早稲田卒で印刷会社勤務の私が「セーラー服おじさん」になったワケ。出世コース外れても好きを極めろ。

2025年4月1日

原宿の街でひらりとなびく、セーラー服のスカート。その主は、たっぷりと蓄えた髭にレインボーのリボンをあしらった、かわいらしい初老の男性でした。

今回お話を伺ったのは、「セーラー服おじさん」の愛称で知られる、小林秀章さん。2011年からセーラー服を身にまとうようになったという小林さんは、オードリー若林さんがレギュラーを務める番組『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)にも出演。ほかにもアメリカのニュース専門チャンネル『CNN』をはじめ、国内外のメディアから取材が殺到する、名物的な存在です。

平日は新卒入社した大手印刷会社で長年エンジニアとして務めるかたわら、現在はAIの革新的な進化を探究し布教する「AIエバンジェリスト」としても活動しています。「好きなことをしていたら、いつの間にか出世街道からは外れてしまっていた」と語る小林さんの胸に秘めた、好きなことを極める人生の哲学を探ります。

かわいいものへの情熱に蓋をした結果、数学の沼にどっぷり浸かり、エンジニアの道へ

──小林さんは、昔からかわいいものがお好きだったのですか?

小学校のころからかわいらしいものが好きでしたね。クラスメイトの女の子がつけているピン留めを借りては、自分の頭につけてみたりして。周囲も面白がってくれるので、その反応をうかがうのも楽しかったです。

ただ、中高は男子校に進んだので、かわいいものへの気持ちには蓋をして、だいぶ地味な学生生活を過ごしましたね。

──ご自身の気持ちを抑え込んでいた時代があったのですね。

そうですね。内向的な学生として過ごしているうちにのめり込んだのが、数学でした。高校時代に出会った家庭教師の先生の影響で、数学の面白さにすっかり魅了されてしまって。そのまま大学も数学科に進みました。今振り返ると、受験のために学ぶ数学と、大学で専攻する数学なんてまったくの別物だったんですけどね。

大学では授業についていくのに必死でしたが、研究室で興味のある分野を見つけてからはそこに没頭しました。1980年代当時はちょうどコンピュータグラフィックスが盛り上がり始めたころだったので、これは面白いと。卒業研究では、紙に数式を書いて論を展開する論文形式が多い中、私は自分でプログラムを書いて、パソコンに抽象模様を描かせたものを発表しました。

小林さんがXにポストした、関数を使用して描いたフラクタル図形「ジュリア集合」

昔から最先端のものに惹かれる傾向があって。当時は汎用的なプログラミング言語も使用され始めていましたが、自分でプログラムを書いて幾何学的なフラクタル図形(一部が全体と自己相似な構造を持っている図形のこと)を描く人は少なかった。そう思うと、珍しい存在だったかもしれません。

──大学卒業後は、どのような進路を歩まれたのでしょうか?

印刷会社に入社し、35年間同じ会社でソフトウェアエンジニアとしてはたらいています。当時は今と比べて画像処理の技術が発展途上だったので、たとえば写真の背景を消去するのも遮光フィルムを被写体の輪郭に沿ってくり抜いて貼り付けるなど、人の手が必要不可欠でした。この切り抜き作業をどうにか自動化できないかと、いろいろなプログラムを組んでトライしたのが最初の仕事です。

実用化に時間はかかりましたが、とにかく楽しかった。結果として特許権を取得するまでになり、「あぁ、これが俺の天職だな」って思いましたね。10年くらい、画像処理チームでバリバリはたらきました。

ところが、半導体関連のソフトウェア開発部門に異動になった途端、仕事への情熱がすっかり萎んでしまって(笑)。周囲から頼りにされる、出世街道まっしぐらなルートからは外れてしまいました。

「良い“言い訳”が見つかった」40代男性が、セーラー服を着るようになった理由

──それまでは、一般的な洋服に身を包んだ、普通のサラリーマンだった?

そうですね。でも、異動をきっかけに趣味でカメラを始めたんです。一眼レフカメラを片手に原宿の街を歩いていたら、当時増え始めていたコスプレイヤーに目が釘付けになって。独自の感性を発揮したファッションの虜になり、「俺の被写体発見!」なんて、たくさん撮らせてもらいました。この出会いがきっかけとなり、コスプレイヤーからロリータ服やストリートファッションにも興味が広がって、自分の奥底に眠っていた、かわいいものへの情熱が呼び起こされたのかもしれません。

コスプレイヤーとの運命的な出会いを果たした、原宿の神宮橋にて

そこから華やかなドレスを身につけた人形撮影にもハマり、撮影した写真をアートイベントのブースで展示するように。女装や派手な服装でパフォーマンスをする人も出没するイベントだったので、ちょっとしたノリで私もセーラー服を着てブースに立ってみることにしたんです。「お似合いですよ」なんて案外肯定してもらえるもので。1年半くらい、そのイベント限定でセーラー服を着る期間がありました。

──その後、セーラー服を着て街に繰り出すようになったのですね。

とあるラーメン屋でセーラー服を着て来店したら一杯タダになる企画をやっている、と知人が教えてくれたんです。30歳以上限定の企画だから、行ってみたらどうかと。すでに40代後半でしたが、この格好で外に出る“言い訳”を探していた節もあったので、もちろん飛びつきましたよ。

──街での視線などは気になりませんでしたか?

不審な目では見られましたけど、直接的に何か言ったり、接触してきたりする人は意外といなかったんです。表面上は至って平和で、これに味を占めてしまって(笑)。スーパーや飲み屋など、セーラー服姿での行動範囲をどんどん広げていきました。

──そんな小林さんが話題を集めるようになったきっかけは?

