楽天ドラ1投手・森雄大→28歳で戦力外。早朝2:50起き、魚市場で“マグロ競り”する現在
はたらく情報メディア『スタジオパーソル』が運営するYouTubeでは、仕事終わりの晩酌まで1日密着し、はたらく本音を深掘りする番組をお届けしています。
今回密着したのは、宮城県仙台市に本拠地を構える東北楽天ゴールデンイーグルスに2012年ドラフト1位で入団した投手で、現在は回転寿司店の仕入れと水産加工会社の広報部長を兼任する森雄大さん。大谷翔平選手らと同期の“黄金世代”として注目されるも、度重なる怪我により2022年に現役を引退。その数日後にはまったく未経験の魚市場へと飛び込みました。
午前2時50分に起床し、市場でのセリと営業職という二つの仕事をフルタイムでこなす日々。プロ野球選手という過去の経験を糧にしながら、「自分で選んだ道を正解にする」と語る森さんに、セカンドキャリアを前向きに歩むためのヒントを伺いました。
午前2時50分起床。元ドラ1投手の新しい舞台は「魚市場」
元・東北楽天ゴールデンイーグルスのドラフト1位投手、森雄大さんは現在、回転寿司チェーン店『廻鮮寿司塩釜港』で海産物の仕入れを担当し、同じグループの水産加工会社である『ヤママサ』の広報部長も兼任しています。2022年に戦力外通告を受けて現役を引退した後、東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地でもある宮城県仙台市で、新たなキャリアを歩み始めました。

「だいたい2時50分ぐらいに起きて、20時ぐらいには寝ています。この生活には慣れましたね」
午前4時20分、森さんは塩釜市魚市場に到着しました。水槽の手入れや冷凍品の運搬をこなし、セリに備えます。
午前5時になると1回目のセリが開始。仙台店を含む宮城県4店舗と銀座店の計5店舗分の海産物を仕入れます。いったん塩釜市にある本店へ戻ると、大量の魚を各店舗に振り分ける作業が始まりました。「この作業が一番大変です」と森さんは言いますが、休む間もなく午前7時には2回目のセリへ。目まぐるしいスケジュールです。
宮城県塩釜市にある塩釜港は、日本トップクラスの生マグロ水揚げ量を誇る漁港です。本マグロやめばちマグロが並ぶ中、森さんは尾の部分に注目します。尾は、鮮度や肉質、脂の乗り具合などマグロの品質を判断するための重要な部位なのだそう。

「セリは一瞬の判断が勝負。2秒でも躊躇したらほかの人に取られてしまうんです。まだ緊張しますね」
ほかの仲買人との競り合いの末、見事に狙いのマグロを落札した森さん。かつてドラフト1位投手としてプロ野球のマウンドに立っていた森さんは、今では品質を見抜く確かな目利きを備える魚のプロとして、真剣勝負の日々をすごしています。
そして午後2時、森さんは「タラ」を加工・販売するヤママサへ。ここでは広報部長として、JALファーストクラスにも採用されるタラのフィレの営業や、展示会での商談を担当しています。塩釜港とヤママサ、2つの会社での仕事をこなす森さんの一日は、休む間もなくすぎていきます。

指に違和感、手術で引退を覚悟。「いつクビになってもおかしくなかった」
なぜ森さんは、プロ野球を離れて寿司屋の仕入れ人という職を選んだのでしょうか。
森さんは野球を始めた幼いころから「プロ野球選手ってかっこいい」というあこがれはあったものの、それは漠然としたものでした。「まさか自分がプロになれるとは思っていなかった」と当時を振り返りますが、2012年、その夢が現実になります。
森雄大さんは東北楽天ゴールデンイーグルスと広島東洋カープからドラフト1位で指名されたのです。のちにメジャーリーグでも活躍する大谷翔平選手や藤浪晋太郎選手と同期という、そうそうたる顔ぶれの中でのプロ入り。そんな環境でプロの世界に入った森さんでしたが、不思議にも手応えがあったと言います。
「正直、『とんでもないところに来た』という感覚よりは、『自分もやれるんじゃないか』という感覚のほうが強かったです。みんな凄かったですけど、根拠のない自信というか、怖さよりはワクワクしていましたね」
現役生活2年目の終わりには、21歳以下の選手を対象とした「侍ジャパン21Uワールドカップ」日本代表にも選出され、鈴木誠也選手らとともにプレー。3年目まで順調に実績を重ね、一軍で登板していました。しかし、4年目のキャンプシーズンから、森さんは指先に違和感を覚え始めます。
「ストレートを投げるとき、自分の思った感じの指のかかりじゃなくて。痛くはないんですけど、投げていてもどこか気持ち悪くて……」
頭で描くイメージと、実際に投げるボールに少しずつズレが生じる感覚に不安を覚え始めた森さん。7〜8年目に、肘の靭帯を再建するトミー・ジョン手術と、神経・血管の圧迫を取り除く胸郭出口症候群の手術をほぼ同時に受けることになります。いずれも投手生命に関わる大手術でした。
そのころから「いつクビになってもおかしくない」と覚悟していたと森さんは言います。手術後は、投げることへの恐怖とも向き合う日々が続きました。
「キャッチボールをするのも怖かった。でも、乗り越えていかないと誰も助けてくれない。やるしかない」

