トルコと出会い、人生が激変。日本人トルコ語講師が語る、現地での生き方

2023年10月10日

海外で仕事をする人にインタビューする連載「世界ではたらく日本人」。第6回は、トルコ・イスタンブールで暮らすZonさんにお話を伺いました。

Zonさんは大学卒業後、カフェチェーンに就職。日常にモヤモヤを感じていたころ、運命を変える国トルコに出会います。そして、トルコでご主人にも出会い、2021年9月からトルコへ移住。現在は、オンラインでトルコ語講師やライターなどのお仕事をされています。トルコとの出会いの経緯やキャリアを変える際の考え方についてお聞きしました。

トルコに行くまで

人生に行き詰まり、直感でトルコ旅行へ

――トルコに来る前は、どんなお仕事をしていたのでしょうか?

大学を卒業後、カフェチェーンに就職しました。店長として店舗を運営する仕事には、やりがいを感じていました。

ただ、あるとき、人生に行き詰まりを感じるようになったんです。いろいろとあって私生活がしんどかった上に、気付けば仕事へのワクワクも失っていました。自分で選んだ道なのに、八方塞がりの感じがして。「せっかくの人生なのに、私、何をしているんだろう」と思いました。

――行き詰まりに対して、どのように対処したのですか?

一度、外の空気を吸いたいと思ったんです。仕事場の空気でも、家庭の空気でもない、外の空気を。

それで、3日間の休みをとってトルコ旅行に行きました。家族や友人にも言わず、一人の極秘旅行でした。

――なぜ、トルコだったのですか?

これはもう直感ですね。

それまでトルコに行ったことはなかったのですが、以前から気になっていたんです。就職してから職場の友人とイタリアに行ったときに、経由地のイスタンブールの空港に降りた瞬間に、胸騒ぎがして。なぜかは分からないけど「この国、めっちゃ気になる」と感じたんですよ。

当時の記憶が残っていたこともあり「外の空気を吸いたい。よし、トルコに行こう!」と。初めてトルコを訪れたのは、2016年でした。

ライターになり、年に2回トルコへ行くように

――3日間のトルコ旅行はどんな旅でしたか?

一人でイスタンブールを観光しました。1日目は旧市街、2日目は新市街、というふうに。

知り合いもいないので、何かあったらどうしよう、と行く前はビビっていましたね。でも実際に街を歩いてみると、初めて来たはずなのに、どこか懐かしいというか、不思議な感覚を覚えました。

日本での生活のモヤモヤが、トルコに来て一気に発散されたんです。この解放感、久しぶりだなと。すっかりトルコを気に入ってしまいました。

――トルコ旅行の後は、再び日常生活に戻ったわけですよね。

そうです。ただ、生活は少し変わりました。

副業としてライターに挑戦することにしたんです。再びトルコに行く理由が欲しくなり、いろいろ考えていたら、トラベルライターがいいなと。トルコの文化や観光スポットを紹介する記事を書く仕事をしたら、トルコに行くことができるので。

ライターの経験はありませんでしたが、小学5年生から高校3年生まで毎日日記を書いていたくらい、書くことは好きでした。ライターの募集をしている旅行系メディアに応募して、2017年にライターデビュー。それからは、カフェではたらきながら、年に2回ほどトルコに行って記事を書くという生活になりました。

海外の中でもトルコ移住を選んだ理由

不安2割、楽しみ8割。トルコ語は独学で習得

――トルコに頻繁に行き来するようになった中で、移住のきっかけはなんだったのでしょうか?

きっかけは結婚です。

しばらく日本とトルコを行き来する生活を送っていましたが、コロナで1年ほどトルコに行けなくなってしまって。世界はいつ元通りに戻るか分からないけど、このまま私とトルコの縁が切れる気はしなかったんです。

縁って、なんだろうと考えたときに「じゃあ、結婚しよう」って(笑)。

ライターの仕事でイスタンブールのホテルの取材に行ったときに受付のスタッフをしていたのが、今の主人なんです。その出会いがきっかけで、トルコを訪れるときに会うようになって。まさか「結婚しよう」と言ってくれるとは思っていなかったのですが、礼儀正しくて真面目なところが好きだったので、「はい」と答えました。

――海外移住に対して、不安はありませんでしたか?

