元日ハム・杉谷拳士、今何してる?タレントではない引退後セカンドキャリアと現在地とは。
球界屈指のエンターテイナーとして多くのファンから愛された、元・北海道日本ハムファイターズ選手の杉谷拳士さん。2022年には「引退会見」ならぬ「前進会見」を開いて、最後の最後までファンを楽しませました。
ユニフォームを脱いだ現在、杉谷さんは「ZENSHIN CONNECT」の代表取締役となり、セカンドキャリアを歩み始めています。「野球もビジネスも前進あるのみ」と語る杉谷さんに、現役引退理由、仕事のやりがいや魅力、セカンドキャリアを成功させる秘訣を聞きました。
エスコンフィールドの開設が引退理由の1つ
――杉谷さんが引退を考えた経緯を教えてください。
杉谷:コンディションの問題もありましたが、引退を決断したのは、2023年開業の「エスコンフィールド」(北海道北広島市内にある開閉式屋根付き野球場)の影響が大きかったです。北海道日本ハムファイターズの拠点がエスコンフィールドに移転する直前のタイミングで、完成前のグラウンドに立ってみたんです。本来なら、モチベーションが上がるところなのですが、今回はそういう感じにはならなくて……。
「客席とグラウンドがこんなに近いんだ」とか「天然芝だからゴロのさばき方も変わっちゃうな」とか、そんなことを考えながらも自分が選手としてグラウンドに立っている姿がいまいち想像できませんでした。それで気付いたんですよね、なんだか気持ちが中途半端になっているなあって。そんな心境で試合に臨んでも野球やファンに対して失礼だし、このあたりが選手としての引き際なのかな、と。
――もし、エスコンフィールドの存在がなければ、引退していなかったかもしれない?
杉谷:そうですね。野球を好きな気持ちは変わりませんし、まだまだ自分の技術を磨きたいと思っていましたから。もし、ファイターズを離れるようなことがあれば、韓国や台湾の独立リーグにチャレンジするのも有りかなと考えていた時期もあったんです。
引退については、ほぼほぼ自分で決めてしまいました。まわりに報告したら、みんなびっくりしていましたけどね。後悔はなかったし、むしろワクワクしていたくらい。引退後は試合を解説したり、選手にインタビューしたり。べつの形で野球に貢献できると思っていたんです。
――ちなみに、いつごろから引退を意識し始めたんですか?
杉谷:2016、7年あたりだったかな。そう言うと、ファンから「現役中にもかかわらず、けしからん」って言われてしまいそうですけど。野球に対してはいつだって全力でした。本当に野球が大好きだったから、グラウンドで手を抜いたことは一度もありません。
ただ、野球選手は引退後の人生の方が長いんですよ(笑)。選手として燃え尽きたあとに宙ぶらりんにならないよう、現役中とはいえセカンドキャリアを意識した方がいいんじゃないしょうか。
――たしかに、引退する選手からすれば大きな一歩を踏み出すことになります。だから、杉谷さんは「引退」ではなく「前進」にこだわるんですね。
杉谷:ほんと言うと「引退」って言葉はあまり使いたくないんですよ。だって、ちょっとネガティブな印象があるじゃないですか。これから新しい人生が始まるのに、なんで「引退」なんだって(笑)。
――引退後は、タレントとしても引く手あまたですよね?
杉谷:いろんな番組に出演したので「杉谷拳士って、いつもおちゃらけているなあ」と思われているかもしれませんね。まあ、最初の入り口がどうであれ、視聴者に野球の面白さを伝えられたらそれでOK。野球ファンなら私の真っすぐな気持ちを受けとめてくれるはずです。
このキャラクターが独り歩きしている面もあって、たまに過剰なリアクションを求められるようなお笑い要素全開のオファーをいただくこともあるんですよ。とてもありがたい話なんですが、それはそれでちょっと寂しい気もするんです。やはり、どれだけおちゃらけていようと「スポーツ」に主軸を置いていたい。
――そのまま芸能界に進む選択肢もあったのでは?
