孫と組んだラップユニットで全国ツアーを目論むおばあちゃん。MCデコ八のHIPHOPな半生

2023年9月27日

シニア世代のはたらき方に迫る連載企画「半世紀後も「はたらく」はきっと楽しい。」では、年齢や経験に囚われず新たなチャレンジを行うおじいちゃん・おばあちゃんにお話を伺っていきます。第3回はHIPHOPユニット「赤ちゃん婆ちゃん」として活動するMCでこ八さんとMC玄武さんです。

今年72歳を迎えるMCでこ八さんは、漫才師、ラウンジ経営を経て、実の孫であるMC玄武さんと2017年11月にユニットを結成。2018年よりYouTube上で新曲をリリースしながらライブのステージにも立ち続け、「おばあちゃんにラップが歌えるの?」という疑問を跳ね除ける圧巻のパフォーマンスを披露しています。

「人生経験がリリック(歌詞)になる」、「他人の目ばかり気にしていたら、他人の人生になってしまう」、でこ八さんの金言が炸裂するインタビューをお届けします。

「これなら私もできそうやな」。マイクを握った68歳のおばあちゃん

──でこ八さんがラップを始めようと思ったきっかけを教えて下さい。

でこ八:5年前に玄武の初ライブを観に行ったことやね。それまでラップとか聞いたことなかったんですけど、「これなら私もできそうやな」思うて。今は難しいと理解しているけど、そのときは「生い立ちとかをしゃべってるだけ」みたいに思っとったからね。

──玄武さんがラップを始められたのはどうしてでしょうか?

玄武:ぼくの地元にはANARCHYさんという有名なラッパーがいるんですが、彼が「高校生RAP選手権」のライブに出演すると聞いて、僕・お兄ちゃん・お義姉さん、そしておばあちゃんで千葉までライブを観に行ったんです。 

──そのときにでこ八さんも見てらっしゃった?

玄武:千葉には来たんですけど、おばあちゃんはパチンコに行ってました(笑)。

──そうなのですね(笑)。

玄武:そのライブに感動して「自分もやりたい」と15歳の時に曲をつくりはじめました。それで先輩から誘ってもらって、3ヵ月後に初ライブをしたんです。その時に「心配やから」とおばあちゃんが来てくれて。

──そこで、でこ八さんは玄武さんのライブを観てラップを始めようと思われたのですね。なぜ孫と祖母でユニットを結成することになったのでしょう?

でこ八:誘ってくれたのは玄武からやな。

玄武:おばあちゃんが「ラップを始めたい」と言っていたんですけど、家族で近くにいるのにそれぞれソロでラップやるのは嫌だなと感じたんです。

あと、今はラップをやってるから余計に「ユニークなおばあちゃん」として見られますけど、もともと面白い人やなって思っていたんです。「おばあちゃん」というより「友達」みたいな感覚。だから自然に「やろうや」って誘えたんだと思います。

MVでこ八 MC玄武(『天国と地獄』ミュージックビデオより)

──玄武さんから誘われた時、でこ八さんはどう感じました?

でこ八:「一緒にやるのはあかんかな?」と思ってたから、誘ってくれた時は「おお、やろうやろう」って感じでした。もし自分1人だったらラップは続けてなかったと思います。

──新しいことを始めるのに不安を感じることはないんですか? 年齢を重ねると「新しく挑戦すること」に抵抗を感じる人もいると思います。

でこ八:私は若い時からチャレンジの塊みたいな人間だったから、そういう怖さや不安はないね。そない他人の目ばかり気にしていたら、他人の人生になってしまうから。自分の人生やねんから、自分のやりたいようにやるのがいいと思いますよ。もちろん悪いことはあきませんけどね!

人生経験を詰め込んだリリックはどうやって出されている?

──ラップを実際にしてみて、刺激的だったことはありますか?

でこ八:リリック(歌詞)を書くことですね。お手紙を書く以外に、長い文章なんて書くことないですから。リリックを書くときは自分の人生を思い浮かべながら書きます。「昔こういうことあったな」「でも今の若い人にはこう言わないといけないんじゃないかな」とかね。長い人生で実感したことがリリックとして表現できる。

──赤ちゃん婆ちゃんのリリックはどう生まれているのでしょう?

