会社員の夫婦が50代で移住、ビール工房を設立。「尾道ブルワリー」が生まれるまで

2022年1月17日

ここ数年、クラフトビールが人気を集めています。クラフトビールとは、小規模な醸造所(マイクロブルワリー)でつくられるビールのこと。その人気は留まるところを知らず、日本各地でオリジナリティー溢れるビールが誕生しています。

そんなクラフトビールを、今年から広島県尾道(おのみち)市で造っているご夫婦がいます。佐々木真人(まさと)さんと真理さんです。

二人は2020年8月に千葉県から尾道市に移住し、2021年2月にクラフトビール工房「尾道ブルワリー」を開業しました。その7か月後、世界で3番目の歴史をもつ国際ビールのコンテスト「インターナショナル・ビアカップ2021」で、2部門に受賞するという快挙を遂げるのです。

それまで二人は、それぞれ別の企業で、会社員としてはたらいていました。なぜ移住し、未経験のビール造りをすることになったのか──。佐々木ご夫妻にお話を伺いました。

夫のうつ病と、東日本大震災

 2007年、当時44歳だった真人さんは、東京の大手食品・物流会社ではたらき始めた20年目に、監査役に抜擢されました。そこは幹部候補の見習いが集まる部署で、グループ会社のあらゆる情報がそこに集まっていたそう。真人さんは、M&Aの取引から、社長の業務のフォローまでこなすマルチな監査役として、身を粉にしてはたらきました。「正月以外は毎日睡眠3時間」というハードな毎日を過ごしていたといいます。

 そんな生活を3年ほど続けた結果、真人さんはうつ病を発症してしまいます。体調が良くなったり、悪くなったりをくり返して休職を余儀なくされ、会社の第一線から退くことになりました。当時の真人さんのことを、妻の真理さんはこう振り返ります。

「プレッシャーのかかる仕事ですし、きっと、仕事を休みたいんだろうと思いました。でも、本人は『違う。はたらきたいけど、はたらけないんだ』と言うんです。こんなにつらそうなのに、はたらく意欲があることに驚きました」(真理さん)

そんな真人さんの状態に、真理さんは、「無理して、今の状態に縛られなくてもいいんじゃない?」と提案。真人さんも「ここではたらくことだけが、すべててではないかもしれない……」と思い始めるようになります。

一方、真理さんは、ある旅行会社に勤めていました。旅行好きという真理さんにとって、観光業は「天職のような仕事」だったと言います。

そんな真理さんの気持ちに変化を起こすきっかけとなったのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災。全国から東北への交通は遮断され、東北への旅行の予約はキャンセルが続きました。

そして震災から49日後、東北新幹線の運転が再開されたとき、真理さんは勤務先である映像を目にします。

「それは、復旧後の一番列車、新幹線『こまち』が秋田県へ向けて走り始めた映像でした。地方の方たちが沿道から新幹線に向かって手を振って、『おかえりなさい!』と叫んでいて。そのとき、ふと、『東京から地方の観光地に人を送る仕事ではなく、地方で観光客を迎え入れる仕事をしたいな』って思ったんです」(真理さん)

きっかけは、熊野古道で出会った女性の一言

それから時間が経ち、2019年4月、二人で旅行の訪れていた和歌山県の熊野古道の「近露(ちかつゆ)」という土地で見つけた一軒のカフェとの出会いが、大きな転機になります。

カフェの名前は「熊野野菜」。その名前の由来は、「カフェ以外にも、熊野の野菜をブランド化して流通させる取り組み行っているから」であり、その店主は、『地域おこし協力隊』として東京から近露に移住してきたそうで「自分は60歳を過ぎても、はたらきつづけたい。一次産業なら定年もないし、ずっとはたらき続けられるんじゃないかと思った」と語ります。

このお話に、真人さんと真理さんは深く共感。二人は、その場で自分たちの生き方について話し合いを始めました。
その話の中で、ビール好きの真理さんが思い付きで「クラフトビールを造るのはどうだろう?」と提案。真人さんも即諾し、「できるかどうか調べてみるよ」と返します。ここから、夫婦二人三脚の事業計画がスタートしたのです。

