会社員が脱サラして東京でヤギ牧場を開業するまで

2023年11月24日

「乳搾りやチーズづくりの本場」と言われて想像するのは、やはり北海道や東北地方の広大な自然。ですが、実は大都会・東京でも酪農に従事している人がいるのはご存知でしょうか。

今回お話を伺った堀周(ほりいたる)さんは、東京都・あきる野市でヤギのチーズを製造する酪農家。2016年に勤めていた会社を辞め、北海道でのチーズづくりの修行を経て、2020年に「養沢ヤギ牧場」をオープンします。

1993年に認定農業者制度が施行されて以降、史上初となる「東京の新規酪農就農者」となった堀さん。なぜ「酪農」のイメージとは程遠い東京で、牧場をオープンしたのでしょう。また、なぜ牛ではなくヤギのチーズを?牧場へ伺い、お話を聞いてみました。

人がすぐ来れる距離感で牧場を経営することの強み

──養沢ヤギ牧場ではどれくらいのヤギを飼育しているんですか?

30頭くらいですね。このチーズ工房が稼働し始めた3年前は、子ヤギを含め7頭だけでした。交配して徐々に増えていったんです。チーズの生産量も、当初は2日間で15個程度。現在は40~50個くらいのペースで生産しています。

──初年度から約3倍に生産量が増えたんですね。それにしても、なかなかの急斜面に小屋を建て、飼育されていますよね。勾配がある土地の方が、ヤギの飼育に適しているのでしょうか?

必須というわけではありません。むしろ広い平野の方が、牧場としても使いやすいとは思います。ただ平らで日当たりの良い土地では、優先的に米などの農作物を作ったほうが、人間のための食糧生産という点で良いですよね。

ヤギも「山の羊」って書くぐらいだから、もともとは山岳に住んでいる動物。斜面で暮らすことにも慣れています。だからこそ「こんなところに畑はできないよ」っていう場所を、ヤギのために活用する良さがあると思うんです。

──そもそも、なぜあきる野市でヤギの飼育を始めようと思ったのでしょう?

自分からチーズを売りにいくより、消費者が来てくれるくらいの距離感でできたら良いなと思っていたんです。

そして土地探しを始める際、ぼくの地元であるあきる野市も自然が多いことをふと思い出して。

なかなか理想通りの土地が見つかることはないだろうなと思いながらも、地元あきる野市周辺から土地探しを始めました。地元の知り合いなどに相談しながら情報収集をしている中で、知人から現在の場所を紹介していただきました。

今、チーズ好きのお客さんもわざわざ牧場まで訪れて、チーズを購入してくれるんですよ。そうやって外から人が気軽に訪れてくれるところは、東京で農業をやることの良さだと感じています。

──では、あきる野市のさまざまな土地を見てきた中でも、現在の場所を選ぶに至った決め手はなんだったんですか?

正直、「うーん、こんな山奥か。日当たりも悪いからな」と悩んでいました。ただ、ここは住まいになる一軒家もあって、ライフラインも確保されていた。少し手を加えれば、飼育から加工までを1箇所で完結できると思いました。

ヤギの飼育場とチーズ工房が離れていると、ミルクを都度運ばないといけないし、ヤギに何かあったときにもすぐ対応できません。

近隣へ、鳴き声やにおいの配慮も必要になってきます。ここは隣の家も見えず、奥まった土地にある。それだけで心配も減ります。さまざまな土地を検討する中で「ここが理想の場所だ」と思いました。

ヤギ小屋と同じ敷地内に堀さんの自宅、そしてチーズ工房がある

──なるほど。実際に牧場を稼働させてみて気付いたことがあれば、ぜひ教えていただきたいです。

ほかの地域よりも流通の選択肢が多いことに、面白さを感じます。

卸しでは地域の飲食店に買い取ってもらい、直売は近くの温泉や直売所に商品を置かせてもらいます。直売で売ったほうが利益率は高いのですが売上は売れた分だけ。卸しでは利益率が低い代わりに安定した売上が見込めます。

土地が狭くてたくさんの量を生産できない一方、自分で卸しと直売のバランスを整えられて、小回りが利く。しかも新しいお客さんとコミュニケーションをすぐ取りあえるような距離で、酪農に携われる。

長い目で見たときの「商売力」を培わせてもらっていると感じます。

厳しい新規就農への道。ヤギ農家になるまでの苦労

──チーズといえば牛乳で作ったものの方がメジャーですよね。なぜあえて「ヤギのチーズ」を作ろうと決めたんですか?

実を言うと、最初はヤギではなく牛や羊なども考えていたんですよ。羊のチーズは国内に生産者が全然いないから、穴場だと思って。ただ乳量の出る品種の羊が日本におらず、繁殖するにも輸入の手間がかかる。費用対効果が低く持続性もないのがネックでした。

あるとき、チーズづくりを教わっていた北海道の工房で、フランスから来た技術指導の方から「ヤギにしなさい」とアドバイスをもらいました。「日本にはチーズを作れるヤギ自体はいるけど、生産者が少なくてまだ供給が足りてないから良いよ」と。それがヤギのチーズづくりに着手する発端となっています。

生産者がいっぱいいて、なかなか大変そうな市場だったら、ヤギもやってなかったかもしれないですね。

「養沢ヤギチーズ」は国内のチーズコンテストでも受賞歴がある逸品

──牛とヤギでは体の大きさも全然違いますからね。

餌の量も、だいたい牛1頭分に与える量でヤギ10頭を養えるかな。牛の場合は搾乳機などがないと乳搾りもできませんし、病気になったら自力では動かせません。設備投資の意味でも、牛よりヤギのほうが飼育は楽だと思います。

