ルイ・ヴィトン本社で17年勤めた私が、退職後にフランスで作家になった理由。

2024年9月18日

パリで作家として活躍する、藤原淳さん。パリジェンヌたちと20年以上過ごしてきた経験から、なぜ彼女たちが「ありのままの自分」を愛することが得意なのかを記した著書『パリジェンヌはすっぴんがお好き』(ダイヤモンド社)を出版しました。

作家になる以前は、約17年ルイ・ヴィトンパリ本社でPRのトップを務め、業界内外で「もっともパリジェンヌな日本人」と称されていた藤原淳さん。世界的企業で、順風満帆にキャリアを積んでいた彼女は、なぜ「作家」という未知のジャンルに転身したのでしょうか。その決断に、躊躇や迷いはなかったのでしょうか。

パリジェンヌらしく自分の気持ちを大切にしていった結果、「夢」にたどり着いた藤原さんの軌跡を伺いました。

「普通」に就職する同級生たち。自分の将来が不安だった

──まずは、藤原さんがフランスに渡った経緯を教えていただけますか。

渡仏するきっかけは、高校生までさかのぼります。3年生のときの選択授業で、なんとなく選んだフランス語の響きの美しさに魅了されてしまって。そこからフランスの文化や歴史も学び始め、「いつか絶対にパリに行くんだ!」と夢見るようになりました。

念願かなって、大学在学中に8カ月ほどフランスに留学。大学卒業後はパリの大学院に進学し、卒業後はフランスの日本大使館で文化広報を3年間担当。その後、ルイ・ヴィトンパリ本社に企業広報として転職し、約17年間勤めました。

──では、大学生までは日本にいたのですね。留学経験があるとはいえ、見知らぬ土地でキャリアを築いていったのはすごすぎます。

傍からはそう見えるかもしれませんね。でも、当時の私は「パリに行きたい」という思いしかありませんでした。あえて言えば、「大好きなフランス語で、物を書きたい」とは思っていたけど、当時の私からすると非現実的な夢過ぎて誰にも言えませんでした。

一方で、大学の同級生たちは着々と就職先を決めていって。焦って就職活動をしていた時期もあるんですよ。でも、本当にやりたいことは別にあるから、まったく身が入らなかった。フランスの大学院に行ったのは、そんな焦りや不安をごまかす側面もありました。「まだ勉強したいことがあるから」って理由でパリに行けば、格好がつくかな、って。

──不安を隠すための進学でもあったんですね。そこから、日本大使館やルイ・ヴィトンパリ本社に勤めることとなった経緯も教えていただけますか?

大学院を卒業してもパリに居続けるには、パリで就職しなければいけません。だから、そのときに募集していた求人にたまたま応募したというか(笑)。ただ、日本大使館でのお仕事には任期があったので、再び転職活動を行う中で、漠然と「業界世界一の企業に勤めたい」という思いが芽生えてきたんです。

目の前の仕事に無我夢中で取り組んでいたら、見える世界が変わってきた

──なぜ、「世界一の企業」ではたらきたかったのでしょうか。

大学生のころは、日本で就職することを選ばなかったことで、「私って、はみ出しものなのかな」と落ち込んだこともありました。でも、フランスの大学院で、周りの意見をもろともせず、自分の夢に向かって突き進む人たちと出会って。私のいた大学院に限らず、パリでは何よりも「自分の気持ち」を大事にする文化があります。それぞれが自分の気持ちに従って前に進んでいくから、人の数だけ人生やキャリアがある。世界一の企業に行けば、さらに自分の「やりたい」に向かって野心的で、スケールの大きい人たちと出会えるかもしれないと思ったんです。

その中で、ご縁があったのがルイ・ヴィトンパリ本社でした。世界的なラグジュアリーブランドであることはもちろん知ってはいましたが、特別好きとか、詳しいわけはなかったです。「広報」という仕事自体も、最初はそこまで興味があるわけではなかったんですよ。日本大使館に務めていたときに広報をしていた関係で、広報として採用されただけ。

しかも、私は小まめに連絡を取るのが得意ではなく、人との関係づくりが大事な広報の仕事は“きつい”と思うことも多かった。その上、中途採用だから、入社初日から「広報のプロ」として扱われて、正直戸惑う場面も多かったですね。

「向いていない」「辛い」と思いながらも目の前のことを無我夢中でこなしているうちに、気付いたら17年が経っていました。「向いていないことを10年以上続けるなんて」と思う方もいるかもしれません。でも、続けていくうちにこの仕事の面白さも分かったし、何より「本当にやりたいこと」が見つかったのはうれしかったですね。

たくさん回り道をしているうちに、夢を実現する力が身についていた

──「本当にやりたいこと」とは、どんなことなのでしょう。

最初は何がなんだか分からないままがむしゃらにやっていた広報の仕事も、マネジャー、ディレクターとステップアップするにつれてできることが増えて、自信もついていきました。あるとき、「私なりに、ここでの仕事はやりきったな」と思えたんです。同時に、「学生の頃の夢には、まだ手つかずだな」と気がついたんですよね。

──「フランス語で物を書きたい」という夢ですね。

はい。学生の頃は、ただ「フランス語で物を書きたい」という漠然とした夢を持っているだけで、何を書きたいのかまでは分からなかったんですよ。そもそも、何かを発信できるような経験もありませんでした。でも、パリで楽しいことも、苦手なことも、辛いことも、うれしいことも経験していく中で、徐々に書きたいことが見えてきて。

