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タイプロ5次審査で注目。前田大輔がホリプロで再出発を決めた理由。下積み番組ADで感じた「現場ありがたみ」

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。
アイドルグループ『timelesz』(旧Sexy Zone)の新メンバーを決めるオーディション企画『timelesz project‐AUDITION‐(通称・タイプロ)』に参加し、人一倍の努力とまっすぐな人柄を武器に、5次審査まで進出した富山県出身の前田大輔さん。
タイプロでは最終審査を目前に惜しくも落選という結果となりましたが、現在は大手芸能事務所ホリプロに所属し、新たなボーイズグループ結成プロジェクト『TAG SEARCH』に挑戦中。同じくタイプロ参加者であった西山智樹さんと自らメンバーを探しながら、“0からグループをつくる”という前例のないことに取り組んでいます。
何度でも立ち上がり、大きな挑戦を続ける彼の姿には、「はたらく」ことに迷う若者たちへのヒントが詰まっていました。
ADやカラオケ店ではたらく日々も経験した、前田さんの原点

──前田さんがダンスや音楽グループに惹かれていった原点を教えてください。
中学生のころからダンスに漠然とした興味があって、定期的にダンスを見ていて、体育の授業でダンスがあると「楽しいな」と感じていました。自分で言うのもなんですが、結構すぐに踊れるタイプだったので、ちょっとセンスあるかもなって思っていましたね(笑)。
最初は仕事にする気はなかったんですが、転機は高校3年生のとき。友達とカラオケに行った際に韓国の男性アーティストグループBIGBANGさんの『Fantastic Baby』のMV(ミュージックビデオ)が流れてきて。奇抜で面白いなと興味を持ち、家に帰ってからもYouTubeでライブ映像などを見てどんどんハマっていきました。
その流れで今度は同じく韓国アイドルグループのBTSさんに出会い、『DNA』のMVで揃ったダンスに衝撃を受けて「自分もやってみたい」と。YouTubeを何度も見て、見よう見まねでBTSさんのダンスをカバーしていました。
──K-POPの音楽やグループ、ダンスに惹かれてから、どのようにスキルを磨いていったのでしょうか。
高校3年生のころに少しだけオーディションを受けてみたんですが、そのときはまだダンスレッスンにも通っていなかったので、まったく通用しませんでした。そこで高校卒業後、大学に入ってから地元富山のダンススクールに通い始め、さらに先生の紹介で、より本格的なレッスンが受けられる静岡のダンススクールにも通うようになったんです。
その後、静岡のダンススクールからの縁で、韓国の事務所に練習生として所属します。
──地元や大学の友人が進学や就職していく中で、異なる道に進む不安はなかったのでしょうか?
特に不安はなかったですね。やりたいことが見つかっていたので、それを形にするまではダンスを続けようと決めていました。周りは就職して給料も安定してもらえる中、ぼくはずっと貧乏でしたけど。やりたいことができていたので、周囲と比べることはなかったですね。
──自分の夢に向かって真っすぐ進んでいらっしゃったのですね。韓国の事務所の練習生になってからは、どんな生活を送っていたのでしょうか。
2019年11月に練習生になり、約2年間活動していたのですが、朝から晩までダンス漬けの毎日で、この時期が一番大変でした。ダンスや音楽、語学など、あらゆる課題をこなしては動画で提出し、フィードバックを受けてまた改善するという、休む間もない日々で。当初は日本にいながらの活動だったのですが、コロナが少しだけ落ち着いた2021年の冬には韓国へ渡り、より本格的な練習生生活が始まりました。
ただ、ようやくつかんだ韓国でのチャンスも、半年で契約が終了。ある日突然呼び出されて、「明日から来なくて良い」と言われたんです。翌日には日本に帰国しなければならず、あまりに急な展開に呆然としました。