電光掲示板で見つけた『広島県移住フェア』

旅行から帰ってきた真人さんは、さっそくクラフトビール造りについて調べました。すると、いくつかのハードルが浮かび上がってきます。その一つが、ビール造りの「免許」。日本では酒類の分類ごとに醸造免許を得る必要があり、一年間の醸造見込みの最低水準が定められています。発泡酒なら年間6キロリットル、ビールなら年間60キロリットルを製造できなければ、免許を取ることができません。

「発泡酒造りの設備なら何千万円、ビールなら億円位になります。ビールをつくったことのない私たちが、いきなりそんな量を売るなんて、現実的ではないと思いました。そこで、一からプランを練ることにしました」(真人さん)

また、どこでクラフトビールを製造するかも、大きな検討事項の一つでした。そこで、真人さんはクラフトビールを製造するのに最適な場所を調査。人口や産業などを鑑みながら、製品の強豪を避けるために「ビールの醸造所がない場所」という条件で候補地を絞っていくと、全国で10カ所ほどの候補が上がりました。

その候補地への移住を検討するため、二人は、東京都の有楽町にある「ふるさと回帰支援センター(移住支援センター)」へ足を運びました。当時、第一候補として考えていたある県の担当者に「移住して、クラフトビールを造りたい」と話しますが、反応はイマイチ……。

「困ったなぁと思って、エレベーターホールの椅子に腰かけていると、ふと、エレベーター横の電光掲示板が目につきました。そこには、『広島県移住フェア、明日開催』というが表示があって、明日も来てみようということになったんです」(真人さん)

次の日、移住支援センターに到着すると、尾道市の移住ブースが目に留まりました。尾道市は、以前二人でしまなみ海道をサイクリングしたことがあり、そのときに通った海沿いの風景や、穏やかな時間が流れる雰囲気に好印象を持っていたことを思い出したのです。

尾道市のブースの移住コーディネーターに「クラフトビールを造りたいのですが……」と切り出すと、「えっ、クラフトビールですか。いいですね。ぜひ尾道市でやりましょう!」と、とても良いリアクション。

その担当者は尾道市に属する因島(いんのしま)出身で、移住に関することだけでなく、開業の助けになるであろう人脈も紹介してくれました。そして、その日から、尾道市は起業の地の第一候補になったのです。

築120年の土蔵、そして尾道の人々との出会い

それから二人は、尾道市に毎月訪れ、物件探しや情報収集を始めました。訪れるたびに飲み屋で食事をしながら、お店の方に「尾道でビールを造りたいんです」「いい物件はないですか?」「ビールができたら置いてくださいね」と話し、名刺を置いてその場をあとにしていました。

するとある日、千葉の自宅に「古い蔵だけど、大家さんが借り手を探しているよ」と連絡をくれた方がいたのです。その方は、名刺を渡した飲み屋のマスターでした。真人さんと真理さんは、すぐに尾道市に下見に向かいました。

その物件は、商店街に面した扉から奥へと続く通路の先にあり、埃だらけの古びた土蔵。なんと、120年も前に建てられたものでした。地面がむき出しで壁も崩れているところもあり、見た目はお化け屋敷のようでしたが、真人さんと真理さんは一目見て「ここだ!」と思ったそう。

太くて立派な梁に圧倒されたんです。即決でしたね」(真人さん)

当時の土蔵の様子

そこから、話はトントン拍子に進んでいき、2020年の春には、土蔵の大家さんが旗振り役となって、真人さんと真理さんの起業を応援する「尾道ブランティング」という有志チームが発足しました。そのチームには、醸造所の施工から、お店のロゴやラベルデザインまでサポートするメンバーが集結。30代から50代まで、さまざまな年齢や業種の人たちが、二人の起業を後押ししたのです。

「私たちが東京から『ビールを造る』と言って移住してきたのだと聞いて、尾道の皆さんは驚かれたと思います。でも、尾道市に住んでいる方は親切で、程良い距離感でおせっかいをやいてくれたんです。そんなあたたかい人柄の皆さんと過ごすうちに、この町が大好きになっていました」(真理さん)