杉谷:いえ、それは考えていませんでした。その道を目指してもやりたいことが見つけられずに、ただただ時間だけが過ぎていきそうなので。
スポーツに関わり続けることは、今まで応援してきてくれたファンへの私なりの恩返しでもあるんです。アスリートへのインタビューや試合の解説などを通じて、多くの人にスポーツの面白さを伝えたい。ポジションとしては「アスリートナビゲーター」といったところですね。
――2020年、海外フリーエージェント権を取得した際には思わせぶりな会見を開きました。マスコミを前に「海外FA権は行使しま……せんでした!」と。あれもファンサービスの一種?
杉谷:チームに残留することに決まっているんだから、わざわざ会見する必要があるのかって話ですよね(笑)。球団の広報担当者とも会見する?やめとく?って話し合ったりして。結局、みんなが楽しんでくれるなら、ということであの会見につながりました。
――外の世界に出て、野球の見方は変わりましたか?
杉谷:それがかなり変わったんですよ!観客の立場になって、野球とは一瞬の「間」を楽しむスポーツであることを再認識しました。ピッチャーはどんな球種で攻めてくるのか、対するバッターはどんな球を狙ってくるのか。グラウンドから目が離せなくて、ついつい引きこまれてしまいます。
選手としてグラウンドに立ったら、そうはいきませんよね。考えるよりも先に身体を動かさなくてはいけないし。現役時代は「間」を楽しむ余裕はなかったです。
スポーツ・教育・地域・留学における「前進」をサポート
――2022年11月の引退試合から半年後、「ZENSHIN CONNECT」を起業されました。
杉谷:本当はすぐにでも会社を起こしたかったんですよ。でも、WBCの取材に同行していたので、とても起業どころではありませんでした。今にして思えば、それが良かったのかもしれません。冷静になって、事業計画を吟味する時間がつくれました。考えなしに起業していたら、たぶん事業計画もぶれぶれになっていたはず。
――改めて、「ZENSHIN CONNECT」の事業内容を教えてください。
杉谷:大きく分けて、①スポーツ界における「前進」の支援、②学校における「前進」の支援、③地域における「前進」の支援、④国を越えた「前進」の支援にまつわる事業に取り組んでいます。つまり、スポーツ・教育・地域・留学の分野が主戦場になります。
――現役時代の人脈も活かせそうです。
杉谷:はい、ファイターズ時代にお世話になった栗山英樹監督の指導のおかげです。「とにかく人を大切にしなさい」「引退後は一人でも多くの人と会いなさい」と、教えこまれましたから。この教えを胸に刻んで、時間さえ合えば誰にでも会いに行きましたよ。今はそのとき蒔いた種がちょっとずつ芽吹き始めている感じです。
――2024年7月に開催された「ゼビオジュニアベースボールフェスト2024」では、野球少年たちの技術指導にあたったそうですね。
杉谷:U-9(小学3年生以下)の子どもたちを相手に、ボールの握り方やキャッチボールの仕方などをレクチャーしました。技術的なことはもちろん、野球をする楽しさやルールを守る大切さなどが伝わってくれるとうれしいですね。
指導の仕方も時代とともに変化していて、なんでも手取り足取り教えるのはNGなんです。なんでかっていうと、「答え」を教えるだけでは、子どもたちの考える力が育たないから。「どうやって投げたら、球が真っすぐ飛ぶと思う?」と投げかけると、子どもたちも真剣になって解決策を考えようとする。自分で導き出した答えは、一生もののスキルになります。これは子どもに限った話ではなく、大人にも言えることですね。
起業後に見えてきた、野球とビジネスの意外な共通点
――自社の経営に携わってみて、いかがですか?
杉谷:野球で得たノウハウがビジネスにも応用できることが分かりました。たとえば、シーズン終了間際になると、成績やチームの状況を振り返るのが習慣になっていたんです。全体的にスピードが足りていない、それならオフシーズン中はスピードトレーニングに注力しよう。といった具合に、プロセスを組み立ててからゴールを目指す。こうした課題との向き合い方は、ビジネスにも通じるものがあります。現状維持は後退と変わりません。野球もビジネスも前進あるのみ、です。
――ビジネス界のマナーにとまどいもあるのでは?
