「玄米カイロ」を開発した元CAの奮闘記。夢の先に “本当に自分がやるべきこと“があった
新米の時期になると、多くの人が新米を買い求めます。しかし、新米として売れるのは約1年のみ。新米が出荷されると古米は安く売ったり飼料にしたり、それでも残る場合は廃棄されてしまうのです。
SDGsに対する意識が国内外で急速に高まる今、「フードロス」が大きな社会課題になっています。
そんな中、捨てられていたものに新たな命を吹き込もうと、サスティナブルな商品開発に取り組む人がいます。
岡山県発エコブランド、「LE LION(ル リオン)」代表の五賀晶子(ごかあきこ)さんです。
五賀さんは、2020年10月に会社を立ち上げ、「玄米カイロ」を開発。受注生産で販売すると約1,000個があっという間に売れ、その後、関西の百貨店やホテルでも販売されほど注目を集めるようになります。
そんな五賀さんのキャリアは、少し異色です。テレビ局の秘書からCAへ。そして起業家への道に進みました。「CAとして外国と日本を行き来するなかで、本当に自分がすべきことに気付いたんです」という五賀さん。今、サスティナブルを提唱する彼女に、起業までの道のりを伺いました。
実家は米農家。「売る」が当たり前だった子ども時代
1988年、五賀さんは、江戸時代から続く岡山県の米農家のもとに生まれました。自営業で家計を支えてきた両親の影響で、幼いころから「商売」を身近に感じてきました。
「我が家では「お小遣い制度」がなく、お金が必要であれば「自分で何かを売って稼ぐ」というルールがあったんです。私も物心がついたころから、自宅の農園でとれた野菜を採っては、道端で売っていましたね。おかげで、自力でお金を稼ぐ知恵みたいなものが自然に身に付きました」
幼少期に五賀さんが影響を受けたのは、商売だけではありません。親族がアメリカに移住しており、幼少期から海外や英語に触れる機会が多かった五賀さん。しかし、親族の英語をなかなか理解できず、コミュニケーションをとることができなかったといいます。
「顔は似ているのに、別世界の人という感じで。それがなんだか悔しくて、英語に興味を持ち始めたんです。また、両親からは『将来は、世界とつながる仕事をしなさい』と口癖のように言われていて、いつしか海外の方々とはたらくことが目標に。兄たちもその影響を受けて、海外と関わる仕事をしています」
高校生になった五賀さんは、夏休みにオーストラリアのブリスベンに留学。自然豊かで過ごしやすいオーストラリアの雰囲気を気に入った五賀さんは、神戸市の大学に進学したあと、交換留学生としてオーストラリアに再留学します。
当時はまだ英語が話せなかった五賀さんですが、留学から3か月後には流暢に英語を話せるようになっていたそう。五賀さんは現地の学生に積極的に話しかけ、その経験を通じて、海外の人々と交流する喜びを感じたといいます。
就職氷河期、それでもCAをあきらめなかった
2010年の春、留学から戻ってきた五賀さんは大学4年生になり、就職活動が始まりました。五賀さんの子ども時代からの夢は、CAになること。きっかけは、ある思い出だったといいます。
「7歳の誕生日に、家族と旅行に行きました。飛行機に乗った際、私がその日誕生日であることを両親がCAさんに伝えてくれたようで、記念にと、機内で一日CA体験をさせてもらえたんです。コックピットの中を見たり、降りる際にはCAさんがお手紙をくれたりして……。そのときの高揚感が忘れられず、将来は絶対にCAになろうと決めていました」
しかし、2011年は就職氷河期の真っただ中。航空会社の採用も厳しい状況で、五賀さんは面接に臨むもことごとく落ちてしまいます。そこで、五賀さんは就職活動に区切りをつけ、地元のテレビ局で総務・秘書としてキャリアをスタートしました。
ただ、秘書での仕事に邁進する中でも、CAになる夢は、なかなかあきらめられません。テレビ局の方々はその想いを知っていて、再挑戦をいつも応援してくれました。そして2012年、五賀さんは、第二新卒枠で大手航空会社に内定。見事、CAになる夢を叶えたのです。
CA同僚・佐藤さんとの運命の出会い
2012年の春、入社式に臨んだ五賀さんは、一人の女性と出会います。時を経て親友となり、ともに会社を立ち上げることになる、佐藤真由香さんです。
五賀さんと佐藤さんは社員番号が隣で、入社式で隣の席だった2人は一気統合。そこで、「なんだか私たち、一緒に何かをする気がするね」と話したといいます。特別な何かが明確にあったわけではなかったそうです。ただ、自分たちの未来にワクワクしたものが待っている、という予感だけがくすぶっていたといいます。
その後、2人は会社の寮では隣の部屋で、研修も一緒のチームだったことから、親友で戦友のような存在になっていきました。
2人は、CAとしてがむしゃらにはたらきます。五賀さんが今までに来訪した国は全部で20ヵ国。パッキングの回数は1,000回を超えるなど、頻繁に海外を行き来する日々が続きました。
海外を行き来して感じた違和感
五賀さんがCAとしてはたらき始めた2012年、世界ではSDGsへの協議が進み始めていました。
