30歳で教員から週3勤務の塾講師に転職。年収が半分以下でも、私のワクワクが止まらない理由。

2024年11月7日

スタジオパーソル編集部が、世に発信されているさまざまな個人のはたらき方ストーリーの中から、気になる記事をピックアップ。
今回は、転職活動時に自己分析をする中で気づいたことについて語った記事をご紹介します。

新卒から約7年間、学校教員としてはたらいていた澁谷祥平さんは、自己分析を重ねていく中で、学校教育が自分のやりたいことではなかったことに気がつきます。その後、30歳で週3勤務のベンチャー塾に転職することを決意。転職の過程で学んだことをnoteに投稿しました。

※本記事の引用部分は、ご本人承諾のもと、投稿記事
【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び」から抜粋したものです。ご本人承諾のもと、本記事では本名で掲載しております。

やりたかったことは学校教育ではなかった

澁谷さんは、もともと「教員になる気なんて1ミリもなかった」と語ります。しかし、大学時代のアルバイトで、障がいのある子どもの支援を経験したことをきっかけに、特別支援学校の教員になる道を選択。特別支援学校の教員免許を取るために1年間教育大に通い、猛勉強をしたと言います。

そのかいあって、第1志望だった京都市の採用試験に合格。使命感をもって、大学卒業後から教員のキャリアを歩みはじめました。しかし、徐々に教員としてはたらくことに違和感を覚えたと言います。

修学旅行や校外学習、文化祭、体育祭、部活動、講義型の授業……僕が教員として勤務するなかで全く興味が持てなかったことです。これらは学校教育の50%を占めるといっても過言ではないです。自己理解を進めるなかでわかってきましたが、ほとんどやりたいことじゃなかったんですね。

【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び より

「どこか無理をしている気がする」「ずっとこのままでいいのだろうか」。

そこで、澁谷さんはじっくりと時間をかけて、自分の興味関心のあった「教育」について深く掘り下げ、解像度高く見つめ直すことにしました。

その中で思い出したのは、障がいを持つ子どもの自立を目指し、一人ひとりに向き合っていた時間です。

「教育」といっても本当に幅広いです。学校、塾、スポーツスクール…。そしてどの年代の人を相手にするのか。自分の興味関心、価値観、本当にやりたいことに向き合った結果、どんな教育がしたいのかを考え直すことができました。

【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び より

自分を見つめ直し、「1対1でじっくりと相手と向き合うこと」にフォーカスした仕事をしたい。その想いから、澁谷さんは週3勤務のベンチャーの個別指導塾に転職を決めます。

これまで歩んだキャリアはすべて「無駄なことじゃない」

では、これまで学校教員として費やした時間に後悔はあるのでしょうか。

澁谷さんは、学校教育が自分に向いていないと気がついたものの、「教員として20代を生きられて良かった」と語ります。

もともと勉強もスポーツも中途半端。たいして誇れるような経歴もない。高校時代には赤点を連発し、大学も実家から通って、なんとなくダラダラと過ごしていた澁谷さんに突如湧いてきた、「障がい者支援の仕事に就きたい!」という想い。

葛藤することもあったけれど、転職活動を通して自分と向き合うことで、改めて自分は「教育」に興味があることを実感します。振り返ってみると、特別支援学校の教員はとても体力を使う仕事でした。

知的障害のある子どもの通う特別支援学校で働くということは、かなり体力を使う仕事でした。たくさん歩いて走りました。1日7,000〜10,000歩くらい歩く日がほとんどでした。大変でしたが、特別支援学校の教員は絶対になくてはならない仕事=エッセンシャルワークだなと感じていました。

【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び より

20代をどう過ごすかが大切だと感じていた澁谷さん。さまざまな教育者としてのキャリアがある中で、1番体が動くときにこの仕事に就けたことを、心から良かったと思えるようになりました。そう思えたのも、キャリアに悩み、自分と向き合ったからこそだと言います。

自分のやりたいことがよく分からず、自信の持てる経歴もなかった学生時代でしたが、教員として過ごした20代のキャリアに今とても誇りを持てています。これは転職活動を経験し、自己理解を深めたからこそ得たものです。

【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び より

基本給は教員時代の半分以下、それでもワクワクが止まらない

また、もともと生涯同じ仕事を続けるのではなく、新しい仕事にも挑戦してみたかったと語る澁谷さん。転職を通じて、自分に向いているキャリアの築き方もクリアになったと言います。

僕は多分、長年一つのことに情熱を燃やし続けることが苦手なんだと思います。大学卒業から定年まで教員として働き続ける人ってかなり多いのですが、すごいなって思います。「転職をしながら自分にしかないキャリアを作っていく」そんな生き方の方が、多分僕には向いていると思いました。

【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び より

30歳、公務員からはじめての挑戦が始まります。転職先のベンチャー塾での給料は、前職の半分以下。しかし、安定を手放す不安よりも、ワクワクが止まりません。

春から基本給は教員時代の半分以下になります。正直不安です。でも、こんなに胸が高鳴る経験はいつぶりでしょうか…!ずっと教員を続けていたらきっとこんなに自分の人生にワクワクしていなかったと思います。

【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び より

やりたい仕事に就いたはずなのに、どこか違和感がある。

過去の選択に自信が持てなくなってしまったら、一度自分を振り返り、好きや興味を分解していく。そうすると、自分がワクワクする働き方が見えてくるかもしれません。

<ご紹介した記事>
【転職】教員→ベンチャー塾へ。僕が転職活動を経験して得た5つの気づき・学び

【プロフィール】
澁谷祥平(セトショウヘイ)
子どもの教育支援|元教員7年(特別支援)|妻はがんサバイバー|愛知県瀬戸市出身

(文:朝海弘子)

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ライター朝海弘子
1990年生まれ、福岡出身。都内で会社員として働くかたわら、キャリアにまつわる取材記事やコラムを執筆。クラフトビールとパンが好き。

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