繊細さんが楽に生きるには?生きづらさを描くイラストレーター・なおにゃんさんの「負の感情との付き合い方」

2022年10月12日

SNSを中心に「このいいねの数にほっとする」「まさに昨日の私です」「この絵を名刺にしたいです」など共感の嵐を呼ぶイラストレーター・なおにゃんさん(@naonyan_naonyan)は、神経が細やかで感受性が強い性質を生まれ持った「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)で、鬱の経験があります。コロナ禍で鬱を再発した時、その強い感受性をうさぎのイラストに投影してあるある話としてツイートしたところ、2022年8月時点で7.7万人ものフォロワーを持つ人気アカウントになりました。

会社員生活に適応できず、鬱で休職して何度も自分と向き合い、絵本作家の道へシフトしたというなおにゃんさん。繊細なメンタルとの付き合い方や、絵を描いたことがなかったのに絵本作家へキャリアチェンジした理由、負の感情と楽に付き合うコツなどを伺いました。

子どものころは「いい子」を演じ、大人になって鬱になった

――なおにゃんさんは「繊細さん」とも呼ばれるHSPとのことですが、小さい頃はどんな性格でしたか?

元気で明るい活発な子どもだったと思います。母が小学校の教師だったからか「真面目ないい子でいなきゃ」という意識が強かったです。小学校では率先して学級委員になり、先生からも気に入られるように必死で生きていました。

内向的な性格に変わったのは中学校に入ってからです。きっかけは校内でのいじめでした。同じクラスに不良の男の子がいて、ほかの男の子を殴ったりしていたんですが、みんな見て見ぬふりをしていました。

私もそうで、内心はすごく嫌だったんですが「何かしたら自分もいじめられるかも」という恐怖があり、何もできなかったんです。そんな自分をダメな人間だと思いつつも「自分を守るためには言えなくてもしょうがない」って気持ちもあり、うまく折り合いがつけられなくて、保健室登校になってしまいました。

――ということは、思春期になってからHSPになったのでしょうか。

HSPは遺伝する気質でもあるので、もともと持っていた要素だと思います。あと、家庭環境も要因の一つだと言われています。私の場合、母親が怒りっぽい性格で、ため息をついたりイライラしたりすることが多かったので、家でも「いい子でいなきゃ」って強迫観念があって。親の機嫌をすぐに察知してビクビク怯える子どもでした。

――なおにゃんさんは社会人になってから2回ほど鬱で2回休職を経験されたそうですが、きっかけは何だったのでしょうか?

職場の人間関係です。新卒で志望していた出版社に入社できたものの、上司がネチネチ指摘するタイプの男性で、日々ストレスが溜まっていきました。誰にも相談できず一人で抱え込んでいたから、どんどん病んでいってしまったんです。

入社してちょうど1年が経ったころ、会社にいたら急に心臓がドキドキして「わーっ、怖い怖い、何これ!?」と強烈な不安感に襲われました。いわゆるパニック発作です。慌ててトイレに駆け込んで「だれかに今の気持ちを聞いてもらわないとおかしくなる!」と思い、友達に電話したら「すぐに心療内科に行って診てもらったほうがいい」と言われて病院に行き、初めて鬱だと診断されました。

――それまで「鬱かもしれない」と感じたことはなかったのでしょうか。

自分では気が付かなくて。「がんばって努力すれば、この辛さも乗り越えられるはず」と考えていましたし、鬱の情報もあまり知らず、自分とはかけ離れたものだと思っていたんです。だからお医者さんから「鬱です」と言われた時はびっくりしました。

――鬱だと診断されてからはどうしましたか?

とても仕事できる状態ではなかったので、3カ月ほど休職しました。でも「こんなに休んでいちゃダメだ、早くはたらかなきゃ」と焦り、まだ治っていないのに焦って復職してしまって。復職して半年ほどで朝起きられなくなり、欠勤や遅刻が重なったり、会社に行っても元気が出ずぼーっとしてしまう無気力な状態になったりと悪化してしまい、また休職せざるを得ませんでした。

――お母さまには鬱になったことを伝えましたか?

伝えたことはありますが「勘違いじゃない?」と否定されました。小学校までの私は「明るくて元気ないい子」だったので、今でも親の前では明るく振る舞ってしまうんです。そんな娘が鬱になったなんて、信じられないし受け入れたくなかったのかもしれません。それで「心の話を家族にしても心配させるだけだからやめよう」とあきらめ、距離を取るようにしました。

たとえ家族であっても別の人間ですから、自分の内面まで全部理解してもらうのは難しいですよね。特に私と母は性格のタイプが違うので、無理に分かってもらおうとするとかえって苦しくなります。適度な距離感があったほうがうまく話せますし、明るく振る舞うのも癖なので、だったら今のままでいいかなと受け入れています。

鬱で休職中に絵本作家を目指し、初めて自分の居場所を見つけた

――絵を描き始めたきっかけは?

最初は「せっかく入った会社なのに、辞めたら人生が終わっちゃう」と思っていたのですが、1年ほど休職して考えるうちに「会社員としてはたらくのは無理かもしれない」と現実を受け入れるようになり、だったら新しいことをしようと絵本を描き始めました。

――もともと絵を描いていたんですか?

