40歳までバイト生活→47歳でアカデミー新人賞。『VIVANT』俳優・河内大和が「ぼくは遅咲きじゃない」と語る理由

2026年5月27日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

今回お話を伺ったのは、ドラマ『VIVANT』でバルカ共和国の外務大臣・ワニズを演じ、強烈な存在感を放った俳優の河内大和さんです。さらに映画『8番出口』では、地下通路を淡々と歩くおじさん役を怪演。その活躍が評価され、第49回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞しました。主に10代〜20代の俳優が受賞することの多いこの賞で、47歳での受賞は大きな話題に。

「遅咲き」と言われることも多いという河内さんですが、本人はむしろ「こんなに早くチャンスが来るとは思わなかった」と語ります。俳優として長い下積みを歩んできた河内さんに、「はたらく」のヒントを伺いました。

コンプレックスが多いぼく。自分じゃない誰かになりたかったから

——ドラマ初出演だった『VIVANT』を皮切りに、『8番出口』、さらに2026年は憧れだったという大河ドラマにもご出演されています。今の状況を、ご自身ではどのように捉えていらっしゃいますか?

純粋に、とてもうれしいです。長年舞台を中心に活動してきましたが、「いつか必ず映像作品に出演したい」と思い続けていて。その念願がかなっている今、本当に「うれしい」の一言に尽きますね。

——そもそも、どうして俳優を目指されたのでしょうか。

自分じゃない誰かになりたかった、それが原点です。小学生、中学生のころ、ぼくは自分のことが全然好きになれなかったんですよ。見た目も性格も含めてコンプレックスが多くて、同級生ともうまく関係を築けない。そんな自分がとにかく嫌いでした。クラスには、自然と周りに人が集まってくる同級生がいるじゃないですか。そういう人がすごくうらやましくて、いつも「自分もあんなふうになれたらいいのに」と思っていました。

そんな気持ちを抱えたまま高校に進学したのですが、そこで洋画好きの友人ができたんです。その友人がハリウッドやヨーロッパなど、たくさんの映画を教えてくれて。いろんな作品に触れる過程で、さまざまな役を自在に演じる俳優たちを見て、「自分じゃない誰かになれる」ことに胸を打たれました。そのうち、自然と俳優たちの真似をするようになったんです。

——誰かの前で披露したこともあったんですか?

友人には見せていました。ブラッド・ピットが大好きで、1995年公開の犯罪スリラー映画『セブン』のラストシーンをよく真似していました。それで、真似するぼくを見た友人がすごく喜んでくれたんですよ。今振り返ると、それが「演じる喜び」をはじめて実感した瞬間だったのかもしれません。

長い下積みが続いた俳優人生。そしてやってきた『VIVANT』への出演依頼

——その後、新潟の大学で演劇研究部に所属されたとお伺いしました。演劇に夢中になったのはどうしてですか?

大学入学時の新入生歓迎ステージで、演劇研究部のパフォーマンスがおもしろくて印象に残ったのがきっかけです。入部したあと、はじめて劇作家・野田秀樹さん演出の『野獣降臨(のけものきたりて)』の映像を見たんですけど、「こんなに面白い世界があるんだ!」と衝撃を受けました。それ以来、野田秀樹さんの演劇を真似るようになりましたね。

その後、演劇の奥深さにどんどん魅了され、結局大学は中退して。アルバイトを掛け持ちしながら、新潟で役者として活動を続けていました。ただ、27歳のある日、ふと「自分はなぜ演劇をやっているんだろう」と虚無感に襲われたんです。先の見えない生活を送る中、気付けば声が出なくなり、精神的にも参ってしまって……簡単にいうと挫折ですよね。地元である山口に帰り、1年半ほど芝居から離れていました。

——どのようにして、再び演じる世界に戻ってきたのでしょうか?

新潟でお世話になっていたスタッフの方から、「海外公演の主役をやらないか」と声をかけていただいたんです。そのときのぼくは正直、「この舞台を最後に俳優をやめよう」と思っていました。

ところが、海外公演を終えて新潟で凱旋上演を行ったとき、客席から「待ってました!」という大歓声が上がったんです。あの光景は今でも忘れられません。ぼくのことを待ってくれている人がいる。その瞬間、「やっぱり自分は俳優として生きていきたい」と強く思いました。

——その後、2011年に上京されたのですよね。

はい。ただ、上京してからも順風満帆というわけではありませんでした。上京して2日目に東日本大震災が起きましたし、2020年には新型コロナウイルスの影響で仕事がゼロに。

それでも少しずつご縁に恵まれ、舞台に立ち続けることができました。俳優の吉田鋼太郎さんの舞台に出演させていただいたり、演出家の蜷川幸雄さんと出会えたり。そして40歳を前にして、ようやく俳優の仕事だけで生計を立てられるようになりました。2021年には、ぼくの憧れであり、劇作家、役者、演出家として数多くの話題作を手がける野田秀樹さんから声をかけていただき、舞台『THE BEE』のメインキャストの一人として出演。その舞台を、ドラマ『VIVANT』のプロデューサーが観てくださっていたようで、出演のお話をいただくことになりました。

「遅咲き」じゃなくて、ぼくは全然早いと思っています

——長い下積みを経て、ついにドラマ出演のオファーが。これまでのお話を伺っていると、いわゆる“遅咲きのキャリア”とも言えるのかなと感じました。

周りからもよく「遅咲き」と言われるんですけど、ぼくとしてはむしろ「こんなに早く?」と思っているんですよ。

——「早く」ですか?

