水出し緑茶のテイクアウトサービス「朝ボトル」って?伊勢の茶農家3代目が新しい価値を生み出すまで

2023年11月29日

2022年、「GOOD DESIGN AWARD」でグッドデザイン賞を受賞した、水出し緑茶のテイクアウトサービス「朝ボトル」。この商品は、名古屋市西区那古野(なごの)にある伊勢茶専門カフェ「mirume深緑茶房」で販売中です。店がオープンした2021年5月に「朝ボトル」を売り出すと、「どうせ買うならおいしいお茶がいい」「気軽に伊勢茶を楽しめる」とビジネスパーソンから口コミが広がり、1カ月半後には完売する日が出るようになりました。

利用方法はいたってシンプルです。朝8時~10時の間に、店先のカウンターで水出し緑茶を受け取って、飲み終わったらそのままボトルを返却するだけ。価格は1本300円。飲みきった後は水を入れて振るだけで最大3回まで飲めます。

パッケージの数字は「3回飲める」ことを表している

開発したのは、伊勢の茶農家の3代目であり、「mirume深緑茶房」店長の松本壮真さんです。このアイデアは、店の前を通るオフィスワーカーが多いことから思い付いたそう。

人の習慣をつくのは結構難しいんです。だったら人の習慣の中にサービスを入れてもらう方が早いなと思って。オフィスに通われる皆さんなら、少なくとも何かしら仕事中にむはず。伊勢茶を毎日の習慣の取り入れてもらおうと思ったんで

今年35歳になる松本さん。今でこそお茶に一生を捧げる彼ですが、20代はまったく異なることに挑戦していました。「今ではお茶は家族のような存在です」と語る、彼の歩みを聞きました。

松本壮真さん

のどかな山々に囲まれて育った少年時代

1988年、松本さんは人口4,900人ほどの三重県松阪市飯南町で生まれました。実家は祖父の代から続く茶農家を営んでおり、物心つくころからお茶のある生活が当たり前だったそう。「家の冷蔵庫には父のお茶がいつもストックされていて、毎日飲んでいましたね」と松本さんは振り返ります。

松本さんが11歳のころ、父親が近隣の茶農家とタッグを組み、「有限会社 深緑茶房」を設立。同社は栽培、加工、焙煎という、茶作りにおけるすべての工程を自社で行っていました。

全国で3位のお茶の産地である三重県で採れたものは、「伊勢茶」と呼ばれます。恵まれた立地条件で栽培するため、葉肉が厚く、コクのある味わいが特徴です。同社も伊勢茶を丹精込めて育て続け、2006年には茶作りの姿勢と地域に貢献する取り組みが評価され、農林水産祭で『天皇杯』を受賞。その後も深緑茶房は地産地消のお茶づくりに取り組んできました。

飯南町の茶畑の風景

広大な茶畑が広がる町を、自転車で走り回るような幼少期を過ごした松本さん。地元の高校を卒業後は、「一度は地元から離れよう」と思ったことから、群馬県にある市立高崎経済大学に進学。縁もゆかりもない場所でしたが、方言や食べ物の違いを新鮮に感じながら4年間を過ごしました。

ヘルニアに悩まされながらの“自分探し”

卒業後は東京に本社を持つ大手飲食チェーン店に就職。もともと料理を作ることが好きだった松本さんは、数ヵ月で中華鍋を振るわせてもらうようになりました。

当時、両親から家業を継ぐように言われたことはなかったものの、「いつかは茶農家になるかもしれない」という気持ちがうっすらとあったそう。ただ、「何か一つ、自分に自信が持てるようなことをしたい」という思いから、お茶とは異なる業界で頑張ることにしました。

入社して1年が経とうとしていたある日、思いもよらぬ出来事が起こります。立てなくなるほど腰に激痛が走ったのです。すぐさま病院に行くと、椎間板ヘルニアと診断されました。なかなか回復しないことから手術を余儀なくされた松本さんは、退院後、「まだ何も成し遂げていない!」と考え、大学時代を過ごした群馬県に戻ります。そこで「自分の店をつくる」という目標を掲げ、派遣会社に登録してお金を貯めることに。1年後、目標金額100万円を元手に物件探しを始めました。

