予約6カ月待ち。ライフコーチ・ボーク重子さんが、人生を変えた「非認知能力」を身につけるまで

2023年7月28日

「非認知能力は日本を変えるムーブメント。一人でも多くの人に届けるのが、私の夢」

こう話すのはライフコーチのボーク重子さん。ボークさんの「BYBSコーチング(非認知能力を育成するコーチング)」は現在6カ月待ちという人気で、受講した人から「人生が変わった!」という声が次々に届いていると言います。

「非認知能力」とは、自己肯定感、自分軸、成功体質、主体性、オープンマインド、共感力……といった、「数値では測れない」スキルのこと。

海外では数十年前から教育やビジネスの世界で重視されていて、2000年にはアメリカの経済学者が「人生の幸せと成功に、学力よりも大きく寄与する能力」と証明しました。日本でも今、「教育界のバズワード」と呼ばれるほど注目されています。

この非認知能力を日本に広めたパイオニアが、ボークさんです。

イギリスの大学院で修士号を取得し、33歳で渡米。41歳の時にオバマ大統領(当時上院議員)とともに「ワシントンの美しい25人」に選ばれ、45歳からコーチングの猛勉強を始め、50歳でライフコーチとしての第2の人生を歩み始めました。翌年には娘さんが、「全米最優秀女子高生」にも選ばれています。

側から見ると華々しい経歴を持つボークさんですが、その人生が花開いたのは、意外にも40代に差し掛かるころだといいます。しかもそれは、非認知能力に出会ったお陰だというのです。

ボークさんはどのようにして非認知能力に出会い、どう人生を変えていったのでしょうか? 彼女の生き方から、非認知能力の持つ力に迫ります。

受講者によるメッセージが添えられた「BYBSコーチング」のフラグ

自分を肯定するだけで、人生がプラスに動いていった

――ボークさん自身、過去には自分に自信がなかったと伺いました。

私は福島出身で、東京の大学を卒業して、就職活動はせずにアメリカの秘書の学校に一年間留学しました。でも、英語の速記や簿記ができるようになっても、タイプライターが打てるようになっても「なんか違うな」と思ったし、秘書にも全然向いていないと思った。

さらには、30歳一歩手前で恋人に振られちゃって。「あ、人生終わった。私の価値はなくなった」と思いました。当時(数十年前)は「30歳前に結婚していない=女性として失敗した」という風潮が強かったし、私自身も心のどこかで「女の幸せは結婚」だと思っていたんですよね。

でも、私はもう(振られてしまったから)自分で生きていくしかない。どうせ長いこと一人ではたらくなら、好きなことでお金を稼げるようになろう。そう思って、「趣味であったアートでビジネスをしたい」という夢に向けて、29歳の時にイギリスの美術系の大学院に留学したんです。「いつかまた留学したい」という夢があって、お金だけは貯めていたから。

私は当初「アートギャラリーを開いてディーラーをやりたい」と思っていたのですが、大学院でアートの修士号を取って、いざそれをやろうと思うと、怖くて何もできなかった。だって失敗したら恥ずかしいし、ダメな自分を証明するのが嫌だったから。

留学中に南仏でアメリカ人の夫に出会って、ワシントンDCに移住し、結婚して娘が生まれました。

――ボークさんが「非認知能力」を知ったのはいつごろなのでしょうか。

私が37歳、娘が4歳の時です。

「娘には絶対、私みたいに自分に自信のない、うじうじした大人になってほしくない。でも、どうしたら?」って思った時に、周りを見渡すと、アメリカ人ってみんなすごく楽しそうに生きているんですよね。人から何を言われたって「だから何?」という感じで。

「何が違うんだろう? これはきっと教育が違うに違いない」と思って、いろいろと調べるうちに、非認知能力を育む教育(Social Emotional Learning=SEL)について知ったんです。SELを実践している学校ってどんなところがあるのかな? と調べて見つけたのが、ワシントンにある12年制の学校でした。

