小学校教諭が複業でけん玉パフォーマーを続けたら、NHK紅白でギネス認定され人生激変。

2024年10月3日

近年、NHK紅白歌合戦で恒例となっているけん玉世界記録チャレンジ。100人以上連続で「大皿」を成功させるという名物企画の参加者の1人が、小学校教諭、けん玉パフォーマーとして活動する小野寺ゴリさんです。

小野寺さんは2016年に生徒が遊んでいたけん玉に魅せられ、ストリートけん玉パフォーマーとしての道を歩み始めました。自身のYouTubeチャンネルやInstagramで練習やパフォーマンスの様子を発信し続け、現在は多数のイベントやメディアに引っ張りだこの「地元のスター」に。

けん玉パフォーマー、学校の先生。二つの顔を持つ小野寺さんが、ギネス認定を受けるまでの道のりを伺います。

憧れの紅白のステージで、けん玉のギネス記録を達成!

──小野寺ゴリさんは2018年にNHKの紅白歌合戦に出演し、「連続してけん玉をキャッチした人の最も長い列」ギネス記録を達成されたそうですね。

私は2016年にけん玉パフォーマーとして活動をスタートさせたのですが、活動を続けていく中でご縁をいただきました。演歌歌手の三山ひろしさんが歌うバックで、ギネス記録に挑戦するという企画なのですが、パフォーマーとしてはもちろん、幼い頃の夢が叶った瞬間でもあったので本当にうれしかったです。

──夢、というのは?

子どものころに演歌歌手・天童よしみさんの歌を聞いて衝撃を受けたんです。独特のリズム、声の伸び、「これは最高だ!」と、演歌歌手になることが将来の夢になりました。

その夢は叶わなかったけれど、パフォーマーとして三山さんをはじめ、有名な演歌歌手の方々と同じステージに立つことができた。大好きな天童よしみさんも出演されていて、感慨深かったですね。

──そんな夢の紅白のステージはいかがでしたか?

僕は過去に2度出場させていただきました。2018年に出演したときは、本番前に2度のリハーサルがあり、1回目はとにかくスポットライトの光が眩しくて驚きました。2回目は、目は慣れてきたものの緊張で身体が思うように動かない。そして、本番はさらに別世界です。しゃがんで待機をしていたのですが、いざ出番が来て立ち上がると、地面がいつもよりも遠くに感じるんです。

【写真】紅白出演時の様子

紅白に出場した仲間たちと、ステージ裏で

──紅白のステージという特殊な環境下でのパフォーマンスはやはり難しいのですね。

パフォーマーたちはけん玉の精鋭たちですので、玉を真上にあげてキャッチする「大皿」という技は、本来ならば簡単に成功させることができる。でも、極度のプレッシャーがかかるあの舞台で成功させることは、本当に難しいのだなと分かりました。

無事成功させギネスを達成することができましたが、その瞬間はあまりの感激で涙が出ましたね。ぼくは普段小学校の教諭としてはたらいているのですが、6年生担任として卒業生を送り出す時にも涙を流しませんでした。ですが、紅白のステージでは大号泣してしまいました。

放送後、いろんな人から連絡がきたことにも驚きました。会場のお客さまは数千人ですが、視聴者は数千万人。その後のニュースなどを含めると1億人が見るかもしれない映像と言われています。やっぱりその影響はすごいですね。元カノからも連絡が来ましたから(笑)

「人生を変えてくれるかもしれない!」と直感したけん玉との出会い

──そもそも、小野寺さんがけん玉と出会ったきっかけは?

ある日、私が教えていたクラスの男の子がけん玉で遊んでいたんです。その時は「昔の遊び」という感覚でしたが、その後に出会ったけん玉は、私の知っているものとは何もかも違うものでした。ストリートけん玉と呼ばれていて、けん玉自体の見た目もスタイリッシュ、繰り出される技もアクロバティックで格好良い。

けん玉を購入してプレイしてみると、けん玉に触るのは子どものころ以来だったのに、初心者では難しいとされる技をあっさりと成功させてしまった。「もしかして、俺ってけん玉結構得意かも?」とその気になっちゃったんです。今思えばそれはまぐれだったんですけどね(笑)

その後、すぐにインターネットでけん玉をいくつか購入して、学校に持っていくようになりました。クラスの子どもたちと「けん玉」で盛り上がったり、外国語の先生と「Japanese traditional toyですよ」なんて会話できたり、けん玉を通してコミュニケーションの輪が一気に広がっていく実感が得られたんです。

「けん玉が人生を変えてくれるかもしれない」と直感しました。

アクロバティックな技が魅力のストリートけん玉

──そこまで大きな衝撃を受けたのはなぜだったのでしょう?

