸能界を引退。そのあと家族のために商品プロデューサー・実業家としての道を突き進み、現在はサロンオーナーや高校での特別講師としてのキャリアも築いています。
ヒット商品を次々と生み出す成功の裏には、同様に数々の失敗もあったと話す住谷さん。苦境にぶつかっても挑戦をやめずに突き進んできた住谷さんの生きざまには、「はたらく」を楽しくする多くのヒントが詰まっていました。
危険も味わった芸能生活。夫・レイザーラモンHGとの結婚を機に、迷いなく専業主婦の道へ
──ご結婚前はタレントとして活躍されていた住谷さん。芸能界に入ったきっかけを教えてください。

きっかけは、親からのすすめで「劇団東俳」に入団したことです。子役として活動を始め、習い事のような感覚で日本舞踊やバレエ、お芝居などをしながら、ドラマやCMのオーディションも受けていましたね。
小学5年生で親の仕事の都合で地方に引っ越すことになり、しばらく芸能界からは離れていましたが、中学3年生で都内に戻り、渋谷でスカウトされたことで芸能活動を再開。中学から高校までは、女子学生向けのファッション雑誌の撮影に呼んでいただくことが多く、部活動感覚で楽しく参加していました。
高校卒業を目前にそのあとの進路を考えたときに、お声がけをいただいた事務所に所属することを決め、タレントとしての活動を始めました。
──当時を振り返って、特に印象的なエピソードなどはありますか?

事務所に所属して間もないころ、大手カメラメーカー主催のコンテストで優勝し、その副賞として初のグラビア写真集をサイパンで撮影させていただいたのがとても印象に残っています。著名なカメラマンの方に撮影を担当いただき、DVDも同時に発売して、貴重な経験をさせていただきました。
でも、芸能界での経験は決して良い思い出ばかりではありません。一般的にはキラキラした世界だとイメージされやすいと思うのですが、心ない言葉をかけられることもありましたし、容姿を否定され、仕事現場でも冷たくあしらわれることが何度もありました。
──華々しいイメージの芸能界の裏で、つらい経験も……。そのあと23歳という若さでレイザーラモンHGさんと結婚し、間もなく芸能界を引退されていますが、迷いはありませんでしたか?
私自身は売れっ子だったわけではなく、タレントとしての強い目標もなかったので、芸能界にはあまり執着していなかったんです。むしろ学生時代から結婚願望が強いほうだったので、良い出会いがあったらすぐに引退して、専業主婦になりたいと思っていたくらいで。

そんな中で夫と出会い、一途に追いかけてくれる姿にだんだんと心惹かれていって。夫もどちらかというと奥さんには家庭を守ってもらいたいというタイプだったので、お互いの理想がぴったりと噛み合って、迷いなく専業主婦になる道を選びました。
──芸能人から専業主婦になってみて、いかがでしたか?
楽しかったですよ!好きな時間に買い物をして、夫のためにご飯を作って、家事をしながら時間があったらお昼寝して(笑)。一人でいるのも好きでしたし、自分で時間のすごし方を決められる生活はとても幸せでした。
そのあと、専業主婦になって1年ほどしてから、日々の記録や発信を行う場所としてブログを開設。料理や家族のこと、家事や育児に明け暮れる日々の様子も赤裸々に発信したり、時には商品レビューやPRをしたりと、気楽に更新していました。
今となっては多くのママタレントがブログやSNSで発信をしていますが、当時は私のほかに数人ほどしかいなくて。「HGの嫁がブログを始めたぞ」と話題になり、プレビュー数も爆発的に伸びていきました。
夫の窮地に思い立った商品プロデュースの道。逃げ道をなくして売り上げ1,800万円を叩き出す
──専業主婦から現在の実業家に転身するまでには、どのようなきっかけが?