玄武:リズムの載せ方とかを考慮に入れず、ブワーッと書かれた詞とタイトルがおばあちゃんから渡されるんです。そしてそれを僕がラップとして聞こえるように整えていきます。1発目の曲は僕とおばあちゃん、それぞれが自分のパートを書きました。

──リリックには「マイメン」のようなスラングや、英語の文章も混じっています。意味が分からないとき、でこ八さんは玄武さんに聞かれるんですか?

でこ八:今はなんでもインターネットで調べられるでしょう? だから自分で調べます。玄武に聞いたりはしないですね。むしろ玄武が日本語の意味を聞いてきます。

玄武:古い言い回しが多いから、意味がわからないんで(笑)。

年齢が離れているから理解できない単語も多いですし、ハイコントラストなボケの要素も入れてくるし。だからパッと読んだだけでわからないことがあり、「どういう意味これ?」と聞いたりします。勝手に「ここ変えたでー」と言ったら……。

でこ八:「変えたらあかんがな」って言うよな。ちゃんと意味があってそういうリリックにしてるんやから。

『大目に見ろ』では「細かいことばっかりこだわらんと、人のことを大目に見てあげようよ」といった達観したでこ八さんならではのリリックが登場

盛り上げ上手な「クイーン・オブ・ステージ」は元漫才師

──ラップをする上で高齢者であることの強みはあると思いますか?

でこ八:話題性でしょうね。68歳でラップをはじめたって珍しいからこうしたインタビューや、テレビでも取り上げてくださる。あとは人生経験の豊富さ。若い人がしていない経験を自分なりにいろいろとしてきたからね。

──でこ八さんはラップをされる前は何をされていたんでしょうか?

でこ八:10代のころは、漫才ですね。そのあとラウンジの経営を20年くらいして、さらにスーパーで15年くらい精肉コーナーで仕事をしていました。

──10代の時からステージに上がっていたんですね。

でこ八:ただ本当は漫才ではなく、落語がやりたかったんやけどね。なぜかというと、人に縛られるのが嫌だったから。1人だったら「もう辞める」と言ったらそれで終わりにできるでしょ。相方の存在が煩わしいんですよ。でも落語家の師匠から「漫才師になり」と言われて漫才師になったんです。

──人前に出るのはもともとお好きだったんですか?

でこ八:それがね、好きじゃなかったんです。1人でコソコソ遊ぶのが好きやったんです。傘を持って屋根の上から「落下傘や!」言うて飛んでみたりね(笑)。

私たちの時代は金持ちと貧乏の差が激しかった時代でしょ。貧乏人は必ず嫌な目にあうんですよ。友達の誕生日会があっても「あんたはプレゼントできひんから来たらあかん」とか言われてね。子どもの頃ってそういうことで傷つくから。それやったら傷つかへんように1人で遊んだほうがいいね。人前に出たいわけではなかったけど、落語家なら1人でできるからいいなと思ったんです。

──漫才師の経験はラッパーとしても役立ちましたか?

でこ八:役立ってますね。漫才師だけでなく、ラウンジを経営していた時の経験も生きてます。

漫才もラウンジもお客さまが最優先で、お客さまを退屈させないことが大切。「あそこのお客さん怖い顔してはるな。おもろないんやろな」と思ったら、「あんた怖い顔してるけど怒ってるの?」といじったりする。いじってもらうと相手かて嫌な感じはしないから。そうするとお客さんと遊んだ感覚になるでしょ。

玄武:おばあちゃんは本当に盛り上げ上手なんですよ。「赤ちゃん婆ちゃん」ってクルーの名前を連呼する曲があるんですけど、曲終わりに「今、赤ちゃん婆ちゃんって何回言ったでしょう?」とかクイズを出したりもします。客側もノリがいいから「100回」とか言ってくれるんですけど、おばあちゃんは「そんな叫んだら死んでまうわ」と返すんです(笑)。

でこ八:やっぱり「この人らもう鬱陶しいし聞きたないな」「早く終わってほしいな」と思っている人の空気は肌で感じるんですよ。それを感じられなかったらプロじゃない。ただ1人よがりで遊んでるだけやと思うんです。

でこ八さんは常に観客の盛り上がりを意識しながらステージに上がっているという。(『証明 prod.DJ MADJAG』ミュージックビデオより)

──玄武さんから見て、ラップを始めてからでこ八さんに変化はありましたか?