いえ、それまで絵を描いたことはなかったです。2回も鬱になって休んでいると「私はちゃんとはたらくこともできない、何もない人間だ」って感じるんですね。それで自分と向き合っているうちに「そもそもなんで出版社に入ったんだっけ?そっか、私は心から本が好きなんだ。だったら自分で本を作ってみよう」と思いました。

出版社では児童書の編集をしていて絵本の作り方は知っていましたし、文章を書くのはあまり得意じゃないので、あえて絵本にしました。とにかく自分の気持ちを表現するものが欲しかったんです。

――なぜ自分の気持ちを表現したかったのでしょう。

鬱になった時は1年目の新人で、下っ端の私の意見を聞いてくれる人はほとんどいませんでした。だから「自分の声を人に届けたい、ちゃんと見てほしい」って気持ちが強かったんだと思います。

――なるほど。どんな絵本を描きましたか?

©『いちごパフェエレベーター』(教育画劇)より

パティシエにアテンドされて、パフェのスイーツの層をエレベーターで移動する『いちごパフェエレベーター』という本です。編集の仕事で食べ物の絵本は子ども受けがいいと知っていたので、自分が好きなパフェの絵本にしようと思いました。

絵の描き方はネット検索で調べて、アクリルで描いています。編集者としてお付き合いしていた絵本作家さんにラフを見せて「こういう本だったらこの出版社と相性がいいと思う」とアドバイスしてもらい、その出版社に持ち込んで出版に漕ぎつけました。

――休職中に絵本を描いてみて、心境の変化はありましたか。

自分の名前で本を出せることが決まった時、ようやく自分が受け入れられて居場所をもらえた気がしたんです。絵で表現するのもすごく楽しかったので、絵本を出す半年前に「会社を辞めよう」と決意し、絵本作家として独立しました。会社の人間関係で鬱になりましたが、会社員の経験を生かして自分に合ったキャリアにシフトできました。

負の感情も押し殺さずに表現できれば生きやすくなる

――絵本は石崎なおこさん名義で出されていますが、なおにゃんさんとしての活動はいつから始めたのでしょうか?

2020年5月のコロナ禍です。緊急事態宣言が出てずっと家にいたのに絵本の仕事が全然なく、気が沈んでまた鬱になってしまって。でも、絵本作家として発信しているTwitterだと、子どもに絵本を読んでもらう仕事だから「死にたい」とかネガティブなツイートはできないじゃないですか。取り繕ってツイートしている感じで、発信していても楽しくなかったんです。

だから裏垢感覚で“なおにゃん”名義のTwitterカウントを開設して、そっちで本音を呟くようにしました。気持ちを言語化して吐露するだけでもすっきりするので、自分の感情を吐き出す場として活用していたんです。そしたら思いのほかツイートに共感してくれる人が多くて、メンタルの話をするうさぎのキャラクターを描くようにしたらどんどんフォロワーが増えていきました。

――ウサギが一人反省会をするツイートもバズっていましたね。

自分の話ばかりしちゃったことはもちろん、ちょっとした言葉遣いや返事の仕方まで気になって、あとから「相手に嫌な思いをさせちゃったかも」と不安になり、猛省しちゃうんです。

でも、こういうツイートがたくさんの方に共感してもらえて、よく「なおにゃんさんのツイートを見て、こうなるのは自分だけじゃないんだって思いました」ってコメントをいただきます。そう言われると、私も「こんなに暗い自分でも受け入れてもらえるんだ」と救われるんですよね。絵本は自分の内面までは出していないので、なおにゃんとしてのTwitterアカウントを通して自分を否定せず、受け入れられるようになった気がします。

――自分を否定せず受け入れられるようになったことで、何か変化はありましたか?

悲しい、苦しい、腹立たしいといったネガティブな感情を押し殺さなくなりました。どうしても許せなくて、珍しく怒ったことがあったんです。でも、それが相手を傷つける結果になってしまって「どうしたらよかったんだろう」と1週間くらい悩みました。

でも、最終的には「どうしても許せないなら、許せない自分を否定しなくてもいい」と感じました。怒るのは大人げないかもしれないけど「怒るなんて私は小さな人間だ、ダメな人間だ」ってわざわざ否定するほど悪いことじゃないですよね。自分の感情に蓋をしてまで、いけないことに対して「怒らないのが美徳」だと決めつけるのもおかしいなって思ったんです。

私の担当編集者からも「生きていれば日常生活で自分の怒りを表明しなきゃいけない場面がたくさんあるから、言いたいことがあるなら言わなきゃだめですよ」って励ましてもらいました。怒りって自分を知れる感情でもあるんですよね。許せないことがあるなら、それは自分にとってすごく大切なこと。それに気付けるなら怒りも意味のある感情だから、自分の感情は消さずに全部大切にしようって考えるようになりました。

――これから人生を気楽に生きていくために、実践していきたいことを教えてください。

実際の人間関係は理屈じゃなく、うまくコントロールするのは難しいから、他人にも自分にも期待しないようにしています。特に自分ですね。期待していると「もっとできるはず」と自分の首を絞めてしまうけど、期待しなければ自分はこんなもんだって現実を受け入れられるようになります。だからハードルを上げず、淡々と目の前のことをやっていきたいです。

あとは、引き続きイラストや文章を通じて自分の感情を素直に表現していきたいですね。自分の感情を表現できないと苦しくなってしまうので、「みんなはこうしているから」と自分に嘘をつくようなことはせず、素直に伝えることが生きやすさにつながると思っています。人はいろいろな感情を味わうために生きているんだと思って、自分の心に向き合っていきます。

(文・秋カヲリ 画像提供・なおにゃんさん)

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エッセイスト・心理カウンセラー秋カヲリ
1990年生まれ。ADHD、パンセクシャル、一児の母。恋愛依存や産後うつなどを経験し、現在は女性の葛藤をテーマにしたコラムを中心に執筆。求人広告→化粧品広告→社史制作→フリー。2018年にYouTuberメディア『スター研究所』を公開、2021年に『57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室』を出版。

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