ライター歴20年目で、無理だと思っていた「作家」を目指した理由。佐藤友美が語る。

2024年7月8日

ライター・コラムニストの佐藤友美(以下、さとゆみ)さんは、ライティング未経験からフリーランスに転身。著者の代わりに書籍のライティングをしたり、ビジネス系Webメディアでインタビュー原稿を書いたり、自身の体験や意見をもとにエッセイやコラムを執筆したり、書くことに関して幅広く仕事をしながら、20年以上活躍しています。

2024年3月に出版した最新刊『本を出したい』や『書く仕事がしたい』など自著は計9冊にのぼります。また、自身でライティング講座を主宰し、数多くのライターの育成も行ってきました。ゼロからキャリアを切り拓いてきたさとゆみさんに、書く仕事の魅力やフリーランスとして生き残るための秘訣、仕事と人生を楽しむための考え方を聞きました。

書くことは自分探究。「書く」を通じて考えるのが好き

会社員からフリーライターに転向し、20年以上書く仕事を続けてきたさとゆみさん。書くことは「自分探究」だといいます。

「書く仕事の面白いところは、自分を知れること。インタビュー原稿では取材相手について書くわけですが、実は書き手の人柄や嗜好が原稿に現れるんですよ。人のことを書きながら『私ってこんなことを考えていたんだ』『自分はこういうポイントを魅力的に感じるんだ』などの発見がある。お金をもらって自分探究ができるのが楽しいんです」

ライターのキャリアの始まりはファッション誌でした。日本で初めて「ヘアライター」と名乗り、美容専門誌での執筆やオウンドメディアの編集長も経験。書籍のライティングやビジネス系のインタビュー原稿、書評コラムの執筆など、さまざまな分野で書き続けてきました。

「好きなことを仕事にしている」さとゆみさんですが、書くことはあくまでも手段に過ぎないといいます。

「私が一番好きなのは『考える』こと。今の自分には、書くことが考えるための最も良い手段だと思っているので、書いているんです。ほかの手段があるなら、書く仕事を別のことに置き換える可能性はあるかもしれません」

仕事もソフトテニスと同じように戦略で勝負

書く仕事を目指すきっかけになったのは、大学時代の卒業論文でした。

さとゆみさんが書いた卒業論文のテーマは、小説とノンフィクションの違い。1948年に起こった未解決の銀行強盗殺人事件・帝銀事件について書かれた小説『小説帝銀事件』とノンフィクション『日本の黒い霧』(いずれも松本清張著)を比較し、小説とノンフィクションの表現方法、作家にとって小説とノンフィクションを書く意味の違いを分析しました。

「松本清張さんは小説を書いた後にノンフィクションを書きました。なぜノンフィクションを書いたのか。それは小説では表現しきれなかったことがあったからではないか。この3行を書くために、ノンフィクションを出したのでは。そんなふうに仮説を立てて分析するのが、すごく面白かったんです」

卒業論文の執筆を通して考えることの楽しさを知ったさとゆみさんは、文学の研究者を志します。しかし、当時の学業成績では大学院進学は難しく、研究者の道は断念。会社員を経て、24歳でフリーライターに転身しました。

ライティング未経験からのスタート。そこから仕事を獲得し続け、今では依頼が途絶えないライターになりました。さとゆみさんのポリシーは、持って生まれた才能ではなく、戦略で勝負すること。職業人としてのあり方を学んだ原体験は、5歳から18歳まで取り組んだソフトテニスでした。

さとゆみさんは体格や運動神経に恵まれていたわけではありませんが、中学3年生の時に個人戦で全国優勝を果たします。身長が低くても、足が遅くても勝てるようになる。その指導をしてくれたのは、小学校の教員でソフトテニスの指導者として全国的に有名だった、さとゆみさんの父でした。

ソフトテニスチームに入部直後、まず部員に課されたのは、統計を取ること。試合を見て、プレイヤーがどんなボールを打ったか、どんなボールをミスしたか、どういう理由で点数が入ったかのデータを集めます。その後、データを見ながら「このコースにくるボールが一番多いから、これを優先的に練習しよう」「このコースは、10試合に1回くらいしかこないから、練習しなくていい」と練習の戦略を決めていったそうです。

