18歳の女子高生・小池星蓮。帰宅部からビキニフィットネス日本代表に「部活も何もしてなかった」

2025年2月3日

「やりたいことが見つからない」「今やっていることが、自分に向いているか分からない」。学生でも社会人でも、誰もが一度は抱く悩みかもしれません。

18歳のビキニフィットネス選手・小池星蓮さんも、2年前まではこれといった趣味や特技がない“普通の女子高生”でした。しかし、「ビキニフィットネス」という競技に出会い、人生が一変します。競技を始めてわずか2年でオールジャパン・ジュニアフィットネスチャンピオンシップス優勝、その後韓国で開催された東アジア選手権には日本代表として出場し、見事ジュニアの部で優勝を果たしました。

今回のインタビューでは、そんな小池さんに「夢中になれるもの」の見つけ方と、それを仕事や人生にどのように活かしたらいいのか、お話を伺いました。

「ずっと帰宅部」から一転、毎日ジム通いをはじめた高1の夏

——小池さんは18歳でビキニフィットネス日本一になられました。それまではどんな高校生活を送られていたのでしょうか?

今思えば、高校へ入学してからしばらくは、打ち込めるものが本当に何もない生活を送っていました。部活にも入っていないし、これといった趣味もない。学校に行って帰ってくる、ただそれだけの毎日でした。

周りの友達は「スポーツが好きだから健康系の学部に進みたい」とか「建築に興味があるから建築関係の大学に行きたい」とか。みんな志望する大学や学部を考え始めている中で、「私は何がしたいんだろう」と将来への不安を募らせていました。

──そんな小池さんがビキニフィットネスに出会ったきっかけはなんでしたか?

高校1年生の夏休みに、何もしていない私を見かねた母が地元のジムの体験に誘ってくれたんです。最初は1週間の体験だけのつもりでしたが、身体を動かすことが思った以上に楽しくて。気付くいたらほぼ毎日通うようになっていました。

ある日、そのジムのトレーナーさんから「こんな競技があるよ」と初めてビキニフィットネスのことを教えてもらって。その時に見た女性選手の姿が本当に輝いていて、「自分もやってみたい!」という気持ちが湧いてきたんです。

──ビキニフィットネスのどんなところに惹かれたんですか?

身体づくりの先にある、自己表現としての魅力に取りつかれていきました。ビキニフィットネスは、自分でテーマを決めて、それに合わせてビキニの色を選び、ヘアメイクや歩き方、表情まですべてつくり込んでいく。“自分らしさ”を表現する競技なんです。

その魅力を知ってからは、夢中になって海外のトップ選手の方々の動画をYouTubeで見ては、鏡の前でヒールを履いてポージングの真似をしていました。

学校が終わったらすぐジムに向かって、まずトレーニングを2時間。その後にポージング練習を2時間。土日もスタジオの空き時間を見つけては練習していました。母も、「まさかここまでハマるなんて」と驚いていましたね(笑)。

向き合い方が変わったのは、心の底から「悔しい」と思えたから

──ビキニフィットネスと高校生活を両立しながら臨んだ初めての大会はいかがでしたか?

きっと一生、忘れられないですね。高校2年生の夏、地元神戸での大会。163cm超級で3位という、初舞台にしては上出来の結果でした。上位選手を呼び出す“ファーストコール”で3番目に呼ばれた時は、驚きとうれしさのあまり、舞台の上でポージングをしながらボロボロ泣いてしまいました(笑)。

──その後、「オールジャパン・ジュニア・フィットネス・チャンピオンシップス2023」(23歳以下の頂上決戦)では準優勝を果たされましたよね。

そうですね。でも、私にとってこの大会では準優勝じゃダメだったんです。ビキニフィットネスを始めたころから、私には「いつか国際大会に出場したい」という夢があって。そのためにはまず、オールジャパンで優勝するしかないと思っていました。だから、準優勝という結果に、初めて心の底から「悔しい」という気持ちを味わいました。それと同時に、「やっと見つけた“やりたい” をここであきらめるわけにはいかない!」と心に火がついたんです。これが、人生の転機となりました。

来年の夏には絶対に優勝すると決めて、トレーニング内容をより専門的なものに一新。そして、大会までの約7カ月間で体重を60キロから49キロまで落としました。短期的なダイエットとは違って、毎日少しずつ体力が落ちていくのを実感するのは精神的にもきつかったですね。授業中に集中力が途切れたり、トレーニングができなくなったり。減量中は食事の量をかなり制限していたので、学校で友達が食べるいつも通りのお弁当を見るのがつらい日は、一人で食べることもありましたね。

──11キロも減量を……!そんな厳しい状況を、どうやって乗り越えられたんですか?

