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「野次馬みたいなことはやらんのです」86歳のYouTuberが大切にしていること。
シニア世代のはたらき方に迫る連載企画「半世紀後も「はたらく」はきっと楽しい。」では、年齢や経験に囚われず新たなチャレンジを行うおじいちゃん・おばあちゃんにお話を伺っていきます。第2回はYouTubeチャンネル「Dangerous爺ちゃんねる」のデン爺さんです。
Dangerous爺ちゃんねるは北朝鮮での戦時中のエピソードやヘビを食べ歩いていた幼少期の話など、デン爺さんの稀有な体験を語る動画が人気を集めています。現在、チャンネル登録者数は7万人を超え(2023年3月時点)、シニアYouTuberの中でもトップクラスの人気を誇っています。
取材が行われた日はなんと、デン爺さん86歳の誕生日。そんな節目のタイミングで、Dangerous爺ちゃんねるの誕生前夜と、激動の人生を歩んできたデン爺さんのキャリアを振り返っていただきました。
「ネタがなくても、野次馬のようなことはしない」YouTuberデン爺さんの矜持
──YouTubeの動画を始めて観た時に、よどみのない語り口でハキハキお話しされているので、ビックリしました。デン爺さんは現在おいくつなんですか?
自分でも何を言ってるか分からないこともありますがね。実は今日(2月22日)でちょうど86歳になるんです。
──誕生日だったのですね。おめでとうございます!
この歳にもなるとめでたいのか、めでたくないのか分からないのですがね。年のせいでつまらないことを話したり、「そんなこと聞いてないよ」というお返事もあると思いますが、軌道修正してくださいね。
──とんでもないです。YouTubeは日頃からご覧になっていたんですか?
YouTubeは私もたまにミュージックなどを聴く程度では観てたんですけどね。
そしたら、たまたま老人のYouTubeが流れてきたんです。それがあまりおもしろくないなと。そんなことだったら、こっちの方がおもしろいんじゃねえかなって思いましてね。仕事を離れてしばらく経っていたし、YouTubeが流行ってるのも分かってたし、やってみるかと。
──それで、お1人ではじめられたんですか?
一応孫には聞いてみたんですよ。孫には小さいころからいろんな話を聞かせてきたので、できると思ったんでしょうね。「じいちゃんYouTubeやったらおもしろいよ」と背中を押してもらいました。
──ご自身では、おもしろく喋れる自信があったんですか?
いやあ、どうだかな。私は元々、個人的なことを人様に話すべきじゃないっていう考えだったんですよ。ちょっと話がそれますけど。
──はい。
会社人間として大分やってきましたけども、会社人間としては「会社組織に必要なことだけをすればいい」という考えを持ってるわけです。
ですがね、ある日部下の若い子が、定時になって帰る時に「ちょっと電話を貸してください」っていうんです。そしたら自分の家に電話をして「今から帰るからね」というような話を母ちゃんにしているわけですよ。
──会社の電話で。
こんな人に聞こえるところで言うことじゃなかろうと。一事が万事、私生活を人前で言うべきじゃない。だからYouTubeに関しても、そう思ってましたよ。最初は。
──その考えが変わったのは……
YouTubeを始めてからですよね。やってみたら、「やりがい」っていうわけではないけども、何か生活のアクセントになるんですわ。もちろんそれがすべててじゃなくて、ワンオブゼム(One of them)なのだけども。
──楽しいとか、大変だとか、やってみて思ったのはどんなことでしょう?
私のYouTubeを観てくれてるのは若い人が多いみたいで。それこそ、子どもより孫に近いような歳の人らがコメントしてくれるんです。「参考になったよ」「私もデン爺さんみたいに頑張るよ」って言ってもらえると、これは嬉しいなという気になりましたね。
みなさんそれぞれ忙しいわけでしょう。その中で、じじいの話なんかにコメントをくれるっていうのは、すごいなぁと思ってね。
同チャンネルが注目を浴びるきっかけとなったのが、「昭和時代のありえない就職面接」という1本の動画。コントのように当時の採用面接を再現する動画は300万回以上再生されている。
──普段はYouTubeの活動にどれぐらいお時間を使っているんですか?
今はそれほどでもないですよ。仕事というよりは生活の一部になってきた、というぐらいの感じかな。
──撮影もご自身でやられてるんですか?
大体そうですね。ロケとか自分では映せない時は孫に手伝ってもらってますけども。基本的には自分でやりますよ。
──ということは企画から撮影までをお1人で?
企画は孫と話をしてる中で決めてますね。孫はやっぱり感覚が若いですから、参考になります。年寄りのじじいの感覚だけじゃ若い人のコメントなんかもらえませんよ。
──デン爺さんにとってYouTubeは「仕事」という感覚なんですか?
仕事というほどではないんですよね。私は少ない年金だけで生活してますから、多少の収入があるのはありがたいことですけど、いつまでできるか分からないのでアテにはできない。
──なるほど。これからどんな動画を出していこうとかって、考えてらっしゃるんですか?
いやあ。人の経験してないような話をしよう思って4年間やってきて、ネタはほとんど出してしまってるんでだんだんネタ切れになってきたんです。
──ピンチじゃないですか!
政治や世界情勢にいろいろ言ってる人っていっぱいいるんです。コメンテーターみたいに一言物申すっていうのはやりやすいんですよ。私も「俺だったらこうするよ」とか言ってやりたい気持ちになりますし、昔はやってましたけど、今は控えてますね。自惚れでしかないので。
──ネタがないと言いつつも、デン爺さんのこだわりがあるのですね。
そんな野次馬というか、犬の遠吠えみたいなのはやめたんです。なんの、屁の突っ張りにもならない。本当にね、誰のためにもならないから。
その辺を歩いて景色や気候とかを感じながら、一応アンテナを張ってはいるんです。生活の流れの中で、無意識に意識してるっていうのかね。いろんなことを考えたり、気付いたりしていればネタがまったくなくなることはないので。なんとかやっていきますよ。
リストラからの起業。激動の時代を駆け抜けたYouTuberのキャリア
──デン爺さんはこれまでどんな仕事をしてきたんですか?