そのころ、松本さんは「人が集まる場所がいいから、居酒屋を開こう」と考えていました。ただ、なかなかいい場所に恵まれず、時間だけが過ぎていきます。2014年のある日、電話で母親から「テレビで観たんだけど、キッチンカーっていうのがあるらしいよ」と聞きます。当時、調理販売が目的の車で起業する人はそれほど多くありませんでしたが、松本さんは「これだ!」と思ったそう。

そもそもサラリーマン経験もないぼくが居酒屋を始めても、お客さんに喜んでもらえるだろうかと迷っていた時期でした。でも設備を移動できるなら、世代の近い大学生をターゲットにできるなって。家飲みをする学生さんに料理を提供しようと考えたんです」

さっそく松本さんは足らない資金を銀行から借り、300万円で1.5トンのトラックを改造したキッチンカーを購入。その後、縁あってイベント会社から依頼を受けるようになり、夏祭りや住宅展示場に出向くようになります。

親族の葬儀で感じた、“まち”の文化が失われていく淋しさ

キッチンカーの仕事を始めて2年が経つと、仕事はどんどん忙しくなりました。ふと、松本さんは時間に追われる毎日に疑問を感じます。

「生活やお金を稼ぐためだけに始めたんじゃないのになぁ……

心のモヤモヤが消えぬまま続けていた2016年12月、またもやヘルニアが松本さんを襲いました。狭い厨房を動き回るので中腰になったり、飲食店の時よりも重い物を持ったりしたことが原因だったと言います。今回は三重県にいったん帰り、2度目の手術を受けました。

じっとしていることが歯がゆかったのか、年明けに群馬県へ戻り、キッチンカーを運転して依頼を受けたイベントに参加します。けれど長時間は営業できない状態……。「これからどうしようかなぁ」と、悶々とする日々が続きました。

2017年の8月、ある転機が訪れます。

帰省したタイミングで、実家の近くに住んでいる親戚のおばさんが亡くなったんです。地元ではその人の家にみんなが集まって葬儀を行う風習があったんですね。その日はぼく含めて20人くらいの人が集まりました。でも、その場で段取り把握しているのは、80歳代のおじいさん1人だけで。その場にいながら、『ああ、こうやって“まち”の文化が終わっていくのか』って淋しさを覚えました

まるで生まれ育った場所が消えてしまうように感じ、松本さんはこのように決断します。

「地元に帰って、自分ができることをしよう」

すぐに両親に相談し、松本さんは父親の会社ではたらくことにしました。ただ、農業の知識がほぼゼロだったため、入社前に2年間、東京にある「AFJ日本農業経営大学校」で学ぶことに。この学校は授業のほかに実習や研修カリキュラムが充実していました。実習先でブドウ農家の経営者に出会い、松本さんは農業の「忙しくて自由がなさそう」というイメージが変わったと言います。

その人は、閑散期に新しいチャレンジをしていたり、地域の人を集めて勉強会をしたりしていて。仕事に追われるというより、継続性がある取り組みを進んで行っていました。誰かに言われるがままじゃなく、自分なりに販売ルートを開拓していることがぼくの理想像に近いなと思ったんです」

孤高のカフェ店長、奔走する

卒業後、2018年12月に「有限会社 深緑茶房」に入社し、「さぁ、お茶作りだ!」と意気込んでいると、父から思いがけない提案がありました。

「名古屋にあるカフェの店長をしてもらえないか?」

深緑茶房は、茶栽培だけでなく、自社で採れた伊勢茶を提供するカフェをいくつか経営していました。その一つである名古屋駅前にあるカフェの店長が辞めることになり、後任を探しているとのことでした。

松本さんはその頼みを引き受け、名古屋に拠点を移します。ですが、いざ店に赴任してみると愕然としたそう。オープンして5年を迎えた店は家賃が高いこともあり赤字続きだったのです。

また、伊勢茶のカフェではあるものの、看板メニューは抹茶パフェなどが中心でお茶にスポットライトがまったく当たっていませんでした。「これでは、本末転倒じゃないか?」と感じた松本さんは、思い切って売り上げの8割を占めていたデザートメニューをなくそうと考えます。社内から「せめて抹茶ソフトクリームだけでも残すべきでは?」などという意見もありましたが、松本さんは譲りませんでした。

「デザートを売り続けていたら、『あそこはパフェのお店だから、 お店でお茶を買おう』とはならないですよね。『伊勢茶がおいしい』と伝えることに全振りすれば、伊勢茶を購入してくれる人が増えると思ったんです