2008年に、夫が仕事で全治2年の大怪我をしてしまい、入院を余儀なくされたんです。仕事もできなくなり、夫の月収は「着ボイス」の印税7,000円のみに。それまでの悠々自適な専業主婦生活から一変、私が家計を支えていかなければならなくなりました。
当時の私は1歳の長男を育てていたので、預け先もすぐに見つからなくてフルタイムの仕事はできず……。とはいえこのままでは生活が立ち行かなくなるので、なんとかして生計を立てようと思いついたのが、商品プロデュース業でした。
何気なく始めたブログは、ありがたいことにたくさんの方に読んでいただき、毎日いろいろな応援の言葉をいただいていて。過去に私がおすすめした商品を実際に買ってくださる方もたくさんいらっしゃったので、「読者の方が喜ぶ商品を、私自身が生み出して販売してみたらどうかな?」と思いついたんです。
──専業主婦として積み上げた過去から、窮地を抜け出す糸口を生み出したのですね。最初に企画した商品は、どのようなものだったのでしょうか?
最初は、子どもとママの肌に優しい、香りの良い石鹸でした。お風呂に入るとき、子ども用と自分用で石鹸を使い分けるのが少し面倒だな、と感じていた自分の体験がひらめきの元になって。毎日の看病で夫の体を拭いてあげる際に、濡れタオルに少し精油を含ませたら、夫から「良い香りだね」と言われた記憶もインスピレーションになりました。
商品開発なんてもちろん未経験でしたが、アイデアが浮かんだからには即行動。製造してくださる工場をネットで探しまくり、手当たり次第に電話でアタックしました。製品化に向けた資金には、これまでブログで得た収益を含む貯金を投入。製造委託先を見つけてからも猛スピードで製品化を進め、着想から約4カ月後には販売を開始。初日に在庫6,000個が即完売し、1,800万円ほどの売り上げを達成しました。
──最初の商品が初日に即完とは……!家事・育児・看病を並行しながら商品開発に勤しむ日々は、あまりに大変だったのでは?
忙しくはありましたが、とても充実していたし、幸せでした。というのも、それまでの夫はとにかくハードワークで、お正月も一緒に過ごしたことは結婚してから一度もありませんでした。子どもも夫の顔を覚えられず、久々に会ったら人見知りしてしまうほどでしたから。もちろん夫の体調や、思うように働くことができず落ち込んでしまった夫への心配はありましたが、やっと訪れた家族の時間を心から楽しみました。

2008年に長男、2011年に長女を出産。
それに、自分が稼ぎ頭になるからには、全力で頑張りたいという想いもありました。本来収入が激減したなら、家賃などの固定費を下げるのが最優先だと思いますが、「今までと同じ暮らしができるくらい稼いでやる!」と覚悟を決めたんです。家賃を下げず、逃げ道をなくして甘えられない環境に身を置いたからこそ、腹を括って奔走でき、成功につながったのかもしれません。
成功と失敗を繰り返しながら築いた、商品プロデュースの極意。ヒントは「手放すこと」
──石鹸プロデュースで成功を収めて以降は、どのようにビジネスを展開されてきたのでしょうか?

以降は子ども服やアパレル商品、マタニティグッズや健康食品など、さまざまな商品企画に挑戦しました。振り返ってみると、今まで挑戦したビジネスのほとんどが実生活からインスパイアされたものばかりでしたね。
安定的に月5億円ほどの売り上げに達するヒット商品もあれば、失敗に終わった事業もありました。ネットが主戦場の販売形態から、実店舗ビジネスに移行したいとチャレンジしたママカフェは、1億円ほどの赤字を生み出してしまいましたし……。
商品プロデュースと並行して、PR事業会社を起業したのですが、ここでも大きな失敗を経験しました。仕事自体は順調だったのですが、代理店から報酬3,000万円が支払われない事態に見舞われたことがあったんです。大きな金額でしたし、法的に闘うこともできましたが、勉強代と思ってその代理店との関係は断ち切りました。
──桁違いの大金ですが、未練や後悔はなかったのでしょうか?
これは私の性格なのですが、お金だけでなく人脈や立場など、あらゆるものに対しての執着心がないんです。常に物事を俯瞰して捉えているというか。

ビジネスでも、お互いにとってWin-Winな関係かどうかを第一に考えます。自分だけでなく、相手にとっても私がメリットを提供できるかどうかを考えるんです。そしてその反対に、向こうからいただいたお話もお互いにフェアではないと感じたらキッパリと手を引きます。モヤモヤしつつもしがみついているだけでは、現状は好転していきませんから。
実際、その未払い問題を抱えていた代理店との関係を断ち切ってから、すぐにうれしいご縁が舞い込みました。手放すことで新たに幸運が舞い込むこともあるし、自分自身も気持ちをリセットして前に進めると、過去の経験が教えてくれたんです。
──ほかにも、過去の経験から教訓を得たことはありますか?
海外のスムージーに着想を得て、フルーツ味の青汁をプロデュースした経験もとても勉強になりましたね。今でこそ一般的になったフルーツ味の青汁ですが、私が売り出した当時は「青汁は苦い」というイメージが強く、まったく売れなかったんです。しかし、それから数年経ったころにフルーツ味の青汁ブームがやってきて、「世に出すのが早すぎたのだな」と学びましたね。
どんなに今までにない画期的な商品でも、あまりに新しすぎるものはすぐには浸透しないようで。実は今も頭の中に新商品のアイデアがたくさんあるのですが、絶好のタイミングまで眠らせているものもいくつかあるんですよ。
サロン運営から講師業、型にはまらない活躍。柔軟な思考と実績が、はたらくを楽しくする味方に
──現在の住谷さんは、どのような事業を展開されているのですか?
「annfism」「東京美髪研究所」などのビューティーサロン・ヘアサロンの経営や、ヘアケアブランド「Crème de Ann(クレムドアン)」のプロデュースを行っています。販売しているクリームシャンプーは、ネット販売だけでなくバラエティショップなどでも取り扱っていただいています。