約2年間、毎日練習していたのに急にすべてが終わってしまって。どうしたら良いか分からないし、2週間ぐらいは何もする気が起きませんでしたね。
でも、「このまま終わるわけにはいかない」と自分を奮い立たせて、次に目指すべきものを探し始めました。ちょうどぼくが韓国にいたころ、ラッパーのSKY-HIさんが設立したマネジメントレーベル・BMSGがオーディション『THE FIRST』を開催していたことを知っていて、気にはなっていたんです。
半年間韓国に滞在していたこともあり、「今の日本のグループってどんな感じなんだろう」とYoutubeなどで詳しく調べてみたら、『THE FIRST』から誕生した『BE:FIRST』というグループを見つけて、「見てみるか」と。そしたら、そのパフォーマンスがめちゃくちゃかっこよかったんです。
SKY-HIさんが掲げる理念や、時に涙を流すほど真剣にアーティストと向き合う姿勢に胸を打たれて。「この事務所でなら音楽に没頭できるかもしれない」と思いました。調べてみると常設の練習生募集フォームがあったので、「どうしても入りたい」と、ダンス・歌・ラップの動画を1カ月ごとに撮って送っていましたね。
そうして3カ月ほど続けたころに、「来てください」と連絡をいただいて。指定された場所に向かったら、BMSG企画の『MISSION×2』というオーディションが始まったんです。
──熱い想いで挑んだ『MISSION×2』では、合宿一次審査で落選という結果に。当時はどんな心境でしたか?
本当にショックでした。「これ以上、心の底から行きたいと思える事務所なんてあるのかな」と、まるで絶望のどん底に突き落とされたような気分で。地元の富山に戻っても、1〜2カ月は何も手につかず、親も声をかけられないほど落ち込んでいましたね。
でも、今まで親にもたくさん迷惑をかけてきたし、韓国の練習生時代や『MISSION×2』で出会った先生や仲間に先輩、ダンススクールの先生……ほかにも本当に多くの方に支えていただきました。「ここで終わるわけにはいかない」「“デビュー”という形で恩返しがしたい」――そんな想いが、もう一度前に進む力になったんです。
そこから何をすべきかを考えたときに、これまでの結果のネックになっていた「歌」のスキルを伸ばそうと思って。ちょうど『MISSION×2』のボイストレーナーの先生のお弟子さんが東京でボイトレをされていたので、そこに通うため、上京しました。
──すごい行動力ですね……!上京したあとは、ボイトレに通いながらどこかではたらいていたのでしょうか?
最初はAD(アシスタントディレクター)としてテレビ番組の制作現場ではたらいていました。買い出しやロケ地のリサーチ、撮影後の字幕起こしなどを担当していて、「スタッフの方はこんなに忙しい想いをしているのか」と思い知らされるような毎日でしたね。
ADとして入った現場の中で特に印象に残っているのは、アイドルグループKAT-TUNさんの番組です。歌収録を間近で見て、カメラパフォーマンスに「かっこいいなあ……」と痺れました。この経験を機に、アイドルに対するあこがれも強まりましたね。

ただ、ADの仕事が忙しすぎてダンスの練習をする時間が取れなくなってしまって。半年ほどでADを辞めて、そのあとはカラオケ店ではたらいていました。カラオケでは、かつて一緒に練習していた仲間が映像に映し出されるのを目にすることもあり、「なんで自分は今ここで掃除をしているんだろう」と、思わず悔しさが込み上げたのを覚えています。
何十回の落選で悔しさに慣れても。タイプロで映った真摯な強さ
──アイドルへのあこがれや、夢まで一歩届かない悔しさが積み重なったのちに、タイプロに出会うわけですね。
はい。『MISSION×2』が終わったあと、2024年の春にタイプロの開催が発表され、「もうこれは出るしかない」と思いました。
──タイプロの審査中は、前田さんがほかの候補生にダンスや歌を親身に教えていた姿が印象的でした。
これまでぼく自身が本当にたくさんの方にダンスや歌を教えていただいてきたぶん、「教えるのは当たり前」という感覚でした。技術面だけでなく、メンタルや身だしなみ、礼儀なども含めて、惜しみなく伝えるようにしていましたね。
ぼくがADをしていたころ、朝早くから現場に入って準備をしたり、お水やお弁当などを用意したりしていたので、スタッフさんへの感謝や現場のありがたみを身をもって感じてきたんです。だからこそ、ほかの候補生が将来デビューしたときにスタッフさんの気持ちも考えられるように、今のうちに伝えられることは伝えておきたかった。そんな想いで、自然に教えてしまっていました。
──前田さんの人柄は、タイプロの5次審査でチームを前向きに鼓舞する姿勢にもにじんでいました。難易度の高い課題曲に不安を抱える候補生に対して「負けるかもって思ってる?」とおっしゃっていましたが、どんな想いで仲間に声をかけていたのでしょうか?
ぼくはこれまで20〜30個くらいのオーディションに落ちてきて、書類すら通らないような経験もたくさんしてきました。悔しい経験をしすぎて、悔しさにも慣れ、落ち込むよりも「じゃあ次どうするか」と考えられるようになったんです。
個別審査ではありつつも、チームごとに課題曲が与えられた5次審査では、ほかのチームのパフォーマンスを見て自分のチームに不安を抱く候補生もいました。でもぼくは、自分たちのパフォーマンスに自信があったし、「ほかのチームがうまかったからといって、落ち込む理由にはならない」と思っていました。周りと比べすぎず、自分たちのやるべきことに集中しようという気持ちが強かったですね。
歩み続けた先に出会えた、ホリプロでの“前例なき挑戦”

