「かわいくないくせに」と誹謗中傷された20代から、収入50倍になった水沢アリーの13年

2026年1月21日

スタジオパーソルでは、「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を聞いたのは、タレント・実業家の水沢アリーさんです。『今夜くらべてみました』(日本テレビ)『しゃべくり007』(日本テレビ)などのバラエティ番組に出演し、タレントとしてブレイクしてから13年、現在は海外のセレブリティと日本企業をつなぐ広告企画会社の社長としても活躍しています。

誹謗中傷、タレント業激減、父の死……さまざまな困難を乗り越え、芸能界からハリウッドを舞台とするグローバルビジネスの世界に飛び込んだ彼女は、どのようにして新しいキャリアを築いてきたのでしょうか。

“記念で出演”からまさかの次のオファーへ。ブレイクに伴って増える誹謗中傷の声

──スカウトを機に大学時代にタレントデビューした水沢さん。もともとはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?

高校時代は茶道部、大学時代は写真部に所属していて、どちらかと言えば一人で静かに過ごすことを好んでいましたね。

写真部に入ったのは、写真を現像する「暗室」と呼ばれる個室を使いたいからという安易な理由で。写真やアートに興味はありましたが、1番大きな理由は、大勢の大学生で賑わうキャンパス内で一人になれる場所を確保したかったからなんです(笑)。

もちろん当時は、自分が芸能界に入ってバラエティタレントになるとは夢にも思っていませんでした。

──そこから、現在も所属する芸能事務所に入ってわずか2週間で『今夜くらべてみました』のオーディションに合格。「これからタレントとして生きていく」と思い始めたのはいつごろからだったのでしょうか?

はじめてのバラエティでは、「記念にテレビに出演できた!」と思っていたぐらいだったのが、まさかの次のオファーをいただいて。それが『しゃべくり007』でした。このころが、一つのショーを、出演者・スタッフの皆さんとつくり上げるのはこんなにも楽しいんだと実感しはじめた時期でした。

自分の発言で笑ってくれる人がいて、求めてくれる人がいる。プロの芸人の方々に、「これまで気付かなかった自分の魅力」を引き出していただけたのもうれしかったですね。

この世界で生きていこうと決めた大学3年生の終わり、22歳のときに、大学を中退しました。

──人気番組『しゃべくり007』にも出演されるなど、瞬く間にバラエティで大ブレイクし、これまでの生活が一変したのではないかと想像しています。

芸能界のお仕事はとにかく不規則なので、まずいつもの生活リズムは一瞬にして崩れました。夜遅くまで『もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!』(テレビ朝日系)内の企画『帰れま10』で大食いチャレンジをして、仮眠を取ったら翌日早朝から『戦闘中』(フジテレビ)の収録で全力で走り回る、とか。ピーク時は、移動時間やヘアメイク中などの寝られるときに睡眠を確保していました。いわゆる定時勤務を経験したことがなく、20代だったからこそこなせていたスケジュールだと思います。

あと、街中で初めて声をかけてもらったときのこともよく覚えています。原宿で男性の方がキラキラした目で話しかけてくれて。テレビの中にいる「明るくて元気な水沢アリー」として応えようと、“タレントスイッチ”がオンになったときに、生活や自分の変化を感じました。

──活躍の裏では、心ない言葉を浴びることも多かったと伺いました。当時はどのように自身の気持ちを保っていましたか?

最初のころは、自分に向けられた悪意をそのまま受け取ってしまっていて、正直まったく気持ちを保てていませんでした。SNSで「かわいくないくせに」と書かれていたら、「私ってかわいくないんだな」と自信を失っていて……。

それでも、収録があれば、タレントとして求められることを精一杯やるしかありません。収録現場ではアドレナリンが出ているので、その中で自然と頑張ることができていたし、素直に楽しかったんです。ただ、誹謗中傷が怖くてオンエアを見るのは憂鬱でした。

20代の小娘に悪口をぶつけてくる人がこんなにもいるんだと、世間の闇に驚き、飲み込まれながら、最終的に落ち込むところまで落ち込み切った。でも、そこまでいくと、急に「無敵状態」になったんです。「もうこれ以上落ち込むことはない、自分を守れるのは自分だけだ」と。

悪口をぶつけてくる人は、私のことをこれっぽっちも知らないじゃないですか。だから、聞くべき声は信頼できない他者ではなく自分の声なんです。たとえ「美しくない」と言われても、自分はそれが真実ではないと分かっている。むしろ「いつか私の魅力に気付けるようになればいいね」というマインドになっていきました。

