年収1,000万で自由にはたらける!? 黙々とヒヨコの性別判定する「初生雛鑑別師」とは。

2024年9月27日

生まれたてのヒヨコの性別を見極める「初生雛(しょせいびな)鑑別師」という仕事をご存知でしょうか?年収1,000〜2,000万円、海外で自由にはたらけるなどさまざまな噂があるこの仕事。その真相を解き明かすため、初生雛鑑別師の高橋香織さんにお話を伺いました。

高橋さんは国内外での豊富な経験を積み、鑑別師の大会では日本チャンピオンという実績を持つ腕ききの鑑別師。同時に、フードスタイリングやデザインの仕事も行うクリエイターでもあります。

初生雛鑑別師という仕事の実態、大胆かつ自由なキャリアを歩んできた高橋さんのキャリアなど、知られざる仕事の裏側をお伝えします。

年収1000万円は都市伝説?知られざる初生雛鑑別師の仕事

——初生雛鑑別師とはどのようなお仕事なのですか?

その日に生まれたヒヨコのオスとメスを判別する専門職です。たとえば、卵を扱う会社ならば卵を産むメス鶏のみが必要です。生後1カ月になればオスはトサカが出てくるので簡単に判別ができるのですが、その間の餌や管理に大きなコストがかかります。なので、そのコストを削減するために生まれたてのヒヨコを判別する必要があるんです。

——初生雛鑑別師の平均年収は500〜600万円、ベテランになると1000〜2000万という噂を耳にしました。これは本当なのでしょうか?

年収500〜600万円は本当ですが、1000〜2000万円は大嘘です(笑)。1000万円を超えるにはかなりの頑張りが必要だと思いますよ。鑑別師の報酬は1羽あたりの作業単価を元に計算されます。作業単価と稼働時間を考えると2000万は現実的ではないですね。

ただ、鑑別師のはたらき方は人それぞれなので、頑張りに応じて稼げる仕事であるのは確かです。私も業務量が増えた時期があったのですが、そのペースではたらき続ければ年収1000万円を越えたかもしれません。しかし、体力的にもかなり大変なので、やはり現実的ではないと思います。

高橋さんは初生雛鑑別師がその技術を競う大会において2度の優勝経験を持つ現日本チャンピオン。高橋さんのスピードで難しければ、年収1000万は都市伝説かもしれない

ジュエリー販売からキャリアチェンジし、「脱糞」に明け暮れる日々

——1羽を鑑別するのにどれくらいの時間がかかるんですか?

羽の色や長さで見分ける鑑別方法と、肛門の内側にある生殖突起を見分ける肛門鑑別という方法があるのですが、前者なら1時間に1000羽以上、後者なら5000羽ほどですね。

——ものすごいスピードで鑑別するのですね!そもそも鑑別師ってどうやってなるんですか?

まずは養成所で半年弱の講習を受け、合格したら鑑別技術の練習と養鶏の講義を受けます。養鶏場に研修生として入り、資格試験に受かるまで養鶏場と先輩鑑別師たちの手伝いをしながら技術を向上させていきます。

初生雛鑑別師は、鶏のこと全般を教えられる資格であるべきだということで、鑑別「士」ではなく鑑別「師」という名前なんですよ。

——どういう人が鑑別師に向いていますか?

親指の先が肉厚な方は向かないとよく言われます。肛門鑑別をする時に、ヒヨコをひっくり返してお腹の肉をぐっと指で押し、肛門の奥を見るんです。親指の付け根が厚いと、その作業が行いにくいんです。私も養成所の試験の時、「手を見せて」と言われました。

また、些細な違いに気付ける、ピントを合わせるのが早い、といった目の力も大事ですね。

肛門鑑別の様子

——なぜ高橋さんは鑑別師になったのですか?

私はもともと百貨店でジュエリーの販売をしていたのですが「これは私がやらなくてもいい仕事なんじゃないか」という気持ちが芽生えてしまって。自分の特性を活かした仕事をしたいなと思っていたところ、テレビ番組でフランスで悠々自適に田舎暮らしをする初生鑑別師の存在を知ったんです。自分が初生雛鑑別師としてはたらく姿をリアルにイメージできたので、養成所に入ることを決めました。

——大胆なキャリアチェンジですね。

幼少期のころから何かを見て選別することがすごく好きだったんですよ。学生時代に年賀状を仕分けるアルバイトをしていたのですが、ベテランの社員さんよりも断然私のほうが速く作業ができました。幼少期から道端で四葉のクローバーを見つけるのが得意でしたし、適性があると感じたんです。

——新たな仕事に挑戦し、苦労したことはありましたか?