──5次審査で惜しくもタイプロ落選という結果になりましたが、そののちに大手芸能事務所であるホリプロに所属した経緯を教えてください。
まず、タイプロで同じく5次審査まで残っていた西山智樹がホリプロからオファーを受けていたんです。そのあと、智樹から「一緒にやらないか」とぼくを誘ってくれました。性格やスキル面での相性が良かったことに加えて、智樹もタイプロ中はぼくと同じように、メンバーを支える側にまわることが多かったんですよね。違うチームではありましたが、グループに対する向き合い方や価値観に、通じるものを感じてくれたのかもしれません。
最初は正直、「どうしよう」と思っていて。でも、せっかく智樹が誘ってくれたからと話を聞きに行ったら、0から自分たちでメンバーを探してグループをつくるボーイズ結成プロジェクト『TAG SEARCH』の話をいただき、面白そうだと感じました。
こんな大きな事務所で、0からグループを自分でつくらせてもらえる機会なんて、そうそうないじゃないですか。ぼくは今までもずっと冒険してきた人生だったので、「誰もやったことないことをやって成功させたら、めちゃくちゃかっけーな」と思ったんです。
それに、ぼくたちが前例になれば、これから自分たちでグループつくってみようと挑戦する人が出てくるかもしれないですし。
──0からのグループづくりという、これまでにない挑戦に取り組む中で、これまでの経験が活きていると感じる部分はありますか?
グループに合う人かどうかを見抜く力はあるかもしれないですね。直感的に分かるようになってきたというか、「この子はグループに合ってそうだな」とか、「一緒にやったら楽しそうだな」という感覚がつかめるようになりました。智樹も同じような感覚を持っているので、「この子良いよね」といった意見は一致することが多いです。今までいろいろなグループでいろいろな人を見てきたからこそ、この感覚が育ってきたんだと思います。
今メンバー探しをしていて、ファンの方をお待たせしてしまっている部分もあるのですが、妥協はしません。ぼくたちを信じていてほしいし、不安に感じる方もいるかもしれませんが、その間も全力で準備を進めています。もう少しだけ、待っていていただけたらうれしいです。
──スタジオパーソルの読者である「はたらく」モヤモヤを抱える若者へ、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするために、何かアドバイスをいただけますか?
まずは、とにかく動いてみること。これに尽きると思います。何回落ち込んだって、止まらなければ大丈夫。どんな経験もいつかきっと活きてくるから、悲観的になりすぎず、軽い気持ちで「やってみる」ってすごく大事だと思うんです。
ぼく自身、最初はあこがれのアーティストグループの動画を見て、真似して踊ってみたのがきっかけでした。やったこともないのでスキルもないし、完全に自己満足ですよね。でも、そこからすべてが始まりました。だから「なんか面白そう」って感じたら、それがどんなに小さなことでも、深く考えすぎずに一歩を踏み出してみてほしい。そうすれば、思いもよらない未来につながるかもしれません。

「スタジオパーソル」編集部/文:朝川真帆 編集:いしかわゆき、おのまり 写真:水元琴美

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