就活で内定辞退。その後「気球操縦士」として27歳で世界一の快挙を達成した話。
トルコのカッパドキアやフランスのロワール渓谷などを筆頭に、観光旅行のアクティビティとして人気の気球。ゆったりと空からの絶景を眺めるだけでなく、制限時間内にどれだけ正確に操縦できるかを競う気球の「競技」があることをご存知でしょうか?
今回お話を伺ったのは、気球操縦士の藤田雄大さん。2014年の世界選手権では、日本人で初めての優勝を達成、日本選手権7連勝、熱気球ホンダグランプリでは12度の優勝など華々しい経歴を持つ日本指折りのトップ選手です。
日本トップクラスの選手の父を持ち、家族一丸となって競技に取り組む気球一家に生まれ、若くして世界のトップに仲間入りした藤田さんは、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか。親子二人三脚で世界一の称号を手にするまでの道のり、競技を続ける中でどのようにモチベーションを維持しているのかを伺いました。
偉大な父の『二代目』というプレッシャーを跳ねのけて
気球操縦士の父・藤田昌彦さんのもと、幼いころから気球に触れていたという雄大さん。気球に乗るのはごくごく自然なこと。そんな稀有な環境下で、幼少期を過ごしていました。
「車に乗ることと同じような感覚でしたね。気球があまりに身近だったので、『特別感』はありませんでした。小中学生の時は、夏休みに入る1カ月前から学校を休んで、父が出場するヨーロッパやアメリカの大会について行っていました。父のようにぼくも気球操縦士になるんだろうなと思っていましたが、両親は『自分の夢を追ったほうがいい』と気球を押し付けることはしませんでした。だから、当時の夢はサッカー選手になることだったんです(笑)」
気球競技は空を飛ぶ選手のほか、地上から飛行をサポートする「地上クルー」、風を読む「気象クルー」など複数のメンバーで行う団体種目。雄大さんは幼少期より地上クルーとして父の飛行をサポートしていました。雄大さんが自ら気球を操縦し始めたのは、気球を飛ばすためのエンジンであるバーナーに手が届くようになった小学校高学年のころだったといいます。
「はじめて自分で操縦した時の感覚は、本当に衝撃的でした。父が簡単そうに飛んでいる姿を見てきましたが、いざ自分で飛ぶとなるとすごく難しい。風や気候はもちろん、その時のパイロットのメンタルなどさまざまな要素が複合的に飛行に影響するんです。
初めての大会で幼少期に見ていた選手たちに競り勝てた時はすごくうれしかったです。競技はもちろん、空を飛ぶこと自体にもおもしろさを感じ、生涯をかけて取り組んでいきたいと思うようになりました」
日本選手権優勝経験を持つなど偉大な選手である父の元、次第に気球にのめり込んでいった雄大さん。16歳から本格的に選手としてのトレーニングを始め、18歳でパイロットライセンスを取得。大学在学中の2007年には日本選手権で2位と新人賞を獲得し、2008年には大学生選手としては史上初の世界選手権に出場という、輝かしい成績を残します。
しかし、『二代目』のプレッシャーに押しつぶされそうな時もありました。
「父は大会で何度も優勝している強豪選手として知られていたので、僕に対しても『二代目が出てきたぞ』という期待の目が向けられていました。そのプレッシャーからか、最初の1、2戦は成績が奮わなかったんです。ただ、チームのメンバーや家族が『順位を気にせずに楽しんで飛べばいい』と言ってくれて。そして、気持ちを切り替えて日本選手権で初めて表彰台に登ることができたんです。それ以来、『いかに楽しんで飛ぶか』は、僕自身の大きなテーマとなりました」
内定辞退と引き換えに得た世界への切符
大学在学中に国内外の大会に出場し、選手として充実した時期を過ごした藤田さん。このまま気球一筋のキャリアを歩んだのかと思いきや、両親から「数年は社会で揉まれた方が良い」と就職をすすめられ、運送業界のシステムを開発する企業に内定。しかし、人事担当者からの一言で、あっさり内定を辞退することに。
