局アナからeスポーツキャスターに!独自キャリアの裏には「戦略と直観」があった
グラスのストローとたわむれる猫や、窓の外の風景に夢中になる猫たちの姿をスポーツ中継風に実況した動画が話題です。投稿したのは、フリーアナウンサーの柴田将平さん。本業ではeスポーツキャスターとして、ゲーム実況を主戦場に活躍しています。
もともとは地方局のアナウンサーを務めていましたが、安定した職を捨て、まだ市場が確立していなかったeスポーツの世界へ飛び込んだ柴田さん。ジョブチェンジの決め手は「直感」だったと言いますが、その背景には決断を後押しする、さまざまな戦略がありました――。
データに基づいて戦略を立て、アナウンサー試験を突破!
――まず、なぜ柴田さんはアナウンサーを目指したのか、そのきっかけから教えてください。
もともとテレビっ子だったことが一番の理由ですが、それに加えて、父親の影響も大きかったように思います。というのも、父がそもそもテレビ好きな人で、よく「このアナウンサーは○○大学の野球部出身で……」と番組を見ながら解説してくれていたんです。そのおかげで、アナウンサーという職業の人を、どこか身近に感じていたというのはあったと思いますね。
ただ、アナウンサーという職業により強く憧れていたのは妹のほうでした。彼女は今、NHK福岡放送でキャスターをやっています。僕自身は何かテレビに関係する仕事に就ければいいなと思っていた程度で、大学ではマスコミ講座を受講していました。
ある日、その講座のメンバーから、「柴田くんの話し方って、アナウンサーっぽいよね」と言われ、この“アナウンサーっぽさ”というのは、もしかすると大きなアドバンテージなのではないかと直感したんです。こういう特殊な仕事は、勉強や努力で上積みできるものよりも、他人から見た印象など、持って生まれた要素が物を言うのではないかと考えたからです。
――たしかに、滑舌などはトレーニングで向上させることができても、声の質や物腰などは、生来のものも大きいかもしれませんね。
僕は昔から、地道に努力をするのが苦手な分、こういう目端が利くところがあるんです(笑)。じつは大学受験もそうでした。
各大学の倍率というのは前年の数字しか注目されませんが、数年分のデータをチェックしてみると、倍率が高かった年の翌年は、たいてい数字が下がっているんです。競争率の高いところを避けようとする心理が働いているわけですね。だったら、昨年の倍率が高かったところは、今年は狙い目ということになりますから、そういう大学、学部を重点的に受験したわけです。
アナウンサーの試験を受けてみようと考えたのも、“っぽさ”があるならそのアドバンテージを活かさない手はないだろうと思ったからでした。もし、他の人にはない適性が自分にあるなら、実際の競争率より有利に戦えるのではないか、と。
――それでも、アナウンサー試験が狭き門であることに変わりはないと思いますが……。
その通りです。しかも、各局のアナウンサーの採用状況を見てみると、ほとんどの局が女性は毎年採用していますが、男性はそうではないという実態が分かります。つまり、前年に男性アナウンサーを採用した局は、次の年は望みが薄いと言えるわけです。
それでもよほど光るものを見せられれば採用してもらえるのかもしれませんが、戦略的に考えれば、可能性の薄いフィールドで勝負するのは非効率です。それなら、「そろそろ男性アナウンサーを補強したい」と考えていそうな局を重点的に狙ったほうが、合格の可能性は高まりますから、全国の中からそのような局を狙いました。
最終的に静岡第一テレビでお世話になることになったのも、まさにこの戦略がものを言った形です。同局は90年代以降、ずっと男性アナウンサーを採用していませんでしたから、そろそろ可能性があるのではないかと期待して受験しました。
退社の決め手になったのは自らの“直感”
――柴田さんのキャリアは、練りに練った戦略に裏打ちされたものだったんですね。
でも、決断の部分については、やはり直感に頼っていますよ。ただ、その直感を正しく引き寄せるためには情報が必要なんです。十分な判断材料がそろった上で、どちらを選ぶかという最後の判断を直感に委ねています。
――では、実際にアナウンサーになってみていかがでしょうか。下積み時代の苦労話があれば聞かせてください。
特に1年目は、さまざまな自分の弱点が見えてきてすごく苦労しました。たとえば僕の場合、が行(がぎぐげご)の出だし、鼻濁音が苦手で、「んが、んぎ、んぐ、んげ、んご」といった鼻に音を抜く発声が、どれだけ練習してもなかなかうまくいきませんでした。「本当にいつか発声できるようになるのだろうか」、「自分にはもう無理なのではないか」と絶望したこともあり、やはり“アナウンサーっぽい”だけで通用するほど甘い世界ではないと痛感しましたね(苦笑)。
――キャリアの中で、そうした障壁をどのように乗り越えましたか?
これはもう、練習あるのみです。もともと地道な努力は苦手なのですが、仕事ですからやらねばなりません。毎日練習して、少しずつレベルを上げていくしかなかったですね。その点では、アナウンサーというのは会社員ですから、安定した立場でスキルアップが図れたのはありがたかったです。これはほかの職業の方にも通ずる話ではないでしょうか。
――そうして静岡第一テレビの看板アナウンサーへと成長していく柴田さんですが、2018年7月に退社し、eスポーツキャスターへの転身を発表しました。退社を決めた理由は何だったのでしょうか?
