予約が殺到する“椅子張り”工房。思い出が詰まったソファーを再生する女性職人の想い
「家にある使われなくなった椅子やソファーを張り替えて、親子代々使っていくのってすごくいいなぁって思うんです」
おっとりとした口調でそう語るのは、38歳の新子真希さん。長年使い続けて古くなった椅子やソファーを再生する、椅子張り職人です。
奈良県香芝市に小さな工房を構え、2017年に「Revery Chair(リブリーチェアー)」を設立。宣伝や広告を打ち出していないのにもかかわらず、口コミや紹介で依頼が舞い込み、今や数カ月先の予約が埋まっているほどの人気ぶりです。
依頼の中でもっとも多いのは、「家族が使っていた椅子を、もう一度使えるようにしたい」というもの。新子さんはそういった依頼者の思いを汲み取りながら材質や生地などを探し、唯一無二の椅子に変身させるのです。
依頼者からは、このような喜びの声が上がります。
「見違えるほど変わった!」
「また使い続けられるからうれしい」
「家族との思い出の椅子が蘇った……」
男性の職人が多いといわれる椅子張り業界に、新子さんは24歳で飛び込み、必死に技術を磨いてきました。その背景には、幼いころから「物を末永く大切にする」という思いがあったといいます。
「使えるものは、ずっと大事に使いたいって気持ちが強いんです。この仕事はその手助けができるから、私の使命だなぁって思います」
そう語る彼女は、いったいどんな道のりを歩んできたのでしょうか?大量生産、大量消費が当たり前の時代に、椅子を生まれ変わらせることに情熱を燃やす新子さんの道のりを聞きました。
木が好きになったのは、祖父の影響
1984年奈良市に生まれた新子さんは、幼少期から絵を描いたり、工作したりするのが好きでした。「今もですけど、話し方がゆっくりでおっとりした子でしたね」と自身の性格を振り返ります。
新子さんがもっとも影響を受けたのは、奈良県川上村で林業を営んでいた祖父でした。
「おじいちゃんの家の下には川が流れていて、すぐ飛び込めるくらい自然の中にあったんです。林業を引退した後も酒樽作りのアルバイトを始めたおじいちゃんを見て、気付いたら私も木が好きになっていましたね。今思えば、環境問題の話を聞くと自分のことのように危機感を覚えるのは、祖父の影響かなと思います」
小・中・高と地元で過ごし、高校卒業後は兵庫県西宮市にある武庫川女子大学の環境デザイン学科へ進学。もっとも興味を惹かれたのは「街の景観づくり」の分野でした。
「大学の授業や本を読んで、日本の街並みのいいところがどんどん減っていることを知りました。まだ残されているところはあるけれど、どこへ行っても同じコンビニエンスストアやファミリーレストラン、ドラッグストアばかりですよね。そういった現実を目の当たりにして、街の良さを残すような仕事っていいなぁって思いました」
ただ、祖父の影響もあり、「何か作ることを極めたい」という思いから、新子さんが最終的に選んだのは「物づくり」への道でした。大学卒業後は奈良県にある県立高等専門校の家具工芸科へ入学します。
この学校は、今でこそ男女問わず若い世代から人気のある職業訓練校です。ただ、当時はそこまで注目されておらず、定年を迎えて趣味として学ぶ人が通っていたそう。23歳の新子さんは同級生の中でも一番若く、同世代の人はほとんどいませんでした。
就職するも、半年で職ナシに……
専門学校で家具や工芸の基礎を学び終えた新子さん。木工所(木を建築資材などに加工する場所)に就職するも、経営が厳しくなったことで半年で解雇されてしまいます。
「これは困った……。次を探さなくちゃ」
タウンページをひろげて、木材に係わる会社をしらみつぶしに探していると、「椅子製作所」という文字が目に留まりました。椅子張りを専門とする工房でした。
専門学校時代に椅子張りの仕事があると知っていたものの、詳しいことまでわからなかった新子さんは、「どんな感じだろう?」と興味を抱きます。すぐに電話をし、大阪府にあるその工房へ見学に行くことになりました。
実際に足を踏み入れると、新子さんは今までにない高揚感に包まれました。
「木工の仕事場って、普通は見渡す限り木材に囲まれているんですけど、椅子張りの工房ではカラフルな糸や生地がたくさん並んでいて、雰囲気がぜんぜん違ったんです。その見た目にときめきました(笑)」
工房のスタッフは、椅子張り職人である代表とのちに師匠となる職人歴40年の男性1名のみ。「実はちょうど1人辞めて、募集しようと思っていた」と聞きます。新子さんはその場ではたらきたい旨を伝えますが、代表は「どうやろなぁ……」と困惑気味だったそう。その理由は、女性を職人として雇った前例がなかったからでした。
「椅子張りの仕事には女性がほとんどおらず、まさに男の世界でした。ヨーロッパでは女性の椅子張り職人も活躍しているんですけどね。日本は『職人は男性がなるもの』というイメージがありますし、椅子の座面にバネをくくったり、ソファーをひっくり返して作業したりするような力仕事もあるので、女性には難しいと思われていたんです」
大きな椅子張り工房では、女性が行う仕事もあります。たとえば、座面の布を縫う仕事。それでも椅子張りはもっぱら男性が行うのが一般的でした。新子さんが出向いたのは小さな工房で、職人が最初から最後まで1人で行います。そのため、代表は「女性に務まるのだろうか?」と、新子さんを招き入れることを悩んだのです。
「ぜひ、お願いします!」
再度頭を下げて頼むと、代表は「まぁ、試しにやってみようか」と承諾。こうして、新子さんの椅子張り職人への道が始まりました。
