サヨナラ疑惑の判定!サッカー界の概念を変えたソニー「VAR」導入の裏側
サッカー、野球、ボクシング、どんなスポーツにおいても不可欠な「審判」。つねに正確な判定を求められる存在ですが、審判が生身の人間である以上、時には誤審も起こりうるものです。きわどい判定が物議を醸し、「世紀の誤審」や「疑惑の判定」として、ファンの間で語り草になることも少なくありません。
しかし、サッカーではVAR (ビデオ・アシスタント・レフェリー)の普及により、それは過去のものになろうとしています。VARとは試合映像をもとに、リアルタイムで主審の判定をサポートするシステムのこと。2022 FIFAワールドカップ カタール大会で喝采を浴びた「三笘の1mmアシスト」もVARによって生まれたものです。
日本においてVARの普及を牽引してきたのが、ソニー スポーツエンタテインメント事業部 スポーツビジネスソリューション部統括部長の山本太郎さんと、スポーツビジネスソリューション部の原知彰さん(※山本さん、原さんともに2024年2月時点での肩書)。「ファンからの拒否反応も少なくなかった」というVARをどのように浸透させていったのか。スポーツ愛に溢れるお2人に伺いました。
「VARなんていらない!」。サッカーファンからの拒否反応を乗り越えて
学生時代はアメリカンフットボールの選手として活躍し、現在はゴルフやサーフィンに親しむほか、世界各国で開かれているスポーツの大会をテレビでくまなくチェックしている山本さん。AFC アジアカップ2024はほとんどの試合配信を見届けたという根っからのスポーツ好きです。
山本さんはソニーに入社以来、インド、シンガポール、欧米など世界各国を飛び回りセールスマーケティングや新規事業立ち上げに関わってきました。そんな彼が、VAR事業を担当することになったのは2016年のこと。それからちょうど2年後、2018FIFAクラブワールドカップにVARが導入されます。
「当時はまだ『知る人ぞ知る』といった認知度でしたね。しかし、国際大会で導入されたのを機に、VARの需要が増大したんです。これを追い風に、我々も国内外のリーグへ積極的にアプローチしていきました」
強力な追い風を受け順風満帆に……、というわけでは決してありません。山本さんは事業の担当者になって間もなく、ある壁に直面することに。それは一部のサッカーファンからのVARに対する「拒否反応」でした。
当時、ビデオ判定はまだまだ馴染みが薄く、多くの人にとって未知の領域。特に海外のサッカーファンからの風当たりが強く「VARで試合の流れが止まってしまう」「誤審もまたスポーツの一部」といった意見を耳にすることも。
しかし、そんなネガティブな反応も想定内のことだったそう。山本さんはこれまでの経験を元に、その壁を乗り越えてきました。
「前例のない試みに違和感を覚える人が出てくるのは当然のこと。私がかつて電子書籍のサービス立ち上げに関わったときは、ユーザーから『紙の香りやページをめくる感覚がなくて味気ない』という声もありました。しかし、今ではすっかり社会から受け入れられていますよね。
同様に、サッカーのVARも時代の流れに乗っていずれは定番化するだろうと信じていました」
「判定」は選手の人生をも左右する
山本さんがそう信じて突き進むことができたのは、一人のスポーツ好きとして、「VARがそれまでのスポーツの醍醐味を損なうことはない」と確信していたからでした。
サッカーのVARでは、ソニー傘下のホークアイ・イノベーションズが開発した、複数のカメラの映像を同期再生するビデオリプレイ技術が使われている。
VARが介入する流れは次のようなもの。
①得点か?PKか?退場か?警告対象の選手に間違いがないか?など、対象となる、または対象となりうる事象が起こる。
②VARを務める審判員がビデオオペレーションルーム内で、複数のアングルの映像やリプレイ映像を活用してチェック。この時、ソニーの映像オペレーターがサポートする。
③その結果を主審に伝え、判定に明白な間違いがあると判断した場合はVARが介入する。
④主審はVARからの情報のみで、または自らリプレイ映像を見て最終の判断を下す。
つまり、VARはあくまでもサポート役であり、最終的な判定は主審に委ねられていることには変わりはないのです。
一方で、スポーツの判定に携わる「責任」は非常に重いもの。もし、誤審が起こってしまえば、試合の勝敗だけではなく、選手の人生にも影響を及ぼしかねません。若かりしころにラグビーやアメリカンフットボールに打ちこんだ山本さんにとって、それは他人ごとではありませんでした。
「プレイヤーとして大した実績は残していませんが、私ですら『あの試合の判定は妥当だったのだろうか……』と振り返ることがあるんです。
このような経験は、プロやアマチュアを問わず、どの選手にも身に覚えがあるはずです。見方を変えれば、我々の審判判定支援技術によって、救われる選手がいるかもしれない。そう思うと、業務にも一層力が入ります」
「私たちは一つのチームだ」。すべてが報われた主審からの一言
VARは、担当する審判員と、映像を操作するオペレーターが連携することで真価を発揮します。試合中、VARとオペレーターは隣に並んで座り、いつでも映像チェックに移れるように神経を尖らせています。
オペレーターは審判の指示にただ対応すればいいわけではなく、チェックに必要なシーンを瞬時に選別する判断力も求められるのです。もし選別に手間取ってしまうと、それだけタイムロスが生じてしまうからです。