コーチや監督に不調を訴えれば、試合に出られなくなるかもしれない。プロの世界では、体の痛みや違和感を抱えながらも投げつづけることが当たり前。森さんは、孤独な戦いを続けました。
2022年11月、いつか来るかもしれないと感じていたその知らせが、ついに届きます。戦力外通告です。
引退3日後「寿司の仕入れ人」に。何があった?
「現役生活には限界を感じていましたし、プロ以外の場所で野球を続けるイメージも湧きませんでした。すでに仕事の話もいくつかいただいていたので、野球を辞めてから次を考えようと思っていました」
通告を受けた翌日、森さんはお世話になった方々に「引退します」と電話で報告。楽天球団からのコーチや営業のオファーなど、引退後の選択肢はいくつかありました。周囲の人が温かく労いの言葉をかけてくれる中、廻鮮寿司塩釜港の立花社長(元楽天野球団の社長であり、森さんのドラフトのクジを引いた人物)だけは、少し違う反応を示したと言います。
「皆さん『お疲れさん、大変だったな』『次が決まったら教えてくれ』と労いの言葉をかけてくださいました。でも、立花社長だけは違った。開口一番、『お前、次の仕事どうすんの?』と踏み込んで聞いてくれたんです」
正直に「いくつかお話をいただいています」と伝えると、立花社長はこう切り出します。
「どの道を選んでも良い。でも、この仕事は面白いぞ。俺もお前にオファーするから、あとは自分で考えて連絡してこい」
立花社長のスタンスに、心を動かされた森さん。一晩考えた末に立花社長からのオファーを受け入れる決断を下しました。
「メリット・デメリットを考え始めたら決断できない。だから最後は『面白そう』という直感で決めました。魚のことは何も知らなかったけれど、まずはやってみようと」
翌朝、立花社長に電話をすると話はとんとん拍子に進み、その翌日から出勤することに。森さんの新しい人生が始まったのです。

まったく違う世界に飛び込んでから3年。はじめてのことばかりで戸惑いもありましたが、今、森さんは自らの目利きによってマグロを買えるようになりました。「会長のように目利きができるようになる」のが目標の一つとしつつ、何より、プロ野球選手時代にもお世話になった宮城に恩返しがしたいと語ります。
「プロ野球選手として過ごした10年間、たくさんの方にお世話になったこの宮城で、まずはしっかり頑張りたいんです。ここが、ぼくの第二の故郷ですから」
正解は「見つける」ものではなく「自分でつくる」もの
森さんに、はたらくモヤモヤを抱える若者へ、自分らしく楽しくはたらくためのアドバイスを伺いました。
「死ぬほどつらければ辞めても良いと思います。でも、『ちょっときついな』と思うところで少しずつ耐えてみる。耐えるからこそ分かることもあるし、だから『もうちょっと頑張ろう』と思える瞬間も来る。そうやって向き合い続けることで、見えてくるものがあると思います」
プロ野球でも、今の仕事でも、目の前の状況に真摯に向き合い続けることの大切さを実感してきた森さん。最後に、「はたらく」ことの意味について、こう語ります。
「“好き”を理由にこのセカンドキャリアを選んだわけではありません。魚のことなんて何も知らなかった。でも、自分で選んだ道だから、その選択を正解にできるように頑張りたいし、頑張らなきゃいけないと思っています」

「自分が『この道を選んで良かった』と思えたら、それが正解だと思うんです。誰かのせいにしたくない。戦力外になったのも、怪我をしたのも、今の仕事を選んだのも、全部自分自身。だから自分の力で、それを正解にしたい。それだけですね」
※今回お伝えし切れなかったフルバージョンの動画はYouTube『スタジオパーソル』にて公開中
(「スタジオパーソル」 編集部/文:間宮まさかず 編集:いしかわゆき、おのまり)
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