アパレル勤務やデリバリー配達員など経て「年収1,000万アナウンサー」へ転身。その後「自身喪失」した話。

2024年10月8日

部署異動や転職、独立などで新しい環境に身を置いたとき、「早く周りに認めてもらわなくちゃ」「自分の価値を証明しなきゃ」と焦りを感じた経験はありませんか?

ニュースメディア「NewsPicks」の初代キャスターとして活躍した奥井奈々さんも、なかなか仕事で結果を出せず、何年も苦しんだといいます。

2018年、落合陽一氏がパーソナリティを務めるNewsPicksの討論番組「WEEKLY OCHIAI」の公開オーディションで100名以上の応募者の中から見出された奥井さん。その後、NewsPicksのさまざまな番組でMCを務める「年収1,000万円のアナウンサー」としてデビューを果たしましたが、アナウンサー職は初。知識やスキル、経験の不足から仕事ができず、失敗と挫折の中で自分の存在価値を見失っていったのだとか。

しかしその後、見事にブレイクを果たします。今年9月に初の著書『ガチ存在価値 -あなたの姿勢で勝ちが決まる-』(游藝舎)を出版した奥井さんに、これまでのキャリアや新しい環境で自分の真価を発揮する方法を聞きました。

上京したのに仕事がない……日雇いで生計を立てた日々

――NewsPicksのアナウンサーになる前はどんな仕事をされていたんですか?

実は、紆余曲折ありまして。「海外で仕事をしたい」という思いから関西外国語大学に入り、在学中はフロリダ大学に留学しました。その費用の足しにと思って在学中に始めたのが、モデルの仕事です。

大学卒業後は、大手アパレル企業に入社して大阪へ。2年ほど総合職ではたらいたのですが、激務で体を壊してしまって。ほかの世界も見てみたくなって退職し、東京に上京したんです。もちろん不安もあったけれど、新しいことができるワクワク感でいっぱいでした。

――その後、東京で就職されたんですか?

はい。前職を辞めてから1カ月後には東京のベンチャーでPRの仕事に就きました。でも、全然戦力になれなくて、試用期間で解雇されてしまったんです。心機一転、東京で頑張ろう! と思っていた矢先に仕事がなくなってしまって……。

それからは、友人の動画編集のお手伝いをしたり、フードデリバリーの配達員のアルバイトをしたりといった日雇いのアルバイトで生計を立てていました。モデルの仕事を再開したのもこの時期です。

キャリアに一貫性がなく、周りと違う生き方をしていることがずっと不安でした。「せっかく東京に来たんだから何かしなきゃ!一歩を踏み出さないともったいない」というサバイバルな欲求もあって、常に焦っていました。

公開オーディションを勝ち抜きアナウンサーデビュー

――そこから年収1,000万円のアナウンサーになられるんですから波瀾万丈ですね。

思ってもみませんでしたよね。日雇いの仕事を始め、モデル事務所にも入って、その後も1年ほどモデルの仕事をしていたんですが、CMや広告のオーディションに行っては落ちて……のくり返し。そんな中で、落合陽一さんの番組を見るのがすごく楽しみだったんです。

「こんな生活を続けていて大丈夫かな……」と思っている私に、いつも解決の糸口を見せてくれるようなコンテンツだったから、毎回すごく救われていましたね。「落合さんの番組って、本当に世界を変えちゃうかも!」と思いながら、YouTubeの動画からNewsPicksの配信まで全部見ていました。

――最初は純粋に落合陽一さんの番組のファンだったんですね。

そう、歴史を振り返る教養番組が特に好きで。無料で見られるものは全部見尽くし、そのあとNewsPicksの有料会員になって、ひき続き見ていたら、「新しい番組をつくるのでアナウンサーを募集します」という告知が出たんですよ。

何も考えず、純粋に「めちゃくちゃ好き!」という気持ちだけで応募しました。書類選考は履歴書じゃなくて、動画メディアらしく「自分を紹介する動画を撮って送ってください」だったんです。そして、審査に通ると社内面接があり、最後は落合陽一さんの番組内で面談する公開オーディションに臨みました。

――聞いているだけでヒヤヒヤしますが、緊張しませんでしたか?

それが、自分は本当に世間知らずで、これがいかに大きなチャンスかをよく分かっていませんでした。だからほとんど緊張せず、楽しく話して終わりました。その後、採用の通知をいただいたんです。

――日雇いの身から年収1,000万円のアナウンサーになったのですね。

今から思えば、お金のことはあんまり気にしていませんでした。「そんなこと言って、どうせもらえないんでしょう?」と思っていたくらい(笑)。当時はモデル事務所に所属していたので、契約自体は事務所を通す形でしたが、とにかく好きな番組に関われるということの方がずっとうれしかったんです。

戦力不足でMCの座から脱落……低空飛行の日々

――2019年から初代キャスターとして『WEEKLY OCHIAI』をはじめさまざまな番組への出演が始まったそうですね。首尾はいかがでしたか?

恐ろしいことに、アナウンサーの仕事は初めてで、知識やスキル、経験などが何もない状態だったので、まずは司会進行の技術を身に付けることから始まりました。が、もちろん失敗だらけ。カンペに書かれた「次へ」「キリのいいところでこちらへ」という指示も全部読み上げていました。

――NewsPicksは経済・ビジネスのメディアですが、こちらの分野も初だったのでは?

これまでほとんど学んだことがない分野で、高度な話にまったくついていけず、もはや何を言っているのか分からない状態でした。

右往左往するうちにメインMCを担当していた番組が終了し、新しく編成された番組では、MCではなく、Twitter(現X)に流れるライブコメントを読むだけの係に降格になっていました。しかも、そこでも私は良くなかったんです。

――良くなかった、とは?