「社会人1年目の秋に世界選手権が控えていたんです。そのことを人事の方に話したら、『同期との温度差が出てしまうから、気球か仕事のどちらかを選んだ方が良い。気球を選んだとしても、いつでも戻ってきていいから』と言ってもらえたんです。世界選手権をあきらめるわけにはいかないと思い、内定をお断りしました」
雄大さんが自分の人生を「気球一筋」に決めたのはこの時でした。父が持つ大会連勝記録を超えたい、父が叶えられなかった世界選手権優勝を成し遂げたいという思いをエンジンに、さらに競技にのめり込んでいきました。
「当時はまだ選手として活躍していた父と一緒に世界選手権に参加するという幸運な機会にも恵まれました。二人で肩を並べて大会に出られたことは、すごく良い思い出になっています」
1カ月の「武者修行」でスランプを乗り越え、親子二人三脚での世界一
当時26歳の雄大さんは、世界でも自分の技術が通用するという自信はあったものの、「世界一にはまだ遠い」と感じていました。どうにか自分の殻を破りたいと考えていた時、雄大さんはある決断をします。それが、気球の強豪国であるアメリカでの武者修行でした。結果的に、そのチャレンジが選手としてのターニングポイントとなり、のちの世界選手権の活躍につながっていきます。
「2012年にアメリカで開催される世界選手権に出場するため、1カ月前から一人で武者修行のために現地入りしました。強豪国であるアメリカの選手と同じ環境でのフライトを重ねるため、いつもバックアップしてくれる日本のチームではなく、現地のボランティアクルーを集めて即席チームをつくり、各地のローカル大会に出場して回りました。
毎回チームメンバーが変わりますし、英語でのコミュニケーションもすごく大変。正直、『なぜ僕はこんな苦労をしているんだろう』と思うこともありました。ただ、競技の結果を左右する現地の気候や風を知れたこと、アメリカのような競技人口が多い強豪国で経験を積めたことは大きな自信になりましたね。
その甲斐もあり、世界選手権3位入賞。日本人で初めて世界大会のメダルを獲得することができたんです。その日は風を読む感覚がすごく研ぎ澄まされ、その土地を飛び慣れているアメリカ現地のパイロットたちとも対等に戦えた。自分も金メダルに届くんじゃないかという実感を得ました」
2012年にいい感触を掴み、上り調子が続いた藤田さん。その後、2014年の世界選手権では、なんと父も成し遂げられなかった日本人初の世界選手権優勝を達成。表彰台に登ってみて感じたのは、自分一人の力ではなく、両親の強い思いが引き寄せたものだということだったと言います。
「表彰台からみた父は涙を流していました。父の涙を見たのはそれがはじめてですね。父は若い時から世界一を目指してずっと挑戦し続けてきて、夢半ばで僕にバトンを渡すことになった。きっと、誰よりも僕の優勝を喜んでいたのだと思います。
その姿を見て、今回の金メダルは父の強い思いが引き寄せたものだと感じたんです。だからこそ、次の金メダルは自分の力で獲るんだと、心に誓いました」
選手としてステップアップするため、コマーシャルフライトの道へ
その後も国内大会では一定の好成績を収めるものの、2018年の世界選手権では惨敗。そこで、2019年に雄大さんはスペインへと渡り、大型の気球に乗客を乗せてフライトするコマーシャルパイロットとしての活動を始めます。当時、世界選手権の上位にランクインする選手の多くがコマーシャルパイロットを経験していることを知っての決断でした。
「上位選手が生業にしているコマーシャルパイロットの世界を知らずに、世界でもう一度勝つことはできないと思ったんです。そこで、スペインに渡り、乗客を乗せるためのライセンスを取得し、観光客向けのフライトをしていました。観光気球を飛ばす環境に身を置いたことで、毎日のように飛ぶ機会を得ることができました」
その経験が活かされ、雄大さんは2019年に日本国内で開催された主要4大会のすべてで優勝という好成績を収めます。また、雄大さん同様気球一家で育ったという妻・華菜子さんとともに、気球の普及活動などの事業を行う会社「PUKAPUKA」を設立。選手としての活動と並行し、活躍の幅を広げていきます。
人生最大のスランプを克服するために取り入れたメンタルケア