26歳で芸能活動休止。芽生えたのは「自分で人生をコントロールしたい」という想い

──ブレイクから約3年半、26歳で芸能活動を2年間休止する決断をされました。その背景を教えてください。

地上波の仕事がほとんどなくなって、仕事の量や質がピーク時からどんどん変わっていくのは感じていたんです。周りからも「これからどう生きていくの?」と問いかけられていて、自分でも悩んでいたタイミングで父が亡くなって。仕事が忙しくなかったから、亡くなる前に父にたくさん会いに行けたのは唯一の救いでした。

でも、暇は悲しみを紛らわせてはくれないんですよね。自分の生活を思いっきり変えなければ、この先、生きていけないと思い、イギリスのロンドンで暮らしてみることにしたんです。

──なぜ、イギリスに?

ロンドンって街の雰囲気も素敵だし、なんとなく暮らしてみたいなってずっと思っていたんです。

誰も自分を知らない場所で、毎日博物館や美術館に入り浸って、アートに触れる日々を送りました。イギリスの博物館は、常設展なら基本無料なんですよ!

美味しいものを食べたり、現地のおじいちゃんにホットヨガを習ったり、観光の延長のような楽しい2年間をすごしました。ときどき日本に帰りながら、思いのままに生きた時間でしたね。

日本企業と海外セレブリティをつなぐ広告企画会社の社長に

──イギリスでの生活を経て、現在は企画会社の経営者兼クリエイティブディレクターとして活躍されています。日本で起業に踏み切ったのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

2年間、「これからどう生きていくか」と真剣に向き合った結果、「仕事や人生を自分自身でコントロールできるポジションに就きたい」と思うようになって。自分の会社を立ち上げ、事業を始めるのがいいんじゃないかと考えたんです。

それで、まずは港区の役所に話を聞きに行きました。女性の創業支援に力を入れているタイミングだったこともあり、金銭面のいろはや、事業計画書作成など、起業のお手伝いをしていただきました。

最初はアパレル業を考えていましたが、知り合いに相談したところ、広告会社が合うんじゃないかとすすめられて。芸能界と密接な業界で、裏方の仕事に興味があったことや広告のキャスティング方法に課題感を抱いていたこともあり、広告会社で事業推進していくことに決めました。

──会社の事業では、日本企業と海外のトップタレントや作品をつなぐ広告企画を主軸としているそうですね。

はい。実は、最初は日本の広告業界に参入することも考えていたものの、うまくいかなくて。タレントとして自分がキャスティングされる側でもあって、直接的な利害関係があるからだと思います。

ハリウッドをメインターゲットに置いてみたら、想像以上にウェルカムな雰囲気だったので、今は世界で戦っています。

たとえば、海外の映画やアーティストのPVに日本企業の商品を出したり、海外のトップタレントに日本企業の広告塔やアンバサダーになってもらったり。日本企業からの相談を受けて、ハリウッドの作品やセレブリティ側と交渉を進める役割を担っています。

──タレントとしての経験で、経営に役立っていることはありますか?

制作サイドの視点だと思います。やはり、タレント時代にスタッフの皆さんが1回の収録のためにどれだけ準備をしてきたのか、その苦労を間近で見ていたからこそ、つくり上げる方々へのリスペクトは相当強いと自負しています。

ただ、求められる役割はタレントのときとはまったく違うと感じています。経営者はいわば「監督」のようなイメージで、一つの仕事に没頭するよりも、常に俯瞰の視点で物事を見渡すことが大切なんです。

ハリウッドで気付いた「お金に動かされない」生き方

──ハリウッドを舞台にお仕事されていると、世界基準の“プロフェッショナル”に触れる機会も多いのではないでしょうか。その中での、気付きや学びがあればぜひ教えてください。

世界的なトップタレントこそ、お金よりも「愛」で動くのは大きな発見でしたね。ご本人がまったく知らないブランドでも、「日本のそういうところが好き」と思ってもらえれば受けてくれるし、逆に「これは自分の仕事ではない」と思われたら、どんなにお金を積んでも受けてはくれません。

だから、かかわるタレントが何に情熱を注いでいて、何に突き動かされて生きているのか。リサーチやヒアリングを通して、彼らの原動力を探って、どうすればそれを活かした企画になるのかを考えていくのが私たちの仕事だと思います。

──タレントを個人として尊重しているからこその考え方ですね。そうした姿勢は、事業の広がりにもつながっている印象を受けます。数年前のインタビュー記事によると「収入はタレント時代の10倍」とおっしゃっていましたが、現在は「50倍」まで増加しているとか。この2~3年でどのような変化があったのでしょうか?