その年の春から報道番組を担当することになったのが、一つのきっかけでした。日々さまざまな事件を扱う中では、殺人など深刻な事件を取材することも珍しくありません。そこで辛い思いをしている遺族の方から話を聞き、被害者についての情報や材料を収集する作業が、僕自身、なんとも言えず苦しかったんです。
もちろん、こうしたジャーナリズムが犯罪抑止の点から必要であるのは間違いありません。しかし報道の現場に立ったことが、自分がアナウンサーとしてやりたい仕事は何だったのかを、あらためて見つめ直すきっかけになりました。
そこで自分は本来、スポーツなどエンタテインメントの領域から人々を楽しませたいのだということを実感し、ジョブチェンジを決意しました。
――なるほど。しかし、局アナの立場を捨てるというのは、一大決心だったのでは?
そうですね、悩まなかったわけではないです。それでも最終的に退社を決意したのは、まさに直感以外の何物でもなかったと思います。それに会社員である以上、10年後、20年後のロールモデルが局内に存在するわけで、なんとなく自分の未来が見えていることも、退社を後押しした一因でした。やはり、見えない未来を求めて動くほうが、僕はワクワクしたんですよね。
そんな矢先、ネットニュースで大学時代の先輩である平岩康佑(※元朝日放送テレビアナウンサー、現ODYSSEY代表取締役)が、eスポーツキャスター専門の事務所を立ち上げたという情報を見て、ピンときたんです。10年ほどご無沙汰していましたが、連絡先を引っ張り出してきてすぐに電話をかけたのを覚えています。
――そこでeスポーツキャスターという職業に目を向けたのは、「人々を楽しませたい」というご自身の気持ちに寄り添ってのことなんですね。
そうです。もともとゲームは自分がプレイするのも友達のプレイを見ているのも好きでしたから。それに局アナ時代は、高校サッカーの実況を担当するのがとにかく楽しくて、あの感覚をeスポーツの世界で表現できればと考えました。
一歩動けば、何かが変わる
――eスポーツキャスターという新たな領域へ進むことに、不安はありませんでしたか?
それでいうと、ODYSSEYに所属するにあたって、1つだけこだわっていた条件がありました。それは事務所内に平岩社長以下、2番手のeスポーツキャスターがまだ在籍していないことでした。
平岩社長自身がすでにeスポーツキャスターとして活躍していたことから、3番手以下のポジションではさほど仕事も回ってこないでしょうし、活躍の機会に恵まれないのではないかと考えたからです。
――そこもまた、じつに戦略的ですね(笑)。
そうですね(笑)。とはいえ、eスポーツキャスターというのが生業として本当に成り立つのか、確信があったわけではありません。何しろ前例がほとんどない職業なので、どの程度稼げるのか試算すらできないんですよ。それでも新しい世界で勝負するという魅力が勝り、「食べられなければバイトでもなんでもすればいい」という覚悟を持って飛び込みました。実際、局を辞めて半年間くらいは、いろいろバイトをやっていましたしね。
――え、毎日テレビに出ていたアナウンサーが、普通に街中でバイトを……?
そうです。ただ、どうせはたらかなければならないのであれば、意味のあるバイトがしたいと考えていました。たとえば、自分のトークが巷でどれだけ通用するのかを知るために、携帯電話ショップの呼び込みの仕事をしたり。肉体労働の本質を体験するために、レンタカー屋で洗車の仕事をしたり。本当にいろんな職種を経験しました。
――アナウンサーとして一定の経験と立場を経験しながら、柴田さんはなぜそこまで身軽に動けるのでしょうか。
結局、勉強というのは机の上でやるものではないという思いが強いのだと思います。大きな学びを得るためには、まだ経験したことのない何かに身を投じるのが一番ですからね。バイト生活を送りながら、「自分はこれからどうなるんだろう」という不安がなかったわけではありませんが、それも含めてどこかワクワクしていました。
――そうした時代を経て、eスポーツキャスターへの転身を果たした現在。あらためてご自身のジョブチェンジを振り返ってみていかがですか?
本当に満足しています。一番の収穫は、局アナ時代にはあり得なかった、多くの出会いに恵まれたことです。たとえばYouTuberのはじめしゃちょーさんとの出会いなどは最たるものです。同じ静岡県内にいることは知っていましたが、在局時代はご縁がありませんでしたから、いま公私ともにいいお付き合いをさせていただけているのはうれしいしいかぎりですね。
学校でも会社でも、同じ場所に定住していると、どうしても接する人たちは限られてしまいます。いまはYouTuberから経営者の方まで、本当にいろんな立場の方とお会いできますし、You Tubeを含めていろんなコンテンツをお手伝いさせていただいています。否が応でも世界が大きく広がったことを実感させられますね。
――現状に不満を持ちながらも飛び出せずにいる人は大勢いると思います。一歩踏み出す秘訣は何でしょうか?
アンテナを張っておくことは大切でしょうね。僕のケースにしても、もともとゲームが好きだという下地があった上で、次のステージを真剣に模索していたからこそ、平岩社長の事務所立ち上げのニュースが目に止まったのだと思います。そして、そこですぐに電話をかけたから今があります。一歩動けば、何かが変わるというのは真理ですよ。
たとえば、社内の人間関係に悩んでいるなら、一歩歩みよってみるだけでまったく関係性が変わるかもしれません。あるいは、仕事に不満を感じているなら、転職や副業を具体的に考え始めることでいろんなものが見えてくるはずです。
――その一歩を踏み出す勇気を持つことが重要ですね。
誰もやっていない新しいことにチャレンジするのは、勇気のいることです。でも、見方を変えればこれはビッグチャンスなんですよ。自分さえ動けば周囲を出し抜けるわけですから。先にチャレンジした者勝ちだと考えて、この記事をご覧の皆さんにもぜひ、自分が本当にやりたいことを追求していただきたいですね。
(文・友清哲 写真提供・柴田将平さん)
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