セーラー服で出歩くようになった2011年は、ちょうどTwitter(現:X)が流行し始めたころで。私を見かけた人が、面白がって写真を投稿したのがバズったんです。そこから道端でも声をかけられるようになり、テレビやメディアの取材依頼もいただくようになりました。

今では、この姿も割と日常に溶け込むようになったなと感じます。原宿竹下通りの人混みも、誰にも声をかけられず5分くらいで通り抜けられるようになった。自分でも変な格好していることを忘れてしまうくらいです(笑)。

取材の最中、突然外国人カメラマンから声をかけられ、撮影に応じるシーンも

──会社からは何か反応はありましたか?

基本はテレワークですが、出社の際は普通の男性の格好をしています。テレビを見たと声をかけてくれる同僚もいますが、会社からはお咎めもないし、脚光を浴びることもありません。創業150年近い老舗企業なのに、こんな私を放っておいてくれることに、懐の深さを感じますね。

セーラー服おじさんが、熱心にAIの進化を追いかけ「天才ウォッチ」を続ける理由

──小林さんは現在、自治体のイベントでAIについてレクチャーするなど、AIエバンジェリストとしても活躍されていますよね。

そうなんです。私自身がAIを研究したり、新しい技術を開発したりするのではなくて、ウォッチャーとしてAI分野の探究にのめり込んでいます。2025年は「日本情報倫理協会」主催のオンラインセミナーに登壇したり、社内向けのAI講座で240名ほどに向けて話をしたりと、多少はAIエバンジェリストとして箔がついてきたかな、と。

ChatGPTの登場を機に、今となっては世間的にも少しずつAIにスポットライトが当たるようになりましたが、研究者たちの間では、ここ2〜3年でAIはとんでもなく飛躍すると言われているんですよ。

近い将来、AI が新薬の開発過程を劇的に加速させると言われています。2024年、ノーベル賞が AI 研究者たちに贈られましたが、今後もノーベル賞級の AI が次々に登場してくるでしょう。最先端の AI が超有能な助手としてはたらくことで、新薬がどんどん開発され、たいていの病気が治るようになり、「人間の寿命が向こう10 年で 150 歳に伸びるかもしれない」なんて見解も広がっています。

「AIに人間の仕事が奪われ、失業者が続出」なんて状況も、あっという間に到来してしまう。1日8時間労働、週休2日の人間よりも、年中無休で休まずに処理を続けるAIのほうが、圧倒的に低コストですから。それほど狂瀾怒濤の時代になってきていると、私はそう睨んでいます。

──とんでもない時代に入っているのですね……。そんな時代に、私たちができることはなんだと思いますか?

「未来を予測する次善の方法は、自らそれをつくり出しそうな人をウォッチしていることである」これが持論です。アメリカの計算機学者が唱えた未来予測についての名言を、普通のおじさんである自分流に変換しただけなんですが。つまり、世界の天才の語ることを追いかける、「天才ウォッチ」が大事だなと。

今後、AIによってとんでもない未来がもたらされるのは間違いない。自らそれをつくり出す技術がないのであれば、せめて最先端の情報を観測することが、私たちに今できることかなと。そしてそれを世の中に伝えていくのが、AIエバンジェリストとして、今の私に課せられた使命だと考えています。

好きなことを極めるのは、甘くない。仕事以外に生き甲斐を見つけた、小林さんの哲学

──セーラー服にAI探究と、各分野で我が道を突き進んできた小林さんは、自分の個性を大切にする第一人者ではないかと感じます。

ただ好きなことに没頭してきただけなんです。こうして好きなことを追求していたら、気が付いたら出世コースからは外れてしまっていましたけれど(笑)。でも、型にはまらず、我が道を歩んできて良かったと思っています。

昨今は「多様性」という言葉も叫ばれるようになりましたが、本当にその価値を理解している人が社会にどれだけいるのだろうと考えます。

なぜ多様性が大切なのか。個人的には、「生命体としての種の存続」のためだと思うんです。環境は常に一定ではないので、すべての人間が同質化すると、いずれ種として弱体化して淘汰されてしまう。セーラー服はさておき、自分の興味・関心分野を極めておけば、いずれ社会が変化していった際にもしかしたらその道を極めた者が新たな社会の切り札になる可能性だって、ないとは言い切れません。

──好きなことに打ち込むことで、思わぬ未来を切り開くことになるかもしれない、と。

もちろん仕事は大切だけど、仕事だけがすべてじゃない。私はセーラー服を着たことをきっかけに、その事実に気付いたんだと思います。

何もかも手につかないくらい気になってしょうがないことが、もし仕事以外にあるのであれば、社会の体裁なんて関係なく、その道を極めれば良いと思います。優秀な人間を装ったり、実力以上のことを語ったりして出世にしがみつく必要はない。もちろん、与えられた仕事はきちんとこなした上で、ですが。

ただし、何かを極めるからには生半可な気持ちでは意味がない。私なんか、休みの日も15時間くらいかけてAIに関する文献を読み漁ったり、講演会を聴講したり、資料を作ったりしていますから。「好きなことを極める」って、楽をして生きるのとは対極のものだと思っています。意外と甘くはないんです。

それでもできるのは、やっぱりそれが好きだから。これからも私は、セーラー服を着て、AIにちょっぴり詳しい変なおじさんとして生きていきます。それが私の生き甲斐であり、使命だから。

巳年にちなんで、パイソンと記念撮影

撮影:岩切等氏(小林さん提供)

(文・写真:神田佳恵 編集:おのまり 写真提供:小林秀章)

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フリーライター神田 佳恵
フリーランスライター 兼 一児の母。取材・インタビュー記事、エンタメコラム、ライブレポートやエッセイなど、複数媒体・分野で執筆活動中。

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