娘がそこに入学して、学校から言われたのが、「学校でどんなに素晴らしいことをやっても、結局子どもは親を見て育ちます。家庭でも同様のことをしてくださいね」ということ。私は「学校が娘を立派に育ててくれるだろう」と安心していたから、もうびっくりして。

でも、家庭でどうやるかなんてどこにも書いていないし、見よう見真似でやるしかなかった。

唯一知ったのは、「非認知能力を育むためには“教える”のではなく、親自身が非認知能力を身につけて、娘がその中で育っていくことが重要」ということでした。

――「親自身が非認知能力を身につけなければいけない」と知ったボークさんは、非認知能力をどのように身につけていったのでしょう。

私には、「自分を低く評価する思考のクセ」がありました。周りには羨ましくなるくらいキラキラした人がいっぱいいて、それに比べて私はキャリアと呼べるものも、人脈も、経験もお金もない。

でも夫は、「重子はすごいよね。一生懸命自分で貯めたお金で留学して、英語もフランス語も日本語もできて、アートの知識があって、イギリスで修士号を取って。こんなに立派なんだから、なんでもできるよ」と言うんです。

つまり、私には本当に価値がないわけじゃなくて、私自身が「自分という存在」を認めることができていなかったんです。日本では、往々にして「人に迷惑をかけない大人になりなさい」って小さなころから教わるから、私みたいな人は多いのではないでしょうか。

そこで、自分という存在を認められるようになるため、まずは自分に優しくすることから始めました。具体的には、毎日寝る前に「今日もよくがんばったね」と自分をいたわる。「今日はこんなところが素敵だったよ」と自分に声を掛ける。

これだけで非認知能力の一つである自己肯定感が高まって、結婚を機にキャリアを中断していたけれど、「自分の力でお金を稼げるようになって、夢を叶えたい」と、前に進む意欲が湧いてきました。

最初に始めたのは、美術館の“はたきかけ”のボランティア(ほこりをかぶったファイルにはたきをかける仕事)です。

――なぜお給料の発生する仕事ではなく、ボランティアだったのでしょう?

実はね、就職活動したら全滅だったんです。私に「お給料を払うよ」と言ってくれるところが、一つもなかった。

――そうなんですか? 修士号を持ち、語学も堪能なボークさんがどこにも採用されないなんて、ちょっと信じられません。

後になって、「いったい何がだめだったんだろう?」と考えました。

日本では、就職面接で志望動機を聞かれたら、「御社の◯◯に共感しました。私には××という経歴があって……」と答えるのが普通でしょう。でもアメリカでは、「私は修士号を持っていて、◯◯の知識があります」、この程度じゃ雇ってもらえない。パッションが求められるんです。私は、パッションがゼロだったんですよね。

もう、ボランティアさえも「採用された」というより、「使ってもらった」のほうが近いかな。

当時は35、6歳だったけれど、私より若くて成功している人はいっぱいいたし、その中に“はたきかけ”で入っていくのは正直恥ずかしかった。でも、娘の学校を通じて非認知能力について少しずつ勉強していたから、「ここからしか始められないなら、ここからやるしかないか」って思えました。

――そこから、どう現在の仕事に近づいていったのでしょう。

まずは、“はたきかけ”の仕事をきちんとやり、美術館の人ともどんどんお話しするようにしました。そうしたら、美術館への寄付金を集めるための電話をかける業務を頼まれて。私、根が真面目だから、「1000件電話して」って言われたらやれちゃうんですよね。それで、100件の寄付金も集めることができました。

日本で生まれ育った人って、海外でものすごく評価されるんです。というのは、仕事が丁寧で美しい。きちっとしているし、約束を守るし、勤勉だし……日本にいると当たり前のことじゃない? これ。

だけど、海外に出ると、これがまったく当たり前じゃない。だから、私が律儀に休まずに“はたきかけ”をやったこと、寄付金集めの電話を1000件かけたことは、それだけでアメリカ人にとってはすごいことだったんです。日本で生まれ育った私たちが「普通だ」と思っていることは、全っ然普通じゃない。