長くやったのは会社勤めだったんです。私が就職した昭和34年頃は就職難だったんです。今みたいに就職試験だけではなく縁故採用も多い時代で、私もそういう感じで入社したんですよ。就職先は工場で、労務管理の仕事をしましたね。
27年くらいその会社に勤めましてね。安保闘争の頃なんかは労働組合運動が激しくてね。といっても、ハチマキを巻いて、ストライキをやってる時期がずっと続いたわけじゃないんですけども。私は当然ながらというか、組合対策を担当してまして。
──組合対策とは?
組合さんを相手に交渉をしたりだとか。まあ、会社と従業員の闘いですよね。お互いの主張がぶつかって労働裁判に発展したこともありました。
──壮絶な時代ですね。その会社を辞められた理由は?
会社っていうのは5年周期ぐらいで浮き沈みがあるんですが、私が50代に入ってからどうしても会社がやっていけないとなったわけです。そこでまあ、いわゆるリストラがあったんです。経費の最たるものは人件費なので。
それで希望退職を募ったんですが、そこでまた組合との話し合いもありまして「従業員を辞めさせるのに経営陣が何もしないのはダメじゃないか」という話になった。従業員だけを犠牲にしたらいかんということでね。
それで、まだ若かったからもんだから格好をつけてね。「私が辞めましょう」ということで辞めた。一応経営側の人間だったので。
──自ら名乗り出たんですか。
そんな格好いいもんじゃないですがね。それで、その後は身内の会社で不動産関係の仕事を手伝って、自分の会社を立ち上げました。不動産の会社です。
──まったく別の業種にチャレンジしたんですね。
こんな狭い日本でもね、人口が減ろうが増えようが、住むところは必ずいるんだから、不動産の仕事はなくならないだろうと立ち上げたんです。やってはみたものの、それが思うようにいくはずもなく、会社を経営しながらタクシードライバーもやりましたね。
──そうだったんですね。
タクシードライバーは5年ほどやりましたよ。マスコミ関係の企業と提携しているタクシー会社で、その放送局の前に常に待機してるわけです。マスコミは自社の車も持ってましたが、事件や事故があった時にはタクシーで現場に向かうことが多かったんですよ。
でね、ちょうど阪神大震災があったもんですから。崩壊の現場、お分かりですか?
──高速道路が倒壊した写真はニュースなんかでよく見ました。
そう。周辺のビルがサンドイッチみたいなのにもなってるのもあれば、木造なんか全部潰れてましからね。取材班乗せて回ったりしましたよ。
──ご自身の会社を経営されながらの勤務は大変だったのではないですか。
経営といっても資本金1,000万の小さな会社なので。当然社員なんて採用する余裕もなく、形としては残してるけど休業状態でしたから。
タクシーは朝出て、24時間勤務。それで明け(※編集部注 仕事終わり)に自分の会社に行ってFAXの処理をしたりとか、たまに物件の問い合わせがあったら業者と連絡を取ったりしてね。
──不動産の会社はその後どうされたんですか?
不動産がうまくいかないもんだから、会社としては大手のマンションの管理人をする仕事を中心にやっていきましたね。17年間、それをやりました。それが一番最後の仕事なんです。辞めたのは、78歳の頃かな。
──辞めてからはどんなふうに過ごしていたのでしょうか。
もう腑抜けた状態ですよ。仕事している頃は朝6時に起きて、弁当持って家を出てって生活。これがパッとなくなるから。あなただって、そういう時がきたらわかると思うんだけども、「俺はどうすればいいんだろう」ってなるわけです。
定年を迎えた人が、弁当を持って公園で座って過ごしているという話はよくあったじゃないですか。私は公園には行かなかったけどね。
新しいものに飛びついてもおもしろくない
──そうした生活を経て、YouTubeを始められたわけですよね。いつまで続けようと考えているんですか?
何歳になったらっていうことは考えてませんね。今こうやって話していると「元気そうだな」と思われるかも分からないけど、そんなことはありませんからね。80歳ぐらいまでは「まだまだ俺は」なんて思ったけども、80歳を過ぎると体力の低下がね。
──感じる部分があるんですね。
朝起きる時の辛さとかね、足腰どころか、指も全部痛いしね。大変だよ、立ち上がるにしても。
──そんな中でも動画は出しているんですね。
口だけはそれなりに動きますからね。でも、頭で考えることと、口から出る言葉が違ってくる。赤を白と言ったりね。それはありますよ。
──YouTube以外にも、TikTokなど新しく出てきたものにはチャレンジしていくんですか?
ほかのことは考えてないですね。
「人のやってない経験を話す」というのが私がYouTubeを始めた時の思いだったけど、それをやってきたっていう自負はあるからね。そこから離れたものは誰にでもできるし、新しいものに飛びついても大しておもしろくないなって。だから、これまでと同じネタでも、もっと掘り下げて話す動画をつくりたいなと思っているんです。
──なるほど。やらないことはハッキリと線引きしているのですね。
あと今日ね、誕生日のライブ配信やろうかな思ってはいるんです。毎年やってるんですよ。これからお昼食べて配信するので。
──そうだったんですね。では、取材はそろそろ終わりにさせていただきますね。
なかなか、あれでしょう。思ったように返事が返ってこなかったと思いますけど。
──とんでもないです。貴重なお時間をありがとうございました。
(文:高橋直貴)
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