新たな環境に身を置き、再度大きな風に乗っていくのかと思いきや、雄大さんは選手として最大のスランプに陥ってしまいます。競技に対するモチベーションが下がり、大会に出場するも結果が振るわない日々。その原因は何年も大会に出続けたことによる、「マンネリ化」なのだそう。
「世界選手権は競技の枠組みや試合の構成が日々変化しますし、憧れの選手に挑戦できることもすごくワクワクする。一方、日本国内の大会は変化が少なく、おもしろさを感じられずにいました。そういった要因からメンタルの揺れが生じ、成績も悪くなっていきました」
そんな不調から抜け出すきっかけになったのが、雄大さんを一番近くで支えている妻・華菜子さんのアドバイスでした。笑顔が失われた雄大さんに対して「なぜ楽しくなくなってしまったのか」「どうしてモチベーションが失われてしまったか」と丁寧に問いかけてくれたのです。
「気球は、気象学などを学び科学的に風を読み解くロジック型の選手と、経験や直感で風を読む感覚型の選手がいるんです。ロジック型の選手はどんな環境でも一定のパフォーマンスを出しやすいのですが、感覚型の僕はその時々のメンタルにパフォーマンスが左右されてしまうんです。
妻は感情をしっかり言葉にして相手にちゃんと伝えたり、解決策を見出したりしていくことが得意なんです。彼女のアドバイスを取り入れながら、それまで疎かにしていたメンタルケアに力を入れていきました」
長期的にメンタルケアを行なう中で、雄大さんは段々と自身の不調の理由を客観視できるようになっていったといいます。取材に同席していた華菜子さんの「素直にアドバイスを受け入れて実践していたよね」という言葉を受け、雄大さんは話します。
「僕自身、ダメなところはいっぱいあると自覚しているんです。不満なことがあればすぐにテンションが下がってパフォーマンスが落ちるというメンタル面は最たる例ですよね。しかし、気球の操作技術にだけは自信がある。それが、僕のブレることのない軸なんです。その軸があるからこそ、変なプライドを捨て、素直に周囲の言葉を受け入れられたのだと思います」
華菜子さんのアドバイスを受けた雄大さんは、メンタルケアのために取り入れた筋トレやヨガに加え、家の敷地にある畑の土いじり、愛犬のエマちゃんと遊ぶこと、飼育している鶏たちの世話など、生活の中に「楽しみ」を増やすにつれてライフスタイルが大きく変化したといいます。
「大会の1カ月くらい前から、自分が『楽しんでいる状態』を維持できるよう心がけています。朝早くフライトの練習をして、家に帰ったら庭の畑で土いじりをして、野菜の成長を見る。土や野菜から活力をもらえますし、もやもやすることがあっても、土をいじっていたら気分が紛れます。愛犬や鶏と過ごす時間にも癒されていますね」
世界一の気球操縦士の意外なご褒美
生活の中に楽しみを散りばめ、規則正しい生活を送る。そうしたメンタルケアの方法を実践しながら、モチベーションを劇的に高める「起爆剤」があるのだと雄大さんは続けます。それが、趣味であるゲーム。大会でいい結果を納めたらご褒美としてゲームを買うことにしているのだそうです。世界一の選手がそんな方法でモチベーションを維持しているとは意外ですが、「一番大事なのはご褒美」と雄大さんは笑います。
「20年近く競技をやってきたら、どうしてもマンネリは避けられない。そこで、ご褒美が必要だ!と思ったんです。ゲームのソフトは普段は買わないことにして、大会で結果を出せた時にご褒美として買えるというルールを決めました。小学生みたいですよね(笑)」
少し照れ臭そうにそう語る雄大さん。しかし、選手としてモチベーション維持に悩むことはあっても、「気球に乗らない人生」が頭によぎったことは一度たりともないのだといいます。なぜ、気球に乗り続けるのか。そう問いかけると、「気球が好きだから」と力強い返答が。その答えには一点の曇りもありません。
「バーナーを握っていると自然と笑顔がこぼれ出ちゃうんです。その瞬間に、僕は気球をするために生まれてきたんだと再確認するんです。気球の競技人生ってとても長くて、60代でも現役のトップ選手がたくさんいるんですよ。僕もまだまだこれから。もう一度世界一に返り咲けるよう練習に励んでいきます」
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