「世界を変えるための17の目標」に、各国、そして人々がどう向き合っていくのか……。 五賀さんはさまざまな国を行き来する中で、SDGsに対する海外と日本の意識の差を感じたといいます。
「私がCAとしてはたらき始めたころは、もう各国でエコバックがないと買い物できないくらい、サスティナブルな取り組みが進んでいました。けれど、日本でエコバックが全面的に推進されたのは、2020年に入ってからでした」
海外と日本の意識の差を痛感した五賀さんは、「自分にできることがあるのではないか」と考えるように。そして、五賀さんは自分のキャリアにも悩みを抱えていました。
「海外に向かうお客さまと自分を比べるようになっていました。お客さまは、海外の人たちと仕事をし、つながっている。けれど、私は一便のその空間、その時間だけでしかつながれない。そこに物足りなさを感じていました」
両親の口癖だった「世界とつながる仕事をしなさい」という言葉の意味を、五賀さんは、今一度見つめ直すようになったのです。「自分の力で、そして自分だからこそできる、世界との向き合い方があるのではないか?」。そう思うようになっていました。
サスティナブルなものづくりの裏側
2017年、五賀さんは新たなキャリアの可能性を探るため、思い切って5年務めた航空会社を退社します。まずは岡山県の実家に戻ることにしました。
実家で米農家を手伝っていたある日、倉庫に古米がたくさん積まれていることに五賀さんは気が付きます。それらは、廃棄される予定のお米でした。
両親が大切に育ててきたお米を、廃棄しなければならない──。その事実に、五賀さんは以前から胸を痛めていました。「この米たちを活用する方法はないかな」と、フードロス削減に向けたアイデアを模索するようになります。
そして、時は少し流れ2019年の夏のある日、親友の佐藤さんから、1本の電話がありました。佐藤さんは勤続7年目のベテランCAになっていました。その電話で、五賀さんは佐藤さんから「退職を考えている」と、相談を受けます。
その電話の中で、五賀さんは、「それなら、一緒にフードロス削減のため商品開発をしてみない?」と聞いてみました。すると、佐藤さんは二つ返事で承諾。佐藤さんも、航空会社を退職し、一緒に事業を行うことになりました。入社式で話した言葉が、現実となったのです。
そこから、2人の商品開発の日々が始まりました。まずは自分たちが日ごろ悩んでいることとフードロスを掛け合わせてみることに。というのも、退職した時期は異なりますが、五賀さんと佐藤さんはCAの仕事を辞めて以降、身体の不調を強く感じていました。
「CAとしてはたらいていたころは、朝3時に出社したり、深夜に帰宅したりするような不規則な生活でした。がむしゃらにはたらいていたときには気が付かなかったけど、いざ普通の生活に戻ってみると、冷え性や肩こり、そして肌荒れなど、身体がボロボロであることを自覚するようになったんです」
普段の食事は外食が多く、保存料や添加物が多いものばかり食べていました。そんな生活を振り返り、「不調に気付かないほど、はたらき続けている人は世の中にたくさんいるはず」と思った2人は、「エコと健康」を掛け合わせた商品を発案します。
最初につくったのは、米ぬか油を使用したライスオイル。化粧品に力を入れている製薬会社に相談し、商品開発に取り組みます。けれど、古米のフードロスに取り組むには、もっと多くの古米を使った製品が必要です。五賀さんは何かいいアイデアはないかと、頭を抱えました。
そんな矢先、ネットの記事を見ていると、「玄米カイロ」という文字が目に飛び込んできました。調べていくうちに、「これなら実家の倉庫に眠っているお米をアップサイクルできるかも!」と思いたちます。まずは、手縫いで実践。袋に玄米を入れて、電子レンジで温めてみると、温かさが持続する快適なカイロが出来上がりました。「これを売ろう!」と思った五賀さんは、電光石火の勢いで佐藤さんと会社設立。ブランド名は、「LE LION(ル リオン)」。フランス語で獅子座という意味で、8月生まれの五賀さんと佐藤さんの星座から、そう名付けました。
「女性起業家」に向けられた目
挑戦をためらわない五賀さんと佐藤さんは、玄米カイロの開発に奔走します。ただ、会社経営となると男性社会の考えの方も多く、女性だけの経営は周りに理解されづらい場面があったといいます。
「女性だけだと、信用いただけないことがありました。『男性のリーダーがいるの?』と聞かれることもあって……。本当に2人で立ち上げたのに、そう言われてしまうことが悔しかったですね」
それでも2人はめげませんでした。佐藤さんは生地を売るお店にネットや電話を駆使して情報を集め、五賀さんは生地の買い付けのために自転車で大阪市の問屋街を駆け巡りました。生まれたばかりの会社を信用する店や企業は少なく、門前払いも少なくありませんでした。
それでも粘り強くお店を訪問すると、あるコットン専門店の方が快く対応してくれたのです。そこで、ぴったりの国産のオーガニックコットンを見つけ、販売してもらえることになりました。
布地を手に入れた五賀さんと佐藤さん。まずは自分たちでつくろうとミシンをレンタルし、自分たちの手で作ることにしました。