「不安2割、楽しみ8割」でした。不安もありましたが、それ以上にこれからどんな人生になるのだろう、というワクワクがありました。先のことが想像できないからこそ、きっと楽しくなるだろう、という想像ができるというか。

――トルコ語はどのように勉強しましたか?

トルコに何度か行っているうちに、独学で勉強しました。

ライターの仕事を始めてから、トルコ語の必要性を感じるようになったんです。トルコ人に取材したり、トルコの歴史に関する文献を読んだりするためには、トルコ語ができないといけないなと。

独学でトルコ語を習得できたのは、大学での経験が大きかったですね。私は外国語大学出身で、ゼロから語学を習得するコツがなんとなく分かっていたんです。

大学の図書館に卒業生も通えるので、トルコ語の本を全部で8冊ほど借りて勉強しました。大学時代はロシア語専攻だったのですが、ロシア語に比べると、トルコ語はめちゃくちゃ簡単です。語順がほとんどほとんど日本語と一緒ですし。

トルコでの仕事内容

カフェ店長からトルコ語講師へ転身

――現在の仕事内容を教えてください。

日本人向けにトルコ語のオンラインレッスンをしています。1日に3〜4人の生徒さんへマンツーマン指導を行っています。

生徒さんは20代から60歳以上まで幅広く、トルコ語を勉強する理由も「旅行でトルコを好きになり、次の旅行でトルコ語を話したい」「来月からトルコ転勤になった」「トルコドラマが好きで、トルコ語を理解したい」など人それぞれです。

最初は皆さん、トルコ語アルファベットを読めない状態から始まります。それでも数カ月後には、日記を書けるようになったり、トルコ語で自分の家族や暮らしている街の紹介をできるようになったりするんです。生徒さんの成長を見られたときは、この仕事をしていて良かったと感じますね。

Zonさんと夫のムスタファさん(本人提供)

――カフェの店長からトルコ語講師というのは、大きなキャリアチェンジですよね。どんなきっかけがあったのでしょうか?

コロナ禍がきっかけで、10年続けたカフェの仕事をやめることにしました。

緊急事態宣言が出て1カ月間お店が休業になったときに、仕事を楽しんでいない自分に改めて気付かされました。ただお金を稼ぎに行っているだけだなと。自分が楽しいと思えることをしないと、人生の限られた時間がもったいない。

ワクワクしながらできる仕事ってなんだろうと考えたときに、トルコ語講師が浮かんだんです。私は外国語大にいたとき塾講師のアルバイト経験もあり、語学や教えることが得意でした。

好きなトルコと、得意な語学指導。それらを組み合わせた、トルコ語講師はきっと楽しそうだなと感じました。また、人から雇われるのではなく、自分で立ち上げた方が成長につながると考え、コロナの期間でいろいろと準備し、2021年1月からスタートしました。

――トルコ語講師を始めるにあたって、大変だったことを教えてください。

すべてを自分ひとりでやらないといけないのは大変でしたね。テキストをつくって、授業の構成を考えて、レッスンの価格を決めて。生徒さんを集めるための宣伝も当然、自分でしないといけません。

ただ大変さよりも、楽しさの方が大きかったです。自分のやりたいことだったので。

――現在はライターの仕事はしていないのですか?

メインの仕事はトルコ語講師ですが、ライターも続けています。以前は5つのメディアで書かせてもらっていましたが、今は1つのメディアで月1本の記事を書く程度です。

トルコに関する記事を通じて私を知ってくれて、トルコ語レッスンを受けてくださる方も結構います。自分の経験が誰かのためになるライターの仕事は楽しく、やりがいがありますね。

トルコで感じる、はたらく上での日本との違い

トルコに来て、周りの目を気にしなくなった

――カフェでの接客業と、現在のオンライン中心のはたらき方の両方を経験して、どのようなことを感じましたか?