杉谷:ビジネスメールには苦戦させられましたね。丁寧な文章でメールを作成する機会も少なかったし、現役時代は言葉づかいの粗い人が多かったから(笑)。起業したばかりのころはメール一本送るのにも緊張していたくらいです。
――なんだか、デスクワークしている姿が想像できません。
杉谷:イベントや事業の企画を考えるのは好きなんですよ。企画書だって、いつもぶわ~っと書き上げちゃいます。たとえば「ゼビオジュニアベースボールフェスト2024」も私のアイデアが活かされています。主催のゼビオさん・U-9の子どもたち・弊社の三者にとって有意義な企画ってなんだろう――、とアイデアを練っている時間が楽しい。最終的に「ゼビオジュニアベースボールフェスト」では、野球教室が企画されました。ゼビオさんにとっては、自社製品の宣伝につながります。子どもたちは野球のノウハウが学べ、私も野球人口拡大をアピールできる。まさに、Win-Win-Winの関係です。
――経営や企画立案について、どこかで学ぶ機会があったのでしょうか?
杉谷:いやぁ、じつは一切ないんですよ。ビジネス書は読み漁りましたけど、もうほとんどが自己流です。経営をサポートしてくれるメンターのような人がいるわけでもありません。
ただ、栗山監督がよく口にしていた「自分本位になるな。人の話に耳を傾けろ」という言葉は折に触れて思い出します。相手が何を望んでいるのか、本音をどうやって胸の内から引き出すのか。これって、ビジネスでいうところの顧客ファーストの考え方。クライアントの思いを受け止めて、企画にまとめていくんです。
ビジネスの話とは少し離れますが、「夢対決 とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」の「リアル野球BAN」(おもちゃの野球盤をリアルサイズで再現して、実際に試合を行う人気企画)への出演は、「野球人口を増やしたい」っていう私の思いに石橋貴明さんが耳を傾けてくれたことから始まったんです。番組を通じて野球の面白さを伝えようと気持ちが奮い立ったことを覚えています。
前向きな気持ちがあれば、セカンドキャリアの壁も乗り越えられる
――今後、会社の規模を拡大していくことも考えていますか?
杉谷:無闇に会社を大きくするつもりはありません。何か明確な目的があって拡大する分にはいいと思うんですよ、けれども「規模拡大」が目的化してしまうのはちょっと違うよねって。然るべきタイミングが訪れる日まで、地道に事業を進めていきます。
何年先になるか見当もつきませんが、いつかスポーツ施設を開設したいんです。それで開設が具体的になってきたら、施設長や整備担当者、管理担当者などの人材が必要になってきますよね?でも、そこで突っ走って人員を一気に増やしちゃうのは危険すぎる。目標と現実の間にあるギャップを埋めるために、少しずつ規模を広げていく。それが企業の正しい在り方なんじゃないかなあ、と。
――ゆくゆくは、アスリートのセカンドキャリアの受け皿になる可能性もある?
杉谷:はい、いずれは「セカンドキャリアの支援」にも取り組んでいきたいです。引退した選手をただ受け入れるのではなく、挑戦することでしか得られない多幸感を共有できたらいいですね。いつか彼らが外に目標を見つけて「ZENSHIN CONNECT」を巣立っていく日が訪れたとしても、私は喜んで送り出しますよ。
――引退後の暮らしに不安を感じているアスリートも少なくないと思います。セカンドキャリアの壁を乗り越える秘訣を教えてください。
杉谷:前向きな姿勢を忘れないでください。人間は良くも悪くも感情にとらわれやすい生き物ですから。「ボールをエラーするな」ときつく言われたら、頭の中が「エラーしちゃだめだ!」でいっぱいになっちゃって、身体が強張ってしまいます。逆に「エラーなんて気にしなくていいよ」と伝えたら、きっとのびのびと野球を楽しめるようになると思いますよ。
考え方一つで、物事の見え方は変わってきます。朝目覚めたとき「だるいなあ」と考えるのか、それとも「今日はどんな出会いが待っているのだろう」と考えるのか。前者と後者とでは、一日の過ごし方もかなり変わってくるでしょう。前向きな一日をこつこつ重ねていけば、明るい方に道が拓けていきますよ。
(文:名嘉山直哉 写真:小池大介)
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