はい。ぼくとしては、自分が俳優として花開くのは50代から60代くらいなんじゃないかなと想像していたんです。だってぼくみたいなキャラクターは、映像作品の中ではあまりにも個性的じゃないですか(笑)。自分に合う役は、そのくらいの年齢にならないとオファーは来ないだろうなと。だから、40代のうちに自分にぴったりハマるキャラクターと出会えたことは、もう運命としか言いようがない。
でも、あえて目標を遠くに置いていたからこそ、自分を信じ続けることができたんだと思います。しんどい時期でも、「頑張れよ、お前」「いつか絶対に花開くぞ」と、自分に言い聞かせながらやってきました。

——でも周りには、10代や20代から活躍している俳優さんも多くいらっしゃいますよね。悔しさや葛藤はありませんでしたか?

それはものすごくありましたよ(笑)。

特に若いころは、活躍している人と自分を比べて、「自分は何をやっているんだろう」と思ったこともありますし、「あの人みたいに売れたい」と嫉妬したこともありました。でも、それも若いうちにしかできない、必要な経験だったと思うんです。

——よく「人と比べないことが大切」と言われることもありますが、河内さんは「人と比べること」も必要だと思われるのでしょうか。

もちろんみんながみんなそうだとは限りませんが、成長のために必要な側面もありますよね。比べなければ気付けないこともありますし、実際、ぼくはそうやって成長してきたと思っています。20代から30代の頃のぼくは、本当に周りと自分を比べ尽くしましたね。

——もう自分は「比べきった」と。

比べきったからこそ、40代になった今は、第一線で活躍している方々を年齢関係なく心から尊敬しています。きっと20代のときなら嫉妬してしまうような方に出会ったとしても、今は素直に「この人みたいになりたい」と思えるんですよ。嫉妬心よりも、「この人のここを真似したら、自分はもっと良くなるかもしれない」と、客観的に相手を見られるようになった。

人と比べるというのは、その人のようになれていない自分を直視することでもあります。今の自分に足りないものがあるから、その人と同じステージに立っていない。だからこそ、次のステージに進むためにも「人と比べること」も大切な経験だったとぼくは思っています。

いつか必ず花が咲くはず。だから、「頑張れ」と言いたい

——でも、もし自分で考えたとき、そうした悔しさや嫉妬心を持ちながらはたらき続けるのは、相当な胆力が必要な気もします。

そうなんですよ!でも面白いことに、自分を苦しめるのが人だとしたら、自分を助けてくれるのもまた人なんです。しんどい時期こそ内に閉じこもらず、誰かと会ったり話したりすることが大事ですよね。27歳のときのぼくはどんどん内に籠ってしまって、立ち直るまでに時間がかかりました。でも、そこから抜け出すきっかけをくれたのも、やっぱり人だった。それと今でも大切にしているのが、頑張って前向きに考えること。

——“頑張って”前向きに考える。

ぼくはもともとネガティブな性格なので、ポジティブでいられる人にずっと憧れてきました。だから最初は、ネガティブとポジティブは自分の心持ち次第だと言い聞かせて、無理にでも明るく考えるようにしていたんです。そうやって続けているうちに、だんだん前向きに考えることが自分にとっては習慣になって、今では自然と前向きに考えられるようになりました。「こうなりたい」と思ったら、そうしないと気持ちが悪いくらいになれればこっちのもんですから。

——すごいです。河内さんは置かれた状況に対して、自分自身を変容させてきたからこそ、早いと感じられる今になったのかなと思いました。

ありがとうございます。あとは、ちゃんと言葉にもしてきたなと思っていて。「こんなふうになりたい」「こういうことをしたい」と、あえて人がいるところで口にするんです。そうすると自分もその言葉を聞いているし、周りの人も聞いているから責任が生まれます。

自分は「言ったからにはやらないと」と思うし、周りの人も、もし機会があったときにぼくのことを思い出してくれるかもしれない。振り返ってみると、そうした積み重ねがご縁につながってきたのかなと思います。自分自身、ずっと「映像作品に出たい」と言い続けてきましたから。

——最後に、スタジオパーソルの読者であるはたらく若者に、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするためのアドバイスをお願いします。

今でもぼくの支えになっている言葉の一つに、「忍耐が花を咲かせる養分になる」があります。これは俳優の白石加代子さんが雑誌のインタビューでおっしゃっていた言葉で、新潟で修行していた20代の頃からずっと大切にしてきました。耐え忍ぶほど、それが養分となっていつか花が咲く。それを信じてきたから、ここまで続けてこられたんだと思います。これからも夢を目指している限り、きっと忍耐の時間はあるでしょう。でも若い頃に耐え忍んできた経験があるから、きっと大丈夫だと思えるんです。

今の時代は、若いうちから何かを成し遂げている人や、輝かしい活躍をしている人の情報を目にする機会も多い。焦ってしまう気持ちもあるかもしれません。でも、もし10年後にきれいな花が咲くと思っていたら、その花を大切に育てたくなるはず。最近は「頑張れ」とあまり言わないほうがいい、とも言われますけど、ぼくは頑張るって素敵なことだと思っています。だから伝えたいんです、「頑張れ」って。ぼくももっともっと頑張りますから、皆さんも一緒に頑張っていきましょう。

「スタジオパーソル」編集部/文:田邉なつほ 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:曽川 拓哉

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ライター田邉なつほ
新卒で建築業界の営業に従事し、ライターに転身。介護・福祉業界の採用支援をサポートするスタートアップ企業で業務委託ライターを勤め、編集プロダクションで編集者も経験。現在は取材記事の執筆、メディア運営、コンテンツ制作に携わる。

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