コロナの影響も大きかったのですが「型にはまらなくていい」と考えるようになりました。以前は出社するのが当たり前で、教える仕事をするにしても、塾や何かの講座がメインだと思っていました。そうすると、はたらく場所や住む場所が限られてしまいますよね。

でもオンラインなら世界中の人とつながれるので、私がトルコにいても、日本の方へのレッスンができます。何時に出勤しなきゃいけない、ということもなく、自分の都合で時間割を組んで、自宅で仕事ができるので、日本にいたころより生きやすくなりました。

――トルコに来て、学んだことを教えてください。

良い意味で「人に合わせなくていいんだ」ということを学び、周りの目を気にしないようになりました。

日本では「周りがやっているから自分も」といった雰囲気を感じます。大学4年生になったら一斉にリクルートスーツを着て、就活して。就職して、結婚して、みたいな一定の流れがある気がするんです。

トルコ人を見ていると「他人が〇〇しているから、自分も〇〇歳までに〇〇しなきゃ」なんてことは、考える必要がないのだと感じますね。

トルコのプリンセス諸島へ船に乗って向かうZonさん(本人提供)

――トルコ人のはたらき方を見て、感じることはありますか?

かなりゆるい印象がありますね(笑)。私自身、日本で接客業をしていたので「お客様は神様」といった感じで、小さなクレームでもペコペコしていたことがありました。でも、トルコでは全然違います。

以前、枕カバー2枚とシーツ1枚のセットを買ったときにシーツしか入っていなかったことがあったんです。後日、お店に電話したら「そうなの?じゃあ、枕カバー取りに来て!」と軽い感じで言われて。

それで、お店に行って購入時のレシートを見せたら「調べるのは面倒くさい!」と言われたんです(笑)。結局、セットの枕カバーは見つからず「これちょっと色似てるけど、どう?」と枕カバーを渡されました。最後まで一切、謝罪はありませんでしたね。

――旅行者と移住者では、見える世界が違うと思います。トルコで暮らす上で、大変なことを教えてください。

トルコは親日国なので、観光してるとすごく優しくしてくれることも多いんですけど、住むとなると、トルコ人と平等に戦わないといけない、という感覚があります。

たとえば、順番に並ぶ習慣がないので、電車に乗るときに「あ、また抜かされた!」みたいなことはよくあります。

あとは、行政の手続きが大変ですね。日本であれば、窓口で「5分お待ちください」と言われたら、5分後に書類ができあがるじゃないですか。でもトルコでは1カ所で1日で終わらないんです。

「こっちの窓口に行け」と言われ、そこに行ったら「いや、あっちだ」と言われ、そこに行ったら「今日はできないので、また明日」と言われる、みたいな(笑)。トルコで生活するには、我慢強さが必要ですね。

トルコのワーク・ライフ・バランス

労働時間は減り、私生活も充実

――トルコに来てから、日本に帰りたいと思ったことはありますか?

主人とケンカして、衝動的に帰りたいと思うことはあります。

トルコ人って、社交辞令なしのド直球なコミュニケーションを取る方が多いんです。主人もそうで、褒め言葉も、傷つく言葉も、全部どストレート。ケンカになると、すごい勢いで言ってくるので、結構矢が刺さります(笑)。

こっちも言い返すんですが、あまりの勢いに負けちゃって、ムカつくことが多いです(笑)。でもその分、ご飯をつくったら「今日も美味しかった、ありがとう」とちゃんと伝えてくれます。

――トルコに来て、仕事と私生活のバランスはどう変化しましたか?

カフェで勤務していたころと比べると、仕事の時間はだいぶ減りましたね。週5日仕事はしていますが、1日に8時間もはたらいていません。

午前中にトルコ語のレッスンを2コマやって、昼からは自由時間という日もあります。そういう日は午後から買い物や掃除などの家事をしたり、ブログを書いたり。主人との時間も取れて、仕事も私生活も充実しています。

――これからやりたいことを教えてください。

トルコ語のオンラインレッスンの仕事はずっと続けていきたいです。いまはマンツーマンのレッスンなのですが、今後はグループレッスンも取り入れていきたいと考えています。

また、本の出版もしたいです。イスタンブールの街の紹介をしながら、住んでいて感じることも書いた本を出したいなと。

トルコのイスタンブールは、自分の人生を良い方向に変えてくれた町。何か形にして恩返ししたいと思っています。

(文・写真:岡村幸治)

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ライター岡村幸治
1994年生まれ。スポーツニッポン新聞社を経て、フリーライターへ。経営者インタビューや旅行エッセイなどを執筆する。旅が大好きで、世界遺産検定マイスターの資格を保有している。
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