進学校から高卒就職、時給2,000円の営業職を経て、24歳で慶應→IT技術職になった理由

2025年9月24日

スタジオパーソルでは「はたらくを、もっと自分らしく。」をモットーに、さまざまなコンテンツをお届けしています。

土川満里奈さんは、進学校出身。周囲が大学に進学する中、「何も考えずに大学に行きたくない」と、高校を卒業してすぐに社会人になりました。

不動産会社の営業職、社長秘書など、6年間で5つ以上の仕事を経験し、24歳の時に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、慶應大学)に進学した土川さん。大学4年生でミス慶應準グランプリとなり、28歳の現在、エンジニア・データサイエンティストとしてはたらいています。

一見まわり道にも思える歩みの中で、土川さんが見つけた“自分らしいはたらき方”とはどのようなものだったのでしょうか。キャリアの選択軸を掘り下げます。

進学校から高卒社会人へ。周囲の反対を押し切った理由

──高校時代までの土川さんについて教えてください。

小さいころから好奇心旺盛で、興味のあることはすぐに「やってみたい!」と思う性格でしたね。習い事も、ピアノ、水泳、書道、体操や公文などをしていて、勉強では特に算数が好きでした。当時は比較的、なんでもそつなくこなすタイプだったのかもしれません。

高校でも、たまたまかもしれませんが数学で学年1位になったことも。数学は楽しくて、毎日放課後に自ら「チャート式」(数研出版が発行する参考書シリーズ)をやっていたくらいでしたね。

──勉強が好きだった土川さんが、高校卒業後すぐに就職したのはなぜでしょうか。

特別やりたいことが決まっていない中で、行きたい大学や学部を選ばなければいけないことに違和感があったんです。

進学校だったので、周囲は大学進学を選ぶ子が多く、それも一つの正解だと思いました。でも私は、人から聞いた話や世間のイメージだけで人生を決めたくない思いが強くて。

一度「学歴」という安全網がない状態で社会に出て、社会とはどんなものなのかを、自分の心と体で体感したいと思ったんです。

──社会を知らないまま、学ぶ分野を決めることに抵抗があったのですね。

先生も両親も、「もったいない」「とりあえず何も考えずに進学したら?大学できっとやりたいことが見つかるよ」という意見で、私も、模試の「志望校」を書く欄にはひとまず有名な大学を書いたりもしました。

でも、意見をくれた人の中に高卒で社会に出た人はいなかったんです。自分の心がどう思うかなんて、実際に経験してみないと分からない。今社会に出るからこそ、得られるものもあるはずだと思ったんですよね。

──みんなと別の道を進むのは、不安もあったのではないでしょうか。

もちろん不安でしたが、自分で人生を切り拓きたい気持ちのほうが強かったです。納得できないまま進学して、つまずいたときに周囲のせいにするのも嫌だった。みんなが経験しない道だからこそ面白いんじゃない?という好奇心も根底にあったと思います。

それに私は「大学に行かない」と決めたわけじゃなくて、「今はいいや」という感覚だったんです。もちろんその時の状況次第ですが、結婚してからでも年を重ねてからでも、学びたいことができたら行けばいいって。

だから、進学の選択肢はあまり考えなかったかもしれません。

時給2,000円以上の営業職も。6年で5つ以上の仕事を経験

──18歳で名古屋から上京してはたらいたそうですが、どのような職に就いたのでしょうか?

一人暮らしなのでお金を稼がなきゃと思い、ネットでお給料が高い順に検索して、時給2,000円以上の不動産会社の営業職に応募しました。勇気がいりましたが、知らない世界に飛び込むために上京したので、こうした選び方も面白いかなって。

いろいろ経験して「一生続けたいと思える仕事」を探したかったので、まずはアルバイトで入社しました。

──そこはどのような職場で、どんな経験をされましたか。

アルバイトと言っても短時間で入れるシフトではなかったため、生活の糧として本業にしている高卒の社会人の方が多かったです。

1日に何百件も電話営業をしなければならないハードな仕事で、数字へのプレッシャーがすごくありました。

不動産は単価が高いので月に1件契約が取れればいいほう。ノルマを達成できないと辞めさせられてしまうんです。お客さまに電話口で暴言を吐かれることもあって、1日で辞める子もいるような世界でした。

当時の経験から、今、多様な人生の価値観を紹介するWebメディア「Life Compass」を運営している土川さん。自ら取材と記事制作を行う

でもみんな、自分の実力だけを頼りに、とてつもない努力で成果を出すんです。進学校では出会わなかったような、人間らしさやエネルギーの溢れる方がたくさんいました。

一方で、過酷な環境が合わずに心身のバランスを崩してしまい、生活が立ち行かなくなったり、私と年が近いのに借金に追われる生活をしていたり……そうした同僚も多く見てきました。

私自身も、契約が取れずに辞めさせられれば収入が途絶え、いつ生活できなくなるか分からない状況で、「はたらくってなんだろう?」「自分はどう生きていきたいんだろう?」と真剣に考えていましたね。