「縫う練習を重ねるうちに、だんだん商品として販売できるレベルになりました。それで、100個ほどつくってSNSで販売してみたんです。すると、あっという間に売れてしまって」
玄米カイロの販売に希望を感じた五賀さんと佐藤さん。しかし、もう一つの壁が立ちはだかります。それは、肝心の玄米カイロをつくってくれる縫製工場が見つからなかったこと。話を聞いてくれる工場はあるものの、「玄米を入れて最後に縫うとき、針が折れてしまうからウチでは無理」と断られてしまいます。
3か月ほど経っても見つからない状況が続き、「このままだと自分でつくるしかない」と考えていたある日、大阪市の工場地帯を自転車で回っていた五賀さんの目に飛び込んできたのは、「繊維組合」という看板。五賀さんはアポなしで乗り込み、「つくりたいものがあるけれど、裁縫工場が見つからなくて困っています」と話しまします。すると、組合の方が工場に掛け合ってくれ、契約を取り付けることができました。
つくるだけでなく、売る努力も必要
ようやく素材と技術のすべてが揃い、玄米カイロの製作が本格的にスタートします。そのころ、五賀さんは商品開発と並行して、マーケティング勉強を始めていました。
子どものころから商売魂が身についていた五賀さんは、「商品はつくって終わりじゃない。売れなくちゃ意味がない」と考えていたのです。
五賀さんは、企業のアンバサダーやモデルなどを経験がありInstagramのフォロワー数は1万人。マーケティングを学び始めた当初は、知識を再確認するつもりで臨んだといいます。しかし、いざ学び始めると、目から鱗の知識ばかりだったといいます。
「自分たちがどんな商品を売っていきたいか、徹底的に見つめる時間をいただきました。たとえば、お客さまのペルソナ(架空のユーザー像)を考えること。商品を買うお客さまの年齢層や仕事、休みの日の過ごし方まで考えていきました」
その後、五賀さんたちに転機が訪れます。きっかけは、玄米カイロのほかにもサスティナブルな商品を生み出そうと、「コスメロスから生まれたアロマソイキャンドル」の製作に乗り出したことからでした。
2020年の夏、新型コロナウイルスが流行しているさなか、「マスクをしているから口紅を使わなくなった」、「古いアイシャドウが眠っている」という声を耳にします。
そこで五賀さんは、SNSで「いらない未使用のアイシャドウや口紅はありませんか?」と募集をかけます。集まったアイシャドウや口紅をキャンドルの色付けに使用して、アップサイクルすることにしたのです。製作する場所は、岡山県の蒜山(ひるぜん)高原にある、五賀さんの両親のアトリエでした。
ちょうどそのころ、蒜山高原に観光文化施設「グリーナブル ヒルゼン」がオープンしました。サスティナブルを積極的に取り組む施設で、販売する商品の選定を大手百貨店が行っていました。同時期に五賀さんが蒜山でアロマキャンドルをつくっていたことから、百貨店のバイヤーから声がかかり、グリーナブル ヒルゼンで販売することになったのです。
LE LIONの販売した商品は、玄米カイロ、アロマキャンドル、ライスオイルや青森ビバを使った消臭剤など、選りすぐりの環境に配慮した商品の数々。施設に訪れる人に大変好評でした。そこで今度は関西の百貨店での催事にも出店することになります。そこから知名度が一気に広がりました。
玄米カイロは1年で約1,000個が完売。ホテルのアメニティグッズとしても採用されました。「しっかりと準備をしてブランドを立ち上げた甲斐があり、たくさんの方が来てくださって嬉しかったです」と五賀さんは振り返ります。
世界とつながる存在へ……
現在、LE LIONの玄米カイロは多様なサイズに展開されており、アイピローや肩かけ用、足首用などバリエーションも豊かです。
「2020年は、コロナ禍でステイホームやリモートワークが始まり、自宅で活用できる商品に注目が集まる時期でした。そして、今、サスティナブルやエコロジーに関心を持つ人も次第に増え、多くの方が手に取ってくださっていると感じます。女性だけでなく、男性も購入してくださっています」
LE LION今後の展望は、「グローバルなブランドにして、世界とつながること」だといいます。そこには、米農家で育った五賀さんだからこその想いがありました。
「農家の方は分かると思いますが、気候変動によって年々作物が取れなくなってきています。この状況は世界を見ても同じで、とても深刻です。商品を通して環境への取り組みを知っていただけたらと思っています」
CAからエコブランドの代表へと転身した五賀さん。キャリアチェンジを経て辿り着いた「はたらく」ことの意味を、「良い顔づくり」だと語ります。
「はたらきざかりの20代から40代が、その人の顔をつくると思っていて。私の目標は、『かわいらしいおばあちゃん』になることなんです。やわらかい笑顔の女性になれたらなと思います。30代の今、好きなことに挑戦できているからこそ、『かわいらしいおばあちゃん』になれるんじゃないかなって。これからも、いいシワをつくっていきたいです」
世界と繋がる仕事を目指し、五賀さんは今、着実にその存在へと近づいています。
(文・池田アユリ)
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