MCである古坂大魔王さんから「奥井さん、これはどう思った?」と質問をいただくことがあるのですが、ちゃんと準備ができていなくて、返答に時間がかかったり、失言したり……。

今でもよく覚えているのは、不妊治療のテーマで、テクノロジーやゲノムの専門家をスタジオに招き、進化について語る回のこと。「どう思う?」と聞かれたとき、とっさに「テクノロジーがこんなに進化しているなら、それほど悩まなくてよいのでは」と答えてしまって。

――確かにセンシティブなテーマですね。

今ならそんな返答はしませんが、当時は単にコメント読む役だと思っていたから、テーマの背景や悩んでいる人がどう感じているかを前もって調べていなかったんです。仕事の基本姿勢がそもそもできていなかったんですね。

そんな状態だから、私にはもう居場所がない、と感じていました。こんな仕事量とこのパフォーマンスで年収1,000万だなんて、ロケ弁を食べるのも申し訳なくて。新しい環境の中で、自分の価値を完全に見失っていました。

――苦しくても続けられた理由は?

そんな私にも期待してくれる人が大勢いたんです。スタッフの皆さんから、たくさんのアドバイスをもらいました。せっかく採用していただいたし、期待を裏切りたくないから腐らずにやろうと思って。でも、それからも1〜2年は結果を出せない日が続きました。

逆境で自分の存在価値を発揮する方法

――確たる武器がなかった当時、自分の価値を示すために心がけていたことはありますか?

勉強を続けながら、とにかく周りをよく見るようにしていました。自分が何も持っていなくても、みんなが何に困っているか、チームが何を求めているかを把握することはできます。

だから、たとえ評価やスキルアップにつながらなかったとしても、困っている人がいれば助ける、ニーズを察知して応える、その姿勢を徹底しようと考えました。

たとえば、本来はインターン生にお任せする雑用でも、手が空いていれば積極的に手伝う。ドリンクを用意するなら、あの人はこの味が好き、この人はこっちが好み……と喜んでもらえる工夫をする、とか。

――そうした姿勢を続けることで、少しずつ変化が起きたんですね。

そう、「ありがとう」と言ってもらえる回数が確実に増えました。「ありがとう」の言葉って、まさに存在価値の証だと思うんです。

周りに認めてもらいたいと思った時、つい自分のスキルのアピールに必死になりがちですが、目の前にいる相手を助けたり、困っている人をサポートして「ありがとう」をたくさん聞けるようにすることこそ、周りから信頼を得るカギ。何も武器がなかったとしても、自分の価値を示せる唯一の道なのだとこの時に実感しました。

――その後、下積みの時期を経て、メインMCに復帰されますね。再び掴んだメインMCの座、手応えはいかがでしたか?

初めて「できた!」と思えたのは、2022年、『The UPDATE』という番組で古坂大魔王さんと二人でメインMCを務めていたときのことです。彼がコロナに罹患して、代役の人もつかまらず、初めて単独で番組を回しました。これがすごく視聴率が良くて、今思えばターニングポイントだったと思います。

――コツをつかんだ瞬間があったんですね。今までとは何が違ったんでしょう?

コロナ禍で番組の数が増え、さまざまな番組で学んできたことがだんだん実践できるようになってきたのだと思います。また、継続的に勉強することも欠かしませんでした。

フラッシュカードを使って金融やビジネスの単語を覚えたり、『WBS』の大江麻理子さん、『ABEMA Prime』の平石直之さん、田原総一朗さんたち人気キャスターの話し方を分析して、繰り返し真似しました。漢字を読むのが苦手だということで、漢検も取得しました。

それで、突然一人で番組に出ることになったので、せっかくだから今まで学んできたことをここで実践しようと思って、自分なりにやってみたんです。終わった後、「成長したね」というユーザーコメントを見た時はうれしかったですね。

存在価値を示すために大切なこと

――NewsPicksのアナウンサーを卒業された今はどんなお仕事をされているんですか?

会社を立ち上げて、「WellNaviAI(ウェルナビアイ)」というヘルスケアメディアを運営しています。「健康や体調管理に特化したヘルスケア分野の需要に応えるメディアをつくりたい」と相談されて、「じゃあ、やります」と答えたのがきっかけです。

――いま取り組まれているテーマはヘルスケアなんですね。再び未経験の分野に飛びこんだ理由は?

最近、いよいよ吹っ切れた感じがあって。以前、日雇いの仕事をしていたときにNewsPicksを見て、すごく面白いと思って応募したら道が開けました。行動すれば、人生は変わります。だから、悩んでいる人、苦しんでいる人を助けられるようなメディアをつくりたいと思うようになったんです。

――初の著書『ガチ存在価値 〜あなたの姿勢で勝ちが決まる〜』を出版されたのも、そうした思いからですか?

はい。かつての自分がそうだったように、知識やスキル、経験が足りない状況で「自分ってここでバリューを発揮できているのかな」と悩んでいる人に向けて書きました。
存在価値を出すために、どう努力をすればいいのかってあまり知られていないですよね。正しい努力の仕方がわかれば、前向きに仕事に取り組めるようになります。目標を達成できたり、長年の夢が叶ったり、出世したりと人生にうれしい変化がたくさん起きるはず。

かつて落合さんのコンテンツがくすぶっていた私を救ってくれたように、今度は私が、皆さんの力になれるものをつくっていきたいと思います。

(文:矢口あやは 写真:小池大介)

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ライター・編集・イラストレーター矢口あやは
大阪生まれ。雑誌・WEB・書籍を中心に、トラベル、アウトドア、サイエンス、歴史などの分野で活動。2020年に一級船舶免許を取得。

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