それに、ぼくの場合は小さな規模で良かったんです。

──規模感も事前に決めていらっしゃったんですね。

酪農を始めるときから「家族規模でやる」「北海道でやらない」「自分で飼育から製造・販売までを行う」という3つの掟を定めていました。「家族規模でやる」からこそ、自分の中でヤギがマッチしたんだと思います。

──ご自身の修行先でもあった酪農の本場・北海道を選択肢から外した理由はなんだったのでしょう。

単純に生産者が多く消費者が少ないので、売るコストがかかると考えたんです。

空港にたくさん商品を置いたり、全国発送対応したりと努力している農家さんは多いです。でも、観光での売り上げはボーナスみたいなものですし、酪農自体仕事量が多いもの。売ることに力はあまり注げないだろうと思いました。

とはいえ「酪農の始めやすさ」で言ったら北海道の方が楽だったのでは、と思いますけどね(笑)。東京は、酪農を始めるまでがとにかく大変だったので。

──どういったところで苦労しましたか?

まず、農家じゃない人が農地を借りることができません。そして農家になるためには2年間の研修を経た上で、4年後までに所得300万円になるような就農計画を提出し、役所や農業委員会の承認を得なければいけないんです。

その承認を得ることが本当に大変でした。というのも、1993年以前から都内で酪農を続けている農家の数は、40数件あるかないかと非常に少ないんです。

1993年以降も、酪農の認定農業者として申請を出してきたのは、ぼくが初めてでした。つまり、都内の新規酪農就農者第一号だったんです。前例がないからこそ、最初に計画を説明したときは「この数字は本当か?」なんて言われました(笑)。

ほかにもチーズ工房の立ち上げにあたっては、衛生許可などクリアしなければいけない規制もたくさんあります。だから「ちょっと試しにヤギ飼って、チーズを作りたい」みたいなノリが通じないんですよね。

──いざ2年間の研修を終え、就農計画の承認を得たとしても、良い土地に巡りあわなければ農家を始められませんよね。

土地が見つかってから研修を始めるとすると、そこから農業を始めるまでにまた2年かかっちゃうじゃないですか。逆に研修だけ先に始めても、都内で良い土地に巡り会えなかったら、都内の研修を受けている意味がなくなってしまう。なぜなら、地域によって新規就農の条件はバラバラだからです。

必ずしも「都内の酪農研修を受けているから、他県で就農しやすくなる」というわけではありません。土地がないことを理由に途中で研修を中断し、ほかの県の研修を受け直す……となると、とんでもないロスタイムになってしまいます。

幸いぼく自身は知人や地域新聞の記者さんなどを頼らせてもらいながら、3〜4カ月程度でこの土地を見つけることができた。ラッキーだったと思います。

流行り廃りに左右されない、自立した仕事ってなんだろう?

──堀さんが酪農に興味を持ったのはいつごろだったのでしょうか?

会社員を経験してからです。ただ、もともと小さいころから「誰かに依存することなく自立した形で生きていたい」という考えはぼんやりありました。

「景気や流行り廃りに左右されるのではなく、ずっと続けられる仕事につきたい。業界が突然ダメになり、50〜60歳で路頭に迷うのは嫌だ」。そういった長期的な思考のもと、大学卒業後は金属屋根の会社に就職しました。

ただ、社会人になってからも「本当に自分がずっと夢中になれて、あんまり人に頼りっきりにならないで生きていけるものってなんだろう」という模索は続けていて。自分の性格的にも農業が良いのでは、となんとなく感じていました。

──お米や野菜作りなど、農業にもたくさんの選択肢があると思います。その中で、ピンポイントに「チーズづくり」を選んだ理由はなんだったのでしょう。

確かに「主食の米がいいかな、でも生産量勝負になったら面白くないな」「腕が試されるような難しい品目の野菜がいいかな」「椎茸とかが良いかな」など、いろいろ考えていました。

そんなときに、チーズを作っている岡山県の酪農家さんの存在をテレビで知って「あ、これじゃん」とピンときたんです。その土地の個性がミルクに表れる面白さがあるし、チーズには何種類も製造方法がある。奥深い世界だからこそ惹かれました。それが社会人1年目のとき、2013年くらいですね。

──では、思い立ってからすぐ会社を辞められて?

自分の意思を確かめるためにも、一応3年は会社員を続けました。ただ3年経っても「チーズづくりをしたい」という気持ちは変わらなかった。そこで2016年に北海道の上川郡新得町へ移住し、先ほど述べたチーズづくりの修行を始めます。

──堀さんがヤギ農家兼チーズ職人をやっていて、いちばん楽しいと感じることを教えてください。

仕事を通し、人と会えたときですかね。チーズを直接購入しに来てくれる人から、飲食店を経営しているシェフまで。そしてたまに「ヤギが好きだから」というシンプルな理由で、家族連れが遊びに来ることもあるんです。月に一度ヤギを見に来る親子もいれば、ヤギの絵を描きに来る老夫婦もいます。

どんな目的であれ、訪れた人のことは「お客さん」ではなく、「友達」になるつもりでコミュニケーションをとるようにしています。徐々に友達が増えてきましたし、これからも友達と呼べる人が増えていくのが楽しみです。

お金を稼ぎたいだけなら、割に合わない仕事だと思います。でも、人との交流を楽しめるという豊かさがある。ぼく自身はお金以上の価値を感じています。

(文:飯嶋藍子 写真:naive)

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