それから4年後の39歳の時、夢だったアートギャラリーも開くことができました。一度開いたギャラリーを維持して、成功に導いていくのは大変で、毎日毎日やらかしの連続でしたが。

やり方さえ知っていれば、誰もが身につけられる力

――なぜ、「ライフコーチ」という職業に興味を持ったのでしょうか。

42歳の時、ワシントンで出会った女性たちの生き方を本にしたくて、日本の出版社に相談しに行ったんだけど、全社から断られてしまって。

でも、一人の編集者の方に「まずはブログから始めてみたら?」と勧められて「askshigeko.com」というブログを始めてみたら、人生相談がいっぱい来るようになったんです。

だんだん私自身の経験だけでは答えられない相談も出てきて、「もっと筋道を立てて、理論に基づいて答えられる方法はないかな?」と探して見つけたのが、コーチングでした。

――コーチングと非認知能力は、どのような関係があるのですか。

コーチング自体は「クライアントが自分らしく最高に幸せな人生を送るためのゴールを設定し、そのゴールを達成するお手伝いをする仕事」。必ずしも非認知能力に特化しているわけじゃありません。

だから私は、アメリカのコーチングを日本の文化に合うように改良して、「非認知能力を育むことに特化したコーチング」をやりたい、と思いました。それをできるのは、おそらく世界で私一人だと思ったから。

コーチングは、「がんばれ!」「やればできる」といった精神論ではなくて、やり方さえ知っていれば誰もが結果を出すことができます。日本ではまだ馴染みがないかもしれませんが、本場アメリカでライフコーチ(コーチングをする人)は、ジムのパーソナルトレーナーぐらい一般的な存在なんです。

たとえばBYBSコーチングでは、気付き(自分の思考のクセを知る)→肯定(そんな自分を否定せず受け入れる)→決断(新思考を身につける・決断する)→行動(実践・習慣化する)、という流れでコーチングを進めていきます。受講者からは、「人生変わった」というコメントをものすごくたくさんもらっています。

――ボークさん自身、非認知能力でどう人生が変わりましたか?

人生が180度変わりました。

私の場合はきっかけが娘で、娘を産んでいなかったら「非認知能力を育もう」なんて思わなかった。20数年前のアメリカは今の日本と同じように、「(非認知能力を)知っている人は知っている。知らない人は知らない」という状態だったので。

だから私は、そういう世の中でも非認知能力に出会うことができて、これ以上幸運なことはなかったと思っています。もしも知らなかったら、今の私は確実にいないし、おそらく娘も違った人生を歩んでいたと思います。

この間、23歳になった娘と一緒にイベントに出た時に、「スカイちゃん(娘さん)はママから何を学びましたか?」という質問が来て。なんて答えるのかな……と思ったら、「ママを見ていて思ったのは、『人は何歳からでも変われる』ということ」と言っていました(笑)。

――これから非認知能力を身につけたいと思っている人に、伝えたいことはありますか。

日本では、人に迷惑をかけず、いい成績を取っていい大学に行って、いい会社に入って、お金持ちになっていい生活するのが幸せだと教わる人も少なくないでしょう。

でも、本当の幸せってなんでしょうか。

上記は、あくまでも「いいオプション」を手に入れただけで、「一生幸せを感じることができる思考」を身につけたことにはなりません。定年を迎えた時、子育てがひと段落した時に、「僕・私の人生なんだったんだろう……」と思う時がきっと訪れるでしょう。

そうならないためには、自分の頭で考える力、自分で選び取る力、失敗や批判を恐れずに行動する力——つまり非認知能力を、今から育んでおくことが大切。他人の意見に一喜一憂するんじゃなく、「自分という存在」を最大限に慈しんでほしいなと思います。

――ボークさんのこれからの展望を教えてください。

やっぱり、非認知能力を一人でも多くの人に届けることですね。

そのために、「家庭」「学校」「企業」、これら3箇所へのアプローチを強化していきます。すでに有能な日本人が非認知能力を身につけたら、きっと、一人ひとりがものすごく幸せな人生を歩めると思うから。

(文・写真:原由希奈)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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