准看護師から32歳で競輪選手へ。「収入面の不安」も転職した理由。

合図の号砲で一斉に飛び出し、駆け引きを繰り広げながら勝利を目指す3分半。女子選手が活躍する競輪競技『ガールズケイリン』は、時に時速60kmものスピードで競走路を走り抜けることも——。
そんな世界に、29歳で“准看護師”から飛び込んだ伊藤のぞみさん。安定を軸にファーストキャリアを選んだという彼女は、いったいなぜ30歳目前にして競輪選手を目指したのでしょうか。伊藤さんにこれまでのキャリアを振り返ってもらいながら、自分らしくはたらくヒントをお話しいただきました。
経済面・雇用面の安定性から看護師の道へ
──競輪選手になる前は、11年間准看護師としてはたらかれていたと伺いました。看護師を目指したきっかけはなんだったのでしょうか?
「安定した職業」ということで、高校生の時に家族や担任の先生からすすめられたことがきっかけです。家庭の経済状況を考慮して就職と進学の両方を望んでおり、高校卒業後は地元の病院で看護助手としてはたらきながら専門学校に通い、准看護師の資格取得を目指しました。仕事、実習、課題、資格の勉強と遊ぶ時間もなく、毎日ハードな生活を送りながらも無事に卒業し、引き続き同じ病院で正社員の准看護師としてはたらき始めました。

──准看護師の仕事は、伊藤さんにとってどのようなものでしたか?
病院の外来と病棟を行ったり来たりの日々で、かなり忙しくしていたことを覚えています。また、退職までの数年間は手術室准看護師(オペ准看護師)を務めており、それまで以上に医療の知識や看護のスキルが求められる環境に身を置いていました。得られた学びも多く、今では良い経験を積ませてもらったと感じていますが、やはり当時は大変で。20代後半に差し掛かったタイミングで「病院のコミュニティの外にも出てみたい」と考えるようになりました。
──競輪と出会ったのも、准看護師時代だったとか。
26歳の時に友人の誘いではじめて競輪場を訪れました。友人には“推し”の選手がいて、応援の付き添いくらいの気軽な気持ちで観に行ったんです。
レースが始まった瞬間、そのスピード感に目を奪われました。「こんなにワクワクするスポーツがあったのか!」と終始興奮していましたね。ただ、当時は自分が選手として走る選択肢はなく、一観戦者として趣味で楽しんでいました。
「いざとなったら俺を頼って」。安定を手放せたのは、周囲の応援があったから。
──そのあと、一観戦者から選手を目指すようになったきっかけを教えてください。
『ガールズケイリン』が始まったのが2012年。その3年後(2015年)に、私の地元・函館で女子選手育成のための『ホワイトガールズプロジェクト』1期生の募集があったんです。28歳の時でした。当時、趣味でマラソンを走っていたこともあって、友人たちから「のんちゃん(伊藤さん)できるんじゃない?」とそそのかされて(笑)。SNSの募集投稿に「興味があります」とコメントしたところ、それを読んだ競輪ファンの方が元競輪選手の藪下昌也さんに会わせてくださいました。彼はのちに私の師匠となる方です。

そこではじめて競輪場のバンク(競走路)に入って、自転車に乗ってみたら30分くらいで意外と走れてしまって!一般的なママチャリと比べて、競輪で使う自転車はタイヤが細く不安定なうえ、バンクは傾斜がかかっているため走るのにコツがいります。はじめてのバンクで思いのほか走れたことで自信を得て「私は競輪選手になる」と決意。『ホワイトガールズプロジェクト』1期生として、日本競輪選手養成所合格を目指してトレーニングをスタートさせました。
ただ、いきなり仕事を辞めるのは経済的に不安だったので、まずは准看護師と並行してトレーニングを行うことにしました。
──准看護師の仕事とトレーニングの両立は大変ではありませんでしたか?
休む暇もないほどの過密スケジュールを組んでいたので、正直大変でした。勤務がある日は朝4時に起きて5時半ごろからバンクで練習、8時から准看護師の仕事をして、勤務後には一人でローラー練習(ローラー台と呼ばれる器具を使った練習)を行う。休日は半日ほどかけてより密度の濃い練習に取り組んでいました。体力的にハードで体調を崩すときもありましたが、「競輪選手になりたい」一心でがむしゃらに食らいついていました。
周囲の応援もあって、なんとか養成所の試験日まで頑張り切ったのですが、最終試験では不合格。ここで覚悟を決めなければ、私は一生競輪選手にはなれない。そう考え、思い切って准看護師を退職し、トレーニングに集中する生活にシフトしました。