養成所では、最初に鑑別のためにヒヨコの糞を押し出す「脱糞」という工程を習います。ヒヨコって生殖突起と排泄口が同じところにあるので、糞を出しておかないと視界を遮ってしまって鑑別ができないんです。「鑑別は脱糞が命」と言われるくらい大切な技術なのですが、私は脱糞がうまくいかず苦労しました。同期がみんな先に進んでいる中で、一人でひたすら脱糞だけを練習していました。

——周りが次のステップに進んでいるとすごく焦りそうな気がしますが……。

ちゃんと基礎を身につけた先に飛躍が待っているということを感じ取っていたので、焦らず、黙々とやっていました。逆にみんなが次に進んでいるのをしめしめと思って見ていましたね(笑)。基礎技術を丁寧に積み重ねたことが、今につながっていると感じます。

スウェーデンで突然のクビ宣告を受けるも、ヨーロッパ生活を満喫

——養成所を卒業して資格を取られたあとはすぐに就職なさったんですか?

資格を取ったからといってすぐに仕事に就けるわけではないんです。初生雛鑑別師は協会に入り、そこから仕事先に斡旋されるという仕組みです。しかし、日本での就職先は非常に少ないので、経験のない新人は基本的に海外に派遣されます。

——なぜ日本では就職先がないんですか?

鑑別師には定年がないので、大ベテランの先輩方が現役ではたらいているんです。日本国内の仕事を希望している人は、海外である程度経験を積んでから、国内に空きが出たタイミングで声をかけてもらうことが一般的です。

——国内の就職先は競争率が高いのですね。

そうですね。ただ、私のように海外に行きたいという理由で鑑別師の資格を取る方もとても多いんですよ。私はもともとフランスに行きたかったのですが、地域の希望を出すことができないため、スウェーデンに派遣されました。

——スウェーデンではどれぐらいの期間はたらいていたのでしょう?

2003年から2011年までの8年間ですね。派遣前から「スウェーデンは新人に厳しい」という噂を耳にしていたので、行きたくはなかったんですけど(笑)。派遣されたのはスウェーデン生まれの日本人鑑別師が社長をやっている会社でした。7年間、週4日ほど仕事をしていたのですが、突然解雇されてしまって……。

——その後どうされたんですか?

その後1年間はスウェーデンに住所を置きながら、ヨーロッパのさまざまな国で雛鑑別師としてはたらいていました。確定申告もスウェーデン語でやって、税金もちゃんと納めて……となったら、もうどこでもやっていけるなという自信がつきましたね。海外でやりたいことはやりきったなと感じたので、2011年の夏に帰国を決めました。

——実際にスウェーデンで生活して、最初にテレビ番組で見た鑑別師のライフスタイルと違いはありましたか?

大きなギャップはなかったですね。突然の解雇など想定外のトラブルはありましたが、スウェーデンは本当に素晴らしい国でした。しっかり休みが取れる環境だったので、長期休暇をとって日本に一時帰国したり、バカンスでヨーロッパ中を旅行したりしていました。

※スウェーデンを拠点に車や飛行機でヨーロッパを旅していたという

鑑別師とデザインの仕事を両立。自分らしいはたらき方を見つけるために必要なこと

——帰国後はどのようにはたらいていらっしゃるんですか?

現在は新潟で鑑別師としてはたらきながら、アクセサリー制作、デザイン、フードスタイリングなどの仕事を並行して行っています。海外にいたときは初生雛鑑別師以外の仕事をしようという考えはありませんでしたが、日本に帰ってきたらもっといろいろなことにチャレンジしたいという気持ちが湧いてきたんです。

——ジュエリーの販売員から初生雛鑑別師になったり、新しい仕事に取り組んだりと、チャレンジ精神が旺盛ですね。

私がキャリアを選択する時の基準はワクワクするかどうかなんですよ。心がワクワクすることをそのまま進めれば絶対にうまくいく。「好きなことを仕事にする」って簡単ではないかもしれません。でも好きなことを仕事にしたほうが上達も早いし、楽しいじゃないですか。自分の心に素直でいることを心がけています。

高橋さんが制作しているタッセルをモチーフにしたアクセサリー。

——さまざまな仕事を両立させるのは大変ではないですか?

鑑別をしている時って手が自動的に動くような感覚なんです。鑑別をしながらも頭は自由なので、同時にクリエイティブのことを考えているんです。手を動かしていると、不思議とアイデアが湧いてくる。相乗効果があるんです。

フードスタイリングの写真を掲載しているインスタグラムアカウント。66000人以上のフォロワーが。

——高橋さんのような「自分らしいはたらき方」を見つけるためにはどうすれば良いでしょうか?

自分自身のことを理解することが大切だと思います。私自身、就職活動の時に自分の適性を見極めて選んだかというとそうではなくて、「なんとなくできそうだな」「ちょっと興味があるな」というくらいで百貨店に就職しました。すごく楽しかったのですが、なんとなくで進んでいくといつか歪みが出てきてしまうのだなと学びました。

私にとって初生雛鑑別師は天職。黙々と仕分ける作業は自分にあっていると思いますし、何よりヒヨコも好き。どんな大変なことがあっても鑑別の仕事を続けていきたいと思っています。だけど、同時にほかの仕事も挑戦していきたい。どちらの気持ちも大切にした結果、今のようなはたらき方が実現できました。

自分が得意なことを見つけ、それを追求していくこと。そうすれば自分らしいはたらき方に近づいていくのではないでしょうか。

(文:飯島藍子)

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ライター / エディター飯嶋藍子

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