また2025年からは、芸能や美容、ファッションなどのプロフェッショナルを養成する「ブレア学園」での特別講師を担当しています。コース修了までに実際にオリジナル商品を完成させるというカリキュラムで、商品成分やマーケティング、PR手法など、これまでに私が培った知見やノウハウをお伝えしています。意欲的な学生の皆さんに刺激を受けつつ、私自身も対話の中から新たなビジネスのヒントを得られて、日々楽しくお仕事させていただいています。
──プロデュース業からさらに講師業という、新たな領域も開拓されているのですね。近々、新商品リリースの予定などはありますか?
今秋、私がプロデュースする粘膜ケアブランド「ANZBEAUTE(アンズボーテ)」をローンチします。
これまでのフェムケアは「外側を洗うケア」が主流でしたが、内外両面からアプローチできるプロダクトを開発しました。今回は「飲む粘膜ケア美容ゼリー」と「粘膜ケアウォッシュ」の2アイテムを同時に発売します。

年齢やストレス、ホルモンバランスの変化によって、粘膜の潤いは静かに失われていきます。私自身も「違和感」を抱えながら“年齢のせいかな”と片付けてしまっていた時期がありました。でも実は、多くの女性が同じ悩みを抱えているのです。だからこそ、口に出せなかった声に寄り添えるケアを届けたいと思ったんです。
粘膜は“内と外”の両方から整えることが大切。ゼリーとウォッシュ、両方を合わせて初めて完成するのが、ANZBEAUTEが提案する「フェムケア2.0」です。毎日の中で習慣化することで、美しさの循環が生まれる──それを多くの女性に体感していただきたいと思っています。
──パートナーも仕事復帰され、専業主婦に戻ることもできる中、それでもプロデュース業を続けられる理由は?

自分の感性を発揮してアイデアを形にして、たくさんの方に商品やサービスを喜んでいただけるのが、何よりうれしいですし、自分の存在意義につながっています。
結婚前のタレント時代は、所属事務所の方針などもあり、ファッションやヘアスタイルを自分で決められないところに息苦しさを感じていました。駆け出し時代は仕事も選べないので、受け身でオファーを待っている状況にもモヤモヤしていたんです。
でも今は、自分でなんでも決められるし、心から自信を持てる商品に全力を注げる。なんの肩書きもない、専業主婦からのスタートだからこそ、将来どうなりたいのか自分で理想を思い描いて、実績をつくってこられたんです。自分で積み上げたものがあれば、その先どんな場所に出たとしても、なりたい自分の姿でいられる。そんな今のはたらき方が、すごく居心地良く感じています。
──最後に、スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
モヤモヤしているときって、「このままじゃいけない気がする」という焦りを抱えているんだと思います。すぐに一歩踏み出して現状を変えられたらそれで良いけれど、焦る理由も分からないのに心がソワソワしてしまうこともありますよね。
今のままでは納得できないけれど、現状を変えるために、何から始めたらいいのかすらわからない……。そうした状態のときは、視野が狭くなって考えが凝り固まってしまっているんだと思うんです。だから、何が正解か不正解かに固執せず、どんな自分になりたいのかをまずは考えてほしいです。
お金持ちになりたいと思うのであれば、自分にできることの中でプロセスを組み立ていく。ただタワーマンションに住みたい!高級外車に乗りたい!という願望だけでは、確固たる地位は築けずに成功もできないように。
一見、遠回りだと思えることが実は近道だったり、不必要に思えることが糸口になったりと、思考を柔軟にするとさまざまな可能性が見えてくるものです。そうして少しずつ行動につなげていけば、自ずと経験と実績はついてきます。人脈より、自ら積み上げた実績のほうが確かな将来の自分の味方になってくれる。凝り固まった考え方を一度手放して、軽やかに行動できたら、毎日がどんどん楽しくなっていくのではないでしょうか。
“もったいない”という気持ちを捨てて、いつでも人生はリセットできると信じて、踏み出してみてほしいです。

(「スタジオパーソル」編集部/文・写真:神田佳恵 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:住谷杏奈)
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