2019年5月、日本茶を中心としたメニューに一新。甘味は大福や饅頭、チーズケーキなどシンプルなものを提供しました。最初の数ヵ月は来店した客の一人ひとりにメニューの変更を説明し、「日本茶を気軽に楽しんでもらいたい」というお店のコンセプトを伝えることに力を注ぎます。

あえて流行にのらない戦略

「お茶を本格的に楽しむ店」へとリニューアルするにあたり、松本さんには一つのこだわりがありました。会社の畑で栽培する「やぶきた」という茶葉のみを提供することにしたのです。

「やぶきた」とは、日本で最も栽培されているスタンダードな茶葉のこと。近年、「さまざまな品種の違いを楽しむ」というブームがあるなか、なぜ1種類にこだわったのか?それは、「お茶農家の店だからこそ」という思いがあったからでした。

お茶は機械で摘んで加工するので、違う種類を同時に摘むことができません。摘む時期のピークが被る場合はタイミングを少しずらして収穫しますが、当然摘むのに適した期間も限られるので、一つの農家で扱えるのはせいぜい10品種ぐらいまでが限度です。そうなってくると、電話1本で20種類以上を集められる問屋さんと同じ土俵に立つのは、正直難しくて。それよりも、『技術で味を変える』っていう農家の強みを生かすべきだと思ったんです」

お茶には、栽培、加工、焙煎という段階があり、それぞれの工程に変化を加えると、でき上がるお茶はまったく違った味わいになります。たとえば、露地栽培なのか、遮光資材で覆う被覆栽培なのか。加工には蒸しや揉み込みの仕方、焙煎には火入れする温度を調整するなど……。これらを茶農家が一貫して手掛けるからこそ、その違いを生み出せるのです。松本さんはそこに着目し、6種類の「やぶきた」をお店で出すことにしました。

「とはいえ、実家でも8つの品種を栽培しているんですが、お客さんに『こんなに違うんだ!』というのを感じてもらいたくて、『やぶきた』だけで勝負しました」と松本さん。この決断が功を奏し、カフェの経営は少しずつ上向きになります。

「急須から淹れる方法や水出しの回数だけでも、味の深みが変わるんです」と松本さん

しかし、2020年に入ると新型コロナウイルスの影響がジワジワと迫り、1日数千円しか売り上げが立たない日が続きました。「すぐに対応しないと手遅れになる」と思った松本さんは、4月に会社に相談。年内に名古屋のカフェを撤退させることにしました。

今後の松本さんの行き場について、経営陣から「小さな規模で移転するか、地元に帰ってお茶の生産をするか。壮真くんが一人でやっていく道もあると思う」という意見が出ます。

スタッフや閉店を残念がる客たちの声もあり、松本さんは「新しい店をつくるべきだ」という気持ちがありました。ただ、今はコロナ禍で先行きが不透明な状況……。会社にリスクを抱えさせたくないと考え、「独立して、名古屋で事業を継続します!」と会社の人たちや家族に伝えました。

自ら出資金を断って銀行から融資を受け、同年9月に「株式会社 T-BOX」を設立。日本茶をカジュアルに楽しんでもらえる店を、自らの手で開く準備に乗り出しました。成功する保証もない中、なぜ松本さんは潔く行動できたのでしょうか。

性格的に、リスクに対して鈍感だからかな(笑)。今までの経験上、なんともならなかったことは1度もなかったんですね。『100点は取れないけど、80点なら出せるかも』と考えているから、どんどんチャレンジできるのかもしれません」

「mirume深緑茶房」の「急須のお茶と伊勢茶のチーズケーキ」

「朝ボトル」で売り上げが1.8倍になった

2021年5月、松本さんは名古屋市西区の那古野にて伊勢茶専門カフェ「mirume深緑茶房」をオープンしました。「みるめ」というのは「若い芽」という意味。独立しても以前の店舗を移転するというような気持ちで取り組んだことから、実家の会社名を入れたと言います。

「mirume深緑茶房」の外観

前述の通り、同店では店頭で「朝ボトル」を販売し、名古屋市内のビジネスパーソンから少しずつ人気を集めます。また、伊勢茶のテイクアウトサービスという取り組みが珍しく、新聞やテレビからの取材が舞い込みました。