フランスの文化や芸術が好きな日本人が多いように、実は日本の文化や芸術が好きなフランス人もとても多いんです。最近では、“侘び寂び”の精神など、日本ならではの価値観に興味・関心を持つ人も増えているんですよ。一方で、フランス人がフランス人の視点から日本について書いた書籍はたくさんあるけれども、日本人の視点からフランス人に向けて書いたものはほぼありません。

私は生まれも育ちも日本だから、日本人の文化や価値観はもちろん分かります。そして、日本で過ごしたのと同じくらいの時間をパリで過ごしてきたから、パリジェンヌの思考も分かる。20年前の私には「書きたい」という気持ちしかなかったけれど、パリでたくさんの経験をしてきた今の私なら、書けるものがある。そして長年広報をしてきたから、必要としている人に届ける方法も分かります。

──学生時代からの夢と、積み上げてきた経験とスキルが合致したのですね。これまで積み上げてきたキャリアを手放すのに、迷いはなかったのでしょうか。

長年勤めた会社を辞めるのは、もちろん不安もありました。でも、「フランス語で日本のことを発信したい」という本心に気づいちゃったから。自分の気持ちに野心的なのが“パリジェンヌ”ですからね。

あとは、万が一キャリアチェンジに失敗しても、「私ならなんとかなる」という自信もありました。「苦手」「辛い」と思いつつ、目の前のことに必死に取り組んできたからこそ、自分で自分を認められるようになったのだと思います。

──過去の藤原さんのように、「今の仕事は自分には向いてない」「やりたいことができない」と悩んでいる人は多いですよね。

やりたいことを仕事にしている人こそ少数派で、どこかで折り合いをつけながらはたらいている人が大半だと思います。かつての私もそうでした。でも、どんな仕事にも面白い部分はあると思うんです。それを見つけるためには、まずはなんでも真剣に取り組んでみるのが大事だと思います。

その結果、「やっぱり違う」と思うかもしれません。でも、どんな経験もきっといつか糧になります。私はたくさん回り道をしたからこそ、「物を書きたい」という夢物語を、実現する力が身についたと思っています。

周りばかりじゃなく、自分ともうまく付き合う努力をする

──藤原さんは20年以上、自分を大事にすることが得意なパリジェンヌたちと過ごしてきました。藤原さんの著書『パリジェンヌはすっぴんがお好き』では、彼女たちから学んだ仕事術も掲載されていましたね。

パリジェンヌから学んだ、はたらく上で大切にしたいことはいくつかあります。その中でも私が特に大事にしているのは、「自分を褒めること」と「自分とうまく付き合うこと」の二つです。

まず、日本人は、仕事で褒められても「私なんてまだまだ」と謙遜する人が多いですよね。でも、自分を過小評価しすぎると、仕事も楽しくなくなってしまいます。一方でパリジェンヌたちは、自分で自分を褒めるのがとっても上手。褒められたら「私すごいでしょ?」と素直に答えるし、もし失敗をしても「そもそも頑張っている私は偉い!」と思っている。そんな考えだからか、彼女たちはポジティブに、楽しそうに仕事をしています。私も口先だけでも真似を続けてみたら、不思議なことに自信がついてきたんですよ。

次に、日本人もパリジェンヌも、社会人、妻、親などいろんな「肩書」を持っていて、忙しい毎日を送っているのは同じです。肩書が増えれば増えるほど人付き合いも増え、人間関係に悩む場面も増える傾向にあります。このとき、日本人は「周りとうまく付き合うにはどうしたらいいか」と考える人が多いように思いますが、パリジェンヌは「どうしたら自分とうまく付き合えるか」を考える人が多いんです。自分のご機嫌をとるために、仕事相手はもちろん、パートナーにも子どもにも邪魔されない、「自分とじっくり向き合う時間」を大切にしているんです。

日本人のなかには、周りに気を遣ってばかりで、自分の気持ちを押し殺している人も多いはず。でも、忙しい日々の中では意識して自分の時間をとらないと、どんどん流されていってしまいます。パリジェンヌに自分を大切にできる人が多いのは、彼女たちが日々自分と向き合うことを、幼いころから当たり前にやってきたからなんです。

──仕事だけでなく、人生そのものにも活かせそうです。最後に、やりたいことはあるけれども、周りに言えなかったり、一歩進めなかったりする方に向けてのメッセージをいただけますか。

自分の夢を打ち明けるって、勇気がいりますよね。学生時代の私も、「『フランス語で物を書いてみたい』なんて言ったら、きっと周りから反対される」「非現実的だと言って、笑われるかもしれない」と思って、誰にも言えませんでした。
でも、周りに言えないからと言って、その気持ちを“なかったこと”にはしないでほしいです。パリジェンヌのように、決して捨てずに胸に持っておいてください。

そして、まずは目の前のことに真剣に取り組んでみてください。そしたら、私のように夢と積み重ねてきた経験が重なる瞬間が訪れるかもしれません。当時の夢はかなわなくても、いろんなことを経験するうちに新しい夢ができるかもしれません。人生、ムダな経験は何一つないですから。

(文:仲奈々 編集・写真:いしかわゆき)

【書籍情報】
「パリジェンヌはすっぴんがお好き」(ダイヤモンド社)

ルイ・ヴィトン本社に17年間勤務しPRトップをつとめた「もっともパリジェンヌな日本人」が、どうすれば自分なりの生き方を貫くことが出来るのかを提案する1冊。悩みも愚痴もため込まないパリジェンヌの生き方、恋愛、仕事術が詰まっています。

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ライター仲奈々
フリーランスのライター。エンタメ、キャリア、ビジネス、食、インテリア、ホラーなど多ジャンルでインタビュー記事を中心に執筆中。

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