玄武:良くも悪くも何も変わってないかもしれません(笑)。

ただ健康状態が変わりましたね。おばあちゃんはもともと、シューグレン症候群と末梢神経症候群という難病指定の病気を患っているんです。でもラップを始めてから「(検査の)数値が良くなった」と言っていて。

でこ八:病気が原因で、65歳で仕事をやめたんですよね。それからラップを始めるまで3年くらい入退院を繰り返していました。痛みで立っていられないから家で寝込んでいた時期もあるぐらいで。でもラップをはじめてからは寝込まなくなってね。病院の先生からも驚かれましたわ。

玄武:最近なんて、ステージで飛び跳ねてるんですよ! おばあちゃんの年齢なら歳を重ねるにつれて体力が下がっていくものだと思うんですけど、体力を維持しているのはすごいと思います。

ラップがうまくいかない。悩んだときに刺激を受けた年下ラッパーの一言

──ご自身でラップをしたり、ラップのライブに出るようになって好きなラップアーティストもできましたか?

でこ八:UMB(アルティメット・エムシー・バトル)の司会をしていたDO BOYさんが好きです。あの人の柔らかくて、ほんで泥臭い感じの語り口が好きでね。あとCIMAくんも好きですね。よく「ばあちゃんばあちゃん」とかしゃべりかけてくれて、仲良くしてくれます。

──アーティスト同士の交流もあるんですね。CIMAさんとはどんなお話をされるんですか?

でこ八:ラップをしていて1回、自信をなくした時期があったんです。「私やっぱり下手やからあかんわ」とCIMAくんに悩みを打ち明けたことがあって。

その時に「ラップなんてばあちゃんの好きなように言ったらええねん。自分が思ってるように言葉を言ってたら、勝手に音がうまくついてきとんねやくらいに思っといたらええ」と言ってくれて。それで「そんなもんでいいんかな」と気が楽になりましたね。若い人からアドバイスをもらえるのは、ラップしているからこそ、なんですよ。

──若い人に何かを教えてもらえるのはうれしいものですか?

でこ八:すごくうれしいですね。今まで自分が分からなかったことがあって、それを取り入れられるから。

──いつまでラップをしたいと思いますか?

でこ八:もちろん体調次第だからどうなるか分かりません。でも希望としては80歳。もし車椅子になってもね、「車椅子で走り回ったるわ!」言うてます。何事も元気さがなくなったら終わりやね。

──でこ八さんがそこまで元気でいられて、サービス精神が旺盛なのは何故なのでしょう?

でこ八:それはもう全部、自分のため。なんかいや~な空気出してその場所の雰囲気全体を悪くしてしまう人っているでしょう?そうなりたくないから、私は誰に対しても明るく接していたいんです。

『 “Letter” (Prod.AKIO BEATS)』ミュージックビデオ

──現在73歳のでこ八さんが、今後チャレンジしてみたいことはありますか?

でこ八:玄武が路上ライブをやりたいと言い出していて……。

玄武:コロナ禍以降、少しライブ出演が減っているんですよ。おばあちゃんが高齢者なので、オファーする側も気を遣ってくれているんだと思います。それでも「自分たちは活動しているよ」ということを示したい。あと、赤ちゃん婆ちゃんは普段ヒップホップを聞かない層にもインパクトがあるユニットだと思っているので、路上でやる意味がありそうだなと思っています。

でこ八:最初に聞いた時は「私の年齢わかってんのか」って言ったんですよ(笑)。ただ私も玄武の「チャレンジしたい」という気持ちはわかるので付き合いたいです。どうせやるなら「日本一周!」くらいやってやりますよ!

(文・久野剛士)

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編集者・ライター久野剛士
1986年、静岡県生。元CINRA.NET編集部(2021年退社)。現在はIT企業に勤務しながらフリーランスとしても活動する。関心のある分野は映画・ラップミュージック・R&B・スケートボード。

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編集者・ライター久野剛士
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