ひょうろくとは何者?年収500万の窓際族(会社員)から、フリー芸人になった理由。

2024年10月18日

スタジオパーソルが運営するYouTubeでは、さまざまなはたらく人の履歴書から「私らしいはたらき方」について深堀りインタビューを行っています。

今回は、『水曜日のダウンタウン』や「さらば青春の光」のYouTubeで話題沸騰中の人気ピン芸人・ひょうろくさんに密着インタビューを行いました

複数社からCMオファーが殺到する今、その独特な雰囲気と特徴的な外見で多くの人の目を引くひょうろくさん。しかし、その人生は決して平坦なものではありませんでした。ネガティブでありながらも楽観的。一見矛盾するようで、どこか納得してしまうひょうろくさんのはたらく価値観に迫ります。

※本記事はYouTube『スタジオパーソル』の動画一部を抜粋・編集してお届けします

収入は安定。でも「窓際族」だったサラリーマン時代

ひょうろくさんは、もともと芸能界やお笑い芸人を目指していたわけではなく、どちらかというと将来への明確なビジョンが見つからないまま生きてきたといいます。

高等専門学校(高専)を卒業後、ひょうろくさんは千葉県の建築会社に就職。設計や営業を担当しながら4年間勤務していました。しかし、会社での仕事ぶりは決して芳しくなく、設計部門では出世コースから外れた「窓際族」に。営業部門に異動しても、ミスの連続だったといいます。

「契約前になって、お金が足りていないとか、しょっちゅう起きて……。メールで『この度は申し訳ございませんでした』って打つのだけはすごく早くなった」

そんな状況でも、「年収は500万円くらい」と安定した収入を得ていたといいます。

そして、ここで思わぬ転機が訪れます。高校の同級生と遊びでお笑いを始めることになったのです。会社の上司からは「お前で笑ったことないよ」と言われるほど普通のサラリーマンだったというひょうろくさん。それでも、突如としてお笑いの道に進む決断をします。

「高校の同級生が誘ってくれて、『一緒に仕事を辞めて行っちゃう?』みたいな話になって。思っちゃったからにはもう、退職届を出しちゃうみたいな感じでした」

この唐突ともいえる決断が、人生を大きく変えました。年収500万円の安定したサラリーマン生活から、未知の世界へ飛び込んだひょうろくさんを待ち受けていたものとは——?

苦難の芸人デビューから殻を破るまで「どうせ辞めるなら好きなことやっちゃえ」

ひょうろくさんの芸人としての道のりは、想像以上に険しいものでした。当時の相方と「ジュウジマル」というコンビを組み、M-1グランプリにも挑戦しますが、最高の結果でも3回戦進出と、目標としていた優勝には届きませんでした。さらに年収も激減……。

「月1011万円とかだったので、年収でいうと120、130万円とかですかね。地獄でした」

将来への不安に押しつぶされそうになりながらも、ひょうろくさんは前を向いて努力を続けました。

「毎晩震えてましたね。10年後、20年後に『これ、野垂れ死ぬんだろうな』って思うと、ガタガタって震えて。『まぁいっか』と思って寝ては、また夜になってガタガタ震えて、『まぁいっか』っていうのをずっと繰り返していました」

当時のひょうろくさんは、「お笑い芸人」というイメージに必死にしがみついていたといいます。現在の独特な雰囲気とはまったく異なる、典型的な「明るいキャラ」を演じようとしていたのです。

しかし、7年という長い月日を過ごす中で、心境が変化します。

「一生懸命『お笑い芸人さんってこうだろう』という価値観で頑張っていたんですけど、もう限界を感じて。どうせダメなら自分のしたいことして、したい格好して、言いたいこと言いたいって。どうせ辞めるんだったら、好きなことやって辞めちゃえと思ったんですよね」

この決意が、ひょうろくさんの独特のスタイルを形づくっていきました。

(YouTubeチャンネル「もち、ひょうろく」より引用 / https://youtu.be/2soe2XiPDEI?si=tTRqwJPYocxX5lYg

突然訪れた転機。「さらば青春の光」YouTube出演の真相

開き直るように、覚悟を決めるように、自分を解放していったひょうろくさん。しかし、結婚した相方の「もう無理」の一言でコンビが解散、そのまま事務所を退所します。

そんなひょうろくさんの人生を大きく変えたのは、不意に訪れた「さらば青春の光」のYouTube出演でした。

ある日、飲食店でアルバイトをしていたひょうろくさんが、休憩中にX(旧Twitter)を見ていると、さらば青春の光さんのYouTube企画を見つけました。内容は、「今日17時までに事務所に来れた人にお金をあげます」というもの。ひょうろくさんは大胆な行動に出ます。

「オーナーに電話して、『店閉めていいですか』って言ったんです。でもすでに予約が入っていて、『そのお客さんだけどうにかして』と。幸い常連さんだったので、『すいません、ちょっと野暮用があって』と説明して事務所に向かいました」

この行動が、ひょうろくさんの人生を大きく変えることになります。

「そこからさらばさんのYouTubeに出させていただく回数が増えて、それで知ってくださる人がちょっとずつ増えていったんです。『水曜日のダウンタウン』への出演や、ほかのお仕事もいただけるようになりました」

この経験は、ひょうろくさんのはたらき方や価値観にも大きな影響を与えました。突然のブレイクに複雑な感情も……。

「売れるのはずっと憧れていたところではあります。でも僕の売れ方って、あんまり正攻法ではないといいますか。芸人活動をやっていない自分がこうやってテレビに出させてもらっているのは、ちょっと申し訳ない気持ちもあります」

しかし、そんな気持ちを抱えながらも、ひょうろくさんは決意を新たにします。

「やりたかった仕事をさせていただいている身なので、本当に一生懸命やらないと。手を抜いちゃったら、そのときの自分自身にも失礼だしな、みたいな」

ひょうろく流「ネガポジ思考」晴れたらいいなとは考えない、その真意とは?

最後に、ひょうろくさんにはたらく人へのアドバイスを伺いました。

人生の浮き沈みについて、ひょうろくさんはこう語ります。

「僕は、ネガティブでありながら、めちゃめちゃ楽観主義でもあるというか。『うぅ〜』って落ち込んでも、『まぁいっか』みたいな、自分の中のネガティブをちょっとずつ食べて生きている感じ。

どんな道に進んでも、どんな仕事をしていても、良いときもあれば嫌なときもある。晴れっぱなしってことはないというか。普通に生きているだけで、絶対に嫌なことはある。ずっと『晴れたらいいな』とは考えず、『雨も降りますよ』と心得ておく、みたいな」

ネガティブな感情や困難な状況も、否定せずに受け入れながら、少しずつ前向きな気持ちに切り替えていく。ひょうろくさんの言葉は、「人生には良いこともあれば悪いこともある」という当たり前のようで、つい忘れがちな事実を思い出させてくれます。

「つらいときは、もう笑っちゃう。『なんとかなる』って。自分らしく頑張っていれば、誰かが助けてくれることもあるし、時間も助けてくれる」

※今回お伝えし切れなかったフルバージョン動画はYouTube『スタジオパーソル』にて公開中

(文:間宮まさかず)

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ライター/作家間宮まさかず
1986年生まれ、2児の父、京都在住のライター・作家。同志社大学文学部卒。家族時間を大切にするため、脱サラしてフリーランスになる。最近の趣味は朝抹茶、娘とXGの推し活、息子と銭湯めぐり。
著書/しあわせな家族時間のための「親子の書く習慣」(Kindle新着24部門1位)

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