「一人前のオペレーターになるためには、それ相応の育成期間が必要になります。当然、その育成も私たちの役目です。
座学や操作の研修だけではなく、審判のトレーニングに参加したり、運営側が取り決めている資格を取得したりすることもあります。VARがJリーグに導入された際は、審判団との合同合宿も行いましたね」
オペレーターの育成が難航した時期もあったものの、トライ&エラーを繰り返して、育成環境を整備。次第にノウハウが蓄積されていき、オペレーターと審判の間に阿吽の呼吸が生まれるまでになりました。
「とある国際試合に参加した際、審判の一人から『オペレーターも含めて、私たちは一つのチームだ』と、労いの言葉をかけられたことがあります。人材の育成に苦労した分、本当に報われました。VARが導入されて以降は、判定の精度が上がっていると言っていただけたのも、自分は間違ってなかったんだとうれしかったですね」
審判にスポットライトが当たるようになった日
近年はサッカーファン以外にもVARが浸透しつつあります。審判がVARを求めるジェスチャー(両手で大きく四角形を描く仕草)は、視聴者にインパクトを残すようで「テレビCMでも度々目にする」と山本さん。海外のサッカー動画を視聴していた時には、こんな場面にも出くわしました。
「南米の子どもたちがサッカーに興じている動画でした。ボールを奪い合う場面になると、選手同士が接触して一人が転倒。その流れで倒された選手が審判に向かって、例のジェスチャーを見せたんです。思わず『VAR入れてないでしょ!?』とつっこんでしまいましたよ(笑)。
近年は心なしか審判の活躍がメディアで注目される機会も増えているように感じます。VARは私の開発した技術ではありませんが、いろいろな形で親しまれている様子を見るのは嬉しいものです」
また、「SNSでもVARの評判は上々です」と話すのは、スポーツビジネスソリューション部に在籍する原さん。山本さんとともにVAR事業の立ち上げに関わった一人です。
「VARをきっかけに勝敗が決すると、SNSで『ソニーの技術がチームの勝利につながった』という、喜びのコメントを見かけることもあります。試合の規模が大きいほど、ファンの反応も大きい。
知り合いの間では『VAR=山本太郎』というイメージが独り歩きしているようで、『あの試合は、山本さんのおかげで勝てた』と冗談まじりに持ち上げてくださる人もいらっしゃいますね(笑)。もちろん、ソニーがすべてのVARを担当しているわけではありませんが、業界の盛り上がりに少なからず貢献できていると思うと感慨深いですね」
「推し選手」だけを追いかけることも可能に?未来の観戦体験をつくる挑戦
スポーツビジネスソリューション部は、サッカーだけではなく、野球やラグビーのビデオ判定にも技術やサービスを提供しています。また、ビデオリプレイ技術だけでなく、複数のカメラの映像から選手やボール、バットなどの動きをミリ単位で正確にトラッキングし、ボールの速度、回転数・方向、軌跡や選手の骨格情報をデータ化する技術も浸透しつつあります。この技術を活用すれば、審判判定支援だけでなく、選手のパフォーマンス向上や新しいコンテンツ制作も可能になると山本さんは話します。
「フィールドや選手を3Dグラフィック化する技術が浸透していけば、今後はファンが好きなように観戦をすることができるようになるはずです。技術的には特定の選手だけを追いかけたり、自分の好きな角度からリプレイ映像を再生したりすることも可能なんですよ。
もちろん、スタジアムでの生観戦もスポーツの醍醐味。しかし、スタジアムのキャパシティーにも限界がありますし、すべてのファンが現地を訪問できるわけでもありません。自宅でスポーツ観戦する楽しみをもっと多くの人に体験していただきたいんです」
メリットがあるのは、ファンだけではありません。原さんによると、映像技術の発展が選手のトレーニングにも恩恵をもたらすそうです。
「自身のプレイ映像を何度も見返して、研究を重ねる選手は少なくありません。そこに我々の映像技術が加われば、身体の動きやボールの回転速度などのデータが容易に取得できます。これらのデータをトレーニングに取り入れれば、技術やパフォーマンスのさらなる向上が期待できるでしょう。
実際、東京ヤクルトスワローズさんをはじめとする日本プロ野球の複数の球団に、こうしたシステムを『トラッキングデータサービス』として提供しています。選手間の攻防がハイレベルになれば、相乗効果で私たちの技術にもより磨きがかかるはずです」
スポーツのジャッジをより公平に。そして、スポーツの魅力を多くの人に伝えたい。これらの思いに突き動かされ、2人は逆境を乗り越え、走り続けてきました。
「弊社の製品やサービスが導入されている試合だったとしても、仕事のことは忘れてついつい試合の行く末の方が気になってしまうんです(笑)スポーツってそれぐらい、人を夢中にさせ、感動を与えてくれるコンテンツなんですよ。
そこにテクノロジーを融合させれば、スポーツはもっと面白くなるし、もっとワクワクした情報が伝えられる。これからも感動の輪を広げていきたいです」
一人のスポーツファンとして、VARの普及を推し進めてきた山本さんと原さん。真っすぐな思いを武器に、正確な判定と、新たな観戦体験を追求し続けます。
(文:名嘉山直哉 写真:宮本 七生)
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