ここ数年間、ありがたいことに立て続けに大きな仕事をいただけていたのが要因だと思います。すごく大きな転機があったわけではなく、ただがむしゃらに目の前の仕事に全力を尽くしていたら、自然と周りの評価がついてきたという感覚のほうが近いです。

ただ、振り返ってみると、「お金のためだけに生きない」ことはずっと意識していたかなと。お金はどんな手段でも稼げるから、お金を稼ぐことを第一目標にして生きると、お金に負けてしまうと思うんです。

自分はこれだけ頑張って仕事に向き合っていて、才能豊かな方々に囲まれて行動し続けているんだから、自分の元にお金が入ってこないなんておかしい。自分がまず中心にいて、お金は脇役ぐらいの気持ちでいます。

──これまでのお話を聞いていると、その自信にも、たしかな裏付けがあるように感じます。あらためて、起業から8年が経った今、ご自身の成長についてどのように感じていますか?

仕事とプライベートの自分を明確に分けられるようになったところに、大きな成長を感じます。タレント専業時代はすんなりできていたことですが、経営者になってからは、自分の事業ということもあり、素の自分で戦っていたところがあったんです。

でも、初めてのことに挑戦している中では、当然思いどおりにならないことのほうが多いじゃないですか。素の自分だとイライラしてしまうことも、ビジネスの場では冷静に乗り越えないといけません。「経営者の私」と思うことで、うまくいかないことがあっても、これは成功するまでの道のりだと考えられるようになりました。

とはいえ、余裕がないと難しいときもあるんですけどね(笑)。

情熱を注げることの中で、世の中に求められる役割を見つけていく

──2025年にスタートした事業の一つに、“心の余裕”を育むための定期便「PEACE SPACE BOX」があります。これを始めたのも、水沢さん自身が余裕を持つことの難しさを実感しているからなのでしょうか?

そうですね。忙しなく生きていると、自分の存在の大切さをついつい忘れちゃうと思うんです。でも、自分への愛がなければ、人に優しくすることはできません。

そう考えるようになったのは、父が亡くなる少し前に読んだ『アミ小さな宇宙人』(徳間文庫)という愛にまつわる物語がきっかけでした。この本と出合ったときから「いつか私も人に“愛”を届けるサービスをつくってみたい」とぼんやりと思うようになって。経営者としての経験を重ねる中で、その想いがようやくかたちになったのが、この「PEACE SPACE BOX」です。

PEACE SPACE BOX

「PEACE SPACE BOX」は、愛をリマインドする定期便です。2カ月に1回、自分の心に寄り添う習慣を思い出させてくれるような雑貨などを詰め込んだボックスをお届けしています。このボックスを受け取ることで、毎日の中で、一度立ち止まって考える時間を持ってもらえたらうれしいです。

──水沢さんは人生の選択に迷ったとき、どんな価値観を大切にしてきましたか?

これまでも今も、自分の情熱を信じるようにしています。芸能界に入ったのも、なんかワクワクしたから。

若いときは周囲の声と自分の本音とのあいだで揺れてしまうこともありますよね。でも、私にとっては、人とまったく同じ意見を持っているときは黄色信号。本当に自分の心の声と向き合っているか、自分に問いかけます。

やりたいことがあったらまずは思い切って挑戦してみて、その中で世間の需要や求めるものに合わせて調整してきました。仮に「A or B」の選択で、自分の情熱が注げる「A」を選んだとしても、その中でフェーズに合わせて「A’」や「A+α」など、柔軟に変化させながら動いていくイメージです。

──最後に、スタジオパーソルの読者である“はたらく若者”へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?

人生に失敗はないと思います。失敗だと感じることがあっても、それはただの「道中」や「違う道に進むきっかけ」です。だから、もし理想の暮らしがぼんやりでも見えているなら、そこに向かって一歩踏み出してみてほしい。

本格的な準備って、進みながらでもできるんです。私は完璧主義だから、「完璧な準備ができてから……」と思っていたこともありますが、それじゃいつまで経っても動き出せません。

ただ待っていても、王子さまも素敵な仕事も迎えには来てはくれない。動いてさえいれば、チャンスは必ず訪れますから。

(「スタジオパーソル」編集部/文・写真:水元琴美 編集:いしかわゆき、おのまり)

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ライター / 俳優水元琴美
「書く」×「演じる」の二刀流で「忙しない日々をちょっと豊かにする」をテーマに活動中。学生時代のメディアディレクターインターンシップをきっかけに “書く仕事” を始める。現在は主にインタビュー記事やコラムを中心に執筆。書く以外にも、写真撮影や映像出演など、さまざまな方法を通してコンテンツを世に届ける。映画、舞台、写真が好き。

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