尾道ブランディングの皆さん

夫婦と犬一匹で、尾道市へ移住

移住と起業に向けて邁進していた二人ですが、すべての人に大手を振って応援されたかというと、そうではありませんでした。

真人さんの親戚からは、起業について心配の声があがります。「ビール造りをしたことがないのに、成功するの?」「資金はどうするの?」と。時には、さまざまなデータを用いて、起業をあきらめるよう説得されたこともあったそう。それでも、真人さんと真理さんの気持ちは変わりませんでした。

「私たちは、『今までの生き方を変えたい』と思っていました。もちろん、今までの生活を続け、定年後に第二の人生を楽しむような暮らしも悪くはなかったと思います。でも、人生は一度切りですから、このままだとつまらないなと思ったんです。誰も私たちの人生に責任が取れるわけではないはず……そう思ってこの道を選びました」(真理さん)

「親戚のみんなを説得することはせず、「行ってくるからね」とだけ告げました。失敗の怖さより、残りの人生をかけてやりたいことが見つかった喜びの方が大きかったように思います」(真人さん)

そして2020年の2月、真理さんは勤めていた会社を退職。その後7月に真人さんも長年勤めた会社を退職しました。真理さんは56歳、真人さんは57歳。お互い定年を待たずしての退職でした。

そして8月、二人は愛犬のムサシを連れて、広島県尾道市に移住。奇しくも引っ越し日は、8月6日。広島にとっては特別な日でした。「狙ってその日にしたわけではなかったのですが、なんだか運命のような気がしましたね」と真人さんは振り返ります。

本丸の課題・ビール免許の取得に向けて

ビール造りには、乗り越えなければならない壁がありました。そう、ビール免許の取得です。二人が狙いを定めたのは、年間6キロリットル以上の製造が定められている、発泡酒免許。ビール造り未経験だった中、どのように免許取得を取得したのでしょうか。

それは、真理さんのある行動がきっかけでした。千葉県に住んでいた時、真理さんには行きつけのマイクロブルワリーがありました。真理さんはそこに情報収集がてら、仕事帰りによく飲みに行っていったのです。

通う中で店のオーナーである醸造家と親しくなり、彼の師匠である「栃木マイクロブルワリー」の横須賀貞夫さんの存在を知ります。「こんな美味しいビールを造る方の師匠なら、すごい人に違いない!」と思ったそう。

2019年9月、埼玉県で開催されるビールフェスに横須賀さんが出店されることを知った二人は、横須賀さんのブースを訪ねます。
横須賀さんは二人と同世代ながら、大手ビール会社のビールの開発に携わったこともあるビール造りのスペシャリストでした。栃木県の宇都宮で自身のマイクロブルワリーを営みながら、新規のマイクロブルワリー造りを担う人の育成にも力を入れていました。

そんな横須賀さんに、真理さんは勇気を振り絞って、「実は、イチからビールを造りたいんです。私たちに教えていただけませんか?」と直談判。すると、横須賀さんは「じゃあ、履歴書持ってきてくださいね」と快く承諾。尾道市に移住前の2000年3月、宇都宮のウィークリーマンションに滞在しながら、ビール造りの修行が始まりました。

修行中の真理さん

横須賀さんの指導はビールの造り方だけでなく、業界の厳しい現実や経営に対する考え方まで及んだといいます。たとえば、横須賀さんは二人との面談の第一声に、『マイクロブルワリーは、思っているほど儲からないですよ』と言いました。最初にそんなことを言われたら面喰らってしまいそうですが、二人は「この人は信用できる!」と思ったといいます。

「たいていの人がマイクロブルワリーは儲かると思って始めるらしいんです。でも、実際はちがう。この仕事は好きじゃないと続かないということを、包み隠さず話してくれたことがうれしかったですね」(真人さん)

「技術を教えてくれるところはきっと数多くあると思うのですが、業界のことや経営面の奥底まで教えてくれる人はほかにないんじゃないかなと思いましたね」(真理さん)