どんなにつらくても、「楽しい」という気持ちが根底にあったからです。

本当に苦しくなった時は、去年の自分の大会映像を見返しながら、「去年よりも絶対にいい状態で挑戦するんだ」と自分を奮い立たせながら、未来を思い描くようにしていました。減量を乗り越えた先にはきっと、もっと素敵な自分がいるはず。もっとビキニフィットネスの楽しさを感じられる瞬間が訪れるはず、と信じて。

大切なのは「結果」よりも「楽しむこと」だった

──厳しいトレーニングを経て迎えた高校3年生の夏。オールジャパンフィットネスチャンピオンシップスで悲願の優勝を果たされました。当時はどんな心境だったのでしょうか?

実は、大会の2週間前まで出場するか悩んでいたんです。前年の全国大会では準優勝だったので、「次は絶対にいい結果を出さないといけない」と自分にプレッシャーをかけちゃって……。「順位が落ちてしまったらどうしよう」「みんなが期待しているような姿で出られなかったらどうしよう」と不安でいっぱいでした。

でも、最終的には、そんな不安よりも、キラキラしたステージに立ちたいという想いのほうが勝ちました。心の奥底に「輝きたい」という気持ちがあるのに、予測できない未来に勝手に不安になってあきらめてしまうのはもったいないんじゃないか、って。だから、最後は優勝にこだわらず、とにかく「出場すること」を目標に切り替えて、毎日のトレーニングに淡々と打ち込みました。

その結果、「オールジャパン・ジュニア・フィットネス・チャンピオンシップス2024」で優勝を掴み取ることができました。

──その後、韓国で行われた国際大会「IFBB東アジア選手権」にも出場されましたよね。

そうなんです。初めての国際大会でしたが、不安よりも「やってみたい」という楽しみな気持ちのほうが大きくて。日本代表のジャージを着て空港に向かうところから、大会を終えるまですべてが新鮮でした。

中でも特に印象に残っているのが、モンゴルのチームの姿です。選手が一人、表彰台から控室に戻ってくると、チームメイトが大歓声を上げて祝福し合うんです。その光景を見て、すごく考えさせられたんですよね。みなさん、真剣に競技に向き合いながらも、純粋に競技を楽しんでいました。

「オールジャパン・ジュニア・フィットネス・チャンピオンシップス2024」に出場した時の私は、成績のことばかりを考えすぎて、身体がついていけないことも多かったんです。でも、まず「楽しむこと」が大切なんだとあらためて気付かされました。

周りの人から競技への向き合い方を教えてもらい、「IFBB東アジア選手権」では、本当に楽しんでステージに立つことができました。そうしたら不思議と、緊張しいの私なのにいつもの手の震えがなくなっていて。表情もこれまでとは大きく変わっていました。

この先、ビキニフィットネスを何年続けるかは決めていません。でも、この国際大会の経験を経て、真剣に、でもあくまで自分が楽しめる範囲で競技に向き合っていきたいなと思えるようになりました。

やりたいことが分からない時も、やりたいことの中で悩んでしまう時も、常に「楽しい」という気持ちに素直に従って行動する。ビキニフィットネスは、私の視野を広げ、私を成長させてくれる存在になっています。

自分らしさを思い出すヒントは、きっと身近なところにある

──やりたいことが見つからないと悩む方に、アドバイスをお願いします!

私も高校1年生の時は、本当に何もやりたいことがありませんでした。たまたま母の誘いやトレーナーの方との偶然の出会いで人生が変わりましたが、きっかけは意外と身近なところにあるかもしれません。

通勤電車の中でも、帰り道でも、会社や学校の中でも。どんなに忙しくても、自分の興味あること、好きなことにアンテナを張ることを忘れなければ、日常生活の些細なところからやりたいことや好きなことが始まる。視野を広げて、いろいろな人と触れ合い、新しい場所に出向いてみてほしいです。

そして、大人の方々は、ぜひ高校生のころの気持ちを思い出してみてください。今は仕事が生活の中心になっている方も多いと思いますが、あのころに感じた純粋な「楽しい」「やってみたい」といった気持ちの中に、何か大切なものが隠れているかもしれません。

──やりたいことや楽しいと思えるものが見つかっても、取り組むことに不安を感じた時はどうしたらいいでしょうか?

「自分には向いていないんじゃないか」「もう遅すぎるんじゃないか」と悩むことは誰にでもあると思います。私も全国大会の直前まで、そんな不安と戦っていました。

でも、輝ける素質は誰にでもあるのに、年齢や向き不向きを気にして、自分で勝手に「無理だ」とジャッジしてあきらめるなんてもったいないと思うんです。自分の奥にある「楽しい」「輝きたい」という気持ちを大切にしてほしい。今はまだ実力不足だったとしても、1年後、2年後には、きっと理想に近づけているはずです。

(文:間宮まさかず 編集:おのまり 写真提供:小池星蓮)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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