「父の指導は、人生において大きな学びになりました。仕事もソフトテニスと同じように取り組めばいいのではないかと思ったんです」

さとゆみさんはソフトテニスでの学びを仕事に応用。ライターとして生き残るためには、何が重要なのか。ほかのライターが書く原稿を読み込んだり、編集者に直接聞いたりしながら、徹底的に考えたのです。その結果、特筆した文章力は必要ないことが分かったといいます。

面白い文章は書けなくてもいい。まずは、間違っていないこと。次に、分かりやすいこと。ここまでクリアすれば、仕事には困らないと気づきました。こうして、さとゆみさんは分かりやすい文章を書くことを追求し、仕事の途切れない売れっ子ライターになったのです。

佐藤友美さんの著書『本を出したい』と『書く仕事がしたい』

自分の言葉で自分を縛っていた

さとゆみさんは書籍のライティング、Webメディアのインタビュー原稿を手がけるだけでなく、ライティング講座の講師も務め、人気ライターの道を進みます。順風満帆なキャリアにも見えますが、自分の可能性にフタをしていた時期もあったといいます。原稿の「面白さ」をより求められるエッセイやコラムに対する苦手意識があったため、自身のnote以外で、仕事としてエッセイを書くことはほとんどありませんでした。

「インタビューをして、取材相手について分かりやすく魅力的に書くことに関しては、キャリアを積み、自信をつけていきました。でも、エッセイやコラムで自分の意見を書くことに対しては大きな抵抗があったんです。私などが作家になってはいけないと。メンタルブロックがありました」

メンタルブロックが外れたのは、コロナ禍直前の2020年1月。所属するコミュニティでの読書会がきっかけでした。

読書会は2015年から開催されており、当時さとゆみさんは毎月通っていたのだとか。その回の課題図書は、ブレイディみかこさんのエッセイ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)。さとゆみさんは本書だけでなく、ブレイディさんの過去の著書『アナキズム・イン・ザ・UK——壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(Pヴァイン、2013年)も事前に読み込みました。すると、あることに気が付いたのです。

「ブレイディさんの著書を読み比べて、数年間で一気に文章が洗練されていることに驚きました。こんなに文章が劇的にうまくなるんだと」

読書会当日。東京・代官山の会場に集まった本好きの参加者二十数人が、一人ずつ書籍を読んだ感想を話していきます。ついに順番が回ってきました。さとゆみさんが思いを語ります。

「一生懸命練習すれば、ブレイディさんのような面白い文章が書けるようになるかもしれない。私も頑張って10年以内にはエッセイを書けるようになりたいです」

仲間たちから返ってきた反応は、さとゆみさんにとって驚くべきものでした。ある女性からは「ブレイディさんの本を読んで最初に思い出したのが、さとゆみさんのエッセイでした。私はさとゆみさんの文章が好きなので、もっと書いてほしいです」と言われたそうです。その方は当時さとゆみさんがnoteに投稿していた、小学生の息子との日々をつづるエッセイの読者でした。

ある男性には「10年もかからないんじゃない?今のさとゆみの文章も充分面白いと思うよ」と背中を押されました。読書家の仲間たちの言葉に励まされ、さとゆみさんはどこか吹っ切れた気持ちになったといいます。

「自分自身の言葉に縛られていたことに気が付いたんです。私はライティング講師として『才能がなくても、ライターは食べていけるよ』と教えてきましたし、自分に対して『文章力はそこそこだけど売れているライター』とキャッチフレーズを付けていました。その言葉がこのまま分かりやすい文章を追い求めればいいのだと、自分の可能性を狭めていたのだと思います。

でも、分かりやすいだけで終わりたくない自分がいることを知ってしまった。読書会で『ああ、書きたいかも』と思ったんです。面白い文章が書けなくても食べていけると強がっていたけれど、心底では自分の頭の中を面白く書きたかったのだなと」

自身の可能性を解放したさとゆみさんは、メディアからのオファーを受けたり、自ら営業をしたりして、エッセイやコラムの仕事に積極的に挑戦するようになります。コロナ禍に入り取材の仕事が相次いでキャンセルになったこともあり、ドラマ評や子育てエッセイなど数々の連載を持つようになりました。