「お店の立ち上げから朝ボトルができるまで、いろんな人の支えがありました」と松本さんは振り返ります。

農業学校の授業でお世話になった華道の先生に、日本茶を嫌いな人って意外と少ないから、ビジネスチャンスがあると思うよ』という意見をいただいたんです。でも、日本茶を気軽に楽しめる場所ってあんまりないですよね『もっとカジュアルにお茶を楽しめる方法ってなんだろう?』って、そこから考えるようになりました

まず考えたのが、ビジネスパーソンをターゲットにした月額制のお茶の販売。コロナ禍が落ち着きを見せれば、ほとんどの人が出社すると見込んでの企画でした。そこで、農業学校の実習でお世話になったコンサルティング会社「kenma」代表の今井裕平さんに相談すると、「コーヒーなら分かるけど、お茶を毎日買う人はそれほど多くないから、単発での販売の方がいいよ」とアドバイスを受けました。

「たしかに言う通りだなぁ」と思った松本さん。話を聞いてもらう中で、「通勤中の朝に売る予定だから、『朝ボトル』にしよう!」と名前が決まります。その後、今井さんにパッケージのデザインをお願いすることになり、何度も打ち合わせを重ねました。

ある日、今井さんから『店先に大きな穴を作って、そこにボトルが入るようにしたらどう?』と言われ。最初はピンとこなかったんですけど、このアイデアは秀逸でした通りかかる人たちが興味津々で覗き、ボトルが入っていなくても『この穴はね』と一緒にいる人に説明る姿を見かけるようになったんです。これを普通に並べただけだったら、目立たなかったと思います

店先にある「朝ボトル」を入れる穴

目新しさはあったものの、発売当初は認知されずに閑古鳥が鳴いていました。けれど少しずつ口コミが広がり、1カ月半後には売り切れる日がでてきます。その後、店の1階で販売するテイクアウトのお茶やお菓子を買い求める人、2階のカフェにも客が訪れるようになり、オープン当時と比べると1.8倍の売り上げに。もちろん朝ボトルのお茶は「有限会社 深緑茶房」が手掛ける伊勢茶で、家業の発展にも大きく貢献しました。

茶農家の子どもとして生まれたことは“ギフト”

現在、「mirume深緑茶房」にはさまざまな企業からのコラボ依頼が届くそうです。今年9月、名古屋マリオットアソシアホテルからは、改装したスイートルームの各部屋で、同店が販売する伊勢茶が急須とともに設置されました。「宿泊者にお茶を自ら淹れる体験をしてもらいたいとのことで、いろいろ協力させてもらいました!」と松本さんはうれしそうに言います。

そのほかにも、松本さんは地域の子どもたちが家族へお茶の淹れ方を伝えるワークショップを店内で開催するなど、日本茶への認知が広がる活動を行っています。

取材時、松本さんより急須からのお茶の入れ方の説明を受けた

松本さんは「多くの人にお茶を広めたいのは、地元を大切にしたいから」と話します。

飯南町は過疎化進む一方なんです。茶農家の高齢化んでいて、耕作放棄地にソーラーパネルが設置されている現状がありますすごく悲しいし、このままではいけないなと。お茶産業が衰退している新しい挑戦をしないのは緩やかに死んでいくことと同じです……。ぼくにできることは、茶農家の収入のベースをもっと増やして、次世代の人たちがチャレンジできる環境を増やすことだと思っています」

茶畑だった場所にソーラーパネルが設置されている飯南町

松本さんは、お茶に情熱を燃やすことを「神様からのギフト」と言います。

「茶農家の息子として生まれたことは、自分で選んだわけではありません。だから『お茶が好きなの?』と聞かれても答えられないんです(笑)。お茶はぼくに与えられたギフトだと思うから、次につなげようって。なんというか、『家族に長生きしてほしい』って思うのと近いんです」

最後に、「そのためにも、格式高いイメージのある日本茶の文化を少しでも変えたい」と松本さんは語りました。自分の道を探して辿り着いたお茶への思い、故郷の大切さを胸に、今日も彼は邁進しています。

(文・写真:池田アユリ 画像提供:松本壮真さん)

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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
インタビューライターとして年間100人のペースでインタビュー取材を行う。社交ダンスの講師としても活動。誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。2021年10月より横浜から奈良に移住。4人姉妹の長女。
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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
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