時給900円の椅子張り修行
2009年の春、椅子製作所ではたらき始めた新子さんは、師匠と代表から指南を受け、めきめきと椅子張りの技術を上げていきます。
当時、新子さんが取り組むうえで大切にしていたことは「率先して何でもやること」。女性には大変だと思われる作業もすべてこなし、約10年かかるといわれる職人の工程を、2年で1人でできるようになりました。これには、最初は半信半疑だった師匠も「女性の職人の見る目が変わったわ」と驚いたそう。
椅子張りの仕事に取り組む中で、新子さんは「古きものを大切に使う心地よさ」を感じます。
「今は安い家具がたくさん出回っているから、引っ越すたびに捨ててしまう方も多いと思います。でも、ソファーの生地やクッションを張り替えれば、世界で1つだけのものに蘇らせることができるんです。このころから、『使い続けることの良さを、もっと人に知ってもらいたい』と思うようになりました」
ただ、修行中の新子さんの生活は金銭的に厳しいものでした。工房での時給は900円。さらに業界の低迷も影響し、出勤日数が少しずつ減っていきました。心もとない状況が続くものの、新子さんは「椅子職人になるためにできることをしよう」と、作品づくりに精を出します。
まず、当時住んでいたアパートの一室を作業場にし、仕事のない時に練習で椅子を作りました。「『上の階に響きませんように』と祈りながら作業していましたね(笑)」と新子さん。
その努力が功をなし、人との縁に恵まれます。
「飲み屋で知り合った大工さんから『今建てている店の家具づくり、やってみない?』と声をかけていただいたり、内装をお手伝いしたカフェ兼ギャラリーで、自分の作った椅子の個展を開いたりしました」
周りの人に認められたことや、展示した椅子を購入してくれる客がいたことで自信がついた新子さん。
「これなら、私もできるかもしれない」
2013年の暮れ、約5年間はたらいた工房を辞め、独立に向けて動き始めました。
2人の子どもが産まれて
独立資金を得るために、新子さんは国の融資制度に申請しました。その結果、250万円を借りることができ、奈良県生駒市の物件を借りて内装を整え、2014年に椅子張り職人として独立。お世話になっている方を招いて、オープン記念パーティーを開催することにしました。
そこで、運命の出会いが待っていました。
バンドを組んでいる友人がパーティーで演奏してくれることになり、新子さんはそのバンドのギターボーカルをしていた男性と挨拶を交わします。その人こそ、夫となる元希さんでした。
親睦を深め、出会って2年後に結婚。生駒市の工房は知り合いの畳屋さんに譲り、元希さんの地元である奈良県香芝市に引っ越すことになりました。
元希さんの実家は、材木屋を営んでいました。木に携わる人たちと縁がある新子さんは、「おじいちゃんが生きていたら、お義父さんに会わせたかっですね」と笑います。
義理の両親から「材木はなんぼでも使っていいから、家を建てなよ」と促され、新子さんは自宅兼アトリエを作ることにしました。
工房ができあがっていく最中の2017年、新子さんは子どもを授かります。長女を出産した翌年、第2子を妊娠。椅子張り職人として顧客が増えていたことも重なり、思いがけず子育てと仕事の怒涛の日々を過ごすことに。
「結婚、出産と、想像していなかった人生がトントン拍子にやってきて、すべてやろうとし過ぎていました。出産後は1年くらい休めばよかったんですけど、仕事への情熱や生活の心配もあって、途切れることなく椅子張りの依頼を受けていたんです。でも、子育ては初めてのことばかりで、両立がなかなかうまくいかなくて……。当時は夫としょっちゅうケンカしていましたね(笑)。今も葛藤しつつ、模索しているところです」
作り手の発信地になりたい
2018年春、椅子張り工房「Revery Chair(リブリーチェアー)」が完成。2022年9月には、読売テレビ「かんさい情報ネットten.」のコーナーで、椅子張り職人として奮闘する新子さんが取り上げられました。これが反響を呼び、視聴者から「うちの椅子張りをお願いしたい」とすぐに5件の依頼が入りました。
「一般の方々に浸透した感じがしましたね。依頼をくださった方の中には、『椅子を張り替えたいと思っていたけど、どうすればいいか分からなかった』という声もありました。椅子張り職人の存在と、椅子やソファーは使い続けられると知ってもらえてうれしかったです」
新子さんは、なるべく自らの手で椅子やソファーを依頼者の元へ届けるそうです。
「気に入ってもらえるだろうかと緊張しながら向かいますが、皆さん、『頼んでよかった!』ってすごく喜んでくださいます。その言葉が、私の原動力ですね」
現在、新子さんは元希さんに工房を手伝ってもらいながら、新しい構想に向けて準備を進めています。
「工房の横の一室に、イベントスペースを作りたいと思っているんです。そこで無農薬野菜を作っている農家さんや木工作家さんのイベントを開きたくて。椅子だけじゃなく、衣食住に関するすべての作り手の発信地になれたらと思っています」
最後に、新子さんは率直な思いを語りました。
「新しいものや安いものはすぐに手に入るから、生活から完全に切り離すことは難しいですよね。『安く済ませる』というのも必要なことだと思います。でも、何かを捨てる前に、『リサイクルできるんじゃないか』と考えたり、『世界でたった一つだけのものにしてみよう』って思えたりする人がもっと増えたらいいなって思います。これからも、椅子張り職人としてがんばっていきます」
(文・写真:池田アユリ)
※ この記事は「グッ!」済みです。もう一度押すと解除されます。