「バカなの?」と自分に腹が立つ

メンタルブロックが外れ、新しい仕事に挑戦するようになったさとゆみさんですが、2022年3月、試練が訪れます。

Webメディア・kufura(クフラ)での連載「ママはキミと一緒にオトナになる」(のちに同タイトルで書籍化)で、ロシアに関する原稿を書いたときのことでした。当時はロシアがウクライナに軍事侵攻し、戦争が始まった直後。世界中がロシアに対して強い反感を抱き、日本でもロシア料理店の窓ガラスが割られたり、在住ロシア人が白い目で見られたりといった被害が報道されるようになっていました。

さとゆみさんは、モルドバの料理店で出会ったロシア人のエピソードをエッセイに書きました。しかし、納得する原稿にはならなかったそうです。

「ロシア人の方からは本当にいいお話を聞かせてもらいました。日本中のロシア人に対する空気感を一気に変えるような文章を書けると思ったんです。でもうまく書けなかった。

原稿が公開された後、私は一日中布団をかぶって泣いていました。こんな大事な話を預かったときに書けないって、なんのために書く仕事をしているんだよと。20年もライターやっていて、これが書けないってバカなの?と自分にめちゃくちゃ腹が立ちました」

思いどおりの原稿が書けなかった悔しさから、「ちゃんと書ける人になろう」と決意し、文章力を鍛える講座を受講し始めたそうです。さとゆみさんはより高みを求め、努力を続けています。

大切なのは「自分時間」を増やすこと

さとゆみさんは現在シングルマザーで、中学生の息子とともに暮らしています。ライティング講座での定番の質問の一つが、仕事とプライベートの両立について。しかし、さとゆみさんはこの質問に違和感を覚えると話します。

「そもそも、仕事とプライベートは明確に分けられるものではないと思います。私にとっては、どちらもただの生活でしかないんです。仕事とプライベートの経験すべてが、血となり肉となると思うんです」

仕事とプライベートについて考える際に大切にしているマインドセットがあるといいます。それは、自分の時間をいかに増やすかということ。

仕事の時間が長いことやプライベートの時間が足りないことは、本質的な問題ではない。重要なのは、その時間が自分の時間であるか、それとも人の時間であるかだといいます。

「私は人の時間を過ごすのが嫌なので、なるべく自分の時間を増やすことを意識しています。たとえば、息子の保護者会の活動を正直面倒だと感じていたことがありました。保護者会が退屈なのは、それが人の時間だと感じるから。だったら自分の時間にしてしまおうと、PTA副会長になりました」

さとゆみさんは息子が小学3年生のとき、PTA副会長を自ら引き受け、1年間活動しました。役員決めや先生と保護者間の連絡などの業務に奔走。PTA内でのやり取りのメールは、多いときは日に50件ほど。仕事が終わり次第、大量のメールに目を通す日々を送りました。

「大変だったけど、やって良かった」とさとゆみさん。保護者会の活動をどうすれば自分ごととして捉えられるか。検討した結果、出た結論がPTAの内部に入る選択でした。外部の参加者として仕事を割り振られる立場から、内部に入り自らPTAを運営する立場になることで、学校に関する活動が「自分時間」へと変わったのです。

さとゆみさんは自身の連載「ママはキミと一緒にオトナになる」にて、PTA活動でのできごとについて2本のエッセイを書きました。結果的にではありますが、プライベートの経験が仕事にもつながったのです。

佐藤友美さんの著書『ママはキミと一緒にオトナになる』

ライター24年目の今年、さらに「自分時間」を増やすべく、さとゆみさんは新しいはたらき方に挑戦します。仕事の大半を1〜3月で終わらせて、4〜12月は仕事量を抑えながらインプットや新しいチャレンジに時間を充てるといいます。

12月までにはマラソンに挑戦したい。さらに、小説も執筆したいそうです。

「走ることは初めてのチャレンジです。今はまだ3分しか走れないので(笑)。小説は昔から書きたいと思っていたのですが、引き受けている仕事をしながらだとなかなか執筆時間が取れなくて。それで、今年は3月までに大きな仕事を終わらせて、スケジュールを空けました。12月までの期間は新しい経験に時間を費やしていきたい」

目の前の仕事をただこなすのではなく、新たな機会に飛び込んでいく。さとゆみさんは仕事でも、プライベートでも、挑戦を続けます。

(文:岡村幸治、写真提供:佐藤友美)

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ライター岡村幸治
1994年生まれ。スポーツニッポン新聞社を経て、フリーライターへ。経営者インタビューや旅行エッセイなどを執筆する。旅が大好きで、世界遺産検定マイスターの資格を保有している。
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