演歌歌手を夢見ていた小学生のころ、クラスの友達に「演歌って良いよね」と話しても、誰も分かってくれない。私が住んでいた宮城県石巻市では演歌を学べる教室もなかなか珍しく、そのまま夢をあきらめてしまったんです。

中学、高校とバスケに打ち込んだ時期もあったけれど、トッププレイヤーになる才能がないと早い段階で悟りました。その後もバンドをはじめ、いろいろなことにチャレンジしてきたけれど、人生の中で「これだ!」と思えるものに出会えなかったんです。それがコンプレックスになったというか、「このままでいいのか?」という思いが心の片隅に残っていました。

けれど、けん玉の楽しさは誰とだって共有できるし、自分が上達する可能性も感じられた。「これだ!」と思いましたね。

──もう一度夢を見ることができると感じられたのですね。

けん玉が、きっとぼくにいろんな世界を見せてくれる。そんな予感がしたんです。

おもちゃとしてのけん玉は誰もが知っているけれど、ストリートけん玉の競技人口は少ない。バスケもバンドも、いろんな人が既にやっているけれど、けん玉の競技は周りで誰もやっていませんでした。

これなら人とキャラクターも被らないし、パフォーマーとして活躍できる可能性があると感じました。そして、仕事をしながら、すぐにけん玉の練習に打ち込むようになりました。

──仕事との両立は大変ではなかったですか?

ぼくはハマったらとことんのめり込むタイプなんですよ。もちろん体力的にしんどいことはありますが、「大変」とか「つらい」と思ったことはないですね。仕事から帰って、YouTubeでけん玉の動画を観ながら、深夜まで公園で練習していた時期もあります。

けん玉を通じて、地元・石巻の復興に貢献していく

──その後、どのように本格的に「けん玉パフォーマー」としての活動をスタートしていったのでしょうか?

自分がパフォーマーとしての道を歩み始めたのは、練習の様子をSNSで発信したことがきっかけですね。

けん玉の練習に打ち込んでいたある日、石巻に復興支援にきていたアーティストと出会ったんです。彼自身もけん玉をやっていて、息子さんはけん玉の世界大会で優勝している有名な方で。その人が「instagramで発信してみなよ」と言ってくれたんです。

そんな彼の助言を聞いてすぐにアカウントを作り、けん玉の動画を発信し始めたところ、すぐにけん玉仲間とつながっていくようになりました。当時はストリートけん玉の黎明期。プレイヤーも多くなかったので目に留まりやすかったこともプラスにはたらきました。徐々にフォロワーが増え、発信力が強くなっていき、地域のお祭りやイベントなどに呼んでもらえるようになったんです。

パフォーマンス、ワークショップなど、イベント出演を精力的に行っている小野寺ゴリさん

──とんとん拍子で軌道に乗っていったのですね。

メディアに出演した影響もあったかもしれません。知人がテレビ番組のプロデューサーの方に「石巻で面白い人がいる」と紹介してくれて、サンドイッチマンさんの番組に出演したことがあるんです。仙台出身の「サンドイッチマン」は宮城県民のスーパースター。番組の中でお二人にけん玉を教えるという企画に参加させていただき、出演後はパフォーマンスの依頼もさらに増えていきました。

──まさに、けん玉が「いろんなところへ連れていってくれた」のですね。

けん玉って本当にすごいコミュニケーションツールなんです。ぼくは、いつもけん玉を首にかけているのですが、出会う人みんなに興味を持ってもらえるし、すぐに技を披露することもできる。飲み屋でけん玉パフォーマンスを披露して初対面の方と仲良くなったり、奢ってもらったりすることもありました(笑)。イベントでいろいろな場所に足を運んで、日本だけではなく世界中にも友達ができました。本当に人生が変わったと思います。

──今後はどのような活動をしていくのでしょうか?

パフォーマーとしての活動はもちろん続けていきますが、並行してけん玉のプレイヤーの育成にも取り組んでいきます。

今、仙台で定期的に子どもたちにけん玉を教えているんです。ぼくはけん玉を教えることが上手いと思います。教諭として学校現場で学んできたことはけん玉の指導にも役立っています。

けん玉教室に通う生徒たちと

──指導者としても可能性を感じられたのですね。

そうですね。正直、ぼくはけん玉のプレイヤーとして世界のトップに立てるとは思っていないです。けん玉ワールドカップという世界大会があるのですが、頑張っても100位前後に食い込めるかどうか。

だけど、きっと世界でトップに立つ選手を輩出することはできる。教え子たちが活躍して、「ゴリさんっていう面白い先生と出会ったから」と思ってくれたらうれしいですね。そうしたら、自分が一番になれなくても、きっと上手い酒が飲めるかなって。

ぼくはとにかく宮城県と石巻市が大好きなんです。東日本大震災の復興もまだまだ途中な部分があると感じています。けん玉を通じて宮城県の復興に貢献していきたい。パフォーマーとして活動を続けるのも、子どもたちに教えるのも、その思いが原動力になっています。

きっと、けん玉を手放すことは一生ないと思います。長い期間をかけて、宮城県や石巻市にけん玉で貢献していきたいですね。

(取材・文 / 荒田詩乃)

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