──その後もカスタマーセンター、受付、飲食店、社長秘書、短期アルバイトなど5つ以上の職を経験されたそうですが、仕事を選ぶ基準はなんだったのでしょうか。

昔から人のお世話をするのが好きというか、相手が何を求めているのかを察して行動するのが得意だと感じていたので、そうした性格を活かせる仕事を選んでいました。

どの仕事もやりがいがありましたが、一方で“自分で考えた企画を動かす”といった機会がなかったので、物足りなさがあり、「一生続けたい仕事」にはならなかったんです。

──大学受験をされたきっかけを教えてください。

23歳で社長秘書のアルバイトをしていたとき、正社員登用のお話をいただきました。「大卒」が条件の求人でしたが、面接で実力をアピールして50〜60人の中から採用されたアルバイトでした。

でも正社員になるかどうかを考えたとき、「この仕事をずっと続けたいかな?」と自問したんですよね。そのとき、昔数学が好きだったことを思い出して、「私が一生やりたいのは、数学の思考を活かした仕事かもしれない」と思ったんです。

同時に、6年間さまざまな人に出会い失敗や葛藤も繰り返す中で、「根本的に社会の課題を解決することで、人の役に立ちたい」という思いも強くなっていました。

そこで医療の仕事に就く道も考えたのですが、もっと広い視点でたくさんの人の人生にかかわれる「情報学」を選びました。テクノロジーの力を使えば、進路に悩む次世代の子たちや、生きづらさを抱える人の役に立てるんじゃないかって。

調べていくと、慶應大学の総合政策学部なら情報学や社会課題などのさまざまな分野を学べると知って、2023年の秋、「大学受験するなら今だ!」と突然勉強し始めたんです。

──お仕事との両立はどうされたのですか?

11月初旬まで半年ほど社長秘書としてはたらいていたので、朝、数学や英語の問題集をやってから出勤していましたね。総合政策学部は受験科目が3科目と少ないんです。

でも実は数学は、営業職時代から出勤前に1〜2問解くのが日課でした。問題が解けたときの脳がすっきりする感覚を味わいたくて……ちょっとおかしい人だと思われてしまいそうですが(笑)。

10年のまわり道で見つけた「自分らしいはたらき方」

──土川さんのように、社会に出てから大学に行く選択肢がもっと広まってもいい気がします。

そうですね。ただ私は、一概に「大学に行くのがいい」とは思っていないんです。学びたいことが社会で身に付けられるケースもあるし、大学だけがすべてじゃないって。

私も、情報学を学ぶ手段として慶應大学を選んだだけで、もし落ちていたら情報学が学べる会社を探していたかもしれません。

「学びたいことがあるのなら行けばいい」という考えは、今も高3のころと変わっていません。

──27歳の大学4年生の時にミスコンに出場されたそうですね。

6年間の社会人を経て、自分がどうはたらき、どう生きていきたいのかの軸が見えてきたんです。

それは、自分が「今やりたい」と思ったことに素直に挑戦していくスタイルでした。ミスコンに出たのも、同じ時期に「Life Compass」を立ち上げたのも、そのときにやりたいと思ったから。

ミスコンは、SNS発信で自分の価値観やメッセージを伝える機会が多いので、同じように悩む人の役に立てるんじゃないかと思い出場しました。

先のことを考えすぎてもその通りにいかないことのほうが多いし、私はこれからも、枠に捉われずに「今やりたいこと」に挑戦していくんだと思います。

──2025年4月から、エンジニア・データサイエンティストとして勤務されているそうですね。

情報学を学んだ時点でエンジニア・データサイエンティストになる方向性が見えていたので、就活では、「自分に合ったはたらき方でやりたいことが実現できるか」や「会社のカルチャーや雰囲気」をすごく重視しました。高校からストレートに進学して就活をしていたら、その点は重要視せず、人気企業から順番に受けていた気がします。

今も研修で情報学を学んでいるのですが、本当に面白いです。社会人経験があるからこそ、今の環境に感謝できるんだと思います。

──最後に、スタジオパーソルの読者である“はたらく若者”に、「はたらく」をもっと自分らしく、楽しくするためのアドバイスをお願いします。

「18歳で大学に行かなきゃ」「新卒で就職しなきゃ」といった思い込みって、選択肢の一つでしかないと思うんです。

「やりたいことをやって生きていく」って、言葉にすると簡単に聞こえますが、実際には勇気もエネルギーもいること。やりたいことを見つけるのも、挑戦できる環境を手に入れるのも、続けるのも努力が必要で。私自身はそれと向き合っている時間が幸せですが、何を幸せと感じるかは人それぞれですよね。

「安定を大事にしたい」とか「仕事は仕事」と割り切る価値観も全然ありで、自分にとって納得できる選択ができていれば、それでいいと思います。

でもやっぱり私は、「どうせ一度きりの人生なんだから、楽しく生きようよ」と思っていて。モヤモヤを抱えている人がいたとしたら、今目の前にある“当たり前”や“正解”だけに縛られなくていいよ、と伝えたいですね。

もっといろいろな生き方やはたらき方があることを、知ってもらえたらうれしいです。

(取材・文:原 由希奈 写真提供:土川満里奈さん)

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ライター原 由希奈
1986年生まれ、札幌市在住の取材ライター。
北海道武蔵女子短期大学英文科卒、在学中に英国Solihull Collegeへ留学。
はたらき方や教育、テクノロジー、絵本など、興味のあることは幅広い。2児の母。
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