──「安定した道」を手放すことに迷いはありませんでしたか?
もちろん迷いはありましたし、中には反対する人もいました。でも、応援してくれる人もたくさんいて、師匠は「もしお金で困ったら俺を頼っていいから」と言ってくださるほどでした。退職にあたって1番大きな不安が経済面だったので、その言葉はとても心強かったです。
准看護師を退職した練習生2年目からは「ここで諦めたら私にはもう戻るところがない」というプレッシャーを背負いながら、師匠とマンツーマンでこれまで以上にトレーニングに打ち込みました。仕事と両立していた1年目は、養成所の試験に合格するための練習量が不足していた自覚があったので、仕事を気にせず自転車のことだけを考えて行動できたのはとても幸せでした。
社会人として積み上げてきた「当たり前」が、厳しい養成所生活の助けに
──練習の成果もあり、2度目の挑戦で見事、日本競輪選手養成所の試験に合格されましたね。
あとがない状況だったのでうれしかったですね。実は養成所の合格発表の日、部屋の壁に貼っていた受験票がポロっと落ちたんです。本当に縁起が悪いですよね(笑)。正直「試験にも落ちた……」と思ってしまったくらいです。でも、そのあと知人から「のんちゃん合格しているよ!」と教えてもらって、とても安心したことを覚えています。

──養成所での生活はいかがでしたか?
寮生活は規則や規律に厳しいと聞いていましたが、准看護師として社会人を経験してきたからか、私はそこまで苦労を感じませんでした。
日々のトレーニングはもちろん苦しい瞬間も多々ありましたが、入所前の師匠とのトレーニングでもかなり自分を追い込んで取り組んでいたので、逃げ出したくなることはありませんでしたね。つらい瞬間でも「あの時と比べれば」と思える経験をたくさん持っていたのは、自身の強みだったと思います。
「優勝したい」一心で走り続けた5年半
──養成所卒業後、晴れて選手になってから5年半の月日が経ちました。あらためて、伊藤さんが感じる競輪の魅力を教えてください。
観客目線での魅力は、実際に競輪場で選手の走りを観ることでしか体感できない疾走感や興奮ですね。無料で入場できる観覧エリアもあるので、まずは気軽な気持ちで観に来てもらえたらうれしいです。
選手としては、純粋に走ること自体が楽しいのはもちろん、自分の走り方一つで会場を魅了できるのが競輪の面白さの一つです。「もっと観客をハッとさせられるレース展開をつくりたい」と日々トレーニングに励んでいます。

──日々のトレーニングを始め、スポーツの世界では特に何事も「続けること」が勝利のカギを握ると想像しています。「続けること」に難しさを感じる人も多い中で、伊藤さんはこれまでどのように自分を奮い立たせてきましたか?
実は選手になってから2年半が経ったころに心臓の検査で引っかかり、ドクターストップがかかって半年間レースへの斡旋を保留されていた過去があります。競輪選手は協会から斡旋を受けて各地のレースに参加できるシステムのため、事実上の「活動停止」でした。
かなり落ち込みましたが、その時に自分を奮い立たせたのはやはり「選手としてレースをしたい。優勝したい」という強い想いでした。周囲の人も「絶対優勝してほしい」と応援してくれていたので、ここであきらめるわけにはいかない、と。
私は走りたい——。協会に何度もかけ合い、定期的な薬の服用と検診を受けることを条件に、やっとレースへの復帰がかないました。あの時何も行動していなかったら、きっと私は選手を辞めていたと思います。
積み重ねてきた量が自信になる
──伊藤さんの今後の目標を教えてください。
選手引退後は准看護師や競輪選手としての経験を活かして、ボランティアなど次は私が何かしら周囲の人にポジティブなはたらきかけ、貢献ができればと考えています。そのためにも、今は練習やレース活動を頑張りつつ、お金を貯めているフェーズです。
その先の目標のためにも、まずは競輪選手として初優勝したいですね。特に地元・函館のレースで優勝して、日頃から応援してくれている師匠やファンの方に恩返しがし、喜ばせたいです。

──伊藤さんのように、自分らしい生き方やはたらき方を実現するためにはどうすれば良いでしょうか?はたらくことに悩む読者に向けてメッセージをお願いします。
やりたいことがあるのに一歩踏み出せないのであれば、足かせとなっていることや理由を明らかにしてみてください。周囲に「やりたいけど○○が不安」と素直に伝えてみると、誰かが助けてくれるかもしれません。
中にはあなたの「やりたい」に対して「絶対無理だ」と言ってくる人もいるかもしれませんが、むしろ、「見返してやる!」と原動力に変えればいいだけです。がむしゃらに頑張っていればきっとうまくいきます。悩むよりも自分の本音に従って歩き始めてほしいです。
もし、「今の生き方を変えたいけれど、やりたいことがない」と思っている人は、まずは今の生活圏から飛び出してみてはどうでしょうか。私も、准看護師の時に思い切って競輪場へと飛び出したから、今こうして競輪選手になっています。新しいことに取り組んでみたり、新しい場所に行ってみたり、いつもの自分に少しだけ変化を与えてみると、案外やりたいことは見つかるのかもしれません。
私自身はこれまで選手としてはたらく中で、練習の“量”を一番大切に考えてきました。積み重ねてきた量が「自分はできる」という自信をもたらしてくれるから。不安なときこそ、とにかく行動し続けることで、きっとあなたの気持ちもポジティブな気持ちに変わっていきます。
(文:水元琴美 編集:いしかわゆき、おのまり 写真提供:伊藤のぞみさん)

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