横須賀さんにビールのあらゆることを学び、導入する機械を使用しているブルワリーにも見学に行きました。自分たちのビールの構想を練る日々。それと並行して尾道市の土蔵に醸造所を建設していきました。

2021年1月、真人さんと真理さんは、「発泡酒製造免許」を取得。2月27日に、ついに「尾道ブルワリー」をオープンしました。

尾道の特産物をフレーバーに取り入れたビールが、見事受賞

そして、開業から7か月後、尾道ブルワリーの製品は、世界で3番目の歴史をもつ国際ビール審査会である「インターナショナル・ビアカップ2021」で、2部門を受賞。

審査の出品数は、全部で943本、うち海外からの出品も300本以上ありました。そんな激戦のなか、ビール造り初心者の二人が、開業してすぐに受賞する快挙を成し遂げたのです。こんな短期間で成果を出せたのは、「どんなときも相談に乗ってくれた師匠のおかげですし、丁寧にビール造りに向き合ってきたからだと思います」と二人は口をそろえます。

そもそものこの審査への出品は、真人さんのアイデアによるものでした。出品には、審査費用がかかります。それを知った真理さんは「そんなにお金がかかるの?」と、当初反対したそうですが、最終的に真人さんはその反対を押し切って、自分たちのクラフトビール6種類を出品。それは「自分たちのビールに客観的な評価を知りたい」という理由からで、まさか受賞するとは思っていなかったといいます。

受賞した製品は、「岩子島トマトヴァイツェン」と「ましろコーヒーポーター」の2本。いずれも、尾道市で取れた野菜など、特産品を取り入れた個性的なビールでした。「この受賞で、『おいしい』と言って飲んでくださる方々の評価の裏付けを得ることができました」と真人さんは話します。

尾道 岩子島のトマトを使ったビール「岩子島トマト ヴァイツェン」

尾道と旅行者の架け橋に

定年を前にして、移住と起業を駆け抜けた真人さんと真理さん。会社員時代の経験も、無駄ではなかったといいます。

「物事の進め方一つひとつに、前職の経験が生きていると実感しています」と、真人さん。
「旅行業界にいたからこその視点を持っているので、それを尾道市のために還元できることがうれしいですね」と、真理さん。

世帯収入は、会社に勤めていたときと比べると、半分以下に減ったそう。それでも、人の縁にも恵まれ充実した毎日を過ごせている日々は、何にも代えがたいそうです。

今年で二人は結婚30年を迎えました。真理さんがアイデアを出し、真人さんが具体的な計画を立てる。そんなふうに、お互いの長所を活かしながら、ともに歩んできたといいます。

クラフトビール造りに踏み出したときのように、「一緒に仕事をしてみると、言い合いになることもあって。他人よりも感情をぶつけ合えてしまうからかもしれません」と真人さん。それに対し、「一緒にはたらきながら息を抜く方法を見つけるのが、これからの課題かも」と真理さんは笑います。

二人の目標は、尾道市でつくられた旬の野菜や果物たちをビールと掛け合わせて、尾道市の人たちと訪れる観光客の架け橋になること。それを人生の目標にしたのは、「自分たちを迎え入れてくれた、尾道の人たちが大好きだから」と話します。

「自分たちが造るビールで尾道を盛り上げたいっていう気持ち、それがこの町の人たちに受け入れられたのかなって。偶然出会った尾道市ではありますが、導かれたような気がしています」(真理さん)

「二人とも覚悟を決めて、あまり失敗を考えずに踏み出したことが良かったかなと。『ここでビール造りをしたい』と発信していたら、尾道市の方々がたくさん手を差し伸べてくれました。いまはビールを造ることが、本当に面白いです」(真人さん)

50代の終わりに新しい道を見つけ、歩み出した夫婦。海と山に囲まれた尾道ブルワリーで、今日もビール造りに励みます。

(文・池田アユリ)

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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
インタビューライターとして年間100人のペースでインタビュー取材を行う。社交ダンスの講師としても活動。誰かを勇気づける文章を目指して、活動の枠を広げている。2021年10月より横浜から奈良に移住。4人姉妹の長女。
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インタビューライター/社交ダンス講師池田 アユリ
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